4月になったら動くぞ
年が明けたチョウコ村には、毎日のように雪が舞い降りた。
白銀に覆われた家々の屋根にはたちまち雪が積もり、男たちは鍛錬の代わりに雪下ろし作業に励む日々となる。
シャイン傭兵団の屈強な団員たちが軒並み梯子にのぼり、雪を下ろしては空堀へと投げ込む。
その空堀も、村の周囲を防衛線のように巡る形で整備され、まるで要塞のような様相を呈していた。
子供たちはその様子を見て真似をしながら、小さな手で雪をかき集める。
シマはそんな子供たちに笑みを浮かべ、風呂施設への坂道をならして即席のそりコースを作ってやった。
「よし、ここから滑ってみろ!」
声をかけると、子供たちは歓声を上げて厚手の布や毛皮を使って、坂を滑り降りる。
近くでは一緒に雪だるまを作ったり、雪を固めてカマクラを組み上げたり、団長自ら童心に帰ったように子供たちと遊ぶ光景が見られた。
だが、そんな賑わいの中でも休めぬ者たちがいる。
炊事班は、調理や冷え切った体を温める汁物を絶やさぬよう、大釜を絶えず火にかけ続ける。
スーホたち動物係は、家畜が凍えぬよう寝藁を厚くし、暖を取れるよう工夫を凝らす。
窯では木炭を焼く煙が静かに上がり、作業小屋ではリンスや石鹸の改良が進められ、香草の調合に頭を悩ませる者もいた。
テントやマント、ブーツ、背負い袋には蜜蠟を塗り込む者たちの手が止まらない。
商材・防水・防寒のための重要な工程だ。
建築班は弓矢を組む者は弦の張りを調整し、木のしなり具合を見定める。
合間にリバーシの盤を彫り、量産体制に移り遊び道具に仕上げる。
風呂施設では熱湯と冷水の調整が細かく管理され、交代で見回りが行われる。
そして氷室では、雪の補充と内部温度の確認を怠らず、銅製の酒器や食材の一部が静かに冷やされていた。
オスカーは冬の間、チョウコ村の作業小屋に籠もりきりだった。
ブランゲル侯爵家、そしてホルダー男爵家への贈答品として、特注のリバーシ盤と駒の制作に没頭している。
滑らかな手触りと正確なバランス、駒の重み、盤面の角の面取りに至るまで、妥協は一切なかった。
木目の美しい広葉樹を選び、寒さで乾燥しすぎないよう湿度を保った小屋で、静かに刃物と木槌の音が響く。
並行して、彼は組み立て式のテントの設計・製作にも力を注いでいた。
耐風性を高めるために部材同士の噛み合わせを改良し、折りたたみ部分の金具には凍結しにくい加工を施す。
出来上がったものは実際に屋外で組み立て、風雪に耐えうるかをチェックする周到さだった。
弓矢作りにも彼の眼は光る。
ケイトとメグが矢の製作を担当し、真っ直ぐな矢軸に羽根を均一につけ、重心を整える作業を繰り返す。建築班が作った弓は試作段階で集められ、最終的にオスカーが弦の張り具合や反発の調整を施す。
彼の指先の感覚は職人そのものであり、どの弓も一定の品質を満たさねば市場に出すことは許されなかった。
リバーシにしても矢にしても、「売るものは芸術品である」という哲学が貫かれていた。
一方、裁縫班ではリズを中心に女性陣と奥方たちが精緻な作業にあたっていた。
縫い目の揃ったテント布や、動きやすさと暖かさを両立させたマント、雪道でも滑りにくく歩きやすいブーツ、荷重を分散させる背負い袋──どれも実用性と美観を兼ね備えていた。
完成した布製品は蜜蠟塗布班に回される。
ここでは布の織り目を見極め、絶妙な力加減で蜜蠟を均一に塗っていく。
ムラはなく、誰かが指摘したり注意したりすることはもはやなかった。
班員たちの技術が静かに成熟していた証だ。
その一つひとつを、エイラとマリアが丁寧に手に取って確認していく。
縫製のほつれ、塗布のムラ、耐久性、風通しの具合、すべてにおいて検品は徹底されていた。
「完璧じゃないものを渡すわけにはいかない」
エイラが呟けば、マリアは無言でうなずき、次の品へと手を伸ばす。
彼女たちのまなざしは真剣で、商品というよりは信頼そのものを見極める眼だった。
シャイン傭兵団のものづくりは、もはや寒村の内職の域を超えていた。
手間を惜しまぬ匠の手と、妥協を許さぬ審美眼が、チョウコ村を確かな生産拠点へと押し上げていた。
冬は試練の季節であると同時に、協力と知恵、そして工夫が輝く季節でもあった。
白銀の中、火と煙と笑い声が、命の営みを確かに刻んでいた。
