幹部会議6
シマの話が終わるや否や、ぽつりとキョウカが呟いた。
「……な、なんでそんな発想が生まれるのよ……?」
混乱と驚き、そして少しの畏怖を含んだ声だった。
その問いに、隣にいたリズがさらりと答える。
「シマは普通じゃないから、早く慣れてね」
それは事実を述べただけの言葉だったが、逆に言えば“説明不能”という意味でもある。
キョウカはぽかんとした表情のまま固まってしまう。
そして、沈黙の中、ワーレンが視線を宙にさまよわせながら、内心で呟く。
(……生き残るためにシャイン傭兵団に入ったが……こいつら……いずれは国を……いや、大陸ごと飲み込んじまうんじゃねえのか……?)
驚愕を通り越して、彼はほとんど神話の中の登場人物でも見るような目でシマたちを見ていた。
その時、ヤコブがひょいと立ち上がり、にこにこしながら口を開く。
「ほっほっ、やはりシマはおもしろいのう。その知識だけで、この大陸を制覇できそうじゃの?」
老学者らしい茶目っ気たっぷりな口調だったが、どこか真に迫った響きもあった。
それに対して、シマは肩をすくめ、どこか気恥ずかしそうに答える。
「そんなつもりはねえよ……そもそも、手となり足となり、目となり、耳となるやつがいなきゃ、俺一人じゃ何もできねえ」
それを聞いて、すかさず声を上げたのはフレッドだった。
「そうだぜシマ! 俺がいてこそだ! 俺がいることに感謝しろよ!」
さらに、ザックも乗っかる。
「そうそう! お前は一人じゃ何もできねえんだからな! 俺のことを尊敬しろよ、マジで!」
「……バカはほっといて次に進もうぜ……ツッコむ気にもならねえ」
クリフがあきれ顔でつぶやき、場に小さな笑いが起きる。
シマは軽く息を吐いてから、話題を切り替える。
「……次に行く。村の特産品と技術の話だ」
皆が真面目な顔に戻る。
「まず、ゲルの防水加工。『濡れない・染み込まない』シリーズが好調だ。次に、弓矢作り。リバーシ。組み立て式テント。それから……石鹸とリンス」
すらすらと項目を挙げていくその口調に、聞き手の集中力も自然と高まる。
「そして酒。焼酎、果実酒、ワイン、エール――すでに手をつけている。焼酎と果実酒は、完成したと言っていいだろう」
驚きの声が、あちこちから漏れ始める。
「ワイン作りの方はヤコブが担当してるが……こっちは長期戦だ。当分先になるな」
「エール作りは俺が担当してるぜ!」
ザックがどや顔で胸を張る。
シマは続けた。
「……で、エールは熟成してそろそろ2週間か。できててもおかしくねえ頃だな」
その言葉に、真っ先に反応したのはマリアだった。
「ほ、本当なのシマ?! 本当に作っちゃったの!?」
目を輝かせながら駆け寄ってくる彼女に、シマは片眉を上げて答える。
「味の保証はできねえけどな。……でも、マリアもエール作りに興味があるんなら、参加してみたらどうなんだ?」
「ええ! ぜひ参加するわ!」
目を輝かせるマリアに、シマは頷く。
「工程は既にザックに教えてある。後は試行錯誤だな。ま、頑張ってくれ」
和やかな空気が流れる――だがその時だった。
「……さ、酒まで作ってるのか……?」
ワーレンが呆然とした声を漏らす。
「ど、どうなってんだよ……!! 酒ってのは……貴族の“特権”だぞ!? 門外不出なんだぞ!? 何で作り方を知ってんだよ!! どうなってんだこの村は!! 訳が分かんねえよ~~!!」
頭を抱え、地面をうろうろと歩き回るワーレン。
その様子は、混乱した旅人そのものだった。
「お、落ち着け! ワーレン!」
ベガが慌てて宥めに入るが、ワーレンはもはや平静を保てる状態ではない。
「この村、ヤバすぎる……人がいないとこで国家作ってんじゃねえか……!」
そんな叫びに、何人かは苦笑を浮かべ、団員たちは肩をすくめながらも笑いを堪えていた。
静かな笑いが場を包む中、サーシャがふと思い出したように呟いた。
「ワーレンさんを見てると……エリカが来たころを思い出すわ」
