トラブルメーカー
リュカ村、村長宅の応接間。
木目の美しいテーブルを囲んで、ロイド、リズ、フレッド、そしてワーレンが腰掛けていた。
穏やかな風が窓から差し込む中、話題は自然と、リーガム街とその領主、デシャン・ド・ホルダー男爵に移っていった。
「さて――」と、落ち着いた口調で語り出したのはポプキンスだった。
卓上の茶器に手を伸ばしつつ、その目に静かな熱を宿していた。
「かつて我が領主であるデシャン・ド・ホルダー様を苦しめていたヒ素中毒?だったか…お前たちのお陰で快方に向かっている。もはや日常生活に支障はなく、かねてより恐れていた後遺症の兆候も……今のところ見られていない」
「それは……よかった」
ロイドが安堵の吐息を漏らした。
「そうだな……」と、フレッドも続ける。
「一時は歩くのも困難って聞いてたからな」
「今では精力的に鍛錬にも取り組まれている。特に早朝の剣術稽古は欠かしたことがない。…あの姿は、まさに“戦う領主”そのものだ」
「……シマみてえだな」とぽつりと呟いたフレッド。
リズが小さく笑って、「似た者同士かもしれないわね」と言った。
ポプキンスはうなずきつつ、声をひそめて語る。
「それと……これは一部の側近、あるいは信頼できる者たちにしか伝えられていない話だが――」
一同の耳が自然と彼の言葉に傾く。ポプキンスの口元に、わずかな微笑みが浮かぶ。
「――近く、デシャン様は男爵位を正式にマリウス様に譲るおつもりだ」
「……なんだって?」
思わず身を乗り出すフレッド。
「マリウスさんに?」
ロイドも驚いた様子で尋ねる。
「ああ。デシャン様は“未来を担うのは若き力”だとおっしゃっていた。それに……すでにマリウス様は実質的に領地経営の中核を担っている。ならば形としても、それを明確にするべきだと」
「それで……その話を俺たちにしても?」と疑問を口にするフレッド。
どこか遠慮がちに眉をひそめながらも、どこか誇らしげな表情。
ポプキンスは真っ直ぐにフレッドを見つめ、ゆっくりと首を縦に振った。
「マリウス様は、お前たち――シャイン傭兵団に、絶大な信頼を置いておられる。であるならば、その側近である私も、主君の信頼に倣うべきだと考えている。疑う余地はない」
「それと、もうひとつ伝えておこう」
ポプキンスの声が、少しだけ明るくなった。
「リーガム街の財源が潤ったことについて、マリウス様がたいそう感謝しておられた。領民も活気づき、街に笑顔が戻り始めている」
「富くじのことですね」とロイドが言う。
「ああ。今、リーガム街は好景気の波に乗っている。移住者、移民、そして孤児までもが受け入れられ、新たな家と希望を手にしている。街が、ようやく生まれ変わろうとしているのだ」
ポプキンスは感慨深げに言葉を続けた。
「領軍、憲兵隊も――正直、以前は頼りなかった。だが今は違う。どこかの傭兵団に刺激されたのか、随分と逞しくなってきたよ。統率も良く、士気も高い。実戦を想定した訓練も始まっている。まるで……“戦える領地”を目指すかのように」
「へえ、いい傾向だな」
フレッドが笑い、肩をそびやかす。
「だが……何よりも変わったのは、マリウス様ご自身だ」
ポプキンスは真剣な目でロイドたちを見る。
「お前たちに出会ったことで、我が主君は一皮も、二皮もむけた。迷いがなくなった。芯が強くなった。そして、未来に向けて歩き出している。あの方があれほど笑うようになったのは……正直、初めて見たよ」
ポプキンスは頷き、茶を口に含む。
その静かな一杯に、これまでの感謝と、未来への希望が込められていた。
村長宅の応接室――しばらくの沈黙を破って、ポプキンスがふと懐かしげに呟いた。
「そういえば一月前……いや、それ以上前だったか? ジトーたちがリーガム街に訪れていたぞ」
「俺も会ったぞ、そん時」と言うのはワーレン。
手にしていた湯呑を置いて、ニヤッと笑った。
「ちょうどその頃、俺たちもリーガム街に着いてな。そしたらお前らがいずれリュカ村に来るって話をジトーたちから聞いて――じゃあ、ここで待ってりゃ早いじゃねえかって話になったのさ」