時は3月初旬、厳しい冬の気配が少しずつ和らぎ、山の雪もわずかに緩み始めた頃――チョウコ村では、バンガロー内にて設けられた簡素ながら整った会議室にて、幹部会が開かれていた。
正面には、シャイン傭兵団団長・シマ。その隣に副団長ジトー、団長補佐としてサーシャ、クリフ、ロイドが座す。
戦闘部門を支えるシャイン隊の面々――ザック、トーマス、フレッド、オスカー、ケイト、ノエル、リズ、メグ。
そして学術部門の要であるヤコブも、書簡と書板を携えて出席していた。
商会からは会頭エイラと、副会頭ミーナが席に着く。
衣服や布製品の流通、交渉、品質管理を一手に担う彼女たちの存在感はすでに傭兵団内でも絶大だった。
そして他の戦闘隊からも精鋭が揃っていた。
灰の爪隊隊長ギャラガ、氷の刃隊隊長ユキヒョウ、それにダグ、デシンス、ドナルド、キーファー、オズワルド、マリアといった各隊の隊長たちが緊張感と信頼を帯びたまなざしで議題に向かう。
さらに動物たちの世話係として、スーホ、リットウ、ノーザの三隊長も出席していた。
かつて戦場に出ることがなかった者たちも今や重要な責務を果たし、誰一人として軽んじられることはなかった。
衛生・生活環境の維持に貢献する、なめし作業と風呂施設管理のマーク、アーベ、ズリッグの各隊長。
そして窯作り、レンガ作り、木炭作りを担当するカノウ、コウアン、メイテンの班長たちも列席。
会議室の空気は寒気を抜けた春の息吹のように、どこか明るく、活気に満ちていた。
炊事班からは、トッパリとコーチンの両班長も顔を見せる。
戦闘だけでなく、生活全体が傭兵団の生命線であるという理念が、こうして会議に全層の代表を揃えさせていた。
その一角に、ヤコブの補佐兼弟子のキジュとメッシの姿もあった。
そして、デシンス隊の一員として隊列に加わりながらも、ノエルの元で薬草学を学ぶ女性――ティアがいた。
かつて戦傷で切断したアキレス腱を、シマ自らが手術し縫合した女性だ。
今では足を引きずることもなく、以前と変わらぬ屈託のない笑顔が彼女の顔に宿っていた。
むしろ以前よりも活発で、毎朝の弓矢訓練にも欠かさず参加し、薬草の分類や加工、投与の判断にまで関わっていた。
会議中も、ノエルのそばに座り、資料を整理しながらしきりにメモを取る姿は堂に入っており、誰もがティアの回復と成長を温かく見守っていた。
そんな彼女の姿を見ながら、シマはふと心の中でで呟いた。
(……おかしいだろう……? 普通、アキレス腱なんて切れたらリハビリに何か月も……いや、下手すれば歩けなくなるんだぞ……?)
会議の空気が一息ついた瞬間、シマが小さく咳払いをして姿勢を正した。
深呼吸一つ、視線を全体に配ると、場がすっと引き締まった。
団長としての声音で、シマが口を開く。
「――さて。気を取り直して。シャイン傭兵団は四月になったら動くぞ」
その一言に、広間の空気が一段階張り詰める。
季節はまだ春浅い三月だが、行軍や探索に向けた準備はもう始まるのだ。
「深淵の森に行くメンバー、隊を発表する。ロイド、トーマス、フレッド、リズ、ノエル、氷の刃隊、マリア隊だ」
名前を呼ばれた者たちにわずかな緊張と、どこか誇らしげな気配が走る。
全員、実力はもちろん信頼も厚い者たちだ。
「責任者はロイド。深淵の森に入るのはロイド、トーマス、フレッド、リズ、ノエル。氷の刃隊、マリア隊はノーレム街で待機。目的は――」
シマが指を折るようにして、任務内容を端的に列挙する。
「深淵の森産のブラウンクラウン、ブルーベリー、ラズベリーの苗木、山菜、香草の採取と持ち帰り。あと、現地で得られる有益な情報、すべてだ」
その時、すっと手が上がった。
「ちょおッと待ってほしいな。僕も深淵の森に行くよ」
口にしたのは氷の刃隊隊長・ユキヒョウ。
場の数名が視線を送る中、彼は飄々とした様子で笑っている。
「私も行くわよ!」
すかさずマリアが言葉を重ねた。
彼女の口元には意志のこもった笑みが浮かび、座ったまま両手を膝に置いて背筋を伸ばす。
シマは一瞬だけ目を細め、それからロイドに視線を送った。
問いかけるような、任せるか否かを問うような眼差しだった。
ロイドは軽く頷き、静かな声で応じた。
「……僕の指示には従ってもらいますよ」
「もちろんさ、団長補佐の君には従うとも」
