進む
午後の陽光が斜めに射し込む山中――
シャイン傭兵団は、山道から斜面にかけて横一列、等間隔に整然と並び、まるで巨大な刃が山を横断していくかのように進軍していた。
足並みは静かに、しかし一歩一歩が確かであり、団員たちの視線は一様に周囲を鋭く巡らせている。
葉擦れの音や獣の気配、小石が転がる僅かな音にも全員が即座に反応できる状態――
緊張感はあるが、そこに焦りや恐怖はない。
「この山は人間の領域だ」と、まるで山そのものに刻みつけるような無言の圧を帯びていた。
やがて、その圧に呼応するように、茂みの奥からガサッ、ガサガサッ…と音がし、影が駆ける。
狼――十一頭の群れ。
鼻を鳴らし、目をギラつかせ、シャイン傭兵団の進行を妨げるように前方に現れる。
「縄張りに踏み込んできたな…!」
そんな野生の意志が感じ取れるかのように、狼たちは牙を剥き、威嚇の唸り声をあげた。
そして、――ズバン!
最初の矢が空気を裂く音と共に放たれ、先頭の狼の眉間を貫く。
ノエルの放った一射だった。
瞬間、左翼のフレッドが駆け出し、双剣を大きく振り抜きながら二頭目に斬りかかる。
一方でリズの弓が唸りを上げ、三頭目の狼が膝をつくように崩れ落ちる。
襲い掛かってきた二頭は団員の盾と槍によって的確に追い詰められ、逃げ場を失った末に命を落とした。
あっという間の出来事だった、残りの狼たちは逃げる。
が、間髪入れず、右側斜面から現れたのは一頭の巨大な猪。
突進してくるその音は地響きを思わせ、土と枯葉を巻き上げて一直線にマリアたちへと向かってきた。
「来るわよ!」
声を飛ばすマリア。
団員たちが瞬時に半月型に散開、受け止める構えを取った。
その中央、マリアが剣を抜き、駆け込んでくる猪の鼻先へ――一閃。
厚い皮膚の下に深々と刃が食い込み、激しくのたうち回る猪に、背後からロイドのグレートソードが追い打ちをかけてとどめを刺す。
狩りはそこで終わらない。
シャイン傭兵団の整然とした進軍は止まらない。
獣たちが感じ取っていたのは「力」そのものだった。
見せつけるのは圧倒的な統率と殺気。
逃げ出す小型獣、鹿たちは追わない。逃げるものは生き延びよ。
だが、牙を剥いた者には容赦をしない。
それが「人の領域に踏み込むな」との静かな警告だった。
やがて、キョク村の門前に差し掛かる。
その先にあったのは――6頭の狼たち。
だが、シャイン傭兵団の匂いを感じ取った瞬間、狼たちは低く唸り、毛を逆立てながらも、やがて尻尾を巻くように山奥へと逃げ出した。
「人間とは、恐ろしい存在である」――そう本能に刻みつけるかのように、無言のまま、横一列のまま、シャイン傭兵団は村へと戻っていった。
圧倒的な力と整然たる秩序、それこそが人の側にある“力”の証だった。
キョク村の外れに広がる、小さな畑。
背の低い石垣に囲まれたその一角で、土の香りを含んだ風が吹き抜ける中、一本一本の苗を手で丁寧に支えるように作業する女性の姿があった。
彼女の背には、汗に濡れた薄布の上着が張り付き、腕は土埃で汚れていた。
傍らには、まだ幼い子供が二人。
おそらく七つか八つ、そしてもう一人は五歳にも満たないだろうか。
小さな手で水を撒く仕草はぎこちなくも懸命で、彼らの顔には静かな真剣さが宿っていた。
それを少し離れた場所から見つめるハイド、メリンダ、キョウカの三人。
「ハイド君、見て。あの畑を――」
静かに口を開いたメリンダの声には、どこか押し殺したような痛みがあった。
「父親はいないわ。……四年前に、狼たちに殺されたの。防護柵の柔らかい土の場所の下を掘って…畑で作業していたところを襲われたのよ」
その言葉に、ハイドは思わず目を見開いた。
メリンダの視線は畑に注がれたままで、変わらず穏やかだったが、その奥には深い哀しみが潜んでいた。
「……村人たちの中にも、その時はたくさんの怪我人が出たわ」
