鍛錬
12月下旬、チョウコ村。
白銀の雪が村を覆い尽くし、吐く息さえ白く凍るような冷気が肌を刺す季節。
広場の地面も、踏み固められた雪が硬く冷たく、朝の日差しにきらめいていた。
そんな中――シャイン傭兵団の100名弱の団員たちは、黙々と鍛錬に励んでいた。
軽いランニングから始まり、体を温めるためのストレッチ。
それが終わると模擬戦、さらに集団戦と、訓練の熱は徐々に高まっていく。
その中でもひときわ激しい熱気を放つ一角があった。
そこでは灰の爪隊のギャラガ隊長と、ザックが模擬槍を交えていた。
ギャラガが気合と共に槍を突き出す。
「ッらぁああッ!!」
鋭く、重い。槍の名手として知られるギャラガらしい一撃。
だが――
「甘ぇッ!!」
ザックはその槍の穂先を受け流すように手で掴み、そのまま身体を引き寄せた。
「ッ?!」
次の瞬間、ギャラガの視界が一気に回転する――
ドンッ!
雪の上に叩きつけられる音が響いた。
あっという間に懐に入り込まれ、体ごと投げ飛ばされる。
「がっ……!」
呻く間もなく、次は腕を極められる。逃げようとすれば肩が決まる。
立ち上がろうとしたところに足払い。今度は見事に転倒。
「足元が……おろそかになってんぞッ!」
ザックの叱咤が飛ぶ。
雪の上、息を荒げながら這うように立ち上がろうとするギャラガ。
「ハッ……ハッ……ハァ、ハァ……!」
本気で訓練しているのだ。それでも、歯を食いしばるような悔しさが表情に滲む。
ザックは構えも解かず、冷静に言葉を続けた。
「槍ってのはよォ、突くよりも“引く”ことの方が大事なんだぜ。相手との“間合い”、次に備える攻撃、あるいは防御にも使える。一撃で仕留めようなんて思うな。かわされた時点で、お前に“隙”ができる。削れ。少しずつでいい。出血を強いれば、相手は徐々に動きが鈍くなる。冷静に相手を“観察”しろ。“呼吸”を整えろ。」
ギャラガが膝をつきながらうなずく。
「……ああ、わかって……る……が、ハァ……!」
ザックはさらに、灰の爪隊の面々をぐるりと見渡した。
「それと、お前ら――ポケットに小石、砂、ちゃんと入れてるな?」
不意の問いかけに、数名が頷いた。
「俺とやる時は使え。卑怯?」
ザックはニッと笑って右の口角をつり上げる。
「俺らにとっては“誉め言葉”だぜ。」
ギャラガは地面に片膝をついたまま、白い息を吐きながら拳を握る。
「……ハァ、ハァ……少し……休ま……せてもらう……」
「おう、休め。だが、頭は動かしとけよ」
ザックは軽く肩を回しながら、振り返って叫ぶ。
「よし! 次、来い!」
「おう! 次は俺だ!」
すぐさま別の灰の爪団員が飛び出してきた。
目は真剣そのもの――その瞳には、ギャラガの受けた教訓と、ザックの技を刻み込むような熱が宿っていた。
鍛錬は、なおも続く。
寒さも雪も関係ない。ここにいるのは戦場を生き抜くために研鑽を積む者たちだ。
熱気と白い息が交錯するチョウコ村の冬の広場――そこには、確かに“強くなる覚悟”があった。
「ドンッ!」
乾いた打撃音とともに、ユキヒョウの身体が吹き飛ばされた。
白く覆われた広場に、ずざざぁっと雪を巻き上げて滑っていく影。
背中から雪を削りながら滑り、数度転がって、跳ね起きるように立ち上がる。
「…あっ、大丈夫か?」
フレッドが気さくな声をかける。手には二振りの模擬剣。
その顔はまったく息を乱していない。
ユキヒョウは肩で荒く呼吸をしながら、濡れた前髪を払う。
「……フッ……フッ……ハッ……フッ……ああ……問題……ないよ……まだ……やれる!」
雪に染まった外套の裾を払い、その目はなおも鋭く、挑戦の色を宿していた。
「よーし、いくぜ?」
軽く腰を沈めたフレッドの気配が一変する――二刀を手に構える。
「――疾ィ!!」
閃いた。踏み込み、振り下ろし、横なぎ、切り上げ――どれもが速すぎる。
「ッぐ!」
ユキヒョウは必死に剣で受ける。
しかしその隙を突くようにもう片方の剣が脇腹を狙う。
受ければ反動で弾かれ、避けようとすれば追撃が飛んでくる。
突きを繰り出せばその手を掴まれ、地面に叩きつけられる。
逆に掴まれて極められる。ときには不意打ちの体当たりで距離を潰される。
「……っのおォ……!」
ユキヒョウは間合いを取り、退きながら腰のポーチに手を入れ、小石と砂を掴んでフレッドに投げつける!
