出立
――日が暮れ始めたチョウコ村の広場には、かがり火の赤々とした灯りがいくつも揺れていた。
まだ4月。
場所によっては雪が残る気温にもかかわらず、ここだけは熱気に包まれている。
広場の中央、簡易に組まれた木製の長テーブルの上には、ありとあらゆる料理が並べられていた。
肉。魚。野菜。パン。果物。
特製のハンバーグは三種――チーズイン、煮込み、そして香ばしく焼かれた王道のハンバーグ。
それに麺料理として仕立てた「ラーメンもどき」。
揚げたてのカツ。フライドポテトにポテチ。
だし巻き卵と、出汁が凝縮された熱々のスープ。
キンキンに冷えたエール、香り高い果実酒、馬乳酒、子ども用のジュースやシャリシャリに凍らせたジェラートまで。
「見てろよ、まずこうやってパンを半分に割るだろ?」
ザックが立ち上がり、鉄の掟傭兵団の若い団員たちに手ほどきを始める。
「そこにチーズインハンバーグ! それからこのスライス野菜! ソースはたっぷりだ!」
ザクッとパンで挟み込むと、にやりと笑って――
「これがハンバーガーだ! いいか、かぶりつけ!」
ガブリッッ!!
「うっっま!!」
「え!? なにこれ!? 肉汁すげぇ!!」
「ハンバーガー?って食いもんなのか!?」
歓声が上がる。
「で、流し込むのはこれだ!」
ザックはエールを高々と掲げ、一気に煽る。
ぐびっ、ぐびっ、ぷっはぁぁぁっ!と息をつくと
「これがセットだ! 肉とパンと酒で、命が蘇る!!」
「よっしゃ真似すっぞ!」「俺にもパンくれ!パン!」
周囲はたちまち模倣する者たちで賑わい、次々と“自家製ハンバーガー”が誕生していく。
一方、ヤコブはラーメンもどきの鍋の前に鎮座していた。
「いいかの、これが麺、こっちはスープ……で、トッピングだが、好きなものを選ぶのじゃ」
肉、魚、刻み野菜、玉子、果物(!)まで並んだ具材から、思い思いに選びながら、「ワシはこの塩魚と山菜を……いや、少し肉も……」と真剣そのもの。
完成した一杯を、そばで見ていた鉄の掟の団員たちに見せる。
「これがワシの“ヤコブ・スペシャル”じゃ! まろやかさと塩味が絶妙じゃぞい!」
「おおお……!」「すげぇ、ラーメンって奥が深いな!」「俺もやってみたい!」
さらに視線を移すと――
「えっ、すごい! なにこれ? 肉汁があふれてくるっ!」
シャロンがチーズインハンバーグに驚きの声を上げている。
「こっちの魚もすごいわよ!」とナミが笑いながら言葉を重ねる。
「旨味?っていうの? なんていうか……とにかく、すごい美味しいわ!」
そして果実酒をぐいっと飲み干し、目を閉じて――「ん~~~っ!最っ高!」
「おかーさん、この卵、おいしいよぉ~!」
クライシスが両手で持った卵焼きをぱくぱくと頬張っている。
あちこちで鉄の掟傭兵団たちが大騒ぎだ。
「お前ら! 肉ばっか食うなよ! 野菜も果物も食え!」
ジトーが皿を持って団員たちに声を張る。
「ほら、このリンゴな、凍らせてジェラートにしたやつだ。これがまた甘くてうまいんだよ!」
「お前らこの煮込みなんちゃらって肉料理、食ってみろよ! めっちゃ美味いぞ!」
「いやいや、このカツってやつ、やべぇだろ!」
「ばっか、スープ飲んでみろよ! 出汁?ってやつが……溶け込んでる……!」
味覚の喜びが連鎖し、笑い声が絶えない。
夜が更けるにつれ、広場の気温はぐっと下がってきた。
だが、かがり火と人々の熱気はそれを完全に打ち消していた。
火を囲んで肩を叩き合い、皿を分け合って笑い合う。
その光景を、少し離れた場所からシャイン傭兵団や先の移住組たちが温かく見守っていた。
エイラがそっとサーシャに囁く。
「……いい宴だね」
「うん。ほんとに」
火の粉が舞い、笑顔が夜空に咲いた。
まるでこの広場そのものが、巨大な祝福の焚き火のようだった。
肉の脂が滴るチーズインハンバーグをがぶりとかじったライアンが、不思議そうに唸った。
「お前ら……いつもこんな飯ばっか食ってんのか?」
その問いに、すぐさまクリフが笑いながら返す。
「まあ、大体こんなもんだな。今日はちょっと料理の数が多いがよ」
