幹部会議9
静かな間を縫うように、ミーナが首をかしげて小さく口を開いた。
「……コモロフ村長さんとは、まだ合意してないのよね?ということは、今回は話だけで終わったってことかしら?」
ロイドは軽く頷き、手元のメモに視線を落としながら答えた。
「うん、そう。話は前向きだったけど、正式な合意には至ってないよ。……だから、次は10月かな」
「10月?」とサーシャが反応する。
「ノーレム街に行く予定があるからさ。キョウカさんのお父さんに弓を卸すって話になってるし、その帰りにキョク村へ回るのが丁度いいと思うんだ」
なるほどと何人かが頷く中、シマが短く呟く。
「となると……フレッドは決まりか。人選も含めて、隊は誰が行くか考えておこう」
その言葉に、フレッドがニヤリと口角を上げた。
肩をすくめつつも、どこか得意げに言う。
「しゃ〜ねぇな……交渉は、俺に任せてくれんだろ?」
「ああ、お前に任せるよ」
シマの言葉は静かだが、確かな信頼が込められていた。
ただし、すぐに続けて釘を刺すように付け加えた。
「……やりすぎるなよ。あそこにはお前の家族も住んでるんだ。忘れるな」
一瞬、フレッドの顔から笑みが引き、少しだけ真面目な色が浮かぶ。
「……そうだな。まあ、その辺も考慮してまとめてやるよ」
その様子を見ていたライアンが、ぼそっと呟く。
「あいつ、交渉なんかできたのか?」
苦笑しながら、ロイドが小さく頷く。
「フレッドは、何だかんだで上手くまとめてくるんですよ。」
「マジかよ……フレッドが?」
ギャラガが信じられないというような声を漏らす。
トーマスが笑いながら言った。
「人を見かけで判断しちゃいけねぇってことだな」
フレッドがにやりと悪戯っぽく笑い、「へへ、そういうことだ」と一言返すと、マリアが小声でぼそりと漏らした。
「……私はちょっと疑ってるんだけどねぇ」
その言葉に、笑いが起こる。
だがすぐ、クリフが静かに言った。
「なんにせよ、いい結果を出してくれればそれでいいさ」
その言葉に、皆が自然と頷いた。
場の空気が少し落ち着いたところで、ロイドが次の話題を口にした。
「さて、次は――リュカ村だね。トーマスの故郷」
名を呼ばれたトーマスが、少し姿勢を正す。ロイドは笑みを浮かべたまま、淡々と続ける。
「ポプキンスさんが村長に就任してたよ。」
「……マリウスの側近か」とシマが思い出したように呟いた。
「うん、彼が今や村長。村の雰囲気も随分変わってきててね。道も整備されて、人の行き交いが増えてる。小さな商人たちもちらほら出入りしてたよ」
「へぇ、リュカ村も活気づいてきたんだな」とザックが感心したように口にする。
「うん。ああ、それと――」と、ロイドが言葉を添える。
「そこでワーレンさんと合流したんだ」
「……リュカ村で?」とオスカーが聞き返す。
ワーレンは静かに頷くと、淡々と口を開いた。
「ロイドたちが来るまで一月ほど待ってたぜ…いい休養になったがな、以後、同行させてもらった」
場が落ち着いた頃、トーマスが手を挙げた。
「シマ、相談なんだが……次回、ノーレム街に行った帰りに、俺の家族たちを連れてきてもらってもいいか?そんで、冬の間だけチョウコ村に住ませてやってくれ。」
一拍置いて、シマが口を開いた。
「いいんじゃね。お前の家族なら、なにも遠慮することはねぇよ」
すると、ノエルが控えめに手を上げた。ふわりと柔らかい笑みを浮かべながら発言する。
「それでね、冬の間……畑の管理をしてもらえたらって思ってるの。実はトーマスたちと相談して、団員を一隊、トーマスの実家に駐在させてみたらどうかって話になって」
周囲がざわつく。
軽い驚きと興味が入り混じった空気の中で、ジトーが腕を組んで唸った。
「冬の間っつったら……4ヶ月か、5ヶ月くらいか? 結構長ぇな。行きたがる奴、いるか……?」
場に微妙な沈黙が流れかけたその時、ユキヒョウが笑みを浮かべて口を開いた。
「そこで考えたのが――任務達成特典だよ」
「特典?」とオスカーが首をかしげる。
「そう。例えば、任務を完了したら、傭兵団持ちで娼館に十回行けるとか」
即座に何人かの目の色が変わる
だがユキヒョウはさらに続けた。
「期間限定で酒、飲み放題。風呂に酒を持ち込んでいいってルールも検討中。そして……毎食後、プリンが付く」
「どれもこれも……魅力だなぁ……」
ギャラガが感嘆の息を漏らす。腕組みしながらも頬が緩んでいる。
