チョウコ町
朝の空気はひんやりとしているが、陽はすでに昇り、チョウコ村を黄金色に染めていた。
橋の前には五台の馬車とそれぞれの隊の仲間たちが集まり、荷を積み終えた団員たちの姿があった。
ドナルド、デリー、マックスの三人は、それぞれの団員たちに最後の指示を飛ばしていた。
「ドナルド、来てくれ。」
シマは短く手を上げ、ドナルドを呼んだ。
大股で近づいたドナルドに、ずしりとした革袋を手渡す。
袋の口からは金貨のきらめきが一瞬のぞいた。
「……300金貨ある。100はダルソンに渡してくれ。早いうちにダミアンたちと顔合わせしとけよ。」
「おう、任せろ。」
ドナルドは袋の重みを片手で確かめ、真剣な顔でうなずく。
「あと、緊急で金が必要になったらエイト商会から借りろ。名義はシャイン傭兵団でな。」
「助かるぜ、シマ。」
ドナルドはニカッと笑い、肩をポンと叩いた。
そのやり取りを見ながら、幹部たち――
ギャラガ、グーリス、ダグ、ライアンらは腕を組み、黙って見つめる。
だが表情の奥には、三隊を任せる不安と信頼が入り混じっていた。
ふと、人の輪から一歩前に出た女性がいた。
マックスの妻、マヌエラだ。
「あなた、気を付けてね。行ってらっしゃい。」
笑顔で言いながら、彼のマントの裾をそっと直す仕草に、愛情がにじむ。
「おう、任せとけ。」
マックスは、頬を掻きながら照れくさそうに笑った。
その顔は、一人の夫としての柔らかな表情だ。
「……じゃあ、行くぞ。」
ドナルドが声を上げると、三隊の男たちが一斉に動き出す。
鉄の軋む音、馬のいななき、革鞭が鳴る音が響き、空気が張り詰めた。
グーリスたちは口々に声をかけた。
「油断すんなよ!」
「変な真似すんじゃねえぞ!」
「任期は二か月だ!倒れるなよ!」
「おう! 二か月なんざあっという間だ!……死なねえ限りな!」
ドナルドが大声で笑い飛ばすと、周囲に笑いが広がる。
シマはその様子を黙って見送りながら、ふっと呟いた。
「……頼んだぜ、お前ら。」
五台の馬車がゆっくりと広場を離れ、ガラガラと音を響かせながら走り出す。
背に浴びる朝日が、彼らの影を長く伸ばしていった。
ドナルドたちがチョウコ村を出立してから五日が経った。
その間、チョウコ村の工事現場はめまぐるしい変貌を遂げていた。
朝露の残る森の空気をかき分けるように、ハンマーの打撃音、鋸の唸り、荷馬車の軋む音が早朝から響き続けていた。
シャイン傭兵団の手による集中的な作業は、疲労と汗に塗れながらも着実に成果を積み重ねていった。
村の北西に位置する宿屋は、しっかりとした造りで、木組みの天井と煙突の立つ屋根が特徴的だった。
建物は平屋ながら、広々とした共有スペース、薪暖炉、そして旅人や移住者が滞在可能な8部屋を備え、すぐにでも営業を始められる状態にあった。
その横には宿用の厩舎が立ち並び、10頭分の馬房と馬車の停留所が設けられ、飼料や馬具を保管できる小屋も併設されていた。
新たなに、個人宅が5棟建ち、さらに、バンガローが2棟完成した。
村の北側にあった山――かつて斜面に雑木が生い茂っていた場所は、今や広々とした畑地へと姿を変えていた。
村の外縁部には木製の防護柵が巡らされた。
丸太を縦に並べて打ち込み、外側に傾ける形で設計されている。
高さはおよそ2メートル。
その外側に沿うようにして掘られた空堀。
作業を終えた夜、集会所やバンガローに集まった面々は、ささやかな宴を開き、土と汗と木材の匂いに包まれながら、新たな村の船出を祝った。
「……なぁ、これもう町でいいんじゃねえか?」
その声に一瞬、場が静まる。皆が一斉にライアンの方を向いた。
彼は酒の入った杯を軽く揺らしながら、のんびりとした口調で続けた。
「正直、“村”って感じしねえんだよな。下手な町よりずっとでけえぞ、ここ。」
その言葉に、周囲の面々がくすくすと笑い始める。
「ふふ、たしかにね」とノエルが言う。