淡々としたその声が、かえって現実の重さを突きつける。
「……子供たち、幼いわね」
そう言ったのはキョウカだった。
優しい瞳が、畑で土をいじる小さな兄妹に向けられている。
「僕よりも……小さい……」
ぽつりと、ハイドがつぶやく。
目の前の兄妹は、自分と同じように生きている――ただ、その生に影のように死が寄り添っているだけ。
「父親が命を賭して守った畑……今では、あの親子が懸命に守っているの」
メリンダがそう言ったとき、畑の女性がふと顔を上げ、額の汗を拭った。
その顔は、眼差しは強く、折れることのない意志がそこにあった。
「生きるって、そういうことよ」
静かに、けれど確かな重みをもってメリンダは言った。
ハイドは何も言えなかった。
心の中に渦巻く感情が、言葉を持たないまま胸の奥に沈んでいく。
切なさ、悲しみ、怒り、自責、そして――覚悟の種のような、何か。
「私の叔父さんも……熊に殺されたの。もう十年以上前の話だけど。この村ではね、身内の誰かしらが……獣によって、何かを失ってるのよ」
メリンダの声には、もう怒りも哀しみも乗っていなかった。
ただ、それが事実であると伝えるだけの、落ち着いた声音だった。
目の前で笑う子供たち。
その笑顔の裏にある、大人が背負ってきた命の重さを、ハイドは初めて理解しようとしていた。
風が吹く。畑の緑が揺れた。静かで、けれど揺るがぬ時間の中で――
ハイドの心の奥に、小さな何かが確かに芽生え始めていた。
陽が傾きはじめ、村のあちこちから煙と香ばしい匂いが立ち昇る頃――キョク村はまるで小さな祭りのような活気に包まれていた。
狩りの成果はすぐさま村人たちの手に渡り、肉は宿屋や食堂に、牙や骨は細工屋に、毛皮はなめし革屋へと送られていた。
その中でもひときわ強く声を張り上げていたのは、村でも老舗のなめし革屋の店主、腰を曲げた小柄な老人だった。
「ロイド殿!どうか、この熊の毛皮……譲ってはもらえませんか!」
声が震えながらも真剣なまなざし。
「売りに出すおつもりですか?」と、ロイドが問えば、「と、とんでもない!」と即答。
「売るなんてこと、そんな罰当たりなことできません!あれほど見事な毛並みの毛皮……あれはもう、魂ですぞ!立派に鞣して、我が店の柱に飾り、語り継がせてもらいますとも!」
「いいんじゃない?」
リズが笑みを浮かべる。
ロイドは、ほとんど捨て値で卸すような金額で譲る。
それを聞いた店主は土下座せんばかりに感激し、「鞣し仕事は……精魂込めてやらせていただきますぞ!」と声を震わせていた。
宿屋「山鷲亭」へ戻ったフレッドは、すぐに食堂の裏手を覗き込む。
「熊の肉、捌き終わってるか?」
厨房の奥から返事が飛んだ。
「おう、終わってるぞ!」
「肉の塊、二ブロック、もらってもいいか?」
ロイドたちの視線が集まる。
「もちろん、持って行けよ。フレッドの実家と村長の家だろ?」
トーマスが言えば、フレッドは軽く頷き、「恩に着る」と言って二つの大きな包みを肩に担いだ。
メリンダも小さく笑って「運ぶの手伝おうか?」と声をかけ、二人は夕暮れの村道を歩き出す。
陽が朱に染まる石畳の通りを進むフレッドとメリンダ。
途中、背後から細かく砂利を踏む足音がついてきていることに、フレッドはすぐに気付いた。
立ち止まって振り返ると、四人の若い男たちがビクリと肩をすくめ、気まずそうに顔を背けた。
「……よう。何か用か?」
鋭くも低い声でフレッドが問いかけると、男たちはたちまち動揺した。
「ひ、久しぶりだな……フ、フレッド……」
前に出た一人が、まるで蚊の鳴くような声で言う。
「……誰だっけ?」
フレッドは首をかしげる。
「ほ、ほら、昔、お前を……そのぅ……ボコボコにしたっていうか……」
「お、俺たちのこと、恨んでるよな……?」
フレッドはしばし無言だった。
