詐欺師?!ペテン師?!
ノルダラン連邦共和国、ズライ自治区。
タイズの街に入るとワトソン宿に自然と向かうシャイン傭兵団とワーレンの家族たち。
「やっぱりワトソン宿か」
ロッベンが苦笑しながらつぶやくと、ロイドが頷いた。
「一度でも泊まった宿だと安心できるんだよね。へんにぼったくられる心配もないし」
「いやいや、トーマスたちを見てぼったくろうとする奴なんていねぇだろ」
シオンが笑う。
マリアが袖口で口元を隠しつつ肩をすくめる。
「怒らせて宿を破壊されるかもしれないって考えると……とてもじゃないけどね」
「……俺を何だと思ってるんだよ」
トーマスは頭をかきながら荷を担ぎ直した。
ワトソン宿
部屋割りが済むと、半分ほどの面々はベッドに倒れ込み、残った者は一階の食堂で涼み始めた。
大時計はまだ三時。
夕餉には早く、飲むにも妙な刻限――
「エール1ジョッキ!」
躊躇いなく頼むフレッド。
すかさず「じゃ、俺も」「俺もだ」と声が続き、店主が樽栓を抜く音が乾いた室内に弾む。
フレッドが泡を拭いながらロイドに尋ねた。
「明日はどうするんだ? ダミアンの所に行くのか?」
「うん。大人数で押しかけても迷惑だし、僕とリズで顔だけ出してくるよ」
ロイドはパンをちぎりながら答える。
「じゃ俺たちは『鉄の掟』本部でいいんだな?」とトーマス。
「ええ。明日、泊まる場所は確保できたわ」ノエルが頷き、「申し分ないわね」と、マリアが続く。
ロッベンがふと思い出すように。
「ダルソンはまだ詰めてんのか?」
「詳しく聞いてないけど、ローテーションで入れ替わりは組んであると思うよ」
とロイド。
ユキヒョウがグラスを傾けながら覗き込む。
「気になることでもあるのかい?」
「……あいつらにも飲ませてやりてぇだろ。キンキンに冷えたエールを」
ロッベンが小声で言い、周りの団員が「ああ、それがあったな」と手を叩く。
その時、食堂の扉がキィと開き、薄紫のシルクハットをかぶった痩身の男が粋な身のこなしで滑り込んできた。
襟の高い燕尾コートを翻し、金鎖の懐中時計を胸元で揺らしながら、ひと呼吸おいてから胸に手を当てて一礼――どこか舞台俳優の所作めいている。
「やあやあ、シャイン傭兵団の皆様とお見受けいたします!」
張りのある声に、テーブルの会話が一斉に止まる。
男は目尻を下げ、「私、エイト商会のトウと申します。連邦で〈珍しい品と面白い話〉を扱う者でございます」
その口調は芝居がかって軽妙、しかし黒曜石のような瞳だけは商人特有の計算高さを隠していない。
腰を折るような深い礼のあと、白手袋の手が懐から名刺代わりの木札を取り出し、鮮やかな手つきでロイドの前に差し出す。
周囲にはエールの香りと、ひそかな好奇と警戒が入り混じった。
「さて――旅の御用に、あるいは退屈しのぎに。ほんの少しで結構、私の話をお聞きいただければ光栄に存じますが……?」
淡く笑うトウの声が、夕刻の食堂に軽やかに溶けていった。
だが――
「……お前、変な格好だな」
エールのジョッキを口に運びかけていたフレッドが、眉をひそめてぴたりと手を止めた。
トウの薄紫のシルクハットと金の懐中時計、細身の燕尾コート。
見慣れない派手な装いに、明らかに警戒の色を滲ませる。
「胸元にそんな高価そうなもんぶら下げてたら襲われるぞ?」
ベガが鼻を鳴らして笑うが、その視線は冷ややかだ。
「……エイト商会って言ったか? ダミアンの仲間だろ…?」
トーマスが眉間に皺を寄せてトウを見る。
腕を組み、視線はじっと見据えたままだ。
「……何か胡散臭そうねぇ……」
吐き捨てるように呟いたのはメリンダ。
「う、うん……近寄っちゃいけない人かも」
小声で呟くハイド。
「ハイドもちゃんと学習してるね」
ユキヒョウがくすっと笑いながら言う。
「こういう人には関わらないようにね」
「はいっ!」
ぽんぽんと頭を撫でるユキヒョウの手と、真剣に頷くハイド。
周囲は小さな笑いに包まれたが、まるで空気の一部から排除されたように、そこにはもうトウの影はなかった。
フレッドはあくまで無関心に――
「というわけでお前に用はない。話はダミアンに聞くから」
言ってジョッキを傾ける。
他の団員たちも、まるで最初からいなかったかのように談笑に戻る。
「昨日の地下闘技、マジですごかったって噂だぞ」
「フレッドがねえ……金をたんまりもってるらしいぞ」
「早く奢ってもらわねえと…」
「ああ、あいつのことだから直ぐに使い果たしちまうぞ」