「この規模と整備具合、村というにはちょっと立派すぎるかも。」
「じゃあ、“チョウコ村”改め……“チョウコ町”か?」と、ザックがにやりと笑う。
その時、シマが静かに湯を口に含み、少しだけ考えるように遠くを見つめてから、微かに笑みを浮かべて言った。
「……そうだな。“チョウコ町”に変えるか。」
皆が一瞬驚き、そして次第に喜びを含んだ笑顔に変わっていった。
「ほんとに?それでいいの、シマ?」
ミーナが目を輝かせて尋ねると
「ああ。これだけの人が集まって、これだけの広さを持つ土地を“村”って言うのは、ちょっとだけ過小評価な気がするな」
「名実ともに町にするには、まだ役所的な手続きとか必要かもしれないけど……」
エリカが現実的な視点を挟みかけたが
「いいんだよ、最初は自称でさ」とシマが笑う。
「そのうち地図にも載る。でかい看板でも立てとくか。“ようこそ、チョウコ町へ”ってな」
「いいね、それ! 絵も描こうよ、町のマークとかさ!」
そのひと言に、場の雰囲気がふっと明るくなる。
皆が思い思いに笑いながら、どんなデザインにするかを想像していると、リズが少し考えるように顎に手を当て、真面目な声で言った。
「……うーん、それならシャイン傭兵団の団旗に描かれているものでいいんじゃない?」
その提案に、周囲が一瞬静まる――団旗、彼らの象徴。
鮮やかな紺と金を基調としており、深い夜空のような紺は静謐さと冷静さを、燃え立つような金は誇りと勇気を象徴している。
その中央に堂々と描かれているのが――「獅子」の姿だった。
その獅子は前足を高く掲げ、口を大きく開けて咆哮する瞬間をとらえたその姿は、見る者に強烈な印象を与える。
牙は鋭く白く、咆哮とともに風を巻き起こすかのように、黄金の鬣が逆巻いている。
その一筋一筋まで丁寧に描かれた鬣は、あたかも動いているような錯覚を覚えるほどで、旗が風に翻ればその獅子は今にも飛び出してきそうな迫力を持っていた。
目は深く、輝きを湛え、見る者を射抜くような力強さを持ち、威厳に満ちたその姿には、恐れと同時に希望と誓いが込められていた。
それはまさに、シャイン傭兵団そのもの――
困難の中に立ち、牙をむき、仲間を守り、誇りを失わず、いつか光をその手に掴もうとする存在。
メグがその旗を思い出しながら、ぽつりとつぶやいた。
「……あの獅子、かっこいいよね。」
「見るだけで鼓舞されるよな」とザックが言い、クリフがうなずく。
「旗に込められた“意味”があるんだ。俺たちはただの傭兵団じゃない。“意志を持った群れ”なんだよ」
「なら、この町の象徴もそれでいい」とシマが静かに言った。
「ここは俺たちが守り、育てていく場所だ。町も、旗も、同じ覚悟の下にあるべきだ」
風が団旗の一角をはためかせる。
まだまだ世間での知名度は決して高くない。
だが知る人ぞ知る――
シャイン傭兵団は「町」にもその魂を刻みつけようとしていた。
そして“チョウコ町”には、これから獅子の咆哮が生き続けるのだ。
まるで、それが希望と未来を守ると誓うかのように。
かつての放棄された村は、誰もが胸を張れる“町”へと、静かに歩みを進めていた。
6月上旬、朝もやの中にチョウコ町の全景が徐々に姿を現すと、山道を進んでいた四十名からなる一団は思わず足を止めた。男たち三十名、女と子ども合わせて十名。
「……まさか、ここが、あのチョウコ村か……?」
中年の団員がぽつりと呟き、他の者たちも言葉を失い、その場に立ち尽くす。
見開かれた目、半開きの口、周囲を見回すだけで声が出ない。
なかには腰が抜けたようにへたり込む者もいた。
呆然という言葉がこれほど当てはまる光景はなかった。
「なんだよ、おい……もっと驚く顔が見れるかと期待してたのによ!」
声を上げたのは、先に町で出迎えていたグーリスだった。
両手を腰に当て、目を細めて笑っている。
それに対し、顔をしかめつつもどこか納得した表情でダルソンが答える。
