もう一つのスノードロップ?!
ロッベンが低く声を上げた。
「――あと二つほど報告がある」
団員たちの視線が自然と彼に向けられる。
ロッベンは、変わらぬ淡々とした口調で続けた。
「団員の何人かが、剣や槍を新調した。重量化と補強を意識したものが多い。鍛冶屋の腕も良い。耐久性は期待できそうだな」
「いい傾向ね。」と、ノエルが穏やかに応じる。
ロッベンは次の報告へ移る。
「もう一つ。情報屋兼鑑定士と名乗る男が接触してきた。名は名乗らなかったが、こちらの動向をかなり詳しく把握していた様子だった。……団長補佐たちが帰ってきたら、夕刻に顔を出すと伝言を残していった」
その言葉に、トーマスが少し眉をひそめる。
「情報屋兼鑑定士……? ああ、あいつか。以前一度だけ顔を見たことがある。」
「用件は聞いてるの?」
マリアが問いかける。
ロッベンは首を横に振った。
「いや。一方的に話して、こっちの反応も聞かずに去って行った。シオンが同行していたが……」
「確かに妙な奴だったけど、危険な感じはなかったな」
シオンも補足する。
「どんな用件か知らねえが、別に問題はねえだろ」
フレッドが背もたれに体を預けて言った。
「前にジトーが釘を刺しておいたって言ってたしな。俺たち相手に妙なことを仕掛けるほど、あいつも愚かじゃねえさ」
一同は頷き、特に警戒を高める様子は見せない。
もっとも、全員が心のどこかで警戒心の灯を消してはいなかった。
ロイドがその空気を切るように、すっと姿勢を正す。
「じゃあ、これからの予定を伝えます。明朝、出立します。シオンさん、ロッベンさん。団員たちと共に食材や物資の買い付けをお願いします」
「了解!」シオンとロッベンが同時に、軽快に応じた。
「僕たちは、これから武器屋に顔を出します。」
「特にこれといって必要なものは?」
シオンが肩越しに振り返って尋ねる。
ノエルがすぐに指を折って数えるように答えた。
「小麦粉に、調味料、それと油……果実酒を多めにお願いできるかしら?」
フレッドがすかさず口を挟む。
「欲望が混じってるな、それ」
「あら? 健康維持よ。保存も利くし」
ノエルがにっこり微笑むが、その目は冗談半分ではない。
そこへリズが軽やかに加勢した。
「エールも、もちろん多めに仕入れてきてもらうつもりよ? 夜営の楽しみは食後の一杯に尽きるのだから」
「それなら悪くねえな」
フレッドが笑い、肩をすくめる。
けれど、そのやり取りにはどこか和やかさがあった。
午後の陽が少し傾きかけた頃、石畳を踏みしめて武器屋の扉が押し開かれた。
「ようやく来たな!」
奥から現れたのは、鍛冶仕事で煤けたエプロンをつけた武器屋のオヤジだった。
顔には油と鉄粉が染み付き、口元には人懐こい笑み。
だがその眼差しは、職人としての誇りと気迫に満ちていた。
「待たせたな、店主。」
ユキヒョウが軽く会釈する。
「さあ、見せてもらおうじゃねえか」
トーマスが興味深げに前に出る。
「おう」とオヤジは、作業台の奥から長い包みを慎重に取り出した。
薄布にくるまれたそれを一息に解くと、姿を現したのは見事なバスタードソード。
刃は鈍く光を帯び、青味を帯びた金属のきらめきが美しい。
だが何より目を引いたのは、鞘に描かれた精緻な意匠だった。
冬の夜に降る雪――
その中に凛と咲く、純白のスノードロップの花が一輪。
その繊細な姿は、寒々しい背景の中にあって一層映え、その存在が静かに語りかけてくる。
「花言葉は“逆境の中の希望”……」
オヤジがぽつりと呟く。
「柄には薄青の革を巻いた。手になじみやすいはずだ。……それから」
柄尻の金具に、そっと指を触れる。
「……見えるか? 小さなスノードロップの彫金細工。こいつは特注だ。……お前さんに似合うと思ってな」
ユキヒョウがふっと目を細め、声を弾ませた。
「……いいねぇ。見た目は申し分なし。問題は……中身だ」
「だったら裏庭に行こうか」と、オヤジが即座に応じる。
裏手の試し斬り場へ向かう一行。
「よし、行くぞ」
フレッドが数本の木片を拾い、無造作に三つ投げ上げる。
