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光を求めて  作者: kotupon


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252/455

深淵の森

朝靄がゆっくりと晴れ、ノーレム街の東門が薄い金色に照らされる頃、ロイドたち七人は静かに出立の準備を整えていた。

街の通りはまだ活気を帯びておらず、ひと気もまばらで、馬車の音も遠くにしか聞こえない。


旅支度を終えたロイドは、革袋から金貨の入った小袋を二つ取り出し、仲間たちの前でシオンとロッベンに手渡した。

「37金貨と…こっちが40金貨。街での拠点維持と装備の追加調達、あと何かあったときのために使って」

「任せておけ」

シオンは袋の重みを手で確かめると、頷いた。

ロッベンは受け取った袋を腰のポーチにしまいながらニヤリと笑う。


「いいか、お前ら。娼館で使い果たすなよ?」

からかい気味に言うフレッドに、ロッベンはすかさず切り返す。

「お前と一緒にするな。俺たちは節度ってもんを知ってる」


「その節度ってのがどんなもんか見ものだな」

トーマスが肩をすくめて笑うと、ノエルとリズもくすくすと笑いを漏らした。


背後ではマリアとユキヒョウが背負い袋の紐を直し、支度を終えた様子で近づいてくる。


ノーレム街の門を抜けると、旅の本番が始まった。

道はやがて石畳から土に変わり、徐々に木々が増え、街の喧騒が遠のいていく。


ロイドたちが目指すのは、深淵の森の中にかつて存在した、彼らの“家”だった。

道のりは長く、徒歩で6日、状況によっては7日を要する距離だ。

できれば6日で着きたい――ロイドはそう考えていた。


理由は明確ではない。ただ焦っているわけでもない。

森の中での移動は慎重を要するし、仲間を無理に急かすつもりもない。

ユキヒョウもマリアも、長距離の徒歩旅に慣れているとは限らないのだ。


それでも、心のどこかで、早く帰りたいという想いがじんわりと燃えていた。

冷えたエール、果実酒、馬乳酒。熱い風呂。

それだけではない。

シマたちの声が聞きたい。馬鹿な話で盛り上がり、大騒ぎする。

サーシャの小言を聞きたい。エイラが商売について生き生きと話す顔。ミーナの料理の匂いを感じたい。

ケイトが冗談を言ってメグが真顔で突っ込む、そんな日常が恋しかった。


ロイドだけではない。


トーマスは歩きながら空を見上げ、ぽつりとつぶやく。

「もう、何日もあいつらの顔見てねえな…」


フレッドは黙ったまま背負い袋を肩にかけ直し、しかしどこか急ぐように歩みを早めている。


ノエルとリズは並んで歩きながら、時おり小声で何かを話してはふと無言になる。

どこか気持ちが先を急いでいるようだった。


ユキヒョウは静かに周囲の気配を読みながら歩き、マリアは慣れぬ道でも疲れを見せず、背筋を伸ばしていた。

彼らなりに、この旅の空気を感じ取っていたのかもしれない。


空は高く、風は乾いている。

春先の空気が、どこか帰郷を促すように背を押してくる。


この道の先にあるものは、たしかな目的地であり、また“ただいま”と言える場所。

そんな思いが、七人の背中を少しだけ軽くしていた。



雲ひとつない晴天の下、一行はノーレム街を発ってから4日目の昼過ぎ、ついに深淵の森の手前まで辿り着いた。

道中は順調だった。大きな怪我もトラブルもなく、天候にも恵まれていた。

背負い袋の重さにも慣れ、足取りは軽くさえある。


深淵の森の入り口は、まるで世界そのものが断ち切られたかのような暗がりだった。

陽の光は森の外では燦々と降り注いでいたが、木々が重なり合い、幾重にも影をつくるその内部には、昼だというのに仄暗い気配が漂っていた。


ロイドたちは道端に腰を下ろし、束の間の休息を取りながら水を飲み、装備の確認をする。


ここまでの道中では歩きながら、フレッドはちらりと視線を横に向けた。


ユキヒョウの足取りはしっかりしている。

さらに視線を後方に向けると、マリアもまた静かに歩きながら、周囲に気を配っているのがわかった。

彼女の背筋は凛としており、決して弱さを見せない。


「大丈夫だよ。このくらいのペースなら余裕だよ」

そう言って笑うユキヒョウの表情には、まだ余力があることがはっきりと現れていた。


「そうね。あまり気を使ってもらうのも気が引けるわ」

マリアも口元に静かな笑みを浮かべながら、続ける。

「なんてったって、この中では私が最年長なのよ?」


森の前に立ち、黒く口を開けるその入り口を見上げながら、ユキヒョウがつぶやく。

