フレッド一家
目の前には立派な木造の家が堂々と構えていた。
重厚な梁、風雨にびくともしない板壁、広々とした造りの居間に、三つの個室が備わる――去年、シマたちがたった一日で建てた家だ。
玄関を開けると、真新しい板のきしむ音と共に、温かい香りが鼻をくすぐった。
「フレッド……!」
母アネッサが台所から顔を出し、目を細める。
「今年も帰って来てくれたのね」
その声に続いて、部屋の奥から勢いよく駆け出してくる影があった。
「お兄ちゃんっ!」
満面の笑みで飛びついてきたのは、弟のライドだった。
「おぉ……」
抱きとめたフレッドは、驚いたようにライドをじっと見下ろす。
肌には血色が戻り、体格もふっくらとしている。
頬には健康的な丸みがあり、声にも力がある。
「飯、ちゃんと食えてるようだな……」
フレッドは思わず、胸をなでおろしていた。
「さあ、上がってちょうだい。もうすぐ夕飯ができるから、食べていってね」
アネッサが笑顔で手を招く。
「メリンダちゃんもね」
「おばさん、私もお手伝いするわ」
メリンダはエプロンを巻きながら、すっと台所へ向かった。
「お兄ちゃん! 僕の部屋、見てみて!」
ライドが小さな手で兄の袖を引っ張る。
「こっち、こっち!」
案内された部屋は、木材で作られた小さなテーブル、手作りの棚、そして小ぶりなベッド。
そのベッドの上には、大きな熊の毛皮がふわりとかけられていた。
「お前……これ、ちゃんと使ってくれてんのか」
「うん! お兄ちゃんたちがくれたやつだもん、僕の宝物だよ!」
そう言うと、ライドは勢いよく毛皮をかぶり、両手を広げた。
「ガオ~~ッ!! どうだ、怖いか~~っ!」
「うおっ!? お、おぉ怖い怖い!」
フレッドは大げさに身をのけぞらせて笑いながら、後ろに下がった。
「こりゃとんでもねえ怪物が住んでたもんだな、ここの村は!」
「へっへっへ……村の平和は僕が守るんだぞ!」
「おう、頼りにしてるぜ。」
部屋にはふたりの笑い声が響き、どこか懐かしい空気が漂っていた。
窓の外では夕暮れの光が差し込み、温かな家族の時間が、ゆっくりと流れていった。
「ただいまー!」
家の外から響く声に、ピクリと耳を動かしたライドがぱっと目を輝かせた。
「あっ、お父さんだ!」
そう叫ぶと、ベッドの上に置かれていた熊の毛皮をさっと頭からかぶり、ズルズルと引きずりながら玄関へ駆け出す。
「ガオ〜! 怪物参上〜!」
甲高い声が響く中、ちょうど扉が開き、ずっしりとした足取りでギルバードが現れた。
「おお……帰ってきたんだな、フレッド!」
「よう、親父。ちょいとお邪魔してるぜ」
フレッドは立ち上がり、軽く片手を挙げて笑って見せた。
「なんだその格好は、ライド……ハハハ! よしよし、怪物くんもよく番をしてくれたな」
ギルバードは息子の頭をくしゃりと撫でながら、上機嫌に家へ上がり込んでくる。
「酒を用意しよう! 」
「…へえ、なんだか余裕がありそうじゃねえか」
フレッドが笑いながら台所を覗くと、ギルバードが肩をすくめて答えた。
「お前たちのおかげでな。去年は収穫が大変で、臨時で村の若いもんを雇ったくらいだ」
「そうか……で、ブルーベリーとラズベリーの木はどうなった?」
問われたギルバードは目を輝かせた。
「あの木の成長はとんでもないな! 信じられんほど枝を伸ばしてる。今年には実がつくんじゃないかと、村でも話題なんだ」
(……やっぱりか。ここでも同じ現象ってことは……やっぱ、深淵の森の影響か……)
フレッドは口には出さず考える。
「どうした? 難しい顔して」
「いや、なんでもねえよ。さあ、飲もうぜ、親父!」
卓にはアネッサの手料理がずらりと並び、湯気が立ち上る湯気と共に、和やかな笑い声が満ちていった。焼きたてのパンに野菜の甘い香り、カリッと揚げたフライドポテト、湯気の立つスープ、塩胡椒のきいた肉。
テーブルを囲む人々の顔には安堵と喜びが浮かんでいた。
「おじさんのところ、大変だったのよ?」
メリンダがふと話し出した。
「あんたたちの話を聞かせてくれって、村のあちこちから頼まれっぱなしだったんだから」
「家も畑もいきなり立派になったでしょう? あれでまあ、村人たちが色めき立ってねえ」
アネッサも苦笑いを浮かべる。
「……手のひら返しか。気に入らねえな」
フレッドは眉をひそめ、忌々しげに吐き捨てた。
「安心してくれ。全部しっかり断ってやったよ」
ギルバードがどっしりと胸を張って言うと、フレッドは思わず吹き出した。
「ハハハ! そりゃいい!ま、とはいえ俺たちもいつまでもこの村にいられるわけじゃねえしな。これでも色々と忙しいんだぜ?」
「へえ、フレッド。あんた、遊んでるだけじゃないのね?」
メリンダがからかうように微笑む。
「ちっ……まったく、どいつもこいつも口が悪いぜ……」
そう言いながらも、どこか嬉しそうなフレッドの声が、笑いに混じってこだましていた。
