帰還
朝日が照らし始めたころ、シャイン傭兵団とワーレンの家族たちは「鉄の掟傭兵団」本部を後にした。
荷車が軋み、馬たちが鼻を鳴らし、門が静かに開かれる。
見送りに出てきた古参団員のキリングスが、ふと口を開いた。
「そろそろ俺たちもチョウコ村に行きてえんだけどな……グーリスやライアン……シマに、そう伝えてくれ」
「大分、変わったってジトーたちから聞いてるぞ」
隣に立つダルソンが感慨深げに言う。
「そうですね。帰ったら、シマに伝えておきます」
ロイドが穏やかに応じると、キリングスは深くうなずいた。
それから一行は、凡そ五日間の旅路を進んだ。
ついにチョウコ村が近づいてきた。
シンセの街を過ぎ──村まで残すところ3キロ。
道の両脇には、高さ2メートルを超える防護柵が、10センチの間隔で整然と並んでいた。
整備された柵はまるで城壁のように続き、村がただの山村でないことを物語っている。
シャイン傭兵団の団員2人が、馬車から馬を一頭ずつ切り離して、手早く鞍を締めるとそのまま馬に跨がった。
「先に村に知らせてくる。」と言い残し、2人の騎馬は風のように駆けていった。
馬車の中、メリンダが外を見ながら尋ねた。
「……チョウコ村って、ここからどれくらいあるの?」
「3キロくらいじゃねえか」とフレッドが何気なく答える。
「……この防護柵を設置するまでにどれだけの期間がかかったの?」
メリンダが問い返す。
「午前中で終わったな」
フレッドはそう言って、ぼんやりと空を見上げた。
「……そんなわけないでしょ! 本当は?」
メリンダの目が鋭く細まる。
「だから、本当だって。午前中だけだって」
そのやりとりに、傍らのユキヒョウが笑みを浮かべた。
「メリンダ、フレッドは嘘をついてないよ。本当のことさ」
「ま、まじかよ?!」
ベガが思わず振り向く。
「……信じらんねえ」
ワーレンが絶句し、家族たちの顔にも驚愕の色が浮かぶ。
「……どうやったら、そんなことが……?」
キョウカが呆然とつぶやく。
「に、兄さん……本当に?」とハイド。
ロイドは静かに微笑んだ。
「そうだね。みんなで力を合わせて、ね」
その言葉に、馬車の中はしばし静まり返った。
信じられないという表情のまま、誰もが「シャイン傭兵団」という存在の底知れなさを、あらためて思い知らされていた。
山道の静寂を破るように、遠くから蹄の音が響き始めた。
乾いた地面を打ち鳴らすそれは、次第に近づき、やがて向こうから六頭の馬が勢いよく姿を現す。
先頭は屈強な団員ふたり。
そして、その後ろからは、見慣れた顔ぶれ──ダグ、サーシャ、メグ、そして金髪の長髪をなびかせながら、凛とした表情で馬を操るエリカの姿があった。
「見えた!」「あれは──!」
仲間たちが口々に叫ぶ。
合流すると、サーシャ、メグ、エリカは軽やかに馬を降り、その手綱を団員たちに渡した。
待ちわびた者たちとの再会に、誰もが駆け寄る。
「エリカ様! 本当にチョウコ村に来てたんですね!」
リズが駆け寄り、目を輝かせながら言う。
「メリンダ、久しぶりね!」
サーシャが優しく抱きしめる。
「ノエル、リズ、マリア! お疲れ~!」
メグは満面の笑顔で両手を広げる。
女たちは次々に抱き合い、手を取り合い、声を上げて喜びを分かち合った。
そこに、ワーレンの妻ソフィア、姉クララ、そしてソフィアの妹ヒルダも加わると、喧騒は最高潮に達する。
「キャー!」「すごーい!」「見て、髪切った?」「ほんと、何か雰囲気変わったー!」
それはもう、山道とは思えぬほどの賑やかさだった。
笑い声、悲鳴、絶叫。
もはや小さな祭りのような騒ぎだったが、誰一人としてそれを止めようとしない。