「……いや、驚いてるぜ。けど……あいつらなら、やりかねねぇって、心のどこかで思ってたんだよ」
短い言葉の中に、シマたちに対する深い信頼と驚きの両方が滲む。
かつて彼らもこの土地で一週間ほど滞在し、一からの開墾に関わった。
だが、それはほんの一端にすぎなかったと、今ようやく思い知らされていた。
「おいグーリス、そうでもねぇぞ」
ライアンが指差す方をグーリスが振り返ると、そこにはキリングスたちがいた。
その一団の中心、キリングスはというと、完全に動きが止まっていた。
口は半開き、目は見開いたまま瞬きさえ忘れている。
右手には荷物、左手は腰に添えたまま――ぴくりとも動かない。
「ククッ……あの間抜けな顔……」
横で肩を揺らして笑い出したのはマルク。
その笑いは止まらず、鼻で吹き出したようなルーカスも続く。
「プッ……ククク……固まってるぜ、キリングスの奴……!」
すっかり冷やかしの対象になってしまったキリングスだったが、そんな彼らの様子に苦笑したのがギャラガだった。
彼は、やれやれと首をすくめてこう言った。
「……お前らも人のことは言えねぇだろ。グーリスたちだって最初はあんな顔してたぜ」
そのひと言に、一斉に振り返るグーリスたち。
「それは言うなっ!!」
グーリスが顔を真っ赤にして叫ぶと、周囲に明るい笑いが広がった。
チョウコ町――旧鉄の掟傭兵団を温かく、そして少しだけ誇らしげに迎え入れたのだった。
小さな驚きと、大きな変化の兆しを胸に、彼らの新たな生活が静かに始まろうとしていた。
それは、もはや恒例と呼ぶにふさわしい光景だった。
目を見開き、鼻をくすぐる匂いにふと呼吸を忘れ何から反応すればいいのか分からず、ただ圧倒される――。
町の中心、広場の傍らに設けられた大鍋と屋外調理場では、数人の料理人たちが忙しく手を動かしていた。
香ばしく焼ける肉、ハーブをたっぷり使った煮込み、湯気とともに立ち上る香辛料の香り、そして驚くほど多彩なパンの種類と野菜と果実の料理。
「…う、うまそう……」
呆然と呟いたのは、連れて来られた若い傭兵の一人だった。
彼の目には、出来たてのハンバーガーが映っていた。
手渡された木皿とスプーン、そしてその横に差し出されたのは、キンと冷えた各種の果実酒だった。
薄い琥珀色に揺れるグラスを持っただけで、冷気が指先に心地よくしみ込む。
「この季節に冷えてる……!?」「井戸水か?違うな……」
と、元技術者だった男がひとり口を尖らせて首を傾げる。
そして、話題に事欠かないのがプリンだ。
一口食べた女性の目が見開かれる。
とろけるような舌触り、ほんのり香るミルクの優しい甘み。
「……んま……」
そのひと言で、皆の視線が集中し、次々と手が伸びた。
子どもたちには菓子が配られ、焼きたてのクッキー、季節の果実を練りこんだタルト、ハチミツの利いた蒸し菓子に歓声があがる。
だが、極めつけは風呂だった。
「え、湯……湯に浸かるのか!?」「本当に?」「まさか、貴族が入っているという風呂か?」
半信半疑で案内されたのは、立派な浴場。
脱衣所から湯気が漏れ、ほんのりハーブの香りが漂う。
中に入った者は誰もが声を漏らす――
「あ"あ"あ"……生き返る……」
「……俺、今日死ぬ予定だったのか?」
さらに目を奪うのは、整った住居だった。
「……おい、本当にここに住んでいいんのか……?」
呟いた妻子を持つ若者に、近くにいたシャイン傭兵団の一人が笑って言った。
「お前の家だ。今日からな」
設備の整った厩舎、荷車用の保管庫、資材置き場、町を囲う堀と柵。
計算された区画整理と小道、誰がどう見ても、ここは「村」ではなかった。
冷えた酒、美味い飯、甘い菓子、湯、そして安全で快適な住まい――
チョウコ町を初めて訪れた者たちは、そのひとつひとつに衝撃を受け、やがてぽつりと誰かが呟いた。
「……ここから……離れられないかもな」




