シュリ村の状況
ノーレム街を出立して4日目。
朝もやを割って進む一行の前方に、うっすらとシュリ村の屋根影が見えはじめていた。
新たに加わったキョウカとベガにとって、この数日間は、まさに“驚きの連続”だった。
まず目を引いたのは、シャイン傭兵団の行進そのものだった。
まるで一つの生き物のように進む。
背筋は伸び、視線は鋭く、だが互いの歩調を崩すことなく、足取りは一様にしっかりとしている。
「……相当、鍛えられてるな……」
ベガは思わず口に出していた。
情報屋として、これまで多くの傭兵団や軍を目にしてきた彼の眼から見ても、この統率の取れた動きには、ただの訓練ではない“信頼”の積み重ねが滲んで見えた。
道中の野営においても、感嘆は尽きなかった。
天候に恵まれない夜もあったが、団員たちはさして動じることもなく、濡れないテントを素早く展開し、染み込まないマントを羽織り、湿地でも脚が冷えないよう防水ブーツを履いていた。
背負い袋は軽く、水気を弾く加工がされており、荷物の中身も快適そのもの。
キョウカはその一つ一つを目にするたび、驚きの声をあげた。
「……これを考えついた人は天才だわ……!」
彼女は自らも職人として目利きに優れていたが、目の前の装備群には思わず敬服を示さずにはいられなかった。
一方のベガは、隙のない所作で火起こしや警戒任務に加わっていた。
その鋭い目の動き、自然な体重移動、気配を押さえた歩き方に、トーマスやユキヒョウ、リズたちも目を細める。
「……かなりの腕前だね」
「ただの情報屋じゃないな」
「うちの誰かとやらせてみてもいいくらい」
軽口混じりに評されるも、ベガは苦笑しながら火をくべていた。
食事もまた、印象的だった。
決して豪勢ではない。
しかし、朝・昼・夜、きっちり三食が供され、
手早く、栄養バランスに配慮された内容には「生きて帰る」ための意志が込められていた。
夜には、エール、ワインや果実酒がふるまわれ、団員たちは焚き火を囲んで穏やかに笑い合っていた。
その中には厳しさも、優しさも、長い旅路と戦いを共にしてきた者たちの深い“安心”があった。
4日も寝食を共にすれば、キョウカとベガの立ち居振る舞いにも自然と変化が現れ始めていた。
初日はわずかな距離を保っていた2人も、今では焚き火の輪に加わり、笑顔や軽口を交わすようになっていた。
ユキヒョウが渡したリバーシにキョウカが熱中すれば、マリアが「負けず嫌いね」とからかい、ベガが食後の番を代わろうとすれば、トーマスが「お前も今日は休め」と言って笑った。
そう――その輪に加わるということは、シャイン傭兵団の“仲間”として迎え入れられつつある証だった。
そしてシュリ村まで、あと少し。
朝靄の向こうに、小さく開けた人里の景色が、彼らを出迎えようとしていた。
早朝のシュリ村は、ひんやりとした空気に包まれていた。東の空には淡い朝焼けが広がり、湿った土の香りと共に、村の一日はゆっくりと始まりを告げようとしていた。
そんな中、約30人弱の傭兵たちと馬車5台からなる隊列が、土煙を上げながら村の入り口に姿を見せた。
村道に差し掛かった馬車の車輪が石を踏む音、馬の鼻息、武具のかすかな擦れる音が、まだ静かな村に響き渡る。
ちょうど農作業に出ようとしていた村人たちが、鍬や籠を手にしたまま、思わず手を止めて行進を見つめた。
その光景は明らかに「ただならぬ一団」ではあったが、彼らの顔に浮かんだのは驚愕ではなかった。
先頭を歩いていたのは、ロイド。
背筋を伸ばし、凛とした佇まいでありながら、どこか柔らかな空気を纏っている。
「ただいまー!」
朗らかに声を張ると――
「おお、ロイドじゃねえか!」
「おう! 今年も帰ってきたのか!」
「こりゃ今夜は宴だなァ!」
と、あちこちから喜びの声が返ってくる。
村人たちの顔がみるみるほころび、次々に手を振ってくれる。
子供たちは馬車の大きさに目を丸くしながら、「何人乗ってるの?」「武器が光ってる!」と騒ぎ出す。
シャイン傭兵団の面々は笑みを浮かべながら応えた。
フレッドやトーマス、ユキヒョウたちは、手を振ったりして歩く。
村の中央広場に到着すると、団員たちは手際よく動き始めた。
フレッドたち数名は宿屋へ向かい、残る者たちはテントを展開し始める。