だが――「おっと」
軽やかに一歩引いて、ひょいっとそれをかわすフレッド。
その瞬間には、もう二刀が唸りを上げて迫ってくる。
間合いに入った。
フレッドの剣――ただ速いだけではない。一撃一撃が重い。
連撃の手数が尋常ではないのに、そのすべてが全力の一振りのような威力を持つ。
「ハッ、ハッ……ハァッ……!」
防戦一方のユキヒョウの息が荒くなっていく…だがさすがはユキヒョウと言ったところか人外に片足を突っ込んだ男と呼ばれているだけある。
ユキヒョウの口から白い息が荒く漏れ、額からは汗が滴る。
だが、耐える。踏みとどまる。必死に目を見開いて剣を振るう。
「……ッ!」
咄嗟にフレッドの目を狙って唾を吐く。
だがそれも――ひらりと頭をずらされ、かわされる。
次の瞬間、フレッドの姿が視界から――消えた。
と同時に足、胴への横切りを振るうフレッド。
横にジャンプして飛びのくユキヒョウ、足元の一撃をかわし胴への一撃を剣で受け止め、ギィン!吹き飛ばされる…否!衝撃を逃したユキヒョウ。
「……よし、いい判断だ」
フレッドが頷く。
「ハアッ……ハアッ……い、いまの……ハアッ……も、模擬戦で……どれくらいの……実力を……出したんだい……?」
息も絶え絶え、震える膝をなんとか支えにして問いかけるユキヒョウ。
フレッドは肩をすくめ、二刀を納めながら、にっと笑う。
「ん〜……5割くらいじゃね?」
「…………そ、そうか……ハアッ……ハアッ……ちょっと……休ませてもらうよ……」
そのまま、ユキヒョウは雪の上に背中を預けるように、倒れ込む。
「……ッ、ああ……」
熱を持った体に、雪の冷たさが染み込む。
身体からは湯気が立ち上り、衣服の隙間から蒸気がふわりと漏れていた。
「……は〜……生きてるって感じ……」
どこか恍惚としたように、空を見上げるユキヒョウ。
その口元には、うっすらと笑みが浮かんでいた。
そこに広がるのは張り詰めた空気と、密やかに燃える鍛錬の熱だった。
開けた斜面の一角では、ジトーとトーマスの怒号が響く。
「肩を入れろ、肩を! ただ受けるな、迎えにいけ!」
「重心! 下半身が甘い! その盾じゃ吹き飛ばされるぞ!」
雪を踏みしめる鈍い音。
大型の丸盾を抱え、ドナルド隊とキーファー隊の団員たちはひたすらぶつかり合う。
二隊は「守る」ことを主眼に編成された屈強な男たちで構成されていた。
皆、体格に恵まれた面々だ。
ジトーの教えは「重さを活かせ」。
トーマスは「揺るがない軸」を叩き込む。
巨大な盾が雪を跳ね、体ごとぶつかり合うたび、白銀の世界に男たちの唸り声がこだまする。
雪山の斜面と林の間では、ダグ隊が細かく動いていた。
彼らは三人一組で連携を取りながら、地形を利用しつつ前進、伏せ、側面展開を繰り返す。
「右回り、展開! 俺が囮になる!」
ダグの号令に、仲間たちは息を合わせて動く。
三人一組の「スリーマンセル」
「孤立しないで、連携をしっかり!君が死んだら、次は隣が死ぬぞ!」
そう言いながら、ロイドは傍らで観察し、時に背後から不意打ちを仕掛ける。
「はい」
「うわッ、ロイド!? 後ろにいつの間に……!」
「意識が前にしか向いてない証拠だよ。今のは“死”だね」
緊張と実戦に限りなく近い教練の空気がそこにはあった。
さらに山の高所。
