編成
風呂上がりの団員たちがバンガローでくつろぐ中、酒を飲み談笑が続いていた頃――。
ノエルが湯上がりのまだ湿った髪を指で梳きながら、ぽつりとこぼした。
「ねえ、シマ? 石鹼って、どうにかならない?」
「うん、髪の毛がちょっとねぇ……」
リズも少し不満げに口を尖らせ、ゴワついた髪先をつまんで見せる。
「私も同感」
サーシャが鋭くうなずく。
「洗った後、髪が広がってまとまらないの……」
「前世の記憶ではどうだったの?」
エイラが興味津々といった表情で、シマに身を乗り出す。
「うーん……シャンプー、リンス……あと、コンディショナーだったかな……なんかそういうの使えば、髪がサラサラになったような……」
シマが曖昧な記憶を頼りに語ると――
「作りなさい!!!」
突然、女性陣たちの声がハモった。
全員が、目をギラつかせながらシマを睨んでいる。威圧感、半端じゃない。
「ま、待て待て! 俺もそんなに詳しくは知らねえんだってば!」
シマが両手を上げて言い訳するも、女性陣の鋭い視線は収まらない。むしろ鋭さを増している。
「……その目はマジでやめろ……こっちが縮み上がる……」
冷や汗をかきながら、シマはごくりと唾を飲み込んだ。
「……くっ、仕方ねぇ……思い出すしかねえ……!」
と、シマが突然逆立ちを始めた。
膝をピーンと伸ばし、頭に血をのぼらせながら、己の記憶の深淵へダイブする構え。
「ひらめけ~……ひらめけ~~~……!」
周囲は唖然。
「……あいつ、何してんだ?」
キーファーがぼそっと呟く。
「さあ……?」
隣のドナルドが首を傾げる。
逆立ちしても良い案が思い浮かばないシマは、今度は座禅を組み、両手を膝の上に置いて目を閉じた。
深呼吸をして、眉間にしわを寄せる。
「……これはアレだ……あのアニメ……えーっと、えーっと……」
シマの脳内には、某時代アニメの懐かしいテーマソングが流れ始める。
(いっきゅうさぁ〜ん!! すきすきすきすき すき♪ すき♪ 愛してる〜♪)
(……おっ! これは……イイ感じじゃね!?)
希望の光が差した気がした――
(……チーン……)
鐘の音が脳内で鳴り響く。
何も思い出せなかった。頭の中は真っ白だった。
恐る恐る薄目を開けると――
そこには、腕を組んで仁王立ちするノエル、眉をひそめたリズ、目を細めて笑っていないエイラ、そして絶妙な無言圧を放つサーシャたち女性陣の姿が。
「…………やべえ」
背筋に冷たいものが走るシマ。
火照ったはずの身体に、異常な冷や汗が流れ落ちる。
「い、いや……大丈夫、今、ほんとに、ちょっとずつ思い出してきてるから……!」
目を泳がせながら、必死に言い訳するシマ。
だがその声にはまったく説得力がない。
バンガロー内には、冷たい沈黙が流れていた――。
シマは膝を抱えて、じっと考え込んでいた。
(……油? お酢? 発酵……?)
ふと、何かが脳裏をかすめる。
次の瞬間、シマは目を見開き、ばっ!と立ち上がった。
「思い出してきたぞ!!」
驚く周囲。特に女性陣は、一斉に顔を向ける。
ノエル、リズ、エイラ、ケイト、ミーナ、サーシャ、メグ、マリア……その視線は一様に、まるで獲物を見つけた猫のように鋭く、期待と興奮に満ちていた。
シマはその圧を感じ取り、一歩後ずさる。
「ま、待て……まだ確実にできるってわけじゃねえからな……!」
「いいから、聞かせて」
「シマ、あなたの記憶だけが頼りなの」
「さあ、どうぞ?」
女性陣たちのプレッシャーにじっと額の汗をぬぐいながら、シマはなんとか言葉を繋いだ。
「……お酢って、知ってるか?」
「押忍?オッス?俺はフレッド。」
「いや…“お酢”な…料理に使う酸っぱいやつ!」
一同が「……」と沈黙する。ギャラガやユキヒョウまで首を傾げた。
どうやら、この世界ではまだ一般的に知られていない調味料のようだった。
「……たとえばだ、リンゴとか、ブドウとか、イチジクとか……甘い果物を潰して発酵させると果実酒になる。で、そこに空気に触れさせて時間をかけておくと、さらに“酢”に変わるんだ」
ヤコブがうなるように小声で呟く。
「酵母によるアルコール発酵……そして酢酸菌の働きによる酢酸発酵か……」
シマが急に拳を打ち鳴らすように言った。