温かな家族の夜は、静かに、賑やかに、ゆっくりと更けていく。
空が淡い茜色と暗い色が混じり、村の道を吹き抜ける風に草の香りが混ざる。
フレッドとメリンダは並んで歩いていた。
実家を後にし、メリンダを村長宅へと送り届ける途中だった。
「また、背が伸びたんじゃない?」
メリンダがふと、歩きながら横目でフレッドを見上げるように言った。
「…自分じゃあわかんねえな」
フレッドは照れたように頭をかいた。
「俺の周りにはとんでもねえ大男たちがいるからな」
「ザック、ジトー、トーマス…あの人たちね」
メリンダは軽く頷く。
「みんな元気にしてる? またあの迫力のある姿を見てみたいわ」
「元気も元気、あいつらはな。死んでも死なねえような連中だぜ」
フレッドは笑いながら肩をすくめる。
「……だけどまあ、早く帰りてぇなあ」
「……ここはもう、フレッドが“帰りたい”と思える場所じゃないのね」
メリンダの声にはどこか寂しさがにじんでいた。
「ねえ、今ノルダラン連邦共和国の方にいるって聞いてるけど、どこにいるの?」
「ノルダランの…何とか自治区ってとこのチョウコ村だ」
「チョウコ村? 全然わかんないわ…」
メリンダは額に指をあてるようにして、軽く首を傾げる。
「北の方にあってな…川があって…山に囲まれてて……」
フレッドはあいまいに宙を見つめながら説明しようとするも、すぐに困ったように笑った。
「要領を得ないわね。ここから人の足でどれくらいかかるの?」
「ん~……10日か12日くらいじゃねえか?」
「ふうん……チョウコ村、って言ったわね。なにか目新しいものとか、珍しいものでもあるの?」
その問いに、フレッドの口元が一瞬緩む。
「おう! 俺たちの村にはな……っ!」
と、そこで言葉を飲み込み、あわてて両手で口を塞ぐ。
「……ヤベえヤベえ! 危うく秘密をばらすとこだった……フゥ~……お前、口が上手くなったなあ……!」
「え? 何のこと……?」
影が少しずつ長くなり、二人の背を重ねるように伸びていった。
その歩幅がぴたりと揃っていることに、どちらも気づいてはいなかった。
夜も更けかけた頃、フレッドは「山鷲亭」の木製の扉をくぐった。
宿屋の1階、食堂兼酒場からは、杯を打ち鳴らす音、笑い声、そして団員たちの活気に満ちた声が漏れてくる。
そこには焚き火のような温もりと、仲間たちと過ごす安心感があった。
「おう、フレッド! 明日から三日間の狩猟が決まったぞ!」
大声で手を挙げたのはトーマスだった。
長身の体を椅子に預け、どっしりと腰を据えて酒杯を傾けている。
その隣にはノエルやベガ、マリア隊の面々も席を囲み、木のテーブルには既に空になったジョッキと骨付き肉の皿が雑然と並んでいた。
「よう、もうそんな話がまとまってたのか」
フレッドは肩をすくめ、笑いながらその席へと加わった。
腰を下ろすと、グラスがすぐに差し出され、隣から酒が注がれる。
「一隊は僕が率いる。もう一隊はフレッドに頼むよ」
と告げたのはロイド。
食堂の奥にいたが、話を聞きつけて手を振りながら近づいてくる。
ロイドの声には信頼が込められていた。
「了解だ……で、内訳は?」
「僕の隊にリズ、ハイド、それと氷の刃隊。君の方にはトーマス、ノエル、ベガ、それからマリア隊を」
「なるほどな。午前と午後、二回に分けて山に入るんだったな」
「そう。ハイドは午前中だけ連れていく。無理はさせない」
フレッドも笑いながら頷いた。
「そうか。なら安心だ……でな、うちの親父の畑に植えたブルーベリーとラズベリー、今年にはもう実がつきそうだってさ」
「おお、それは上出来じゃねえか! この分なら俺の村のも心配いらねえな」
と嬉しそうに言うトーマスに、ノエルが柔らかく笑みを浮かべた。
「きっと、トーマスの家族たちも喜んでるわ。ブルーベリーのジャム、また作ってあげたくなるわね」
リズもにこやかに杯を口に運びながら言葉を添える。
「フレッド、メリンダから聞いてない? この村の畑を拡張して、村長宅を建て替えたいって」
「いや、聞いてねえな。なんだそりゃ」
ノエルが肩をすくめて言う。
「フレッドの実家を見て羨ましくなっちゃったんだってさ。あれを見たら誰だってうらやましくなるわよ」
「ったく……オスカーがいなきゃどうにもならねえ話じゃねえか」
フレッドが苦笑する。
「詳細は次回に詰めることになってる。着工は一年後が目途だって村長が言ってたよ」
ロイドが補足すると、トーマスがにやりと笑った。
「報酬も含めて交渉することになるな。フレッド、お前の出番だな?」
「おうよ、任せとけ。恩は売っておくもんだからな。ま、俺の交渉術で上手く立ち回ってやるさ」
場が一気に明るくなり、団員たちの笑い声と共に、酒場の空気はさらににぎやかさを増した。
窓の外に瞬く星々の下で、シャイン傭兵団の面々は明日の狩りとその先の未来に向けて、着実に歩みを進めていた。