マリアが得意気に胸を張った。
「でしょ? プリンの案は私が出したのよ」
「マリア、いいセンスしてるな」とギャラガが素直に賞賛する。
「ギャラガは甘党だからな」と誰かが笑い、数人が頷いた。
そんな中、やや渋い顔をしていたダグが呟くように言う。
「……俺は、風呂に酒を持ち込んでいいってのに惹かれるな。あれは最高だ」
「ただなぁ~」と、低く重たい声で口を開いたのはキーファーだった。
「4~5ヶ月ってなるとよ……その間、飯は美味くねぇ、酒も限定、風呂も満足に入れねぇってんなら、さすがにキツいぞ」
その意見には、数人が頷きかけたが――
シャロンがぽつりと呟いた。
「お酒は……どうにでもなるでしょ。甕があればいいんだから」
その言葉に、場の空気が一瞬止まり、すぐに「あっ」と何人もの声が重なった。
「そっか……」とロイドが呟けば、ジトーも頷きつつ「確かに、冬の間、雪と甕さえあれば冷えたエールでも果実酒でも作れるな」と感心したように言った。
「んじゃ、残るは――飯と風呂の問題か」
言ったのはデシンス。
そこで、ベガが不意に眉をひそめ、少し緊張した声で口を開いた。
「ちょっと待ってくれ。一隊って言ったら10人だろ? そんな大人数が住めるのか?」
それを聞いたフレッドが返した。
「……?まだ、トーマスの実家、見てなかったか?」
ベガが首を振ると、トーマスが少し照れたように笑いながら口を開いた。
「実家には、今、三家族が暮らしてる。全部でちょうど10人……まあ、それだけの規模ってことだ」
するとノエルが続ける。
「リュカ村の住人の間では、“一夜屋敷”なんて呼ばれているらしいの」
メグが目を輝かせて身を乗り出した。
「上手いこと言うわね!」
「言い得て妙ってやつだな」とザックが頷く。
その言葉にヤコブが嬉しそうに目を細めた。
「ほう、ザックもなかなかに勉強しておるようじゃな。良きかな良きかな、ほほ」
「へへ、まあな!」とザックは鼻をこする。
だが、そんな雰囲気の中、ひとりベガだけが困惑の渦中にあった。
「一夜屋敷……? まさか一日で建てたとか言わねえだろうな……」
冗談のように口にしたその問いに、誰もすぐには返事をしない。
だが、その沈黙が妙に重く感じられる。
「……いやいや、いくらお前らでもそれはねえだろ? だって、一日って……馬鹿な、なあ?」
焦りの色が徐々に顔に浮かぶ。笑い声もない。誰も否定しない。
「…………うそだろ……冗談だろ? な、なあ? 冗談、なんだよな?」
沈黙。
「……な、なんで黙ってんだよ!!」
そのとき、オスカーが、まるで日常の天気を言うかのようにさらりと言った。
「一日だよ」
その瞬間、ベガの顔から血の気が引いた。
「……あり得ねえ!! おかしいだろ!! 普通じゃねえよ!! 何なのこいつら!! 常識がっ……常識が壊れていくぅ~~!!」
両手で頭を抱えながら、彼は天を仰いで叫んだ。
まるで何かが音を立てて崩れ落ちたかのように。
「お、おい、落ち着けベガ!」
ワーレンが慌てて肩を押さえに行く。
グーリスが苦笑交じりに呟いた。
「……だから言ったじゃねえか。こいつら“普通じゃねえ”って……」
一方、ドナルドが腕を組みながらぼそり。
「……あいつこそ壊れたんじゃねえか?」
室内には、爆発的な笑いとため息が入り混じる。
「……ベガ、大丈夫か?」
静かに声をかけたのは、シマだった。真っ直ぐ彼を見つめていた。
「……はあっ、はあっ……」
ベガは肩で息をしながら、瞳を伏せ、額に手を当てる。
自分でも何を叫んだか、半ば記憶が飛んでいるようだった。
「……ああ、大丈夫だ……続けてくれ……」
深く息を吸って吐き、なんとか顔を上げる。
その表情には困惑と、ほんの少しの尊敬すら混じっていた。
そこで手を上げたのは、温厚そうな表情の青年、マークだった。
「リュカ村に、共同風呂を作るのはどうでしょう? あるいは、村長宅の敷地に設置するのも手だと思います」
視線がマークに集まり、次々に意見が交わされていく。
「木材は……ちょっと距離があるけど、何とかなるわね」
ミーナが腕を組み、顎に手を添えて考えるように呟く。
「燃料が問題だな……」
ジトーが低く唸るように言ったあと、ふと目を細めて不敵に笑った。
「教えるか? 木炭、タドンの作り方をよ」
「それ、商材にもなるのよね」
エイラが冷静に応じる。
「でも見れば気づく人は気づくでしょうし……難しいところね。」