ユキヒョウはにやりと笑って返す。
「ええ、あんたの指示には必ず従うわ」
マリアも同意した。ふざけた様子はなく、その瞳には明確な信頼が宿っていた。
シマもそれを確認し、再び話を進める。
「それと、ノーレム街の武器屋、防具屋で使えるものがあったら購入してきてくれ。――オスカー」
「はい!」
「お前が作った弓を10張、ノーレムの武器屋に卸す。」
「了解!」
オスカーは快活に返す。
そのやり取りに、ドナルドが顎をさすりながら口を開いた。
「……何で、ノーレム街の武器屋、防具屋にこだわるんだ?」
トーマスが、懐かしむような、しかし確信に満ちた声音で答える。
「俺たちの武器、防具はそこでこしらえた物でな……あのオヤジたち、かなりの腕だと俺は見ている」
「へえ、行ったら僕も覗いてみよう」
ユキヒョウが軽く目を細めた。
「あと――」シマが再び声を張る。
「もし現地で良い鍛冶師がいたら、こっちに移住するよう声をかけてみてくれ。駄目元でいい。こっちで待遇は保証する」
そして最後に、少し柔らかい声音になって告げる。
「……それと、お前らの里帰りも兼ねてる。無理に急がなくてもいい。冬の間に貯まった疲れを少しでも癒やしてこい」
その言葉に、深淵の森に向かう面々はふと息を吐き、顔にかすかな笑みを浮かべた。
そんな中、団長シマが椅子に座り直し、場を見渡して口を開いた。
「マリウスとブランゲルのところに行くのは――ジトー、クリフ、ケイト、ザック、ミーナ、そしてデシンス隊、キーファー隊。責任者はジトーだ」
名を挙げられた面々はそれぞれ軽く頷く。
ジトーは無言で背筋を伸ばし、ザックは目を細めて頬をかきながら隣を見る。クリフとケイトは小さく目配せを交わし、キーファーはデシンスと視線を合わせて軽く拳を握るような仕草をした。
「贈答品の用意はできてるな?」
そう問うシマに、ミーナが静かに立ち上がって答えた。
商会副会頭としての声色は、いつにも増して端正に整っていた。
「ええ、抜かりはないわ」
彼女は指を数えるようにしながら、淡々と並べていく。
「リンスに石鹸、テント、マント、ブーツ、背負い袋、リバーシに、二日酔いに効く薬……」
誇らしげな響きを帯びた言葉だった。
それもそのはず、どれもシャイン傭兵団と商会が力を合わせて仕上げた渾身の品ばかりである。
「私たちの商売相手は軍、そして貴族ってことでいいのね?」
視線をシマに移し、念を押すように問いかける。
「そうだ」シマが静かに肯定する。
「結局、焼酎は間に合わなかったのは残念だがな……」
少し悔しげに言ったが、次の課題としての意識が透けて見える口ぶりだった。
「マリウス様の所に行ったら、富くじの運上金の確認と、必要なものは――いくらでも仕入れてきてね」
エイラが柔らかく言う。
立ち居振る舞いは商会会頭としての威厳を保ちながらも、どこか家族に出す頼みごとのような親しみもあった。
「それと、城塞都市カシウムでも薬草を多く仕入れてきたほうがいいわね」
今度はノエルがひと言、しっかりとした口調で付け加える。
既に先の見通しと、傭兵団の医療体制のことを思っての言葉だ。
「確かに……あそこの薬師のおばあさんの薬は、よく効くわね」
ミーナもすぐに同意を示した。
思い出したように小さく笑みを浮かべながら、カシウムの石畳の通りと、やさしくも頑固な老薬師の顔を思い浮かべていた。
「果物もたくさん仕入れてきてちょうだい。果実酒を作るためにね」
サーシャがにこやかに告げる。
瞳はすでに仕込み棚や果実の甘い香りを思い描いているようだった。
「特にブドウ類を頼むぞい。苗木もあればいいのう」
ヤコブが衣服の袖をまくりながらぼそぼそと加えた。
「ワインを自らの手でつくる……うむうむ、たのしみじゃわい……」
独りごちたあと、ふと口元を引き締め、にやりと笑う。
「っと、ワインもわすれずにの?」
部屋にやや笑いが起きる。
ヤコブの飄々とした一言が、重くなりすぎがちな会議に一つ軽い風を吹き込んだようだった。
任地の名も、目的も、任された面々の顔ぶれも明確に示された今、その場の誰もが理解していた。
これはただの使節でも交易でもない。
軍事と経済を同時に動かす、シャイン傭兵団としての“誇りと意志”を背負った、大いなる一歩なのだと。