「ジトーたちにくっついて行けばよかったじゃねえか」と、フレッドが呆れたように言う。
ワーレンは肩をすくめて、「俺にも考える時間ってやつが必要だったのよ」と言って、やや大袈裟にため息をついた。
「それに……ちょっとした休暇でもあったしな。新婚の俺にとっては、なかなかの贅沢だったぜ。嫁さんとゆっくり話す時間なんて、今までなかったからな」
「…富くじの運上金の確認、売り込み、買い付け…上手くいったのかしら?」
リズが問いかけると、それに応じたのはポプキンスだった。
文書の束をひとつ手元に持ち直して言う。
「ああ、そのあたりの詳細はすでに届いている。各地での富くじの評判は上々で、売り上げも着実に伸びているようだ。商人たちも概ね好意的でな、継続的な買い付けに応じる店も出始めている」
「ということは、今のところ大きな問題はないってことだな?」とフレッド。
ポプキンスは落ち着いた声で頷いた。
「ああ。帳簿上でも、現地の報告でも異常はなし。今のところ、だがな」
「そりゃあよかった」と、フレッドは安堵の表情を浮かべて腕を組んだ。
「まあ、ジトーもいれば、クリフ、ケイト、ミーナもいるしな……」
フレッドが椅子の背にもたれながら指を折って数える。
「それに……ザックもいたな……」
その名前が出た瞬間、場に微妙な間が流れる。
「……シャイン傭兵団のトラブルメーカー……ザックと――」
ロイドが一呼吸置いてから、静かにフレッドの方を向いた。「君だね」
「……はあっ? なんで俺まで……?」
フレッドが目を見開き、椅子をガタンと鳴らしながら身を乗り出す。
「意味わかんねぇんだけど!? 俺、真面目だろ!? 誠実! 勤勉! 実直! の三拍子!」
「いや、四つ目に“問題児”ってのが付くと思う」
ロイドが冷静に返す。
「……自覚がないところが恐ろしいわね」
リズがため息まじりに呟き、お茶のカップを口元に運ぶ。
視線はフレッドを射貫くように鋭く、だがどこか呆れを含んでいた。
「なっ……!」と、フレッドは両手を広げて抗議のポーズ。
「俺が何したってんだよ! 俺ほど団のために働いてる男、他にいねぇだろ!」
「たとえば?」とリズ。
「……え、あー……その……肉、さばいたり?肉、焼いたり?肉を運んだり?あと、肉、食ったり?」
「……全部“肉”関係だね」
ロイドが苦笑しながら言う。
「肉も大事だろ! 肉を制する者は戦を制すって言うじゃねえか!」
「聞いたことないわよ、そんな言葉」
リズが呆れて言うと、ワーレンが笑いを堪えきれずに吹き出す。
「ハハッ! いや、フレッド、お前マジでおもしれえな……“ザックと並ぶトラブルメーカー”って評価、ちょっと納得しちまうな」
「くそっ、ザックの奴と同列にされるのはなんか納得いかねぇ……」
「でも似てるのよねぇ、変なところで妙に気が合ってるし」
リズが言えば、ロイドも苦笑しながら頷いた。
「騒がしいのが一人いると団は明るくなるけど、二人いると騒がしすぎるってこともあるからね……」
「その騒がしさが、旅の中でどれだけ皆を救ってくれてるか……私たちはちゃんと見てるわよ」
リズが少し柔らかい声でつけ加えると、フレッドは一瞬きょとんとして、それからやや照れたように鼻をこすった。
「……ま、まあ……俺がいねえと始まんねえからな……」
「はいはい、肉焼き担当さん」
リズがくすくすと笑う。
穏やかで、笑いの絶えないひととき――
それは、シャイン傭兵団という“家族”の強さを何よりも雄弁に物語っていた。
陽が高く、麦の穂が風に揺れるリュカ村の街道――
トーマスとノエルは並んでゆったりと歩いていた。
空気は清々しく、穏やかな土の匂いが二人の鼻をくすぐる。
トーマスの背には大きな背負い袋。
その中には甥っ子姪っ子たち――アニー、ウエンス、エバンス、ミライ――への土産がぎっしりと詰まっていた。
「いっぱい買いすぎよ」
ノエルが楽しげに尋ねる。
「まあ、なんだ、せっかく帰るんだ、あの子らも期待してるだろうしな」
トーマスが豪快に笑う。
そんな二人の姿を、遠くからちらちらと見つめる巡回中の二人の若い憲兵の姿があった。
「お、おい!」と一人が声をひそめるようにしてもう一人の肘を突く。
