謎?!
夕陽が山の端に沈み、濃紺の空に紫と橙が溶け合う頃、村のあちこちでランタンの灯がぽつぽつと灯りはじめた。
集会所の大広間からは炊事班の鍋の音と笑い声がこぼれていた。
炊事班は昼過ぎから忙しく立ち働いていた。
鉄鍋で煮込まれた肉と野菜のシチューは、バターの香りとハーブの清涼な香りが混ざり合い、大鍋の表面にはとろりとした濃厚な光沢が浮かぶ。
焼き立てのパンはこんがりと黄金色、表面はパリッと、中はふわふわ。
炭火で炙ったベーコンとソーセージからは肉汁が滴り、スモークの香りが大広間の方まで漂っていた。
ハンバーガー、ホットドック、コロッケパンなどもある。
妻子がいる団員たちは、自宅の灯りの下テーブルを囲み、子供たちの笑い声を聞きながら静かにフォークを動かしていた。
「お父さん、今日の作業すごかったよ!」と弾む声に、父親が豪快に笑う。
湯気を立てるスープと、焼きたてのパン。
家族だけの時間をゆっくりと楽しむ、そんな空気があった。
仲間と過ごす派は、各バンガローや大広間の長テーブルで賑やかに盛り上がっていた。
エールの杯が次々と打ち鳴らされ
「今日の切り株掘り、誰が一番早かったと思う?!」
「いやいや、俺のスコップさばき見ただろ?」
冗談と笑い声が飛び交い、肩を組む者、ジョッキを掲げる者――ランタンに照らされた筋肉の浮かんだ腕や笑顔が赤く照らされる。
さらに、奥方たちの集まりもにぎやかだった。
「あなたの旦那さん、今日の作業で木を何本運んだと思う?」
「うちの旦那がね近頃では、枝を切り払う作業も慣れたもんだと言ってたわ」
「えぇ?!そんなに?うちのなんて切り株で苦戦してたって言うわ!」
と笑いあいながら、自分たちの手で仕立てた布の話や、雨の日の過ごし方、レシピの交換など、どこか穏やかで温かな女子会の空気が流れていた。
大広間の一角では…子供たちがシチューの器を両手で抱えてちびちびと飲んでいる。
「おかわりある?」と無邪気に聞く声に、「いっぱいあるから大丈夫よ」と答える炊事班の笑顔。
バンガロー10号棟。
木の床に置かれた長テーブルは、今夜のご馳走でぎっしりと埋め尽くされていた。
温かなランタンの光が肉汁と湯気をまとった料理を金色に輝かせ
そこに集まるシマ、サーシャ、エイラ、オスカー、メグたちの顔を柔らかく照らしていた。
シマが慎重に両手で抱えて持ってきた大皿。
そこには――薄茶色の肉厚な茸、深淵の森でしか採れない“ブラウンクラウン”の身が美しく盛り付けられていた。
炭火で軽く炙られたその表面は艶やかに輝き、漂う香りは、肉のようなコクと森の清らかさを併せ持つ一口で誰もが黙り込む“至高の一品”だ。
ブラウンクラウンの希少な身とスープ。
その席につけるのは、たった十人だけ。
シマは、食卓に並んだ黄金色のスープを見つめながら、静かに口を開いた。
「ブラウンクラウンってのはな、ただ旨いだけじゃねえ。今じゃ“幻のキノコ”って呼ばれるくらい希少で、滅多に採れねえ代物だ。効能は…滋養強壮、健康促進、成長促進、さらには強靭な身体を作る手助けをしてくれる。病気にもかかりにくくなるんだ。昔は貴族や王族の間でしか口にできねえ食材だったって話だ。」
言葉を区切りながら、周囲を見渡すシマの声はどこか重みを帯びていた。
シマが一人一人、理由を告げながら指名していく――「まずはヤコブだ。」
シマの声には迷いがない。
「お前には長生きしてもらわなきゃ困る。」
「……ありがたいのう……だが、これはワシにとっても名誉なことじゃ。」
ヤコブは深く頭を下げる。
その皺だらけの顔に、誇らしさと感謝が刻まれる。
「次はオズワルド。」
シマが視線を送ると、武骨な男は軽く眉を上げた。
「……ヴァンとの戦いでお前は右腕をやられたな。もう剣は握れねえかもしれねえって、誰もが思った。でも、お前は戻ってきた……完治したとは思うが念の為にブラウンクラウンを食してくれ。」
「……やめろよ、そんなこと言うな……泣きそうになるだろ……」
低く呟いたオズワルドの拳は、微かに震えていた。
「そしてティア。」
