合意
山道を進んできたロイドたちの一行が最後の峠を越えると、視界が一気に開けた。眼下に広がるのは、山々に囲まれた中規模の村――キョク村だった。
整然と広がる木造の家々。
村を囲むように張り巡らされた防護柵は、太い丸太を何本も組み合わせて作られており、いかにこの村が外敵――とりわけ大型獣の脅威に備えてきたかを物語っている。
その外周を囲うように築かれた柵の最前部に、堂々と構えるのが高さ三メートルはあろうかという木製の門だった。
ロイドたちの幌馬車が門前に近づくと、槍を持った門番たちが三人、やや緊張した面持ちで立ちふさがった。
年季の入った布鎧を着ているが、肩に力が入っているあたり、傭兵団の一行に対して明らかな警戒をしているようだった。
「お、お前ら……シャイン傭兵団か?!」
先頭に立つ門番がやや声を震わせて問う。
「ええ、そうです。中に入れてもらえますか?」
ロイドが落ち着いた口調で応えると、門番たちは顔を見合わせた。
「ちょ、ちょっと待っててくれ! 村長のところに知らせてくる!」
一人が駆け出し、村内へ消えていく。
その直後、幌馬車の中から大柄な影がひょいと降りてきた。
「……何だよ、俺たちが来ちゃあいけねえのか?」
フレッドだった。
「フ、フレッド?!……いやいや、誰もそんなこと言ってねえだろ!」
門番は狼狽しながらも嬉しそうな表情に変わった。
「お前らなら大歓迎だぜ! ただし……一人一銅貨な!」
「村の大切な収入源でもあるからな」
隣の門番が茶化すように付け加えた。
冗談交じりだが、村の事情が垣間見える。
フレッドが肩をすくめて「ちっ、ちゃっかりしてんなあ」と呟いたその時だった。
「フレッドォ~~~~!!」
金切り声にも似た声が、村内から響いてきた。
振り向くと、一人の女性が勢いよく駆け寄ってくる。
「ああ……来やがったか」
フレッドは苦笑いしながら、半歩だけ後ろに下がる。
「よお、メリンダ。元気そうだな」
「帰ってきたのね! 私に会いたいがために!」
メリンダは一気に距離を詰め、フレッドの腕に抱きつきそうな勢いだ。
「……は? んな訳ねえだろうが」
フレッドは軽く身をかわしつつも、どこか照れたような目をしていた。
「またまた~! 照れちゃって~!」
まったく堪えていない様子のメリンダは、無邪気に笑いながらフレッドの胸元を指でつつく。
そのやりとりを見ていたシャイン傭兵団の面々は、笑いをこらえながらも視線を交わした。
門番たちはにやにやしながら、荷車の先頭に並ぶ馬を見やり、
「さあさあ、中へどうぞ。歓迎するぜ、シャイン傭兵団。」
キョク村の門をくぐり、宿を確保するまでの間――
「ノエル、リズ! 久しぶりね!」
笑顔で手を振りながら駆け寄ると、二人も気づいて顔を上げる。
「メリンダ、元気そうね」
ノエルが落ち着いた笑みで返す。
「フフッ、久しぶりね」
リズも軽く手を上げて応じた。
「……あれ? なんか二人とも、綺麗になってない……?」
そう言って、メリンダはじっと二人を見つめる。
眉を上げ、目を丸くして、やや驚いた表情を浮かべる。
リズはくすくすと笑いながら、わざと胸を張ってみせた。
「元々綺麗だったのよ、私たちは。ね、ノエル?」
「ええ、そうね」
ノエルは冗談を冗談として受け取りながらも、どこか誇らしげに微笑んだ。
「それは知ってるけどさ……でも、去年より綺麗になってる気がするのよね」
メリンダは腕を組んでしばし真面目にうなずくと、「後で何があったか聞かせてもらうとして……」と視線を巡らせた。
「今年も、害獣駆除をお願いしたいの。団長のシマは……今回は来てないのかしら?」
「この一行にはいないわ」
と即座に答えたのはノエルだった。
「責任者はロイドよ」
「……リズの彼氏ね!」
即座にニヤリと笑って茶化すように言うメリンダ。
リズは一瞬だけ唇を引き結び、すぐに肩をすくめた。
「そう呼ばれるのはもう慣れたわ」
「じゃあ、宿が決まったら村長宅まで来てもらっていい? 打ち合わせをしたいから」
「ええ、ロイドに伝えておくわ」
「……それにしても、随分と顔ぶれが変わったわね。去年とは違う。人もずっと増えてるし…シャイン傭兵団の噂、少しはこの村にも入ってきてるの。でも……」
メリンダは少し声を潜め、「……聞いてもいいのかしら? 何があったのか。どうしてこんなに……変わったのか」
その問いに、ノエルとリズはふと視線を交わした。
リズはすぐに柔らかな笑顔を浮かべ、
