お前は?!
キョク村を出立する朝――
早朝の村は澄んだ空気に包まれ、門前ではフレッドの両親、ライドが手を振り、村人たちも笑顔でシャイン傭兵団を見送っていた。
子供たちは手作りの花輪を団員たちに差し出し、猟師たちは毛皮の包みを肩に担ぎながら「また来いよ!」と声をかける。
そんな中、なぜか当然のような顔で隊列の中にいる女性が一人。
「……なあ、何でお前がいるんだ?」
フレッドが額に手を当てて半ば呆れ顔で問いかけると、振り返ったのはメリンダ。
背にしっかりと荷を負い、既に旅支度万全だ。
「何でって当然でしょ? ノエルたちの話をこの目で確かめるためよ」
澄んだ瞳で断言する。
「半年後には帰ってくるんでしょう? だったらその間だけでも一緒に行くに決まってるじゃない」
「……村長と両親から許可もらってるの?」とノエルが確認すると、「もちろんよ。お父さんなんて泣いてたけど、最後には背中押してくれたわ」と胸を張る。
「こいつな、一度言い出したら聞かねえんだよなあ……」
フレッドは深々とため息をつき、どこか諦め顔。
こうして出立したシャイン傭兵団の一行は、次なる目的地――トーマスの故郷、リュカ村へ向けて街道を進む。
三度の野営を経て、その風景は少しずつ人里の匂いを帯びていく。
旅が初めてのメリンダは、初日の道中、興味津々でキョロキョロとあたりを見渡す。
珍しそうに木の実を拾ったり、小川に映る自分の顔をのぞきこんだり、見るものすべてが新鮮のようだった。
「テントってこうやって張るのね……すごい! 風で飛ばない!」
「これが携帯食? うわ、しょっぱいけど美味しい!」
目を輝かせながら準備を手伝う彼女を見て、団員たちも自然と笑顔になる。
三日目の夜。
野営地では焚き火を囲んで食事を終えた女性陣が、徐々に「女子トーク」に移行していった。
ノエル、マリア、リズ、キョウカ、メリンダ。話題は石鹸、リンス、お風呂、お酒……そして、恋バナ。
「で、メリンダ。フレッドとの関係は?」
マリアがエールの杯を揺らしながら目を細めて尋ねる。
「ええ、あの人は――私の旦那になる人よ」
バンッ!
持っていた水筒を思わず落とすフレッド。
焚き火越しに、口を開けたまま凍りついている。
「お、おい…!? おれはそんな約束をした覚えはねえぞ!?」
「私が決めたのよ」
涼しい顔で返すメリンダ。
「旅にはついてはいけないけど、一緒にいる間は夫婦も同然――それくらいの覚悟はしてるわ」
「……っ、ぉ、おぉ…?」
パクパクと口を動かすだけで何も言葉が出てこないフレッド。
それを見ていた周囲の団員たちは、こらえきれずに爆笑する。
「現地妻みてえなもんか…」
「やるな、フレッド…」
「ご愁傷様って言葉、今ほど似合う時はねえな…」
「ありゃあ、尻に敷かれるな……間違いねえ」
「ちょ、お前らまで何言ってんだよ!? そんなんじゃねえからな!? なあ!?」
フレッドが叫ぶが、誰も聞いてくれない。
「んー、そうやって慌てる姿、まるで新婚初夜みたいねぇ」とマリアが茶化せば、ノエルが微笑みながら「意外とお似合いだと思うけどね」と言う。
フレッドは終始気まずそうに、空を見つめ続けるのだった。
リュカ村――広大な小麦畑とどこまでも広がる牧草地が、柔らかな風に波打っていた。
遥か彼方まで見通せるその大地には、確かに作物と家畜の気配こそあれど、その他には目立った建物も人影もない。
ただただ、空と大地の間に、生命が静かに息づいている。
「うわ……こりゃまた、なんもねえな……」
シオンがぽつりと呟く。
「広いだけで、何もない村だね」
メリンダも目を細めて遠くを眺める。
だがその先、村の入り口に差しかかると、以前にはなかった小さな木製の門が姿を現す。
