報告2
深淵の森を出て1週間後、ロイドたち一行はノーレム街に着く。
長旅の疲れはあるものの、皆の顔にはどこか安堵と達成感が浮かんでいる。
陽光は高く、まだ午前の気配。
石畳を踏みしめながら、彼らはモノクローム宿へと向かった。
「着いた……ようやく、か」
「ほんと、帰ってきたんだね」
木製の大きな扉を開けると、懐かしい暖かさと、香ばしいパンと香草スープの匂いが鼻腔をくすぐった。1階の酒場兼食堂には、数名の団員たちが集まっていた。
シオンが真っ先に顔を上げ、目を見開く。
「ロイド!ユキヒョウ隊長!……帰ってきたか!!」
ロッベンもすぐさま立ち上がり、両手を広げるように叫んだ。
「マリア隊長、お帰りなさい!!」
場の空気が一変し、団員たちが次々と立ち上がって、ロイドたちを出迎える。
ノエル、リズにも、リスペクトと安堵が混じった言葉が投げかけられ、ロイドとトーマス、フレッドは背中をばしばしと叩かれる。
「お前ら、ちゃんと金残ってんだろうな?」
フレッドが胡乱な目で問いかけると、シオンが笑って答える。
「無駄な散財はしてねえよ、まだ50金貨くらい残ってるって」
「なら上出来だ」
「とりあえず……飯と酒だ」
トーマスが口を開いた瞬間、酒場の奥から香ばしい香りが立ちのぼり、腹が鳴る音が次々と響く。
「君たち、この荷物を馬車に積んどいてくれないかい?」
ユキヒョウが背負い袋を下ろしながら声をかける。
「了解っす!」と返事をし、数名の団員たちが駆け寄る。
「慎重にね、ちょっと重いけどお願いね」
リズが声をかけると、団員たちは笑いながら荷物を慎重に受け取っていく。
やがてテーブルには、焼き立てのパン、ソーセージ、チーズ、肉の煮込み、香草の効いたスープ、大皿に盛られたサラダ、そして果実酒やエールの瓶が所狭しと並んだ。
「いっただきまーす!!」
号令のようなフレッドの声を合図に、ロイドたちは遠慮もなく手を伸ばした。
パンを千切ってスープに浸し、一口目で顔をほころばせる。
「……うまっ……いけるな!」
「このスープ、ハーブが効いてるわね……染みる……」とノエル。
トーマスは大鍋の煮込み肉を丸ごとすくって豪快に頬張り、ロイドは果実酒をひと口で流し込みながら、にっこりと笑う。
そんな中、意外にも豪快に飲み食いしている者がいた。
「……ユキヒョウ隊長……って、そんなに食いましたっけ?」
シオンが目を丸くする。
「マリア隊長も……だな」
ロッベンが同じく驚いた表情を浮かべる。
目の前で、ユキヒョウは三杯目のスープをすすりながら、パンを頬張っていた。
マリアもまた、一口ごとに「ん~っ」と声を漏らし、食事に没頭していた。
「食べられるときに食べる!飲めるときに飲む!シャイン傭兵団の鉄則でしょ!」
マリアが、少し酔いの入った笑顔で言う。
「その通りだよ」
ユキヒョウが頷きながら杯を掲げる。
「深淵の森から帰ってきた今だからこそ、わかる……生きて、戻ってこられたことが、どれほどありがたいことか」
フレッドがパンをちぎりながらニヤリと笑う。
「今は腹いっぱい食って飲む!それでいいじゃねえか!」
テーブルの端では、トーマスが大ぶりのソーセージをぶ厚い指でつまみ、豪快にかぶりつく。
ぷりっとした皮が歯を跳ね返す感触のあと、中からジューシーな肉汁が溢れ出す。
それを咀嚼しながら、口角を上げて言った。
「……お前らも、だいぶ俺らの流儀に染まってきたな」
その言葉に、向かいに座るロイドが穏やかな笑みを浮かべて応じる。
「僕たちは身体が資本なんだから。たくさん食べておかないと、いざという時に力が出ないと困るからね」
そのやりとりを聞いて、ノエルとリズが笑みを浮かべる。
ふたりは言葉こそ少ないが、手を止めることなく食事を進めている。
「これだけ元気なら、次も安心ね」
ノエルが品のある笑顔で静かに言う。
その声は、部屋の喧騒の中でもどこか落ち着いた響きを持っていた。
「それだけ、身体が欲してたのかもね」