「あ、あの大男……見ろよ! あれ、絶対シャイン傭兵団の……!」
「う、うん、うん! 俺もそう思ってた! あの背の高さとガタイ……間違いねえ……この村出身のって噂の……トーマスさんだ……!」
明らかに動揺した様子で、二人は直立の姿勢から小走りで近づいてくる。
近づけば近づくほど、その存在感に圧されてか、足取りは徐々に緊張でぎこちなくなっていった。
そして距離が縮まったところで、ノエルがにこやかに一礼する。
「ご苦労様です、憲兵さんたち。」
その柔らかく気品ある態度に、一瞬緊張が和らぐが、すぐにまた視線はトーマスへ。
「あ、あの〜……す、すみません! シャ、シャイン傭兵団の……トーマスさんですよね?」
一人の憲兵が思い切って声をかける。
「ハハ……そうだよ」
トーマスは笑いながら手を挙げる。
「でも“さん”付けなんていらねぇよ。トーマスって呼んでくれ。俺たちの方が年上ってワケじゃないだろ?」
その笑顔と気さくな口調に、憲兵二人は一瞬ぽかんとする。そして慌てて背筋を伸ばし直す。
「い、いやあ……でもやっぱり、こう、貫禄があるっていうか……」
「なんか、すげぇ……本物って感じで……」
トーマスは少し照れたように後頭部をかいた。
「ははっ、ありがとな。そんじゃ今度、酒でも付き合ってくれよ」
トーマスが笑いながら言うと、憲兵二人は直立不動で礼をし、声を揃えて叫んだ。
「はっ、はいっ!」
二人の背中を見送りながら、ノエルはトーマスの横顔をちらりと見た。
「……地元ではちょっとした英雄ね」
「そうか?」とトーマスは鼻を鳴らしながら、また歩き出した。
「俺にとっちゃ、家族に土産持ってくのが英雄の仕事だよ」
「ふふっ、素敵な答えね」
ノエルが笑い、二人は夕陽差す道をゆっくりと歩き続けた。
午後のやわらかな日差しが、トーマスの実家――いや、「屋敷」と呼ばれる大きな家屋を黄金色に包んでいた。
広い庭では洗濯物が風にはためいている。
洗濯物を取り込んでいたのは、トーマスの母・マーサ。
年季の入ったエプロンを腰に巻き、背筋は年齢を感じさせぬほどしゃんとしている。
そのすぐそばでは、義姉アンと義姉イライザが干し終えた布を手際よくたたんでいた。
足元では、元気な子どもたち――アニー(6歳女)、ウエンス(4歳男)、エバンス(6歳男)、ミライ(5歳女)――が転げまわるように遊んでいる。
「おーい! ただいまー!」
低く響く太くてよく通る声が、門の向こうから元気よく飛んできた。
その声に、一斉に顔を上げる女性陣。
「トーマス!?」と目を見開いて叫ぶマーサ。
「おかえり!」と続けるアンとイライザ。
二人ともどこか誇らしげな笑みを浮かべていた。
「でっかいおじちゃーん!!」
甲高い声をあげたのはエバンスだった。
それを合図にしたように、子供たちは一斉に歓声をあげて駆け出していった。
「あ~! でっかいおじちゃんだ!!」
「お土産持ってきた? 持ってきた!?」
「お土産は? お土産は~!?」
キャッキャと笑いながら、トーマスの膝に飛びつく子供たち。
トーマスは豪快に笑いながら、頭をぐしゃぐしゃと撫でたり、くるりと抱き上げて回したりと大忙し。
「おおっ、落ち着け落ち着け! ちゃんと全員分あるからな、喧嘩すんなよー!」
その隣では、ノエルが歩み寄り、丁寧に腰を折って言った。
「お義母様、アンお義姉さま、イライザお義姉さま――ご無沙汰しております。お変わりありませんか?」
その言葉に三人の女性は一瞬驚いたように顔を見合わせ、それからすぐに笑みを浮かべた。
「まあ…ノエルさん、また美しくなって……」とマーサが感慨深げに言い。
「ううん、なんだか気品まで増した気がするわよ」とアンが微笑み。
「やっぱり傭兵団の女性って、芯が強くて素敵ね」とイライザが声を添える。
ノエルは控えめに微笑み、「もったいないお言葉です」と頭を下げた。
その光景を見たトーマスは、子供たちにまとわりつかれたまま、少し照れ臭そうに鼻をかく。
庭に笑い声が溢れ、久々に戻った大男を迎える家族のあたたかさが、柔らかい風に混じって、屋敷全体を包み込んでいった。




