自己紹介
石造りの荘厳な廊下を、シャイン傭兵団の一行は静かに歩いていた。
カシウム城――アンヘル王国北部の要とされるこの城塞都市の中心にそびえる、威容の城。
その重厚な造りは歴史の重みを感じさせ、壁の至るところに刻まれた文様や、年季の入った装飾が彼らを無言のまま出迎えていた。
靴音が反響するその静寂の中、特に緊張の色を隠せないのはハイド、ベガ、そしてワーレンだった。
ベガは肩にのしかかる重圧に思わず口を開いた。
「なあ、マリア、お前は……緊張してねえのか?」
前を歩いていたマリアは、ちらりと肩越しに振り返り、すっと笑った。
「こんなことでいちいち緊張なんてしてられないわよ。別に取って食われるってわけでもないでしょ?」
軽く言い放つその姿に、ベガは苦笑しながらも少しだけ肩の力を抜いた。
そのすぐ後ろでは、ロイドが弟のハイドに静かに声をかけた。
「ハイド、言ってなかったことがある。僕たち『シャイン隊』は……かつて“深淵の森”で暮らしてたんだ」
ハイドが驚いた顔で兄を見つめる。
「し、深淵の森って……」
「このことは父さんや母さんには内緒だよ。いいね?」
「わ、わかったよ、兄さん」
その会話に割って入るように、驚きと警戒を混ぜたような表情でワーレンが口を挟む。
「お、お前ら、今“深淵の森”って言ったか?あそこって……」
「その内、説明するからよ」と、トーマスが軽く肩を叩く。
やがて、一行は大広間へと続く前室に到達する。
そこには待機していた侍従たちが整列しており、一人ひとりに武器を預けることを求める。
「恐れ入りますが、御前の儀礼につきまして、すべての武器をお預かりいたします」
ロイドは軽く頷き、剣を差し出すと、他の団員たちも従った。
そして――
大広間の巨大な扉の前に立ったその瞬間、二人の執事が揃って静かに、だが威厳をもって扉に手をかける。
重厚な蝶番が唸りをあげて扉がゆっくりと開かれた瞬間――
まるで空気そのものが変わった。
高く高くそびえる天井には、無数のクリスタルをちりばめた壮麗なシャンデリアが燦然と輝き、金糸をふんだんに織り込んだ深紅の絨毯が床一面に敷かれていた。
壁には数世代にわたる歴代のブランゲル侯爵家の肖像画が掲げられ、その視線は来客を静かに、だが強く見据えている。
扉の先、広間には整然と並んだ使用人たち、そして侍女たちが一糸乱れぬ動きで頭を垂れる。
その中央、堂々たる声が響いた。
「シャイン傭兵団の皆様、ようこそお越しくださいました」
その声音は柔らかくも威厳を湛え、場の空気にぴたりと張り詰めた緊張を与える。
まさに、王侯貴族のもてなしの極致。
これが、ブランゲル侯爵家という名門。
ハイドとベガが思わず息を呑み、ワーレンは喉を鳴らす。
それでも、ロイドは真っ直ぐに前を見据え、リズは気品を保ち、トーマスとノエルは堂々と歩みを進めていく。
フレッドはいつものように緊張も気負いもない。
重厚な扉が閉じられた大広間の奥。長く伸びる絨毯の先、客人のために設けられた大きな楕円形のテーブルが中央に鎮座していた。
壁際には細工の施された金色の燭台が等間隔に並び、優しい光が室内を満たしている。
ブランゲル侯爵家に招かれた同行者たちは、勧められるままに席に着いた。
椅子の脚が石の床を擦る音すらも、どこか荘厳な響きを持つ。
間もなく、白手袋をつけた老執事が柔らかな口調で告げた。
「お飲み物をご用意いたします」
「エールくれ」
「俺もエールだな」
フレッドとトーマスが即座に答え、マリアとベガもそれに倣ってエールを頼む。
ロイドは果実酒を、リズとノエルも同じく優しい口当たりの果実酒を選んだ。
ユキヒョウは赤ワインを注文し、グラスの形を指定するなど細かいこだわりを見せる。
対してハイドとワーレンはやや緊張した面持ちで「お、お茶をお願いします」と声を揃える。
数人のメイドたちが音もなく給仕に回り、美しい銀の器に入れられた飲み物が次々と卓に運ばれていく。香り高いエールが泡を弾き、果実酒の甘やかな芳香が漂う。