リズが隣で続けた。その声には、ほんの少し安堵が混じっている。
彼女たちの動きは静かだが、皿の上の料理は着実に減っていた。
団員たちは笑いながら頷き、テーブルには笑い声と談笑が広がった。
食事が一段落し、団員たちの表情にもようやく安堵の色が滲んだ頃合いだった。
暖かなスープの湯気がまだ微かに漂う卓上で、ロッベンが背筋を伸ばし、静かに口を開いた。
「ロイド団長補佐。報告がある」
その声音にはいつもの皮肉や冗談めいた調子はなく、まっすぐで真剣なものだった。
ロイドが静かにうなずく。
「聞こうか」
ロッベンは周囲を一瞥し、他の団員たちの注意が自分に集まっていることを確認すると、低い声で語り始めた。
「この街で俺たちが集めた情報だが――この街を治めているヒュー・デ・チェスター伯爵、最近になってブランゲル侯爵家の一派に加わったらしい。元々は中立を貫いていた人物だったそうだ」
「……彼について、何か人となりは分かっているのか?」
問いかけたのはユキヒョウだった。
背を預けていた椅子から少し身を乗り出す。
「穏やかな人物だと聞いた。武勲に名を残したような武将ではないし、政治手腕に長けた策士というわけでもなさそうだ。ただ、誠実で、領民からの信頼は厚い……らしい」
ロッベンがそう言うと、ノエルが指を組み、眉根を寄せる。
「……その彼が、なぜ中立を捨ててブランゲル侯爵家に?」
ロッベンはわずかに目を伏せて答えた。
「……すまない。そこまでは掴みきれなかった。情報を提供した連中も、その理由については口を濁していた」
静かに息を吐いたのはトーマスだった。
「で、この街の軍事力はどれくらいある?」
「歩兵中心におよそ2000名。兵数だけ見ればそれなりだが、正直言って精鋭とは聞いた事がない。……ただ、気になる話を聞いた…最近、この街では弓兵の育成に力を入れ始めているらしい」
その言葉に、リズが目を細めて呟く。
「……もしかしてだけど、オスカーの弓が流れてるんじゃない?」
「十分にあり得るわね。あの弓は、腕さえあれば凶器になる」
マリアも同意するように言った。
シオンが懸念を口にする。
「……この街に、オスカーの弓をこれ以上卸すのは危険じゃないか?」
それに答えたのはフレッドだった。腕を組んで、肩をすくめる。
「問題ねぇだろ。お前らが使ってるやつに比べりゃ、数段劣る代物さ」
ノエルとリズが顔を見合わせ、やや肩の力を抜く。
「ええ、そのとおりよ。弓兵を育てるとなれば相応の時間がかかるわ」と、ノエル。
ロイドが指を一本立てて補足する。
「弓兵だけでは戦えないし、彼らを守る歩兵や、支援する部隊も必要になる。前衛が崩れたら、弓兵は的になるだけだ」
「矢が尽きたら『後は素手で』なんてわけにもいかねぇしな」
トーマスが茶化しつつも現実を語る。
「運用次第では、せっかくの強力な弓兵も意味をなさないわ」
リズが静かに続ける。
一瞬の沈黙の後、ノエルがふっと息をついて微笑む。
「……でも、ブランゲル侯爵家一派が軍事力を強化できるのは、悪いことではないわ。今のところ、彼らとは良好な関係にあるのだから」
ロッベンが少し身を乗り出し、念を押すように問う。
「シャイン傭兵団は……本当に、ブランゲル侯爵家とは懇意の仲なんだよな?」
その問いに、ロイドはわずかに微笑み、確信を持ってうなずいた。
「ええ。」
どこか飄々とした口調ではあるが、その瞳には確かな自信の光がトーマスにはあった。
「俺たちの力の一端を知ってるブランゲル侯爵が、敵にまわる……?ねえな」
リズが軽やかに続ける。
「それに――ブランゲル侯爵家の家紋が押された正式な書簡があるのよ。『シャイン傭兵団に対する信頼と支援を確約する』って、はっきり書かれたやつ」
その言葉に、ロイドたちがうなずく。
確かに、あの文書は単なる礼状ではなかった。明確な意思表示――それも、貴族として責任を伴うものだった。
「加えて、公衆の面前で堂々と宣言したでしょ『我がブランゲル家はシャイン傭兵団の後ろ盾となる』って。」