「ええ、後でゆっくり話すわ。話せることはね」と答えた。
メリンダは、ふっと表情を和らげ、
「うん。楽しみにしてるわ」と頷いた。
そのやりとりの傍らで、陽はゆっくりと傾き始めていた。
シャイン傭兵団の一行が荷を降ろす頃には、キョク村の宿屋「山鷲亭」の前に軽く人だかりができていた。
宿屋の主人――陽に焼けた顔に笑い皺を浮かべた。
肩幅の広い大男が、恭しく両手を広げて迎え入れる。
「よう来てくれたなぁ! 今年も害獣駆除を頼めるんだろう? 肉はぜひとも、うちに卸してくれよな!」
主人はすでに大商機を確信しているらしく、喜色満面だ。
その言葉を合図にするように、近隣の店主たちが続々と集まってきた。
食堂を営む女将、なめし革屋の職人、雑貨屋の青年――口々に「うちにもぜひ」「去年は大助かりだった」「あれだけの質と量は他にない」と、口説くように言ってくる。
「だからさ、まだ引き受けると決まってねえっての」
トーマスが苦笑まじりに手を挙げて言う。
「やると決まったら、ちゃんと均等に卸す。」
「ああ、わかってる、わかってるとも!」
主人たちは笑いながら引き下がりつつ、それでも期待の眼差しは向けたままだ。
宿屋は二階建てで、広めの通し部屋を備えており、シャイン傭兵団の三十名近くが一か所に泊まれる広さを持っていた。
フレッドは実家に顔を出してくるといいメリンダもついていく。
一階の食堂兼酒場では「さて……どうしようか」とロイドが呟き、杯に注がれた水を一口。
「お金にもなるし、いいんじゃないかしら?」
ノエルがすぐに答えた。
髪をかき上げながら、軽やかに頷く。
「去年と同じような条件であれば尚よしね」
リズは帳面を取り出してぱらぱらと捲り、前年の記録を確認している。
「僕も賛成だね。訓練がてら、ちょうどいいんじゃないかい?」
ユキヒョウは笑みを浮かべつつ、手元のナイフを器用に弄んでいる。
「そうね。連携の確認にもなるわ」
マリアは背筋を伸ばし、まっすぐロイドを見つめた。
「チョウコ村で鍛えた成果も見ておきたいな」
シオンが続き、頷くように周囲の団員たちも「うんうん」と同意する。
空気は既に「やる方向」で固まりつつあった。
「皆、賛成のようだな……」
トーマスが視線を一巡させてから、ふと口調を変える。
「キョウカさんは村に残ってもらうとして……ハイドはどうする?」
突然の名指しに、ハイドは肩をびくりと揺らした。が、すぐに拳を握って立ち上がる。
「ぼ、僕も行きます!」
その一言に、周囲が驚きながらも、どこか暖かい笑みを浮かべた。
「……そうか」
ロイドは少しだけ微笑み、頷いた。
「ただし、今回は午前中だけ同行してもらう。午後は宿で待機、無理はさせないよ」
「はい!」
ハイドは緊張を滲ませながらも、真っ直ぐロイドを見て答えた。
「ま、最初の一歩だ。期待しすぎず、しっかり吸収していけ」
とトーマスが声をかけると、他の団員たちも「頑張れよ」「迷ったら誰かに聞けよ」「俺の後ろに隠れててもいいぞ」と、それぞれ気楽な調子で声をかける。
「僕とトーマスで村長宅に行ってくるよ」
ロイドの一言に、数人の団員たちが頷きながら見送る中、ロイドとトーマスは連れ立って石畳の道を進んだ。
村の中心近く、古びたが手入れの行き届いた屋敷が目の前に現れる。
──キョク村村長・コモロフの屋敷だ。
重厚な木戸を叩くと、すぐに召使いらしき男が出てきて案内される。
ほどなく通された応接間。
窓から差し込む夕陽に照らされた室内には、木彫りの家具や狩猟用の槍、額に入った古い契約書などが整然と飾られていた。
「おお、シャイン傭兵団の……!」
笑顔で立ち上がったのは、年配の男、コモロフ村長。
ふくよかな体格に、銀の髭を湛えた、いかにも人の良さそうな人物だった。
「団長補佐のロイドです。こちらはトーマス」
ロイドが丁寧に頭を下げ、トーマスも手を挙げて軽く挨拶する。
「ロイドさんにトーマスさんですな……いやいや、そうだ、ロイドと呼ばせてもらいましょう。もう堅苦しい挨拶はなしにしよう」
「そうだぜ、村長さん。俺たち、去年一緒に酒飲み交わした仲じゃねえか」
トーマスが笑いながら言えば
「いやあ、そうでしたなあ……あの時は酔いつぶれて寝てしまった」
コモロフは豪快に笑った。
笑いの絶えない和やかな雰囲気の中、卓上に紙と筆記具が並べられ、話は本題へと進んでいく。
交渉内容は、ほぼ昨年と同じものだった。
三日間の狩猟任務。対象は狼、鹿、猪、そして熊。