ふと、フレッドの視線が壁に飾られた一枚の肖像画に留まった。
「ん? あの絵に描かれた人物……エリクソンじゃねえか?」
興味を引かれた者たちが顔を上げる。
ネリ・シュミッツが即座に柔らかく応じる。
「いいえ、違いますよフレッド殿。あれは先々代様、ブランゲル侯爵家の十三代目、レオニダス=ブランゲル様でございます」
「……めちゃ似てるなあ!」と目を細めるフレッド。
「確かに…前に来たときは気づかなかったな」とトーマスも頷く。
ロイドはしばし見上げたまま、「こうしてじっくり見ると、やっぱり威厳があるね」と感嘆の声を漏らした。
続けて、リズが視線を右にずらして「あっ……一番右側の肖像画見て、ジェイソン様にそっくりよ」と指さす。
「あれは初代様、アルフォンス=ブランゲル様でございます」とネリが敬意を込めて説明する。
「一枚一枚に……歴史と重みを感じるわ」とノエルが静かに言えば
「積み重ねてきたからこそ、今があるってことだね」とユキヒョウが低く呟いた。
「侯爵家ともなれば……その重責を果たす苦労は並大抵じゃないでしょうね」
マリアの言葉に、場に一瞬の静寂が流れる。
その時、扉の方から執事が一歩前に進み出て一礼した。
「ブランゲル侯爵様御夫妻、間もなくお目見えになります」
席についていた一同が、ざわめきもせず、同時に立ち上がる。
静かに姿勢を正しながら、ロイドが弟に声をかけた。
「ハイド、緊張しなくて大丈夫だよ。ブランゲル様はとても気さくな方だから」
リズも微笑みを浮かべながら、「私たちがちゃんとフォローするから、安心してね」と言葉を添える。
「は、はい……!」とハイドは小さく頷いた。
その頬にはまだ緊張の紅が残るが、胸の内には確かな決意が宿っていた。
次の瞬間――
奥の扉が、ゆっくりと音を立てて開かれ始めた。
扉が開かれ、姿を現したのは威風堂々たる男と、上品な笑みを湛えた女性だった。
黒と銀の軍装に身を包み、背筋を伸ばした男――イーサン・デル・ブランゲル侯爵は、城塞都市カシウムを統べる支配者にして、王国随一の武人。
その傍らにいるのは、淡い色のドレスを軽やかにまとった華やかな女性――侯爵夫人エリジェ。
堂々たる足取りで歩を進める二人に、執事たちは一斉に頭を下げ、シャイン傭兵団の面々も立ち上がって迎えた。
ロイドが一歩進み、深く一礼する。
「ブランゲル様、ご無沙汰しております」
すると、ブランゲルは口元を緩めて言い返す。
「おう、お前らとの間では堅っ苦しい挨拶は無しだ!」
「やっぱり話が分かるな」
フレッドが軽い口調で言う。
「フレッドか!少しは敬語で話せるようになったか?」
「……無理だ」
「ワハハハ! だろうな!」
腹を抱えて笑うブランゲルの声音には、確かな信頼と親しみがあった。
「ロイド、トーマス、リズ嬢、ノエル嬢――お前らも、元気そうだな!……ん? んん? お前らまた背が伸びたか……?」
そう言って、ブランゲルはロイドの横に並び、自らの背丈と見比べるようにして眉をひそめる。
そこへ、侯爵夫人エリジェが一歩前に出て、ぱっと声を上げた。
「あなた! あなたったら!」
「お、おお?」
「リズって娘は?」
「私です、奥方様」
リズが答えると、エリジェは表情をぱっと明るくして、まるで旧知の娘にでも会ったかのように両腕を広げた。
「まあまあ! あなたがそうなのね! 会いたかったわ〜!」
そう言って、リズに思い切り抱きつくエリジェ。
「あ、あの、奥方様……?」
戸惑うリズの顔を覗き込み、ニコッと微笑む。
「綺麗な娘ね! ……そして、あなたがノエルね!」
「はい、ノエルと申します、奥方様」
「やだわ〜、そんな他人行儀に言わないで。私のことは“エリジェ”って呼んで!」
「こ、困惑しているだろう。落ち着きなさい、エリジェ」
「まあ、私としたことが……」