むしろ、周囲の団員たちは静かに距離を取り、場の中心には近づこうとしなかった。
「……帰ってきたって感じだな」
トーマスが苦笑まじりに呟く。
「ハイド、こういう時はね、下手に声をかけては駄目だよ」
ロイドが小声で助言する。
「注意するなんてもってのほかだね」
ユキヒョウが肩をすくめて笑う。
「は、はい……」
ハイドは小さくうなずいた。
そんな中、ダグがフレッドの背を軽く叩きながら声をかける。
「よう、フレッド、ご苦労さんだったな! 帰ったらまずは風呂だろ?」
「おう! 酒も頼むぞ。キンキンに冷えたエールをな!」
フレッドの声は満面の笑みと共に、山に響いた。
「報告に行かなくても、もう準備はしてるさ」
ダグはにやりと笑い、親指を村の方角へ向ける。
その言葉に、周囲の団員たちが一斉に「いやっほ~う!!」と歓声を上げ、馬車の周りは再び歓喜の渦に包まれた。
どこか懐かしく、あたたかく、そして騒がしい。
午後の日差しが山の稜線を越えて傾き始めるころ、シャイン傭兵団とワーレン家の一行が、ようやく目的地──チョウコ村の目前にたどり着いた。
「見えてきたな……」
誰かがそう呟いた。
木々の間を抜ける山道の先に、かすかに開けた空が覗く。
視界が拓けた瞬間、村の周囲にはぐるりと深く掘られた堀があり、鋭角な斜面を持った土手が防衛線のように広がっていた。
北と南に一箇所だけ渡れるように木製の橋が架けられている。
数本の丸太を縦横にしっかりと組み合わせ、縄と鉄釘で固めた頑丈な造りだ。
ただし、幅は狭く、馬車が渡れるのは一度にせいぜい一台分。
「おお……」
口々に感嘆の声が漏れる。
橋の向こうには、人影が見える。
村の入口でこちらを見つめ、手を振るのはシマ、ジトー、クリフ、ザック、オスカー、ヤコブ、エイラ、ミーナ、ケイト、ギャラガ、デシンス、オズワルド、ドナルド、キーファー、ティア、グーリス、ライアン、クライシス、シャロン、デリー、ルーカス、マルク、マックス、そして何人かの団員たちだった。
彼らは久しぶりの再会に笑顔を浮かべ、まるで祭りを迎えるような明るい雰囲気を漂わせていた。
「……新しい山小屋、家がかなり増えたな」
とシオンが目を細める。
「厩舎の方もずいぶん大きくなってるぞ」
ロッベンが指差す先には、屋根を連ねるように建ち並ぶ厩舎。
「……地形が変わったね」
ユキヒョウは村全体の輪郭を見渡しながら言う。
「広くなってるな……」
トーマスが低く呟く。
「向こう側の山を削ったからな」
ダグが少し誇らしげに言った。
ベガが思わず叫ぶ。
「……おいおい! これ村じゃねえだろ、町じゃねえか!」
それを見たダグが眉をひそめながら尋ねた。
「……誰だ?」
「彼はベガ。自称、凄腕の情報屋兼鑑定士さ」
ユキヒョウが軽く肩をすくめて紹介する。
「自称じゃないぞ? 常識的に言えば一流だと、自負してる」
ベガは胸を張り、いかにも誇らしげに言った。
それに対し、ダグは苦笑しながら言う。
「ああ~……その気持ち、わかるぜ。ユキヒョウもそうだが、トーマスたちと比べたらなあ……」
「…それは言わないでくれ……」
ベガは少しばつが悪そうに笑い、肩をすくめた。
場の空気はどこか和やかで、村の入口にたどり着いたばかりの一行と、出迎える仲間たちの間に流れる時間が、ようやくひとつの旅の終わりを告げていた。
午後の柔らかな陽射しの中、チョウコ村の入口では、再会の声が次々と上がっていた。
村の防衛用堀を渡り、馬車を降りた者たちは次々に仲間と顔を合わせ、懐かしい声と笑いが入り乱れる。
「ロイド!お疲れ! 少しは休めたか?」
シマが手を振ると、ロイドは苦笑いを浮かべて答える。
「どうだろうねぇ。ここに早く帰ってきたいって気持ちの方が強くてさ……」