「エール、おかわり頼んどいてくれー」
その空間に、トウだけがぽつんと残された。
薄紫の帽子のつばが微かに揺れ、懐中時計の鎖が微かに鳴った。
「…………へ? えっ……?」
顔の筋肉が引きつる。
想定していた会話の展開と、あまりにかけ離れた現実に、芝居がかった笑顔がひきつる。
「……ちょ、ちょっとくらい、話を聞いてくれても……いいんじゃないかなぁ……?」
力なく絞り出されたその声は、誰の耳にも届かず、食堂の空気にすっと溶けていった。
シャイン傭兵団とワーレンの家族たちが思い思いに寛いでいたその一角に、まだいた。
「……何だ? お前、まだいたのか」
テーブルの端でエールを片手にしていたシオンが、訝しげに目を細める。
その瞬間、ピンと張っていたように見えたトウの態度が急変した。
「……少しくらい話を聞けよ!!」
芝居がかった表情が怒りに染まり、足早にシオンのテーブルに近づいたかと思うと――
ガシッとエールのジョッキを掴み、「ゴクッ……ゴク、ゴクッッ……プッハァーー!!」
みるみるうちに泡が消えていく。シオンの目が点になった。
「お、おま……俺のエール……!!」
「……何で人の話を聞かねえんだよ!」
怒鳴るように言い放つと――直後、ハッとしたように、トウは姿勢を正し、深々と頭を下げた。
「……っと、私としたことが乱暴な言葉遣いを……大変お見苦しいところを」
落ち着いた口調で一礼する様は、もはや詐欺師じみてすらいた。
ノエルが目を細めながら静かに問いかける。
「……何か話したいことでもあるのかしら?」
「よければ話を聞きますけど……?」と続けるロイド。
だが、トウは、ふふっと笑ってからシルクハットを優雅に脱ぎ、くしゃりと前髪を指でかき上げて言った。
「いえいえ、逆でしょう?貴方たちの方こそ、私に“聞きたいこと”があるはずです。」
場が沈黙に包まれた。
「特にねえな」とトーマスがあっさり返す。
「ビシィッ!!」
トウは人差し指を伸ばしてトーマスを指さした。
「今のは聞かなかったことにしておきましょう!」
どこまでも芝居がかった口調に、場の空気は重くもなく軽くもなく――ただ奇妙だった。
沈黙。誰も何も言わない。
シャイン傭兵団とワーレンの家族たちが、言葉もなく静かにトウを見つめていた。
「……っふふ、では――」
トウが軽やかに指をパチンッと鳴らす。
「いいでしょう。それほど聞きたければ教えてあげましょう!」
「いや、だから別にいいって」とロッベンが静かに遮る。
だが、なおも止まらない。
トウはまたも指をパチン、パチンッ!と鳴らしながら給仕に声をかける。
「上等なワインを頼んでもよろしいかな?」
「お前が払うならいいんじゃね」とフレッドが薄く笑う。
だがトウは目を丸くし、あたかも当然のように――
「何を言ってるんですか? 勿論、貴方たちの奢りですよ?」
場が、再び凍りつく。
「……なあ? コイツ殺っちゃっていいか?」
フレッドがロイドに真顔で尋ねる。
エールのジョッキをトン、とテーブルに置いて。
「待って待って! 今のはほんのジョークですってば!」
トウは両手をバタバタと振り、焦りを隠せない。
「ヤダなぁ、もう……」と笑いながら――パチンッ!
「ブラックジョークというやつさ、フッ……」
――軽快に髪を撫であげ、またシルクハットを被る。
静寂。
ロイドはそっとエールを口にし、無言で席を立つ準備をし
ノエルは冷ややかに見つめ、シオンは怒る気力をなくし
マリアは「あれは放っておいた方がいい」と呟く。
そしてハイドは――「……ユキヒョウさん、やっぱりあの人……変な人ですね」
「うん。いい勉強になるね、ハイド」
肩をぽんぽんと叩くユキヒョウ。
薄紫のシルクハットの男・トウが、どこか芝居じみた仕草で胸を張り、周囲をぐるりと見渡した。
「ふっ……“期待の眼差し”を感じるよ……」
次いで、テーブルに残っていた――ロッベンのジョッキをわしづかみ。
「ゴクゴク……ゴクッ! プッハ~!」
泡を滴らせながら嚥下の音を響かせる。
「お、俺のエール?!」
ロッベンが思わず立ち上がったが、トウはもう視線を外し、自らの胸元を叩いて得意げに続けた。
「私は一つ大きな商談をまとめた帰りでね。今や“エイト商会のトウ”と言ったら、知らぬ者はいないさ!」
腕を組んで茶をすすっていたユキヒョウが、涼しい声で返す。
「自慢話がしたいのかい?」
トウは人差し指と親指を鳴らすように パチン!