狼・鹿・猪は一頭につき一銅貨、熊は一頭につき二銅貨。
肉や毛皮についてはシャイン傭兵団が自由に処分してよい。
売るもよし、村に卸すもよし、自分たちで消費するもよし。
ただし――
「村としては、あくまで駆除の対価を払うのみ。怪我をしようが、最悪命を落とそうが、その補償までは負いかねます。無理はなさらぬように」
村長がそう付け加えると、ロイドは真剣な表情で頷き、
「承知しております。こちらも自己責任で臨みます」
と静かに答えた。
合意書はすでに用意されていた。
ロイドが確認し、必要箇所に署名を行う。
トーマスも立ち合いのもと、しっかりと目を通していた。
その後、村長がふと筆を止めて問いかけた。
「この書面、公証役場にて正式に発行してもらったほうがよろしいかね?」
ロイドは一瞬だけ考える素振りを見せたが、すぐに首を振った。
「いえ、これで十分です。双方が合意のもとに交わした契約として、私たちはこれを信義に基づき守ります」
その言葉に、村長は目を細めてうなずいた。
交渉は滞りなく終わり、紙には双方の署名と印が並んだ。
手続きを終えたロイドとトーマスは席を立ち、村長とがっしりと握手を交わした。
交渉を終え、席を立とうとしたロイドに、村長・コモロフがふと声をかけた。
「……ちょっと、相談したいことがありましてな」
その口調は真剣というより、どこか人懐っこい響きを含んでいる。
「伺いましょう」
ロイドはすぐに腰を下ろし直し、穏やかに応じた。
それを見たコモロフは手をたたき、奥に声をかける。
「お客人に、お茶を頼むよ」
ほどなくして、湯気の立つ湯飲みと、木の皿に載った干し果実が並べられる。
香ばしい薬草の香りが、ほんのりと部屋に広がった。
「ふぅ……」
コモロフが一口啜り、ゆっくりと話し始めた。
「ジャガイモ……アレはいいものですなあ。子供から年寄りまで、みな好物でしてな」
彼は目を細め、どこか嬉しそうに笑う。
「おかげさまで、食料事情も少しずつではありますが、安定してきました。以前のような飢えの心配はずいぶんと減った。……それで、考えておるのです、畑を拡張してみようかと」
ロイドとトーマスが目を合わせると、村長は続けた。
「ただ……見ての通り、キョク村は防護柵で囲っております。大型の獣も出ますからな、これを広げるのも一仕事です。しかし、君たち――シャイン傭兵団なら、数日で整備してしまう力があるだろう?」
「まあ、できるな」
トーマスがあっさりと答えた。
コモロフはにんまりと笑みを浮かべ、頷く。
「すぐに、という話ではないのです。畑を広げるにしても、どの方向に拡張するのか、土地の名義をどうするのか、誰が耕作するのか……肝心な部分が、まだ詰まっておらん。ですが、一年後を目処に、整備に取りかかれればと」
ロイドは、茶を一口含みながら真剣な眼差しで耳を傾ける。
「君たちへの報酬のことも、きちんと話し合いたい。村の予算には限りがあるが……それでも、誠意をもって相談に乗りたいと思っております」
「ありがとうございます、村長」
ロイドが口を開く。
「今、僕たちはノルダラン連邦共和国の北方、チョウコ村という村を拠点にしています。そこも私たちが一から築いた村で、今では約四百名が暮らしています」
「おお……」
村長は目を丸くして感嘆の声を漏らす。
「そうそう頻繁にこちらへ訪れるのは難しいのですが、実は先日、ノーレム街と正式に取り引きを始めることが決まりました。年に二回、交易のために僕たちはノーレム街へ赴く予定です。次回は、半年後です」
「なるほどなるほど……それは渡りに船ですな」
村長は嬉しそうに手を擦り合わせる。
「では、半年後――合意ができるよう、こちらでも準備を整えておきましょう」
そこでふと、村長の口調がやや照れを含んだものに変わった。
「それと……これは厚かましいお願いかもしれませんが、私の家も――建て替えを考えておりましてな」
トーマスとロイドが顔を見合わせる。
「ギルバードの家を見て……いやあ、羨ましくなってしまいまして。ハハ……見栄だと言われればそれまでですが」
「見栄も必要です」
ロイドが笑みを浮かべて応じる。
「村長の家が立派であれば、村の印象も良くなる。それは誇っていいことです」
「ほう……そう言ってもらえると、気が楽になりますなあ」
コモロフは嬉しそうに頷いた。
こうして、ジャガイモの恩恵から村の未来、建築計画まで――お茶の香りとともに、穏やかで前向きな相談が静かに進んでいった。




