幹部会議7
「それじゃあ最後に、ロイドたちからの報――」
「――ちょっと待った、シマ!」
鋭い声が飛び込んできた。
声の主は、帳簿を抱えたシャロン。
涼しげな表情のまま、まっすぐにシマを指さした。
「収支報告を忘れてるわよ」
「あっ……そうだったな。悪い、シャロン。んじゃ、頼むわ」
シマが苦笑まじりに頼むと、シャロンは小さく息をつき、手元の帳簿を開いてから、場の皆へと顔を向ける。
「まずはホルダー男爵家に売った“濡れない浸みこまない”シリーズの売り上げ。およそ《300金貨》。
その後、リーガム街での買い物に《約90金貨》を使用。布地や小麦粉、酒、保存用資材などを大量に購入したわ。さらに、滞在費と移動経費を差し引いて、手元に残った利益は――《約200金貨》。」
「次に、城塞都市カシウムでの収益。まず“富くじ”の運上金として、ブランゲル侯爵家とホルダー男爵家からそれぞれ拠出された金額の合計――《2600金貨》。ただし、端数の82金貨程度はあちらに預けたままにしてあるわ。」
「そして同じくカシウムでの“濡れない浸みこまない”シリーズの売上が《約900金貨》。物資調達のために使った金額は《約500金貨》。布地、薬、薬草、香草、小麦粉、果実、ぶどう、ブルーベリー、それに酒造用の大麦・小麦など、発酵に向く食材を大量に確保してあるわ。滞在費と諸経費を差し引いた上での利益は――《約2900金貨》。数字にしてはかなり良い部類ね」
「最後にエイト商会からの《商標権5%の売上》。こちらは《約350金貨》。今後は月ごとに増加の見込みあり。現時点では前払い分としてこれだけが手元にあるわ」
シャロンは帳簿の角を揃えながら、冷静に結論を述べた。
「そして、ランザンの街からチョウコ村に戻るまでの旅費と滞在費、食糧や宿代などの諸経費――合計で《約50金貨》を消費。合計利益は《およそ3200金貨》」
ベガが思わず口笛を吹き、キョウカが「…ほ、ホントなの?そんなに稼げるの?!」と目を丸くする。
「……すげえな……村でこんだけ稼ぐなんて、聞いたことねえ」とワーレンがぼそりと呟く。
「次に、サーシャたちの成果よ」
手元の紙束をめくりながら、彼女は簡潔かつ冷静に読み上げる。
「スレイニ族に販売した《濡れない浸みこまない》シリーズの売上――《500金貨》。現地、つまりスレイニ族のエリアで購入したものは、牛や鶏、馬乳酒、穀物、布地、大量の民族衣装と生地などで――消費額は《約350金貨》。さらに滞在費や移動にかかった諸経費を差し引いた結果、利益は――《約100金貨》。これを今までの総合利益に加えて――合計で《3300金貨》が手元に残ったわ。以上よ」
帳簿を閉じたシャロンが穏やかに言う。
すると、静かに立ち上がったのはエイラだった。
「でも――勘違いしないでね。3300金貨が、まるまる自由に使えるわけじゃないの」
「……え?…なんで俺を見る?」
フレッドが少し目を細めて呟いた。
エイラは彼に構わず続けた。
「この《3300金貨》の中には、シャイン傭兵団の団員たち、それに仕事に従事してくれている人たちの“給金”が含まれてるの。つまりこれは、あくまで“利益”であって“自由資金”じゃないってこと。
だけどね、一部の人たちが“給金を返納したい”って申し出てきたの」
ざわ、とわずかに周囲が騒つく。フレッドが首を傾げる。
「……なんで認めなかったんだ?気持ちは分かるぜ。無償で力になりたいってやつもいるだろ?」
エイラは真っすぐ彼を見て、きっぱりと答えた。
「仕事には“対価”がつくのが当然よ。無償でやってしまえば、それは“労働”じゃなくて“犠牲”になる。
これは“士気”にも関わってくる。自分の時間や力を使ったら、そのぶん対価が返ってくる――そうでなければ組織として長く持たないわ」
リズが小さくうなずき、ノエルも真剣な面持ちで聞いている。
「……じゃあ、使われていない給金はどうしてるんだい?」とロイドが訊いた。
「シャイン商会が責任を持って管理してるわ。記録と明細も残してあるし、本人が必要になったとき、いつでも引き出せるようになってるわ」
「使われてない給金のまま……死んじまったら?」
トーマスがやや沈んだ声で問いかけた。
その言葉に、場の空気が一瞬だけ固まる。