リズの声には誇らしげな響きがある。
フレッドが腕を組みながらぽつりと呟いた。
「俺たちは、あいつの判断に従うだけだ」
それは強がりでも、諦めでもない。
ただ淡々と、そして絶対の信頼をにじませた言葉だった。
「シマに全幅の信頼を寄せてるってことだね」
ユキヒョウが口元を緩め、優しげに目を細めて言う。
どこか嬉しそうでもあった。彼にとっても、シマは信ずべき仲間でもある。
そのやりとりを静かに聞いていたロイドが、柔らかく微笑みながら頷く。
「……そうですね。シマは悩みがあれば、必ず相談してくれます。決して一人で抱え込もうとはしません。」
その言葉に、場がふわりと緩んだ。
信頼とは、契約ではない。
誓約文以上に、日々の中で積み上げられてきたものだった。
そして――その信頼の中心には、いつもシマがいる。
ロイドたちの表情には静かな覚悟と、温かな自負が浮かんでいた。
暖かなランタンの光が揺れる中、ロッベンが地図の上に指を滑らせながら、低く落ち着いた声で口を開いた。
「次の情報だ。――アンヘル王国の第一王子と第二王子の仲が、かなり険悪な状況にあるらしい」
その一言に、場の空気がわずかに張り詰める。
「詳しいことまでは分からなかった。だが、内戦を避けようと、周囲の貴族たちは相当に気を遣っているようだ。中でも領地を持たない“法衣貴族”たち――要職についている連中は、必死になって両者の間を取り持とうとしているらしい……もっとも、最近じゃその法衣貴族たちも、ブランゲル侯爵家に取り込まれ始めているという話もあるがな」
「……つまり、第二王子が暴発しないよう気をつけながら、着々と影響力を広げてるってことかな」
ロイドが静かに応じた。
「ジェイソン様――がいれば、その辺りは抜かりなさそうね」
ノエルが頬杖をつきながらつぶやいた。
シオンが前へ身を乗り出す。
「構図としては、第一王子とブランゲル侯爵一派 対 第二王子とスニアス侯爵一派、ということか。東と西、二大勢力に分かれての睨み合いだな」
ロイドが目を伏せて言った。
「……僕の村も、フレッドの村も、トーマスの村も……もちろん、ブランゲル侯爵一派の勢力圏に含まれる。どうか、できるだけ穏便に済んでほしいと願うばかりだよ」
トーマスが苦々しい顔で鼻を鳴らした。
「ああ。戦になれば徴兵だ。…働き盛りの者がどんどん連れて行かれる」
「貴族同士で勝手にやり合ってくれりゃあいいのにな。」
フレッドはランタンの光を見つめながら呟くように言った。
ユキヒョウが苦笑を浮かべて、静かに応じる。
「……貴族から見れば、平民は“使い勝手のいい道具”ってところかもねぇ。命を燃やして動く、安くて壊れても代わりの効く道具さ」
誰も笑わなかった。
灯りの揺らぎが彼らの顔を照らす。
思い出すのは、かつて見送った幼馴染の背、家に帰ってこなかった親兄弟たちの名、そして焼け落ちた村の煙。
それでも彼らは目を伏せない。
シャイン傭兵団は、その理不尽の中で、ただ自分たちの意志で道を選び、進んでいる。
ロイドがそっと口を開いた。
「……だから、僕たちは目を逸らさず、見極めなければいけない。誰が何を企んでいるのか。どこに巻き込まれ、どこを守るべきか」
その言葉に、静かな決意が宿っていた。
彼らはただの傭兵ではない。
命を預かり、人の未来に関わる者として――確かな「選択」を背負う存在だった。
それはいつしか、「選ばれる側」ではなく「選ぶ側」になったことを意味していた。
最早、自分たちだけの問題ではなくなっている。
もう“家族を守る”だけでは済まされない。
自分たちがどこに立ち、誰の声に耳を傾けるか。
それが、遠くの村に生きる無関係な誰かの、生と死の境界線を作る。
その重さに、彼らは気づいている。
そして、逃げない。
なぜなら――「家族」として集った彼らは、「責任」を背負う覚悟を、いつの間にか分かち合っていたからだ。