その名を呼ばれた瞬間、彼女は一瞬だけ俯いた。
「アキレス腱断裂。動かなくなった足を隠して……気丈に笑ってやがったな。でも今は……立ってる。歩いてる。走ってる。お前も念の為にブラウンクラウンを食してくれ。」
ティアは笑みを浮かべた。
「……ありがとう、シマ団長……。」
その笑顔は、強さと誇りの象徴だった。
「エリカ、お前には違いを教えてもらう。数年前、ブラウンクラウンを食ったことがあるんだろ?」
「ええ、覚えてるわよ……あの時の味、香り、舌触り……あれと今の深淵の森産が、どれほど違うのか……
比べてやるわ!」
エリカは胸を張り、戦う料理人のような眼差しを見せる。
デリー、ドナルド、マックス
「そして……本部行きが決まったデリー、ドナルド、マックス。お前らには激励と……ちょっとした慰めだ。」
三人は同時に「お、おう……」と妙な声を出す。
「……死刑宣告のあとに最後の晩餐ってやつかよ……」
「やめろって! 縁起でもねえ!」
「……でもよ、嬉しいな……シマ……ありがとうな……」
笑いながらも、どこか寂しげな三人の目に光が宿る。
「炊事班からはトッパリ、コーチン。」
「えっ、わ、私たちも?!」
「当たり前だ。お前らがこのスープを作れるようにならなきゃ、次はねえからな。」
二人は顔を見合わせ、誇らしげに頷く。
「やったな……!」「うん……これは絶対覚える!」
ドッタンバッタン! ドッタンバッタン!
「飲ませろォ!! 飲ませろォーーー!!シマ!! お前が首を縦に振らねえ限り、俺はやめねえ!!飲みたい! 飲ませろーーー!!」
仰向けの巨体(2メートル超)が、駄々をこねて床を転げ回る。
両手両足をバタバタさせるたびに――バンガローが揺れる! 床が軋む!
「……まるで子供ね……」
呆れ顔のエイラ。
「……あの巨体で駄々をこねても、可愛くないわ……むしろ醜いわね。」
冷酷に言い放つケイト。
「……よく恥ずかしげもなくできるわね。」
サーシャの声には心底の呆れ。
「……物理的に黙らせるか?」
クリフが袖をまくり始めた瞬間――
「おっとォ! そうはいかねえ!!」
ザックは仰向けのまま“バウンド”するように跳ね回り、逃げる!
「な、何?! 今の動き?!……キモッ!!!」
メグの悲鳴にも似た声が響く。
ドッスン! バッタン! ドッスン! バッタン!
まるで地震――いや、“巨獣の駄々こね”だ!
最終的に――シマが深い溜息をついた。
「……わかった、わかったから……やめろ……お前の勝ちだ、ザック……」
「やったあああああああああ!!!」
ザック、両手を天に突き上げて勝利の雄叫び!
周囲からは呆れと笑いの嵐が吹き荒れた。
「じゃあ……いただくとするかのう。」
ヤコブが、手を合わせてからフォークを手に取る。
その仕草に一切の無駄がないのは学者としての習慣か、いや、この一切れがどれほど価値あるものかを理解しているからだろう。
皿の上で光を帯びる肉厚な茸の切り身を、そっと口に含む――
瞬間、彼の瞳が大きく見開かれた。
「……ぬぉ……ッ! こ、これは……!」
噛むたびに唇の端が小刻みに震える。
「舌の上でとろけおる……しかし、ただ柔らかいだけではない……ッ!噛むたびに旨味が波のように押し寄せてくる……!」
その声は興奮に掠れていた。
続けざまにスープを啜り、瞳を閉じる。
「ズズッ……ふぅ……! これは……昼間、ベガ殿が申しておった通りじゃ! 活力が漲りおる! 身体そのものが若返るような……いや、命が再び燃えはじめたかのような感覚じゃ!」
隣でオズワルドは無言のまま、無骨な指でフォークを握りしめ、一切れを口に放り込む。
噛みしめ、喉の奥で唸るように低く声を洩らした。
「……これは……肉でも魚でもねぇ……なのに、どっちの良さも超えてやがる……! おい……何だ、この食いもんは……! 反則だろ……ッ!」
次の瞬間、豪快にスープをすすり込み、器を片手で持ち上げる。
「このスープ……! 力が湧いてくる……! 冗談じゃねえ、マジで身体が熱くなってきやがる!」
男の顔に、少年のような驚きと笑みが浮かんでいた。