「大体、こんなもん……だと……?」
ライアンは信じられないものを見る目で、再び手元のチーズインハンバーグに目を落とす。
その横で、顔に驚きがこびりついたままのデリーがぽつりと言った。
「俺は……こんなに美味い肉料理、食ったことがねえ……。ハンバーグ、だっけ……? これ、すげえよ……」
「シマが言ってたぜ。料理ってのは工夫次第なんだってさ」
頷いたのはオズワルド。
「食材が一緒でも、切り方、焼き方、盛り付け方、ひと工夫で全然違うもんになるってな」
「プリン、カツ、ラーメン……。名前も聞いたこともねえもんばっかだったけどよ」
マックスが、まだ半信半疑な顔でスプーンをくるくる回しながら続けた。
「どれもこれも……めっちゃ美味ぇんだよなぁ……!」
「俺らも最初はあいつに驚かされてばっかだったよな」
ダグが肩をすくめて、隣の団員たちに笑いかける。
「そのうち慣れるさ」
まるで通過儀礼だとでも言うように、デシンスが言った。
「いちいち驚いてたんじゃ……」
「「「身が持たねえ」」」
ギャラガ、ドナルド、キーファーの三人が息ぴったりに続け、どっと笑いが起こる。
「ワハハハッ!!」
「僕たちは明日から数日間チョウコ村を離れますけど、グーリスさん、よろしくお願いしますね。」
オスカーがいつもの落ち着いた笑みを浮かべながら軽く頭を下げる。
グーリスが眉を下げて肩を竦めた。
「……俺ぁ、まだ右も左もわかんねえがな……ま、任せとけよ。村の留守番くらい」
そんなやり取りをそばで聞いていたメグが、にこりと微笑んでひとこと。
「オズワルドさん、ちゃんと対応してくださいね?」
「……うっ」
少しだけたじろぎながらも、オズワルドは胸を張った。
「出来る限りのことはやると約束するぜ、メグ嬢」
「まあ、あいつがいりゃあ問題ねえだろ」
クリフがあごで示した先――
そこでは、火を囲む子供たちの笑い声の中心で、シマがジェラートを作っていた。
大鍋に詰められた果実のペーストを木のスプーンで混ぜ、氷塩で即席冷却した大きなボウルに丁寧に流し込んでいる。
周囲には氷を入れた桶、塩、撹拌用の棒――完全に野戦式即席ジェラート製造場と化していた。
「よーし、次! 混ぜる係、誰だ?」
「はーい!」「やるー!」「ぼくもぼくも!」
子供たちが手を挙げて次々に前へ出てくる。
シマは頷いて笑い、棒を渡してひとりずつ交代でかき混ぜさせた。
「しっかり底からな。そうそう、そうやってゆっくり……冷えるとシャリシャリになるからな」
「ほんとに~?」「うそじゃない~?」
「うそじゃねえって。見てろ――……ほら」
シマが木匙ですくったジェラートをひとくち、味見役の少女に渡す。
「……! おいしい!!」
歓声があがった。
「じゃあお前ら全員の分、頑張って作るぞ!」
「「「おー!!!」」
額に汗を浮かべながらも、シマの表情はとても穏やかだった。
彼の手から次々と生まれる甘く冷たいジェラートは、この宴の終わりを締めくくるもうひとつの宝物となっていた。
朝霧が薄く立ちこめるチョウコ村の広場。
昨夜の喧騒がまるで夢のように静まり返ったこの場に、出発の準備を整えた馬車と馬がずらりと並ぶ。
荷を載せた幌馬車が20台。
干し肉や保存食、衣料、書簡、交易用の布など、幌の中には整然と物資が積まれている。
馬たちの鼻息が白く立ち、蹄が時折カツンと地を鳴らす。
空は澄みきった青で、まだ昇りきらぬ朝陽がうっすらと大地を照らしていた。
村の入り口では、見送りの面々が揃っている。
シマは出発を控えた仲間たちの前に立ち、ひとりひとりに拳を差し出す。
「それじゃあ、お前ら気を付けてな」
ジトーが笑って拳を合わせる。
「あいよ、気張ってくるぜ」
クリフは無言で力強く、ケイトは穏やかな笑みとともに。
ザックは軽く跳ねるように拳をぶつけ、「行ってくっからな」と声を弾ませる。
ミーナは真っ直ぐな瞳でこつんと拳を重ねた。
デシンスとは短くも信頼のこもった一撃を交わし、キーファーには「派手にやらかすようなことがあったら諫めてくれよ」と笑いかける。