簡素な造りではあるが、しっかりとした構造で、街道沿いに設けられている。
「……? ありゃ?」とフレッドが目を丸くする。
「前に来たときは、こんなもん影も形もなかったのになぁ……」
門の前には、粗末ながらも制服を身にまとった兵士が二人。
シャイン傭兵団の一団を見つけるや否や、驚いた顔で互いに顔を見合わせ、そして駆け寄ってきた。
「お、お尋ねします……あなた方、もしかして、シャイン傭兵団の方ですか……?」
「いや、間違いない! 間違いないぞ、見ろよあの剣に双剣、そしてあの弓の存在感……!」
興奮を抑えきれない様子の兵士が、もう一人に目配せをしてから走り出す。
「村長に知らせろ!…しばらくこちらでお待ちください!」
そう告げてから数分後、門の奥から小走りで現れたのは、穏やかな笑みを浮かべた男性――ポプキンスだった。
青みがかった上着に、腰には装飾のない長剣。
マリウス・ホルダーの信頼厚い側近の一人。
今は村のまとめ役として名を馳せる男である。
「おお、よく来てくれたな!」
ポプキンスはロイドに向かって手を差し出す。
「と言っても、ここはトーマスの生まれ故郷でもあるわけだがな」
「お久しぶりです、ポプキンスさん」
ロイドが笑顔で手を握ると、ポプキンスは目を細めた。
「ロイドか……ずいぶん精悍な顔になったな。皆も元気そうだ……見ない顔もいるが……」
そして周囲に目をやると、「お前たちの噂はあちこちから耳に入っている。ブランゲル侯の話まで聞いたぞ」
その言葉に一部の団員が「えっ」と目を見開き、フレッドが「もうそこまで話が回ってんのかよ」とこぼす。
「まあまあ、ここじゃ話しづらい。家でゆっくり話そう」
ポプキンスの案内で、ロイド、フレッド、リズが同行する。
道すがら、トーマスとノエルは「先に実家へ顔を出してくる」と村の奥へと歩いていった。
ユキヒョウたちは別行動を取り、最近できたという宿屋へ向かう。
「へぇ……リュカ村に宿屋かよ。随分変わったな」とフレッドが感心する。
「そうだとも」ポプキンスが嬉しそうに頷く。
「宿屋のほかにも、商店が四軒できた。雑貨、食品、酒、それに乳製品の専門店だ」
「乳製品?」
「おう、この村の乳製品は上等だ。バターもチーズも滑らかでな。街の商人が買い付けに来るようになってから、旅人も増えたんだ。で、旅人が増えれば宿がいるって話でな」
「はあ……ちゃんと回ってんだなあ……」
フレッドはしみじみと目を細めた。
「少しはお前たちの活躍のおかげもあるんだぞ。あれから治安が良くなったって評判でな」
ポプキンスの言葉に、リズが微笑み、ロイドが静かに頷いた。
木造の温もりが残るリュカ村の村長宅。簡素ながら磨き上げられた床と、壁に掛けられた地図や獣の角が落ち着いた雰囲気を醸している。
案内された客間でロイド、フレッド、リズの三人が腰を下ろすと、そこには一人の男がいた。
少し伸びた金髪、軽く無精ひげを蓄えたその男は、脚を組んで椅子にふんぞり返っていた。
気だるそうにこちらを振り向いたその顔を見て、フレッドが眉をひそめる。
「ん?お前…王家なんちゃらの…」
「“王家特別監察官”な!ワーレン・クリンスマンだ。いや、“元”になるけどな」
ワーレンはニヤリと笑って自ら名乗る。
「ワーレンさんがなぜここに?」
ロイドが問いかけると、ワーレンは肩をすくめて言った。
「逃げてきたのさ。最近の王都はヤバくてなあ……第一王子と第二王子の派閥争いが本格的に血の匂いを漂わせ始めた」
空気がわずかに重くなる。
「騎士爵をもらった時点で、家族は人質同然だ。いつ誰が狙われてもおかしくない。俺はまだ新婚ほやほやなんだよ、命も家族もかけてまで王家に忠義を尽くす気はねえってワケ」
「家族やご兄弟は?」
リズが静かに聞くと、ワーレンは胸を張った。