ここで、皆の視線が自然とシマに集まった。
黙って聞いていた彼は、ふいに「あっ!」と声を上げた。
「今、思い出した!! くそっ、俺ってやつは……!」
突然の叫びに、皆が驚いてシマに目を向ける。
「牛糞だ! 牛糞は燃料になる。乾燥させるんだ。あれをしっかり干せば、燃える。それからな、鶏糞も使える。あれらも肥料になる。――まさに一石二鳥だ!」
唖然とする空気の中、キョウカが小さな声で、エリカに問いかけた。
「……そ、そんな話、聞いたことないわよね?」
「わ、わ、私に聞かないでよ……っ」
困惑の中にも少し笑いが漏れ、にわかにざわつく場。
「ほ、本当かシマ?!」
トーマスが身を乗り出して食いつくように聞いた。
「ああ! 間違いねえ。忘れてたんだ……すまねえトーマス。」
トーマスは呆れながらも、どこか笑っていた。
「いや、別にそれはいいんだけどよ……あんまりさらっと言うなよ、牛糞だの鶏糞だの……!」
誰かが吹き出し、笑いが弾けた。
ベガもようやく緊張がほぐれ、苦笑を漏らして肩を落とした。
「……なんか、俺だけが常識人って気がしてきたわ……」
「それがまた一番非常識なんだよ」
誰かが冗談を飛ばすと、部屋にまた笑いが広がった。
ヤコブが静かに周囲を見渡した。
「ふむ、ということじゃな……」
彼の目が、三人の男に向けられる。
動物世話隊を束ねる三隊長――スーホ、リットウ、ノーザ。
いずれも実直で手堅い男たちだ。
「お主らの出番じゃぞ。牛糞も鶏糞も、まずは試してみるのじゃ」
「はい。会議が終わり次第、すぐに乾燥工程に移ります」
リットウが立ち上がって頷いた。
スーホも無言で頷き、ノーザは親指を立てて見せる。
すると、そこへサーシャの声音が柔らかく響いた。
「ねえ、シマ? もう、そろそろ幹部には話してもいいんじゃないの?」
静まり返る場。サーシャの言葉に、誰もが一瞬、目を見開いた。
「……みんな、うすうす気づいてるわよ」
エイラもゆるやかに言葉を継ぐ。彼女の視線は真っ直ぐシマを見ていた。
「ここにいる連中は信用できる」
ジトーが低く太い声で断言する。
「何時までも隠しておっても、のう……」
ヤコブがまた呟く。声に責めるような響きはなかった。
ただ、穏やかな年長者の諭し。
「僕も賛成だね。……いつか、シマの方から話してくれるだろうって、ずっと待ってる人もいるよ」
オスカーの穏やかな言葉に、シマは静かに眉を下げた。
「そんな大したことじゃねえしな」
フレッドが口を挟む。
口調は軽いが、その背後にあるのは深い理解だった。
「うん。お兄ちゃんは、普通の人よりちょっと知識が豊富なだけ」
メグがにこっと笑いながら言う。場が少し和む。
「まずは幹部だけに知らせてみたら? 混乱を避けるためにも」
ミーナの進言に、頷く者が数人。
「僕も、ミーナ嬢に賛成だ」
ユキヒョウが腕を組んだまま、静かに言った。
「情報は、みんなで共用するんでしょ?」
ケイトが少し首をかしげながら、しかし真っ直ぐな瞳で問いかける。
「お前が話してくれるのを、グーリスたちも今か今かと待ってるぜ。……俺たちも、口が滑らねえか冷や冷やしてるんだぜ」
オズワルドが肩を竦めながら苦笑し、そして目を細める。
「シマ」
ロイドの一言が、場の中心に投げられた。重く、しかし温かく。
沈黙が場を包む。
シマはやがて深く息を吸い、椅子を押しのけて立ち上がった。
全員の目がシマに注がれている。
その中で、彼は言った。
「……俺には、『前世の記憶』がある」
静寂。
椅子の軋む音も、風のざわめきも聞こえない。ただ、全員の視線と鼓動が彼に集中していた。
「今の世界じゃねえ、別の場所……別の時代に生きてた記憶だ。たぶん、そこはこの世界じゃねえ。だけど、やけにリアルで……夢でも幻でもない。技術や考え方、道具の作り方、戦術や……薬草の使い方……全部、そこから来てる」
その声は淡々としていた。
「でも……それで、よかったと思う」
サーシャが微笑む。
「だって、その記憶があったから、今の私たちがいるんでしょ?」
そして彼の口元に、わずかな笑みが浮かぶ。
「前世の記憶があるからって、特別な人間ってわけじゃねえ。俺は――俺自身として、この世界で生きてる。……それだけは、信じてくれればいい」
静かに、しかし力強く。
その言葉に、皆が頷いた。
信頼と絆に包まれた空間の中で、「シャイン傭兵団」の秘密のひとつが、ついに明かされた――。