そしてティアには「無理するなよ。デシンスの言うこと、ちゃんと聞けよ」と優しく声をかけた。
ティアは真剣な面持ちで頷き、「はい!」と答える。
キーファー隊もデシンス隊も、それぞれの隊長を先頭に、緊張と誇りを胸に馬車へ向かっていった。
冷たい春の風が吹く中、シマの温かな眼差しが皆を包んでいた。
「それじゃあ、出発するぞ」
ジトーが手綱を引きながら言った。
同行するのは、クリフ、ケイト、ザック、ミーナ、そして精鋭のデシンス隊とキーファー隊。
馬車は7台、馬も7頭。
向かう先は――アンヘル王国、城塞都市カシウムとリーガム街。
北側の門の前にはより大規模な隊列が控えていた。
サーシャ、エイラ、オスカー、メグを中心に、灰の爪隊、ダグ隊、ドナルド隊。
馬車13台、馬18頭。
目指すは北方の平原を越えた交易地――スレイニ族との交渉の地。
その一方、バンガロー内で――
「あっ……頭いてぇ……」
「い、痛てて…」
「うう……水……水を……」
「ウえっぷ…飲みすぎたわ…」
「昨日の酒……旨すぎた……罪深ぇ……」
昨夜、飲みすぎた鉄の掟傭兵団の面々や関係者は、ことごとく見事な二日酔いでふらふらになっていた。
それを見たシマは苦笑いしながらも、「まあ、宴の成功の証ってとこだな」とつぶやいた。
スレイニ族との交易へ向かう一団を順に見やった。
冷たい風が吹くなか、笑みを浮かべてまずはサーシャに声をかける。
「それじゃあ、サーシャ。気を付けてな」
するとサーシャは、片手を腰に当ててふっと笑い、「私がいないと寂しいでしょう?」と冗談めかして返す。
シマは少し肩をすくめて、「ハハ…そういうことにしておこう」と苦笑しながら受け流した。
次に視線を移し、「エイラ、交渉事でスレイニ族をあまり困らせるなよ」と声をかける。
エイラは少し眉を上げて、「その辺の見極めはちゃんとするわ」と落ち着いた口調で答える。
「オスカー、お前が興味を引いたものがあれば購入してこいよ。それと——楽しんで来い」
シマの声に、オスカーは嬉しそうに頷き、「メグと一緒に楽しんでくるよ」と目を輝かせた。
その隣でメグが手を振ろうとした瞬間、「メグ、お前は寝相が悪いからな。風邪ひくなよ」と茶化すように言うシマ。
「お兄ちゃん!いつの話よ!」とメグは頬を膨らませながらも、照れくさそうに笑った。
そして最後に、ギャラガ、ダグ、ドナルドへ向き直り、少しだけ声を低くして言う。
「ジーグから目を離すなよ。頼んだぞ」
三人は揃ってうなずき、ギャラガが「任せとけ」と頼もしく胸を叩く。
やがてシマの視線は、一人の小さな少年に向けられた。
ジーグ、9歳。スレイニ族との交易隊の最年少。
幌馬車の横で、やや大きめの背負い袋を背負い、緊張した面持ちで立っていた。
シマがしゃがんで目線を合わせ、優しく声をかける。
「ジーグ、いいか。つらくなったり気分が悪くなったら、遠慮なく言うんだぞ。それと、欲しいものがあれば、サーシャたちにちゃんと言えよ。」
ジーグはきゅっと唇を引き結び、力強く頷いた。
「……はい!」
その後ろで、妹のシンジュがちょっと拗ねたように叫ぶ。
「おにーちゃん、おみやげ買ってきてね!!」
「わかったよー!」
ジーグは照れくさそうに返事しつつも、胸を張って歩いていった。
その姿を見守りながら、シマはダグに言う。
「……頼むぞ、ダグ」
「任せとけ」
ダグは短く返し、手綱を肩に担いで馬車へと歩いていく。
そして、アンジュはしっかりとギャラガの顔を見据え、静かに言葉を置く。
「あなた……お願いね」
ギャラガは、心配げな彼女の目を見返して、にっと口元を歪めた。
「問題ねえさ。これだけのメンバーがそろってんだ。万が一もねえって」
心強いその声に、アンジュはそっと頷いた。
そして最後に――見送りの輪の中、ヤコブがぽつりと言う。
「行程としては10日くらいじゃろう。往復を含めても……ジーグにとってはきっと、いい経験になるはずじゃ」
誰もが頷いた。
馬蹄が鳴る。車輪が軋む。
そして、二つの隊列が、それぞれの方向へとゆっくりと動き出した。
朝日がその背を照らし、旅路の無事と成功を、静かに祈っていた。