「当然、連れてきたさ。嫁さんの両親に妹と弟、俺の両親と姉貴までまとめてな。命あっての物種だ。同じ様に元王家特別監察官のモーガン・エステべス、女性隊員キャシー・ネイサンの家族たち、あの二人はリーガム街に身を寄せてる。マリウス・ホルダー様の側近として動いてるぜ。俺は……ほら、マリウス様の所でもよかったんだが、お前らの方がなんかこう……生き残れそうな気がしたんだよな」
「……それで、シャイン傭兵団に入れてくれってことか?」
フレッドが目を細めると「そういうこと。俺は使える男だぜ?王家特別監察官はな、選ばれた精鋭しかなれない。王都でも“鋼の目を持つワーレン”って呼ばれてたんだぜ?」と自信満々に胸を叩く。
その時、フレッドが腕を組んでボソリと呟く。
「……後を尾けられたり、あっさり押さえ込まれてたような奴が何を……」
「お前らが普通じゃねえんだよ!!」と即座に反論するワーレン。
「お前らの話を聞けば聞くほど、俺の方が現実を知ってる気分になるんだよな!」
ポプキンスが笑みを浮かべて口を挟む。
「俺が言うのもなんだが、ワーレン殿は間違いなく優秀な男だ。」
「へへん!」とワーレンは鼻を鳴らす。
「それに、お前らの活躍は遠くまで響いてる。俺は思ってるぜ、お前らはきっと、とんでもない存在になる。そう思ったからこそ……賭けさせてもらうぜ、シャイン傭兵団に!」
その言葉に、ロイドとリズは顔を見合わせ、フレッドは「また濃いのが増えたな……」と頭をかいた。
新たな仲間の加入に、物語はまた一歩前へと進む。
ロイド、リズ、フレッド、そしてポプキンス、元王家特別監察官ワーレンが腰を落ち着け、湯気の立つ茶を前に、話は自然と昔の仲間のことへと移っていく。
「そういや……あいつはどうしたんだ?…なんて言ったっけ?」
フレッドが唐突に言葉を投げる。
「ああ、班長のことか?」とワーレンが茶をすすりながら応える。
「名はジャン・クレベルな。」
ワーレンは少し遠くを見るような目になり、言葉を継ぐ。
「クレベル家は代々、騎士爵の家系。貴族とはいえ下級の家柄だが、王家への忠誠だけは筋金入りだ。あの人自身も“家を汚さぬことが最優先”みたいな人間でな……そう簡単に組織を離れるなんてできるわけがない」
「しがらみがある……ということですね」とロイドが静かに言った。
「そうそう、それだよ。貴族ってのは自分一人で何かを決められるようで、案外そうでもない。班長も、本当はあの環境に嫌気が差してたかもしれないが……家の名誉やら義務やらで、がんじがらめだ」
ワーレンは肩をすくめ、どこか苦笑気味に言葉を続ける。
「俺やモーガン、キャシーなんかは違った。平民上がりで、王家特別監察官になって爵位をもらった口だ。しがらみも古臭い家訓もない。だからこそ、抜けるときはスパッと抜けられた。……まあ、その分、辞める手続きは大変だったけどな。班長には一筆書いてもらったくらいだ。」
「へえ、骨を折ってくれたわけか」
フレッドが感心したように言う。
「ああ、俺たちの身を案じてくれてな…手は尽くしてくれた。」
「……貴族の義務か。厄介なものだね」
ロイドがぽつりと漏らすと、リズが少し真顔でうなずいた。
「けど、そういう人たちが組織の安定を支えてるのも事実よ。きっとジャンさんも、自分の信念に従ってるだけ」
ワーレンは苦笑しつつも、どこか敬意を込めた表情で頷いた。
「そうさ。お堅くて面倒だけど……あの人がいなきゃ、俺たちの隊なんてとっくに瓦解してたかもな、でも……俺は、お前らの所を選んだよ。シャイン傭兵団をな」
ワーレンの声には、確かな決意が宿っていた。
かつての仲間たちへの敬意と、自らの選択に対する誇り。
その両方を抱きながら、ワーレンは新たな人生を歩もうとしていた。