だがエイラは動じず、はっきりと答える。
「親族に引き継がれるわ。もし生前に“誰それに渡してくれ”って一筆があれば、その通りに配分するよう手配してる。その記録も商会の帳簿で保管してるから安心して」
するとユキヒョウが穏やかに微笑みながら、手をあげる。
「うん、それなら……僕から言うことはないなぁ。すごくよく考えられてる」
「僕も納得だよ」
ロイドが力強くうなずく。
「……ああ。賛成だぜ、エイラのやり方に」とフレッドも口を開く。
「金の扱いってのは、信用の積み重ねだ。今のお前らなら任せられる」とトーマス。
「私も反対しないわよ」
ノエルはリズの肩越しに小さく笑った。
「私も――給金の返納は“不可”で正しいと思うわ」
リズも静かに付け加える。
「私も同じ意見よ」と、マリアがきっぱりと言う。
「“奉仕”に頼る体制は、必ずどこかで破綻する。エイラは正しい判断をしたと思うわ」
全員の表情が一つにまとまり、夜の闇の中に力強い“組織の合意”が生まれる。
誰も強制されていない。
誰も損得だけで動いていない。
だが、その上で“全員で支え合う”という意志が、そこには確かにあった。
「――あと、私から伝えることが二つあるわ」
場が再び静まる。
「ひとつ目は、《濡れない浸みこまない》シリーズの件。これはもう知ってるでしょ、私たちは現在、ブランゲル侯爵家と“二年間の独占契約”を結んでいるわ。スレイニ族に販売した分については、契約締結前の話だから問題にはならないけど――これから先、あの製品を一定量以上生産できた場合は、定期的に《城塞都市カシウム》へ輸送する必要がある。つまり、カシウムとのパイプが今後も続く、ということ。
製造と輸送の調整には気を配らなきゃいけないわ」
一呼吸おいて、エイラはさらに口を開く。
「もうひとつは《運上金》について。初年度、ブランゲル侯爵家とホルダー男爵家を通じて――2600金貨もの資金が拠出されたわ。今後この金額は、右肩上がりに増えていくと予想される……けれど同時に、《濡れない浸みこまない》シリーズの売上は、今がピーク。やがて落ち着いて、いずれは少しずつ下降していくでしょう。だから――」
そう言って、エイラの視線がピンポイントでフレッドに突き刺さる。
「少々のお金が入ったからって……一喜一憂しないで。これからが本当の勝負なんだから」
言葉は柔らかくも、瞳は本気だ。
フレッドは目を瞬かせ、思わず小声でぼやく。
「……少々の金、か……? いや、まあ、わかってるけどさ……。っていうか、だからなんで俺を見て言うんだよ……?」
場のあちこちからクスクスと笑いが漏れる。
その中で、ザックが肩をすくめた。
「お前だけじゃねえよ、俺のときもそうだったんだぜ。妙にタイミング合わせて、ピンポイントで刺してくるんだよな……なんでだろうな?」
その場にいた仲間たちが笑い声をこぼす中、エイラは小さく肩をすくめた。
「理由なんて――本人が一番よく知ってるんじゃない?」
それは冗談半分、本音半分の含みを持ったひと言。
ノエルやリズが隣で楽しげに笑っている。
こうして、笑いの中にもしっかりとした“釘”が打たれる。
それは、未来を見据えるエイラから仲間たちへの、揺るがぬ“警鐘”でもあった。
ロイドが立ち上がる。
「さて――最後は僕たちだね」
静かに、しかしよく通る声で語り始めたロイドに、周囲の仲間たちが自然と耳を傾けていく。
「僕たちは、旅の間……要所要所で必要最低限の挨拶だけを済ませて、道草を食わずにまっすぐ《深淵の森》を目指したんだ。その途中、まず《ノーレム街》に立ち寄って、オスカーの新しい弓を卸した。そこで……初めて《キョウカさん》と顔を合わせたんだ」
キョウカがぱっと手を振って、はにかむように笑う。
「彼女にはその場で、《チョウコ村に来てくれないか》と打診してみた。返事は“二週間後に”ということにして、ひとまず本来の目的地である深淵の森へ向かった」
ロイドの声が少し明るくなる。
「そこでは、予定通りに《ブラウンクラウン》や《ブルーベリー》《ラズベリー》、それに《香草》や《薬草類》を無事に採集できた。“あの家”は変わらずそこにあって……少し補修は必要だったけど、大きな損傷もなく、住める状態だったよ」