――まず一本。
「カシュッ」
剣先が風を切る音とともに、木片が真横に断ち割られ、ふわりと二つに分かれて地面に落ちる。
――次、二本目。
「カシュッ」
今度は刃の中ほどで受け止め、見事なタイミングで両断。
――三本目。
「カシュッ」
刃の根元、最も力の乗る一点で――まるで吸い込まれるように、木片が断ち切られる。
静寂が満ちた。
断面は滑らかで、一切のひっかかりもない。まるで刃ではなく、水面に触れたかのような切れ味。
「……ふふっ」
ユキヒョウがにんまりと笑みを浮かべた。
その口元には満足と興奮、そしてどこか少年のような無邪気さすらあった。
「……まるで“自分の延長”って感じがする。振ってて、気持ちいいね!」
「へえ~、あんたにそこまで言わせるとはね」
マリアが感心したように目を細める。
「これなら“逆境”が来ても希望を斬り拓けそうですね」
リズが笑みを添える。
ロイドは黙ってその剣を見つめた。
“逆境の中の希望”――それはまさに、シャイン傭兵団の歩んできた道そのものだと感じた。
そして奇しくも、この剣の名はシャイン商会の開発したリンス剤と同じ、「スノードロップ」。
偶然か、必然か――この剣は、彼らにまた新たな物語をもたらすのかもしれない。
「……店主、良い仕事をしてくれた、礼を言う、ありがとう!」
ユキヒョウが満足げにオヤジに声をかけた。
「へっ、そりゃこっちの台詞だ。お前さんが使ってくれるなら、鍛冶屋冥利に尽きるってもんよ」
そう言って、オヤジは満面の笑みを浮かべた。
武器屋の裏庭には、刃と想いが響き合う静かな余韻が、しばらく漂っていた。
一同が試し斬りの余韻に浸っていると、ふとロイドが思い出したように声を上げた。
「ところで……キョウカさんは?」
その言葉に、何人かが軽く周囲を見回す。
武器屋のオヤジは「ああ、あいつならちょいと用があって出かけてる。……じきに戻ってくるさ」
ロイドが静かに頷くと、オヤジは続ける。
「それと――キョウカはお前らのとこに行くつもりらしい……ま、立ち話もなんだ。少し場所を変えよう。茶ぐらい出すさ。奥の部屋に通すから、こっちに来な」
鍛冶場には熱気と鉄の匂いが充満していた。
炉から立ち上る白煙、灼けた鉄を叩く弟子たちの手さばき、打撃のたびに跳ねる火花。
ガン、ガン、ガン――
槌の音が脈打つように響き、空間の隅々まで金属の響きを染み渡らせていた。
ロイドたち一行が通るすぐ横でも、若い弟子が黙々と鉄片を炙り、赤く染まった塊に何度も槌を振り下ろしている。
火花が跳ねても目もくれず、額から汗が滴り、炉の赤が彼の横顔を妖しく照らしていた。
オヤジが無骨な手で木扉を押すと――ガラリ。
金具の軋む音とともに、木戸が左右に開かれた。
その先に広がっていたのは、鍛冶場とはまるで別世界のような空間だった。
鉄と火の猛々しさとは裏腹に、そこには静けさと温もりがあった。
部屋の中には干された薬草のほのかな香りが漂い、気持ちを静かに鎮める。
壁には長年使い込まれた工具や、戦場で命を救ってきたであろう古武具が、丁寧に手入れされた状態で掛けられていた。
見る者が自然と背筋を伸ばしたくなるような、静かな敬意が宿っている。
床には毛織りの厚手の敷物が敷かれ、足音が吸い込まれる。
その模様はどこか東方を思わせる曲線で、淡い茶と藍の織りが落ち着いた調和を生み出している。
奥の棚には、手製の陶器や小さな木箱が整然と並び、どれも職人の手の温もりが宿った造形だった。
派手さはなくとも、ひとつひとつが語りかけてくるような存在感を持っている。
ノエルが少し驚いたように部屋を見回し、ふっと微笑んだ。
「……意外と、風情のある部屋なのね」
「言ってくれるじゃねぇか。見た目ほど無粋じゃないってことさ」
オヤジが笑いながら湯を沸かしにいく。
ほどなくして、奥からシューッという音が聞こえ、まもなく湯の沸く香りが部屋に広がった。
オヤジが急須と湯飲みを片手に戻ってくる。
その手つきは、まるで一つの仕事を終えたあとのように丁寧で落ち着いていた。