照れたように口元を押さえるエリジェに、ブランゲルが冗談めかして眉をあげた。
「まだ知らぬ者がいるな。自己紹介をしてくれるか?」
名乗りを促され、一歩進み出たのは、銀白の髪と鋭い目を持つ男。
「シャイン傭兵団、氷の刃隊を任されておりますユキヒョウと申します」
「人外に片足を突っ込んでいると噂されておるな」
「恐縮です」
その隣には艶やかな長髪のマリアが進み出て、優雅に一礼する。
「マリアです。今は亡き義父、バロックの娘です」
「……ゼルヴァリアの…“暴風のバロック”か!」
「左様です、侯爵様」
ブランゲルはしばし目を閉じる。
「……そうか、亡くなったか。あの御仁とは幾度となく刃を交えたものよ。俺も若かった……随分と鍛えられたものだ」
「今のブランゲル侯爵様をご覧になれば、喜ばれるでしょう」
「……うむ、そうだな」
続いて、仮入団の男、ベガが口を開く。
「しがない情報屋、ベガです」
「ククッ……ただの情報屋がシャイン傭兵団に入れるとは思えんがな」
「まだこいつは仮だぞ、と言ってもほぼ決まりみてえなもんだけどな」とフレッドが補足する。
「なるほど、後はシマが許可するだけか」
「そういうことだな」とトーマスが頷く。
そして、やや緊張した様子で名乗る青年。
「お初にお目にかかります、侯爵様。元王家特別監察官、ワーレン・クリンスマンと申します!」
「……マリウスの所に身を寄せたんじゃなかったのか?」
「ハッ! 同僚二人はマリウス・ホルダー様の所へ。私は、シャイン傭兵団に賭ける所存でございます」
「ふむ、悪くない選択だぞ」
そして最後に、一際緊張の色を濃くした少年が前へ進み出る。
「は、ハイドと申します! 兄ロイド! 義姉リズ! シャイン傭兵団のみなさんに付いて、い、今は勉強中の身であります!」
「ブランゲル様、僕の弟なんです」とロイドが紹介すると
「ほう、ロイドの弟か! しっかり学べよ」
「はいっ!」
元気いっぱいの返答に、エリジェが口元に手を当てて微笑む。
「元気がいいわねえ〜。」
厳格な空気に包まれていた大広間に、温かな笑い声がふわりと広がった。
気さくな侯爵夫妻の迎えに、緊張も少しずつ解けていく――シャイン傭兵団とブランゲル家の、厚い絆を感じさせる、心和むひと時だった。
ブランゲル侯爵は卓の外周をゆったりと歩きながら、改めてシャイン傭兵団の長身ぞろいを見上げるように眺めた。
「一月前にジトーたちと会った時も驚いたが……お前ら、いったいどれだけデカくなるつもりだ?」
その低い声には呆れと感嘆が半分ずつ混じる。
笑い声を漏らしたフレッドが肩をすくめる。
「育ち盛りだから、まだまだ伸びるかもな!」
傍らで聞いていた侯爵夫人エリジェが、ツンツンッと肘で夫の脇腹をつつく。
恥ずかしそうに咳払いしたブランゲルが、急に声色を改めた。
「コホン……リズ嬢よ。エリジェのためにドレスを仕立ててくれんか? できれば三着──それと“スーツ”というのだったか? 俺とジェイソン、それにエリクソン用に色違いで二着ずつ欲しい」
指名されたリズは、一歩前へ。
「光栄です、侯爵様。ご希望の生地や色調を承り次第、すぐ図面を起こします」
エリジェが嬉しそうにリズの袖をつかむ。
「このドレス、リズが仕立ててくれたんですってね!ほとんど手直しするところがなかったのよ!」
「エリカ様からおおよそのサイズを伺っていましたので」とリズが控えめに微笑む。
「素晴らしい腕前ね!」
エリジェが満面の笑みで抱きつき、周囲にくすくすとした笑いが生まれる。
ブランゲルが腕を組み、誇らしげに頷いた。
「いまや貴族の間では“リズ”の名が席巻しておるぞ。去年、あの“スーツ”を仕立ててもらっただろう? あれを着てサロンに顔を出した時のことよ……」
侯爵は思い出し笑いをこらえきれず、肩を震わせる。
「くくくっ……ウワハハハハ! 羨望の眼差しを独り占めよっ! あの時の連中の目ときたら、まるで新しい武具を見た兵士のようだったわ!」