「……ここが、深淵の森……!」


その言葉に応じるように、マリアが慎重な面持ちで呟く。

「……ごくっ……奥が見えないわね。まるで、闇に吸い込まれそう」


思わずノエルがくすっと笑いながら言った。

「ユキヒョウさん、マリア、そんなに緊張しないで。私たち、ちゃんと一緒にいるから」


そのやり取りを聞いて、フレッドが感慨深げに呟いた。

「……なんか懐かしいなぁ」


「……ああ、ほんとだな」

トーマスが頷き、少しだけ遠くを見るような目をする。

「で、隊列はどうする?」

問いかけるトーマスに、ロイドが周囲を見渡して即座に応じる。

「先頭にトーマス、次にフレッド、ノエル、マリアさん、ユキヒョウさん、リズ、最後尾が僕で行くよ。慎重に、でも間隔は開けすぎないように」


「了解!」

トーマス、フレッド、ノエルが即座に返事をし、リズも静かに頷く。


風が止まり、森の入り口には音ひとつない静寂が広がっていた。

ただ、ひんやりとした気配だけが、肌にまとわりついてくるようだった。


ロイドは背中の剣の感触を確かめ、前を行く仲間たちの姿に目を向けながら、心の中でつぶやいた。


――さあ、帰ろう。深淵の森の中にある、あの“家”へ――。

深淵の森――かつて彼らが絶望の淵から、力を合わせ、そして再び生きる希望を手に入れた場所へ。


深淵の森に足を踏み入れてわずか数分、空気の質ががらりと変わった。


(……暗い!)

ユキヒョウは目を細めながら、深い森の中を歩く。

(……それに、急激に温度が下がったと感じるのは気のせいか……?)

肌に触れる空気が冷たい。

昼間の陽射しは木々の隙間からかすかに射し込んでいるが、ほとんど地上には届かず、周囲はまるで夕暮れのような薄闇に包まれていた。


(見通しも悪い……神経を研ぎ澄まさなければ……!)

ユキヒョウは無意識に手を柄に添えながら、静かに息を吐いた。


マリアもまた、無言のまま周囲を見回していた。

(……! 空気が重く感じるのは気のせいかしら?)

鼻腔に湿った土と苔、そして朽ちた木の匂いが入り込む。

(昼でこの暗さ……夜になったらどうなるのよ!)


足音が、やけに大きく耳に響く。

(……足音がこんなに……私とユキヒョウだけが……!)

それだけ、この森が静まり返っているということだった。


トーマスは前方を進みながら、慎重に風の流れを読む。

風上に立たぬよう、足取りはあくまで冷静に。

敵にこちらの匂いを嗅がれることを、彼は本能的に警戒していた。


ロイドは後方から全体の様子を見ていた。

ユキヒョウとマリアの緊張は明らかだった。

だが、それは仕方のないことだった。


この森は異様だ。

枝葉は乾いておらず、少し踏むだけでぐしゃりと湿った音を立て、雪を踏む足音もよく響く。

これをゼロにするのは、たとえ熟練者でも難しい。


二時間ほど歩いたところで、トーマスは軽く手を挙げて立ち止まる合図を出した。


「小休止にしよう」


一同は周囲を確認しながら、地面の開けたやや乾いた場所を選び、荷を下ろして腰を下ろした。


「お前ら緊張しすぎだろ。汗びっしょりじゃねえか……」

フレッドが片眉を上げて、いつものように茶化すような口調で言った。


ユキヒョウとマリアは思わず顔を見合わせ、自分の額や首筋に汗がにじんでいることに気づく。

張り詰めた空気の中、無意識に緊張していたのだ。


「……ほんとだ、気づかなかった」

「……私も。まったくね、年甲斐もなく……」


それを聞いて、リズが柔らかく微笑む。

「もう少し、気楽にいきましょうよ。こういう時こそ、心の余裕が大切よ」


「そうだぜ、俺たちがついてるんだ」

トーマスも肩を軽く叩くようにして言った。

彼らの声が、ほんの少し空気の重さを和らげたその時――


――アオォォォン……


遠く、森の奥から風を裂くような狼の遠吠えが響いた。


一行の誰もがぴたりと動きを止めた。耳を澄ませ、方向を探る。


「……今の感じだと、距離はかなりあるわね」

ノエルが慎重に口を開いた。


だが、フレッドが静かに、だが真剣な表情で呟いた。

「……だが気づかれたっぽいな。あいつらは嗅覚、聴覚が普通じゃねえからな。この森の狼はな……獲物を遠くからでも察知できる」


視線が自然とロイドに集まる。

「どうする?」


ロイドは黙って数秒、自分たちの位置と地形、気配の向き、皆の疲労具合を照らし合わせたあと、落ち着いた口調で言った。

「……余計な戦闘は避けるべきだね。向こうがこちらをまだ探っているだけなら、無理に刺激しない方がいい。距離を取って進むよ。もし、それでも向こうから仕掛けてくるようなら――」