その瞬間、エリカの顔がパッと赤く染まり、椅子から立ち上がらんばかりに声を上げる。
「……ちょ、ちょっとサーシャ! そのことはもう忘れてってば!」
両手をバタバタと振りながら抗議するエリカに、周囲からくすくすと笑いが起きる。
エイラがにやにやと視線をそらし、ケイトも手元のカップで口元を隠して笑いをこらえている。
ミーナに至っては無言でエリカの背中をポンポンと叩いていた。
「……まあまあ、あのときも面白かったじゃない。あの…」
サーシャがさらっと言い足そうとしたところで、
「ストーップ!!!」とエリカが本気で叫んだ。
その勢いに、空気がまたふわりと和らぐ。
そこで、シマが立ち上がり、まだやや呆然としているワーレンに声をかけた。
「ワーレン、大丈夫か? 落ち着いたか?」
ワーレンは肩を上下に動かして深呼吸し、顔をしかめながらも頷いた。
「あ、ああ……すまねえ。取り乱したけど……もう大丈夫だ。こっちはこっちで常識ってもんを作り直す必要がありそうだな……」
場の空気がまた一つ引き締まる。
シマはうなずき、次の話題に移る。
「それじゃ、次だ。スレイニ族のエリアで鉄鉱石が採れるらしい。それを買い取って、『磁石』を作る。磁石ができたら、今度は海岸線に行くぞ。目当ては“玉鋼”の原料になる砂鉄だ」
「……ジシャクってなんだ?」
グーリスが素朴に首を傾げる。
その言葉に、ふむ、とヤコブが前に出る。
白髪の髭を撫でつつ、語り出した。
「良い質問じゃ、グーリス殿。『磁石』とはの、ある種の鉱石で……自然に“もの”を引き寄せる力を持っておる」
「“もの”って……どんなものだ?」とグーリス。
「鉄じゃ。鉄を引き寄せる、不思議な石じゃ。近づけるだけで、鉄くぎも刃物も、ぴたりとくっついてしまう。それが“磁力”という目に見えぬ力のなせる業なのじゃよ」
グーリスが目を丸くする。
「それ、魔法じゃねえのか……?」
「ふむふむ、そう思うのも無理はないがの。これは魔法ではない――この大陸そのものが、ほんのわずかに磁石の性質を持っておる。そして、この力を利用すれば――鉄を探したり、方向を測ったりする道具、つまり“羅針盤”も作れるのじゃよ」
「ラシンバン……?」
ワーレンが眉をひそめる。
ヤコブは頷き、手元の古びたコンパスを取り出す。
「これがその仕組みじゃ。小さな磁石を水に浮かべると、必ず“北”を向く。それを利用して方角を知る道具が“羅針盤”。航海にも使える、貿易にも使える。軍隊の陣形にさえ応用できる、文明の利器じゃ」
その説明に、一同は息を飲む。
ベガやマリアは真剣な顔で覗き込み、ノエルとサーシャは思案顔。
キョウカは「へぇ~……」と声を漏らし、フレッドとザックは意味が分かってないような顔で顔を見合わせていた。
「……つまりそれを、俺たちは“作ろう”としてるってことか?」
クリフが確認するように言う。
「そうだ」とシマが頷く。
「スレイニ族の鉄鉱石で磁石を作り、海岸で砂鉄を集めて玉鋼を精製する。これは武器と工具の生産のためだ。量産体制を整える。俺たちは……“待つ”だけじゃねえ。自分たちで築いていく。未来をな」
言葉の重みとともに、一同はしんと静まり返る。
やがて、それを破ったのはワーレンのぼそりとした一言だった。
「やっぱ……国、作ってんじゃねえか……」
そして、再び笑いが起きた。
エリカがぽつりとつぶやく。
「……シマ、ほんとに何でも知ってるのね……?」
その言葉に、皆の視線が自然とシマへと集まる。
だが、シマは肩をすくめて笑った。
「いや、鉱物に関してはヤコブにはかなわねえよ。なんせ、鉱物学者でもあるからな」
「……へぇ〜、ヤコブさんって学者さんだったのね」
キョウカが目を丸くする。
するとすかさず、オスカーが前のめりになって声を張った。
「ヤコブさんはただの学者じゃないんですよ!生態学に、生物学!それに鉱物学と医学にも精通してるんです!」
「……ほほ、それほどでもない。ちと興味があって、少しばかり修めておるだけじゃよ」