「フッ……これだから“凡人”は困る。」
その言葉が落ちた瞬間、空気が変わった。
ユキヒョウの淡い瞳がすっと細まり、底冷えするような殺気が走る。
「……僕を“凡人”呼ばわりするとはねぇ……!」
鋭い眦に灯った殺意を、隣の席のトーマスとシオンが慌てて押しとどめる。
「ユキヒョウ、落ち着け!」
「隊長! 早まっちゃ駄目ですよ?!」
トウは帽子を押さえ、顔面蒼白のまま頭をペコペコ。
「あわわわ?! 待って! 今のはほんの小粋なジョークです! 悪気はなかったんです!」
ユキヒョウが鼻を鳴らし、薄く言い放つ。
「……次からは言動に注意するように。」
「はい! 神に誓って――痛ッ!」
テーブル脇に立っていたノエルが、いつの間にか自分の果実酒グラスをトウの手元から抜き取り、肘で軽く突いたところだった。
「それ、私の果実酒よ。」
トウは肘を押さえながらも、仰々しく片膝をつき
「おや、これは失礼お嬢さん! 後でこの“右手”をしっかり叱っておきましょう。」
と、芝居がかった謝罪。
一部始終を眺めていたリズが、呆れ顔で果実酒を口に含み、テーブルに戻す。
「……目の錯覚かしら? フレッドがまともに見えるわ。」
それを聞いて周囲の団員がどっと笑い
当のフレッド本人は「そりゃねぇだろ」と肩を竦めながらも、どこか誇らしげにジョッキを掲げた。
ベガが椅子の背にもたれたまま、鋭い目を細めてつぶやく。
「……コイツ詐欺師かペテン師の類じゃねえのか?」
「ああ、俺もそう思うな」
ワーレンが腕を組んで同調した瞬間――
「お前、本当にダミアンの仲間か?」
トーマスが問い詰めるように言い放つと、シャイン傭兵団の面々が静かに席を立ち、トウを包囲した。
「は、はわわわっ?! ほ、本当だって!」
トウは汗を浮かべ、慌ててシルクハットを押さえる。
「だ、ダミアンのことならなんだって知ってる! 子どもの頃からの付き合いだからな!」
ノエルが一歩前に出て、落ち着いた声で問いかける。
「あなた一人で商談に向かったわけではないでしょう? 護衛は?」
潤んだ目で周囲を見回し、トウは両手を上げる。
「話すとも……だ、だから囲むのはやめてくれないかな?」
やや時間をかけて事情を吐き出したところ、
──どうやら昨年十二月に護衛とはぐれたらしいという。
「薄情な連中だ、まったく……」とトウは肩をすくめた。
「では護衛についていた傭兵団の名は?」
シオンが問うと、トウは舌打ち気味に答える。
「『不動』だよ。“動かざる盾”を名乗る、そこそこ名の知れた傭兵団さ。」
ユキヒョウが頷く。
「聞いたことがある。ノルダランでは中堅どころとして認知されているね。」
ロッベンがテーブルに指を置き、静かに語気を強める。
「それなら話が早い。エイト商会と繋がる証明を。」
トウは首をすくめ、
「ない!」と即答。
その場の視線が一段と冷たくなる。
「商談をまとめてきたんですよね?」
リズが穏やかに追い打ちをかける。
「あ、ああ、そうだった――」
慌てて腰の鞄を開け、紙束をがさがさと探るトウ。
「ひ、秘密にしてくれたまえよ……」と言いつつ、厚手の封筒を取り出して机に置いた。
中身を確認したノエルとロイドは、互いに目配せをして小さく頷く。
そこには……
取引の合意書――“エイト商会 代表取締役代理 トウ”のサイン。
ノルダラン公証役場の公式証明書。
そして脇には目の眩むような巨額の金額が記されていた。
紙を覗き込んだワーレンが思わず口笛を漏らす。
エイト商会という看板を背負う者であれば、この金額も不思議ではないのだろう。
リズが日付欄を指差す。
「締結は昨日ですね。」
視線は再びトウへ。
去年十二月に護衛と逸れたきり、今もタイズで独り。
商会本店は隣自治区にあるのだから、戻って新たに護衛を雇うことも容易なはず。
それをしなかった理由は――。
「……なぜ帰らなかったのです?」
ノエルが問い直すと、
「……み、道に迷った。」
トウは視線を泳がせ、帽子のつばをいじる。