そんな中、ロイドは当然のようにリズを伴って実家へと足を向けた。
手にはモレム街で購入した土産の包み。
大切そうに抱えながら、家の扉を開ける。
「ただいま!」
「ロイド……!」
母セリアの声が弾んだ。
包丁を持ったまま台所から駆け寄ってくる。
奥から父ダグラスの太い声が響いた。
「おお! ロイドか!? 1年ぶりか?!」
そして、背の伸びた少年――弟のハイドが階段を降りてきて、末っ子のミシェルは、ぬいぐるみを抱きしめたままぱちぱちと瞬きをしている。
家族全員が満面の笑みでロイドを迎え入れた。
「これ、皆に土産だよ」
ロイドはそれぞれに包みを差し出した。
ダグラスには酒。セリアには、布地や服、裁縫道具。
ハイドには、自分とお揃いのビロードのマント。もちろん濡れず、染み込まない加工済み。
「お、かっけぇ……! 本当に、兄さんと同じ……!」
少年の瞳がキラキラと輝いた。
ミシェルには、玩具と、ふわふわのぬいぐるみ。
「ロイドお兄ちゃん……ありがとうっ!」
声とともに、ミシェルが抱きつく。
リズがその様子を微笑ましく見守りながら、セリアと何やら談笑を始めていた。
やがて、簡素ながら温かな朝食が食卓に並ぶ。
ふかし芋、フライドポテト、ハムの焼いたもの、ミルクスープ――。
木の器に盛られたそれらを囲むロイド一家とリズの姿は、まるで長年そこにいたかのように自然だった。
食事の前、テーブルの向こう側から、妹のミシェルが口を開いた。
「ねえ、リズおねーちゃん、お歌教えて!」
「ええ、いいわよ。ご飯を食べ終わったら、一緒に歌いましょうね」
嬉しさを隠しきれないミシェルは、ほっぺを紅潮させてこくこくとうなずいた。
その様子を見ていた母・セリアが、スープをすくいながらロイドに目を向ける。
「ロイド、今回はどれくらい滞在できるの?」
少し肩をすくめながら、ロイドは穏やかに答えた。
「2日ほど滞在する予定だよ。」
セリアは一瞬、目を伏せ、それから寂しさを押し込めたような笑顔を浮かべる。
「……もっといてもいいのよ。家族なんだもの」
だが、その隣で父・ダグラスがどんと太い声を響かせる。
「これ、余り無茶を言うでない。ロイドにも予定というものがあるだろう。……さあ、食事をしよう!」
その場に和やかな笑いが広がる。
気遣いの言葉に、ロイドは軽く頭を下げた。
「ありがとう、父さん、母さん。……ただ、こうして帰ってこられて、本当に嬉しいよ」
セリアは微笑みながら、木のスプーンでふかし芋をひとつ掬い、懐かしむように語る。
「ロイドたちが教えてくれたジャガイモ料理、今では村に欠かせないものよ。今じゃ、子どもたちが喜んで食べるから、みんな工夫するようになったのよ」
ロイドは小さく笑いながら、目の前の温かい食卓を見渡した。
そこには、ただ懐かしいだけではない、時を経て育まれた確かな絆と、暮らしの変化の証があった。
そしてその横では、ミシェルがもう、食事を終えようと急ぎながら、リズに「どんな歌?ねえ、どんな歌なの?」と興味津々に身を乗り出していた。
春めく朝の光が、窓からそっと差し込み、テーブルの上にやさしく広がっていた。
食後、ロイドは父に向かって少し肩をすくめながら言った。
「父さん、今回は人数が多いんだ。宿屋だけじゃ足りないだろうから、広場の一角、貸してもらうよ。……事後承諾になってしまって悪いけど」
ダグラスは豪快に笑った。
「いいとも、いいとも! お前たちなら存分に使ってくれ!村の子どもたちも、傭兵団の姿を見たらいい刺激になる」
「兄さん、何人くらい連れてきたの?」
ハイドが目を丸くして尋ねる。
「30人弱ってところかな。馬車は5台だね」
「すげぇ……!」
ハイドは目を輝かせる。
家族の笑い声が弾ける。
その家の空気には、戦場で得るものとは違う――温かな絆が、確かに流れていた。
ロイドは椅子を少し引き寄せ、真っすぐに父・ダグラスを見つめた。
「父さん、聞きたいことと、報告があるんだけど時間はあるかな?」
ダグラスは椅子の背にもたれながら、すぐに頷いた。
「なんでも聞いてくれ! どうせ今日はもう畑にも出ん。客人たちも来てることだしな」
「ありがとう。まずは……この村の税収は小麦で払ってるんだよね?」