ヤコブは謙遜しつつも満足そうに微笑んだ。
そのやり取りを眺めていたキョウカが、手を広げて半ば投げ出すように言った。
「……ワーレンじゃないけど……訳が分からないわよ、あなたたち。私も叫びたいわ、ほんとに」
周囲に笑いが広がり、気分が少し緩む。
そんな中、シマが一呼吸置いてロイドに問いかけた。
「ロイド、ここまでで何か気になったことはねえか?」
ロイドは少し考え込んだあと、まっすぐに答える。
「……キョウカさんたちや、ワーレンさんの家族たちにも、読み書きや計算を教えるんだろう?それと……シャイン式計算も」
それを聞いたシマは、すぐに頷く。
「当然、覚えてもらうさ。読み書きと計算は、生きるための武器だからな」
「……シャイン式計算? 何それ?」
キョウカが首を傾げる。
その問いに、エリカが勢いよく口を開く。
「すっごい便利なのよ!一度覚えちゃえば、今までの苦労はなんだったの?ってくらい楽なんだから!」
「うむうむ、アレは素晴らしい計算式じゃ!」とヤコブも力強く頷く。
目を細めて嬉しそうに付け加える。
「子供でも扱える、実に合理的な数式構造。ワシも初めて見たときは目から鱗が落ちたわい」
そこに、ふと渋い声が割って入る。
「……その“計算式”とやらも、シマがもたらしたのか?」とベガが低く問いかける。
視線が再びシマに集中しようとした、その瞬間。
「おう! そうだぜ!!」
横からドヤ顔のデリーが身を乗り出して言い放つ。
「……いや、なんでお前がドヤ顔で言うんだよ」
ルーカスがすかさずツッコミを入れる。
「いいじゃねえかよ!オレだって使ってるんだぞ、シャイン式! なあ、ザック!」
「おう、オレでもできる!すげー簡単だし、なんか頭よくなった気になる!」
ザックが勢いよく拳を突き上げる。
「それは気のせいだ」
フレッドが冷静に返すと、周囲から笑いが起こる。
クリフが肩をすくめてぼやいた。
「まったく……真面目な話をしてても、うちはこうなるよな……」
ロイドがゆっくりと顔を上げてシマに尋ねた。
「……ハイドにも教えてもいいかい?」
だが、シマはためらうことなく頷いた。
「ああ!遠慮なく教えてやれよ。どんどん広めていってくれよ」
その即答に、エリカが少し驚いたように眉を上げる。
「……え?……広めちゃっていいの?無償で?せっかくシマが考え付いたのに……?」
シマは少し笑って、ゆっくりと口を開いた。
「読み書きや計算ができれば、騙されるやつも減る。相場を知らずに損することもなくなるし、契約の内容も自分で理解できるようになる。仕事にもありつけるかもしれねえ。そうなれば、食いっぱぐれずに済むんだ」
エリカはじっとシマの横顔を見つめていた。
「それに……」と、シマは続ける。
「読み書き計算が広まれば、それだけ“伝えられるもの”が増える。新しい商売も生まれるかもしれねえし、文化だって根を張る。文字や数が人をつなぐんだよ。たとえ離れていても、心や考えを託せる」
その言葉には、静かだが芯のある確信が込められていた。
エリカはゆっくりと唇を噛みしめる。
「……シマ、あなたってやっぱり……」
ヤコブが頷く。
「まさに知の種まきじゃな。種は蒔かねば芽吹かぬ。芽吹けばやがて実を結ぶ」
「……でっけえ実がな」
シマが肩をすくめて言う。
「その実を誰が取るかは知らねえけど、俺らは蒔けるだけ蒔いてやるさ」
ロイドはシマの言葉を噛みしめるように深く頷いた。
皆の目に映るシマは、どこかあたたかく、どこかまぶしかった。
ザックがぽつりとつぶやく。
「……俺にも覚えられたもんな、シャイン式……他の奴だって、きっとできるさ」
「そうそう。文字があるだけで安心できるってのも、あるんだよな」とフレッドがうなずく。
「……ふふ、すごいわ」とエリカが微笑む。
「たった一つの“計算”が、誰かの人生を変えるなんてさ」
「そういうもんさ」とシマは笑った。
「たかが計算、されど計算。そういうものだ」