ふっと鼻で笑い、小さく首を横に振る。
「……昔の話だ。別に恨んじゃいねえよ。実際、お前らの言う通りだったしな。家はボロボロで、貧乏だったしよ」
男たちはどこか安堵したように目を細めた――だが、すぐにフレッドの目が鋭く光った。
「……だが、今は違う。俺の実家にちょっかいかけるんじゃねえぞ。特に……俺の弟をいじめやがったら……」
その言葉に続いたのは、静かで冷酷な声。
「殺すぞ」
一瞬にして空気が凍り付いた。
フレッドの双剣――腰に下げられた二本の剣が、朱色の陽光を反射して鈍く光る。
「そ、そんなことするわけねぇだろ!」
「で、できるわけがねえ!」
「村の連中にも言い聞かせてある!ほんとだって!」
焦るように言葉を重ねる若者たち。
「……そ、その剣の二本差し……シャイン傭兵団の“双剣使い”って、お前のことだろう?」
一人が震えた声で問う。
「……双剣使いじゃねえよ、二刀流っていうんだ。覚えとけ」
「に、二刀流……?」
「で、でも……お前で、間違いねえんだよな……?」
フレッドは肩越しに振り返り、ニヤリと笑った。
「そうだ」
そしてそのまま、夕焼けの中、肉の包みを担ぎながら、弟の待つ家へと向かって歩いていった。
背中には、過去の痛みも、今の誇りも――すべてを背負った、堂々たる男の姿があった。
フレッドとメリンダが宿屋「山鷲亭」の扉を開けて入ってくると、すでに食堂は賑わいの真っ最中だった。
熊鍋の香りが立ちこめ、テーブルには湯気を立てる鍋と共に、粗く切られた山菜や茸が彩りを添えていた。
「実家で食ってこなかったのか?」とロッベンが尋ねる。
「いや、なんせ俺は飲む量も食う量も半端じゃねえからな」
フレッドが肩をすくめる。
「確かに!」と団員たちが声を揃えて笑った。
フレッドが「おっ、熊鍋だな!食うぞ!飲むぞ!」と声を張ると、食堂の空気がさらに弾んだ。
「はいっ!」と元気よく返事をしたのはハイドだった。
その顔には、午前中に浮かべていた影がなく、どこか吹っ切れたような晴れやかな表情。
「いい返事だ!」
フレッドが肩を叩き、にっこり笑う。
「酒も飲むか?」
からかうように尋ねるベガ。
「まだハイドには早いよ」
ロイドが眉をひそめて止めに入る。
「いや、案外いけるんじゃねえか?」
トーマスが悪戯っぽく笑いながらロイドを見る。
「お前、かなり酒に強えだろ? 酔ってるところ一回も見たことねえぞ」
「ロイドが酔うところって……ほんとに見たことないよね」
ユキヒョウが感心したように言う。
「それとこれとは別問題でしょ」
リズが少し呆れたように言いながらも、頬はゆるんでいた。
「ハイド、お前いくつになった?」とフレッドが聞く。
「13です」とハイドが素直に答える。
「俺ら……この頃もう飲んでなかったっけ?」
トーマスが思い返すように呟く。
「アンタたちは普通じゃないから」
マリアが肩をすくめるように笑う。
「いや、俺らもそのころには飲んでたよな……?」
シオンも冗談めかして加わる。
ロッベンが小さな陶器のカップにエールをほんの一口だけ注ぎ、ハイドの前に差し出した。
「興味があるんなら、ちょっと飲んでみるか?」
ハイドは一瞬、ロイドとリズの顔を見た。
リズは軽く眉を上げたが、ロイドが小さく頷きながら言った。
「……少しだけだよ」
ハイドはゆっくりとカップを持ち上げ、真剣な表情で口をつける。
ゴクッ……と小さな音が食堂に響いた。
「……苦いけど……なんだろう、美味しい……かも?」
首を傾げながらつぶやいた。
その瞬間、場にいた全員がどっと笑いに包まれた。
「こりゃあ酒飲みの素質があるな!」とベガが大声で笑い、「将来有望だな!」とフレッドが頭をくしゃくしゃに撫でた。
ハイドは顔を赤くしながらも、笑顔を隠せずにいた。
温かな仲間たちの輪の中で、彼は一歩、確かに前へと進んでいた。