ティアは――一口、そっと唇に運び、目を閉じる。
呼吸が深くなり、長いまつ毛が小さく震えた。
「……あたたかい……血が巡って……息が楽になる……」
頬がほんのりと紅を差し、その表情は陶然とした微笑みに変わる。
「これ……ただの料理じゃないわ……力が、戻ってくる……スープが身体に沁みわたって……身体の奥が……満たされていく……」
その姿は、まるで神に祝福された者のようだった。
鍋の中で煮込まれたブラウンクラウンのスープは、琥珀色に透き通り、茸の旨味を含んだ油が虹色の輪を描いて浮かんでいる。
木製の器に注がれると、立ち上る湯気が森の香りと深い滋味を孕み、鼻腔をくすぐった。
「……じゃ、いただきます!」
最初に口をつけたのはエリカだった。啜った瞬間――
「……ッ……!? な、なにこれ……!」
器を両手で包み込み、彼女の肩が震える。
「あっさりしてるのに……舌に、残る……旨味が……層になって……うそ……止まらない……! 数年前に飲んだブラウンクラウンのスープとは……比較にならないわ……! 身体の奥底から漲るこの感覚……? 創り変えられてる……?」
言葉にならず、無意識に二口、三口と続けてしまう。
デリーは豪快に器を煽り、一息に啜った。
「……っは~~~~!! クゥ~~~~!! 生きててよかったァァ!!」
テーブルに器を叩きつけんばかりの勢いで叫び、隣のザックと豪快なハイタッチを交わす。
ザックは、舌の上で転がすようにじっくりと味わい――そしてニヤリと笑った。
「……クク……シマ……これ……めっちゃ美味い!!……やらねえぞ……ハァ~……久しぶりに飲んだがやっぱり……美味い!!」
そして器を抱え込み、「シマ、お前にはあげねえぞ……ズズッ……ハァッ~……今まで俺に飲ませなかったのは罪だぜ……!」
マックスは器を両手で包み込み、叫ぶ。
「……ヤバイ! ヤバイッ! これ……変な薬が入ってるんじゃねえだろうな?! マジで……力が……!」
そのまま拳を固く握りしめ、肩が震えていた。
トッパリとコーチンは顔を見合わせ、呟く。
「……深い……優しい……そしてこの旨味……なぁ、俺たち、死ぬ前にこんなの飲めて幸せだな」
「バカ言わないで、まだまだ飲むわよ!……それにしてもこのコクと香り……深い味わい……世の中にこんなに美味しい食材があったなんて……」
そして――ドナルドが最後の一滴まで飲み干し、器を掲げて絶叫した。
「シマァァ!! このスープを風呂にしてくれ!! いや、湖にしろ!! 俺、泳ぎながら飲むからよォォ!!!」
場内、爆笑と歓声と感嘆が渦を巻き、バンガロー10号棟は熱気に包まれていた――。
夕餉も、ひと段落したころ――
部屋には暖かな灯りと、炭火の名残の匂い、そして酒の匂いと果実酒の甘い香りが漂っていた。
賑やかだった笑い声も少し落ち着き、団員たちはそれぞれ椅子に深く腰をかけ、満ち足りた表情でグラスを傾けている。
ノエルはゆっくりと脚を組み、手にしたグラスを傾けた。
果実酒の紅が灯りを受けて揺れ、彼女の白い頬をわずかに染める。
「……土も違うんだろうけど、他にも原因があるはずよ」
低く、しかし確信を含んだ声で言いながら、果実酒を一口――喉を通るその動きすら、知的な気配をまとっていた。
シマは、対面でお茶を片手にしたまま、片眉を上げる。
「……ほう、他にもか?」
問いかける声は穏やかだが、その瞳はわずかに細められ、考えを巡らせている様子だった。
そのとき、エイラが隣から柔らかく笑みを浮かべた。
「私もいろいろ試したわよ。温度、湿度、日照、あらゆる環境を変えて……でも、結局うまくいかなかった」
そう言って、彼女もまたグラスを唇に運ぶ。
琥珀色の液体が喉を滑り落ちる音が、静かな空気の中でやけに響いた。
シマはその言葉に目を細め、カップを卓に置いた。
「……そういえば、そうだったな」
短く呟きながら、心の奥で何かを探るように視線を落とす。
バンガローの窓の外では、夜風が葉を揺らし、遠くで小さな虫の声が聞こえる。
しかし、この場の空気は一気に引き締まった――まるで謎を前にした探求者たちの集いのように。