ダグラスは少し顎に手をやってから、深くうなずいた。
「ああ、そうだ。毎年決まった一定糧で払っているんだが……平年並みの出来なら六割。豊作で五割を下回るかどうかってとこだな。不作の年は……八割まで持っていかれることもある」
リズが眉をしかめ、ロイドは軽くうなずいてから次を問う。
「収めている貴族の名は?」
「ルイーズ・ド・ナヴァル子爵家だな。このあたりでは大きな名だ。この村を含めて三つの村と町を治めている」
するとセリアが椅子を立ちかけたまま補足する。
「シャウ村、ミュウ村、メーシン町よ。……小麦と一緒に布や革も送っているわね、村ごとに少しずつ違うけど」
「……なるほど」
ロイドはもう一つ踏み込む。
「飢饉の際には特別措置は……ないんだよね?」
ダグラスはしばし目を伏せた後、ゆっくりと首を横に振った。
「そうだな。一応、嘆願書を出すんだが……正直、受け入れられたためしはない。書式を揃えて何度も送ったが、返事すら返ってこない年もあったな」
「……そう」
リズが声を上げた。
「為人や風聞は? どのようにお聞きしていますか?」
ダグラスは腕を組みながらしばらく考えるように天井を見た。
「可もなく不可もなく……と言ったところか。あの方の領地内で一揆も事件も起きたことはない。かといって、何か村の役に立ったという話も聞かん」
セリアも少し考え込んでから言葉を続けた。
「いい噂も悪い噂も聞いたことがないわね。私たちとは、あまり接点がないから……申し訳ないけど、“よくわからない”というのが正直なところよ」
静かに、けれど確実に村の「静かな無関心」と「無力感」が浮き彫りになる会話だった。
ロイドは小さく息をつき、微笑を含ませて言った。
「ありがとう、父さん、母さん。僕たちがやるべきことが少しずつ見えてきたよ……報告があるんだ。けど、まずは聞いてほしい…ホルダー男爵家の次期リーガム街領主、マリウス・ホルダーさんと友好関係にあること。それから――シャイン傭兵団は、今やブランゲル侯爵家の後ろ盾を得ていて、強固な信頼関係を築いている」
最初に飛び出した大貴族の名に、両親の目が驚きに見開かれる。
「ゼルヴァリア軍閥国側について、ダグザ連合国と戦をしたこともある。そしていまは、ノルダラン連邦共和国――その中の“ハドラマウト自治区”にある“チョウコ村”という場所を貰い受けて、そこを拠点に活動しているんだ」
言葉の一つ一つがあまりに現実離れしていて、まるで物語の登場人物から真剣な顔で語られているような、そんな錯覚さえ覚える内容だった。
「……まぁ、だいぶ端折ったけど、大体こんなところかな」
ロイドが少し照れくさそうに笑うと、父のダグラスが口を開く。
「……おいおい……ロイド、お前、戦だの侯爵だの……そんなもんと本当に関わっているのか……?」
「ええ……ええ、ちょっと待って、ブランゲル“侯爵”って、あの王国が誇る国内最強の武人と呼ばれてるっていう……?」
母・セリアも半ば呆然としたまま、目を見開いていた。
だが――弟のハイドだけは違った。
「すげえ……兄さん、マジかよ……! 本当にそんなすごい人たちと肩並べてるのかよ……!」
目を輝かせたまま、椅子の上で身を乗り出すようにして兄を見つめていた。
「俺さ……いつも兄さんのことすげえなって思ってたけどさ、やっぱ本物だったんだな……!チョウコ村ってどんなとこ? 戦ってどんなふうに始まったの? ブランゲル侯爵ってどんな声してる!? 剣は!? 強いの!?」
矢継ぎ早に質問を浴びせるハイド。
興奮が抑えきれない様子で、小さな拳をテーブルの上でぎゅっと握りしめていた。
その姿にセリアは苦笑し、ミシェルはハイドの勢いに驚いたように目をぱちぱちさせていたが、やがてリズの膝でうとうとし始める。
「ふふ、ミシェルはもうおねむね。けれどハイドくんはすっかり目が冴えちゃったわね」とリズ。
ダグラスも頭を掻きながら、ため息のように呟いた。
「まったく……まるでお伽話の続きを聞かされたようだ。……いや、だが確かに、お前はずいぶんと頼もしくなった。シャイン傭兵団、か……」
静かな朝の空気に包まれて、家族の間にひとときの静寂が流れた。
それは、大きな報告のあとに訪れた、少しだけ温かな余白だった。