「ハハハ! なんだよそりゃあ。もっとゆっくりしてくればよかったのに……」
と笑いかけたシマの目が、隣に立つ若者に留まる。
「ん? ハイドじゃねえか。元気にしてたか?」
「はい! シマさん、お久しぶりです!」
まっすぐな瞳でそう答えたハイドが、背筋を伸ばして続けた。
「社会勉強のために六ヶ月だけ、兄さん……シャイン傭兵団についていきます……い、いいですか?」
「おう、いいぞ!」
シマはにっこり笑い、ハイドの肩を叩く。
「いつかロイドをびっくりさせるくらい立派な男になれよ」
「が、頑張ります!」
顔を真っ赤にしながら、ハイドは拳を握りしめた。
その一方で、別の再会も進行していた。
「トーマス! 実家には寄ってきたのか?!」
ジトーが満面の笑みで声をかける。
「ああ、ちゃんと顔を出してきた。」
「元気だったか?」
「元気も元気……特にアンとイライザは相変わらずだな」
「……義姉たちか。ありゃ相当手強いだろうな」
「いつも、いいように揶揄われてばっかりだ」
「ワハハ!」
二人の笑い声が山に響いた。
一方そのころ、フレッドのまわりでは騒がしいやりとりが続いていた。
「フレッド、お前、何か問題起こしてねえだろうな?」
クリフが疑いの目を向ける。
「俺が問題なんか起こすわけねえだろ」
「……メリンダを連れてきてるな」
「……あいつは、一度言い出したら聞かねえんだよ……」
「お前、俺に内緒で女を作ったのか?!」とザック。
「……いちいちお前の許可が必要なのか? それに、俺の女じゃねえよ」
「……怪しいな……まあいいか。それよりお前、地下闘技場に行ったか?」
「おう、行ったぜ! お前も行ったんだってな」
「ガッポリ儲けたぜ!」
「大丈夫だったのか? ……メリンダの方な? 地下闘技場のあと、娼館に行ったんだろ」
クリフが小声で聞く。
「……ちと、気まずかったかも」
「なんだよお前『も』尻に敷かれてんのかよ」とザックが笑えば
「“も”ってなんだよ、“も”って!」とクリフがすかさず食ってかかり
やいのやいのと三人の喧騒は止まらない。
オスカーとヤコブがユキヒョウに歩み寄ってきた。
「ユキヒョウさん、お疲れ様です」
「ユキヒョウ殿、お疲れじゃったな」
「やあ、オスカー、ヤコブさん。なかなかにいい経験だったよ……特に深淵の森での体験はね」
「家の状態はどうでしたか?」とオスカーが問う。
「少し補修したくらいだね。さすがオスカーたちが建てた家だと感心したよ」
「ユキヒョウ殿から見た深淵の森は、どう見え、感じたのか……後でじっくり聞かせてくれるかのう?」
「ええ、僕の意見でよければ」
さらに、ギャラガ、デシンス、オズワルド、ドナルド、キーファー、グーリス、ライアン、クライシス、デリー、ルーカス、マルク、マックスらも続々と歩み寄り、仲間たちを迎え入れる。
「おう、お疲れだったな!」
「長旅だったなあ」
「そろそろチョウコ村が恋しくなってきたんじゃねえか?」
「酒だろ? 酒が欲しいだろう? 冷えたやつ!」
「詳しい話はあとでいいから、風呂に入って来いよ!」
冗談と労いが飛び交う中、女性陣の輪もさらに賑わっていた。
エイラ、ミーナ、ケイト、ティア、シャロンといった顔ぶれが加わり
「久しぶり!」「どうだった?深淵の森って」「こっちはこっちで色々あったのよ!」
と、まるでお祭りのような大盛り上がり。
子どもたちも駆け寄り、村全体が歓喜の空気に包まれる。
──そしてその真ん中で、シマは頭を抱えていた。
「……えーと……誰に指示を出すべきだ?……収拾が……つかん……!」
だがその困り顔にも、少しだけ微笑が混じっていた。
それは、仲間が家族が無事に帰ってきた、安堵の笑みだった。