雪に溶け込むようにデシンス隊の団員たちが静かに伏せていた。
彼らはこの日、全員が自分専用の弓を携えている。
「弓は“命”と一緒だよ。無理に引かないで」
そう語るのはオスカー。
一人ひとりの体格、筋力、利き手に合わせて作った弓を渡しながら、構え方、呼吸の整え方を一から教えている。
「あなたは肘をもう少し内に。そこから狙ってください」
「了解!」
彼らの目には雪が映っていない。ただ、的だけがある。
的は“敵”であり、“答え”でもある。
林間に設けられた演習地では、斥候技能が叩き込まれていた。
ミーナとメグは、枝の上から隊の動きを見下ろし、時に姿を消し、突如現れる。
「……はい、アウト。私の足音、気づかなかったでしょ」
「ッ……す、すまん、メグ嬢!」
オズワルドはそんな彼女たちを指導員として信頼しつつ、3人1組の運用を徹底的に叩き込む。
「雪は隠してくれるが、同時に音を伝える。」
マリア隊では、サーシャとケイトが草木の隙間に姿を溶かし、目視、手信号、影の動きを伝えていた。
「指だけで伝えること。声は時として命を失うわ」
「身を守ることは、攻撃より難しい。だからこそ美しいのよ」
寒さの中に、彼女たちの教練は凛と張り詰めていた。
暖炉の焚かれるバンガローの一室では、エイラが分厚い帳簿を開いていた。
「ここで収支が合わないのは、調味料の仕入れ価格が変更されたせいね……よし、交渉し直すわ」
彼女の机の上には、村の収支、食料備蓄、資材購入リスト、酒類管理台帳、物資流通図が広がっていた。
そして一角には、改良されたリンスの試作品。
香りの強さ、洗い上がりの手触り、保存性……あらゆる検証が行われている。
「これは売れるわ……パッケージは、金と黒で高級感を。名前は……“スノードロップ”」
ヤコブとノエルは、薬草をすりつぶし、火にかけながら議論を重ねる。
「この抽出は、脊髄反射を一時的に遮断するかもしれんが、副作用が心配じゃのう……」
「じゃあこっちを混ぜて抑えてみては?」
調合された瓶がずらりと並ぶ。
キジュとメッシも真剣な表情でそれを補佐する。
午後になれば――
「今日は『九九』の応用をやるぞい!」
子どもたち、そして手の空いた団員たちや奥方たちが集まってくる。
ヤコブの声に、ノエルが笑って補足する。
「この世界を生き抜くには、読み書きと計算も必要ですからね」
リズは布に針を通しながら、奥方たちとせっせと裁縫に励んでいた。
「この縫い方、強度が足りないわ。もう一重、裏地に重ねて下さい」
マント、ブーツ、背負い袋、補強テント……縫われる品は多岐にわたる。
その中で、シマがふと描いたスケッチが、作業の輪に回される。
「これは……“ネックウォーマー”? 巻き方が面白いわね」
「コートに“ダブルジッパー”? 何それ!」
「耳あて、カワイイ!」
リズはすぐさま構造を分析し、必要な布を指示。手は止まらない。
奥方たちも興味津々で新しい形に挑戦する。
気づけば、雪山でも暖かく過ごせる装備が次々と生まれていた。
白銀の世界の中で、シャイン傭兵団は今日も確実に力を蓄えている。
誰かが剣を振るう背後で、誰かが薬を煮立て、誰かが針を動かし、誰かが数字と格闘している。
それぞれの仕事は違っても、すべてが“生きる”という目的に繋がっている――
静かに、そして逞しく、彼らは進んでいた。