彼は静かに目を細めた。

「その時は、迎え撃つ」


一同は力強く頷き、再び歩き始める。

その足取りには、静かな決意が宿っていた。森の静寂の中を、淡く光る覚悟と共に――。


深淵の森、夜――

空を覆い尽くす樹冠のせいで月明かりすら届かず、漆黒の闇が一行を包み込む。

視界はわずか数メートル先が限界。耳を澄ませば木々の軋み、枝から落ちる雪の音、遠くの獣の鳴き声が微かに響く。


常人であれば立っていることすら怖気づくこの空間で、シャイン傭兵団の面々は沈黙の中で息を殺していた。


先頭にいたトーマスが、不意にぴたりと立ち止まり、ハンドサインで『止まれ』と伝える。

その手の動きは簡潔かつ明快で、後続の者たちは即座に対応。目と目を合わせ、表情とボディーランゲージで状況を探る。


トーマスが指で『付いてきてるか?』

ロイドが短く頷き、『おそらくな』と返す。

ノエルが静かに左右を見回し、『どの方向から?』の問いに応じるように、ロイド、トーマス、フレッド、ノエル、リズの五人が同時に同じ方向――北東の闇の奥――を指差した。


その瞬間、ロイドの指が静かに動き、フレッドに向けて『偵察を頼む』と伝える。

『了解』とフレッドも静かにサインを返すと、背負っていた袋をそっと地面に下ろし、音もなく一陣の風のように飛び出した。

雪と土を踏む足音すら聞こえない。

フレッドの姿は闇に溶け、すぐに視界から消えた。


その間にロイドたちは即座に行動を開始。

ノエルとリズが手際よく火を興し、薄暗い焔が辺りをぼんやりと照らす。

焚火はあえて控えめに、煙を上げないように調整されていた。


ややしばらくして――

「ピッ、ピッ!」

鋭い指笛が二度、木々の合間から響いた。

すぐにフレッドが黒い影のように戻ってくる。

彼のハンドサインが告げる――『距離200メートル、3頭。偵察隊』


焚火の近くで、ロイドは腰から燻製肉を取り出し、それを火に炙る。

濃い香りがゆっくりと漂い始め、獣たちの嗅覚を誘導する罠となる。

その場からやや離れた位置に移動し、息を潜めて構える。


ノエルとリズはすでに超強弓に太い矢を番えていた。

弦の張りが尋常でないことを物語る弓は、彼女たちの鍛え上げられた腕でなければ引き絞れない。


しばらくして――森の闇から音もなく現れた2頭の狼。


(……でかい!!)

ユキヒョウとマリアは内心で息を呑んだ。

普通の狼を遥かに超える巨体、灰と黒の斑毛、冷たい光を放つ瞳。

もう1頭は距離をとった後方で、周囲を慎重に伺っているのが分かる。


ロイドのハンドサインが飛ぶ。

『ノエルは右、リズは左の狼を狙え』

『フレッド、出来れば後方の狼を仕留めてくれ』

『了解』


太い矢が放たれたと同時にフレッド、トーマス、ロイドが弾丸のように飛び出す。

――ズン!! ズン!!

瞬時に2頭の狼の胴体を貫いた。

うめき声を上げる間もなく、狼らは地に倒れる。


フレッドは両手に「グラディウス」――短剣より長く、剣より重い双刃の剣を抜き、獲物を定めて一直線に駆ける。

トーマスはカイトシールドを左腕に、右手にはウォーハンマー。

ロイドはグレートソードを構え、迷いなく踏み出す。


矢に射られた2頭の狼は倒れながらも僅かに動いていた。

だが、トーマスのウォーハンマーが一撃で頭蓋を砕き――

ロイドのグレートソードは喉を一閃、耳の横から刃を突き刺し、返すように引いて血飛沫を上げる。


フレッドは一切振り返らず、奥の一頭――逃げに転じた狼を追う。


木々の間を縫い、低く、速く、風と共に駆ける。

しかし――速い。

相手もまた、深淵の森で鍛え上げられた生存者。

フレッドの脚力をもってしても、追いつくのは至難だった。


(……くそッ!こいつ……)


だが彼は諦めず、一定の距離を保ちながら追い続ける。

深追いしすぎれば群れに引き込まれる危険がある。

そのことを知っているがゆえ、頃合いを見計らって森の影に消え――音もなく戻ってきた。


「……逃げられた」

唇を噛みながらも冷静にそう呟くフレッドに、ロイドは軽く頷いた。

「無事で何より。十分すぎる働きだったよ」


森は再び静寂に包まれた。

血の匂いと、狼の死骸。

そして、闇の中に微かに揺れる火の光が、一行の緊張と覚悟を照らし出していた。

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