「それから再び《ノーレム街》に戻って……キョウカさんからの返事は――」
ロイドは少し間を置き、キョウカに微笑みを向けた。
「――ご覧の通り、来てくれることになった」
再び軽く手を振るキョウカに、小さな拍手があがる。
「そして、彼女のお父さん――との契約も締結した。内容はこうだよ。年に二回、一回につき《最低でも二十五張》、一張につき三金貨、キョウカさん本人が検品を担当、商隊の滞在費・旅費は《チェスター伯爵家が全額負担》」
淡々とした説明口調ながら、その内容の凄さは誰の耳にもはっきり届いた。
「……いい条件ね!」
エイラが感嘆混じりに口を開く。
「やるわね、ロイド」
意外そうな顔で、それでも少し照れながらロイドが笑う。
「君にそう言われるとは……」
するとライアンが身を乗り出し
「いや、マジですげえぞ! こんな好条件、そう簡単には取れねぇ!伯爵家が“全額負担”って……滅多にあるもんじゃねぇ!」
その場の空気がいっそう明るくなる。
「さすがロイドだ!」
「やっぱり団長補佐ともなると違うな!」
「すげえ……」と、あちこちから称賛の声が飛び交う。
ロイドはその熱を少し収めるように「コホン」と咳払いをして、静かに続きを語る。
「……それで、宿に戻ったんだ。ちょうどその日の夕刻、事前に連絡をもらっていた通り《ベガさん》が僕たちを訪ねてきてくれた。」
一拍、言葉を止めてからロイドの顔がわずかに引き締まる。
「……ベガさんから、とても衝撃的な話を聞かされた。それは――シマとメグの出自について、だったんだ」
その言葉に、場の空気が一気に張り詰める。
誰も言葉を発しない――ロイドの次の言葉を、皆が待っていた。
ロイドはそっと腰の鞄から、一つの小さな包みを取り出した。
布に丁寧にくるまれたそれは、時間とともに角が少し丸まり、軽くすすけている。
「――まずは、シマ。これを君に渡しておくよ」
静かに差し出されたのは、手のひらサイズの薄汚れた額縁だった。
枠の木材は乾いてひび割れ、角には何かにぶつかったような欠けもある。
だが――その中に収められた一枚の色褪せた肖像画は、時間の風化を受けながらも、なおはっきりと人々の面影を残していた。
描かれていたのは、一組の男女だった。
男は長身で、鋼のような眼差しをしている。
けれどその鋭さを中和するように、口元には優しげな笑みが浮かんでいた。
その表情には、静かな覚悟と深い慈愛がにじんでいる。
隣に寄り添うように立つのは、柔らかな栗毛の髪を揺らした女性。
彼女は男の肩に頬を寄せるようにして微笑み、まるでそこが帰る場所だと告げるかのような安心感を漂わせていた。
その瞳には、強さと温かさ――相反するものが見事に共存しており、ただの肖像を超えて、二人の間に流れる確かな絆が、見る者の胸を打つ。
額縁を受け取ったシマが、驚いたように眉をしかめて呟く。
「……なんだ、これ……?……俺とメグ、じゃねえか?」
しかし、すぐに横からサーシャの声が入る。
「違うわ! シマじゃないわ! ……この女性の人も、メグじゃないわよ」
シマは絵をまじまじと見つめ直し、頬をかすかに掻いてからぼやいた。
「……まあ、言われてみれば、そうかもな……」
そう言って額縁をメグに渡す。
受け取ったメグは、じっと見つめてから、ほほえむように言った。
「うん……お兄ちゃんじゃないわ。でも……女性の人……私が同じような年になったら、こんな感じになるんじゃない?」
「どれどれ、見せて!」
「俺にも回してくれ!」
額縁が仲間の間をくるくると回されていく。
皆それぞれに絵を覗き込んでは、ああでもない、こうでもないと声が飛び交う。
「……本人じゃねえのか?」
「似てるけど……なんか違うわね」
「年だってさ、この絵の方が全然上でしょ」
「それにしても、ずいぶんと古ぼけた絵だなぁ……」
額縁はようやく一巡して、再びシマの手元に戻ってきた。
ロイドはそれを見届けてから、改めて口を開いた。
その声は静かでありながらも、どこか深い重みがあった。
「――その絵に描かれているのは、シマとメグの――父上と母上だよ」
静寂。
誰もが一瞬、言葉を失った。
シマは絵をじっと見つめ、メグは膝の上で指を絡ませながら、目を見開いていた。
色褪せた絵の中の男女が、どこか今にも語りかけてきそうに見えた――