「さて――温かい茶だ。冷めないうちに飲んでくれ」
その声に促されて、ロイドたちは円卓のまわりに腰を下ろす。
ユキヒョウが静かに息をつき、マリアは袖を少しまくりながら湯飲みを手に取る。
茶の香りが鼻を抜け、緊張と熱気にこわばっていた身体が、ふわりとほどける感覚があった。
オヤジは湯飲みを配り終えると、一つ深く息を吐き、腰を下ろしながら静かに呟く。
「……さて」
目に見えぬ真剣な光が宿る。
「お前さんらにちょいと相談と伝えたいことがある」
その言葉に、部屋の空気がわずかに張り詰めた。
ノエルが目を伏せて湯飲みを置き、フレッドが静かに腕を組む。リズも背筋を伸ばし、表情を引き締める。
静まり返った部屋に、オヤジのくぐもった声が落ちた。
「お前さんらがこの街で情報収集してるのは……まぁ、耳にしてる」
鉄と火の喧騒から離れた部屋に、その低く地を這うような声が妙に響く。
ロイドは湯飲みに口をつけ、慎重に聞き入った。
「知ってるとは思うが、今、この街の領軍は弓兵をそろえようとしている。……俺のとこから卸してる“アレ”をな」
オヤジはわずかに体を前に乗り出す。
「……そうさ。お前らが持ち込んだ弓、領軍に売り渡している。チェスター伯爵様に頼まれてな」
その言葉に、フレッドの眉がピクリと動いた。
ノエルが湯飲みをゆっくり置き、マリアは少しだけ目を細めた。
「年に二回――卸してくれねえか。一回につき最低でも二十五張は欲しい。条件は、一張、三金貨だ」
室内に一拍の静寂が流れる。
誰もすぐには口を開かず、商談の重さをそれぞれの心で計っていた。
ロイドがゆっくりと視線を上げ、口を開いた。
「……出来上がったものを、僕たちの村でキョウカさんが目利きする、という形になりますか?」
オヤジは静かにうなずいた。
「そういうことだ。あいつの眼は確かだ。キョウカが“良し”と言うなら、こっちも安心して納品できるって寸法だ」
ちょうどその時だった。
「ただいまー」
軽やかで伸びやかな声が、奥の戸口から響いた。
振り返ると、柔らかな黒髪を揺らしながら、キョウカが部屋に入ってくる。
「ちょうどいいところに揃ってるみたいだね」
キョウカはそう言いながら、鞄から一通の封筒を取り出す。
赤い封蝋が押されたそれは、整った筆致で宛名が書かれた公文書だった。
「チェスター伯爵様からの書簡だよ。……ほら」
円卓の中央にそれを置くと、ロイドがすぐに手に取り、中身に目を走らせた。
文面は丁寧ながら、内容は簡潔だった。
要点は三つ――
一、弓一張につき三金貨の対価を支払うこと。
二、年二回の継続的な取引とすること。
三、キョウカによる検品を条件に、商隊の滞在費・旅費はこちらが全額負担すること。
それを確認し、ロイドは書簡を静かに置いた。
「……悪くないわね。むしろ、良い条件じゃない?」とノエルが言う。
その横でリズが少し目を輝かせる。
「チェスター伯爵様が相手だし、……この対価なら、十分よね」
「どうするんだ?」とフレッドが尋ねる。
ロイドは視線を皆に一度巡らせた後、静かに、だが確かな声で答えた。
「受けよう」
言葉に迷いはなかった。
「シマも、この条件なら喜んで引き受けるはずだわ」
リズが頷きながら微笑む。
ユキヒョウが腕を組み、口元に淡い笑みを浮かべて言った。
「……“希望の弓”か。シャインの名前が、また一つ広がる」
オヤジはそんな彼らを見ながら、湯飲みを手に取り、どこか誇らしげにうなずいた。
「お前らの弓が、誰かの盾にも矢にもなるならな」
トーマスがふと眉をひそめて口を開いた。
「……だが、この条件だと、オヤジさんとこの儲けがねえんじゃねえか?」
湯飲みに手をかけたオヤジは、少しだけ目を細め、顔に深い皺を刻み笑う。
「チェスター伯爵様とは長い付き合いだからな。それに――街の防衛力が上がるんなら、それに越したことはねえさ」
語る声は飾り気なく、しかし確かな重みがあった。
街と人を思う、職人としての矜持がにじんでいた。
その言葉に、誰も異を唱える者はいなかった。