「……待てよ! そういや、炭を作る時に出る“木酢液”があるじゃねえか! あれも、酢の一種じゃねえか!」
その場の空気が一変した。
「木酢液……!」
「…炭焼きのときのあの液体?!」
「忘れてた……確かに酸っぱい匂いがすることがあったわ!」
「おおおっ! すっかり忘れてたぜ!」と両手で頭を抱えるシマ。
「つまり、自然の力で、リンス的なものが作れるってことね!?」
エイラが身を乗り出す。
「ちょ、ちょっと落ち着け! 木酢液は強すぎる可能性があるし、ちゃんと濾したり薄めたりしねえとヤバいかもだし……!」
だがもう遅かった。
「シマ、天才!」
「さすが我らが団長!」
「よし、明日からリンス?の開発部門を立ち上げましょう!」
女性陣たちのテンションが天井知らずに跳ね上がる中、シマはゆっくりと冷や汗をかきながら一歩、また一歩と後退した。
「……やっべぇ……これからの俺の自由時間、全部なくなりそうだ……」
それを後ろで見ていたキーファーが、ユキヒョウにボソッと聞いた。
「なあ……あいつ、うかつにしゃべりすぎじゃね?」
「……知識があるって、罪深いね……」
そんな中、ジトーが杯を置いて、低く落ち着いた声で口を開いた。
「……リンス?の開発も大事だけどよ、他にもやることが山積みじゃねえか?」
その言葉に場の空気が一瞬だけ引き締まる。
「確かに。そろそろ雪支度も必要だね」
ロイドが膝にかけた毛布を整えながら頷く。
「今年最後の狩猟もやっておくか。」
トーマスがちらりと顔を上げる。
「その方が安全だね。雪に閉ざされたら移動も難しくなるし」
オスカーが隣のクリフに目をやる。
「燻製作りに木炭、動物たちの餌や防寒対策……全部、雪が積もる前に準備しねえとな」
クリフは項目を確認するように呟いた。
「で、酒の仕込みに……リンス?の開発もな」とフレッドがからかうように言うと、女性陣から「それは外せない」とばかりに小さな拍手と笑いが起こる。
「冬の間は鍛錬と、あとはモノ作りだな」
ザックが、肩を回しながらつぶやく。
「狩りに出れなくなる分、手を動かすしかねえ」
「そうよねぇ」
エイラが指を折りながら列挙する。
「テントにマント、ブーツに背負い袋、それとリバーシのセットや弓作り……やることは本当に山ほどあるわ」
「来年の四月までにはできるだけ多く仕上げておかないと」
ミーナが真剣な眼差しで言う。
「シャイン商会の名を轟かせるわよ」
その言葉に、皆が頷く。
冬の間は籠もることが多くなるとはいえ、何もしなくていいわけではない。
「でも、これだけの人数がいるんだもの。役割さえしっかりしていれば、かなりの量がこなせるはずよ」メグが微笑みながら言った。
「そうね……本格的に、振り分けて動こうか。まずは、やるべきことの洗い出しと担当を決めましょう」
サーシャが立ち上がりペンと用紙を配っていく。
作業の割り振りと目標の確認が始まった。
これから来る冬の厳しさを思いながらも、皆の顔には不思議な充実感が浮かんでいた。
仲間と共に動けること、それがなによりの安心と温もりなのだ。
その場に、思わぬ問題が浮上する。
「……つまり、お前、文字が読めないってことか?」
「いや、計算はできるぞ。俺はな、槍の長さと敵との距離を瞬時に測る訓練を受けてきたからな!」
胸を張るギャラガ。
だが、その誇らしげな表情に反し、配布された任務表の用紙を上下逆に持っていた。
「おいおい……それは上下が逆だぞ」
クリフが苦笑する。
それもそのはず、ギャラガは計算こそできるが文字の読み書きができなかったのだ。
続けて確認されたのは――ダグ、ドナルド、キーファー、マリア、オズワルドもまた、読み書き・計算ともにほとんどできないという事実。
さらに、ユキヒョウとデシンスも、読み書きはところどころできる程度で、計算はなんとか日常に支障のない範囲という始末だった。
「仕方ない……口頭で覚えてもらうしかねえな」
シマは頭をかきながら決断する。
こうして、言葉での確認と班の動きを目で見て覚えるという運用が定まった。
現在のシャイン傭兵団の総勢は241名。その膨大な人員を、効率よく冬越しの準備に回すため、明確な班分けが行われた。
■ 炊事班・補給班
炊事班、班長トッパリ:10名
炊事班、班長コーチン:10名
それぞれに班長1名ずつ任命、大抜擢の人選に沸き立った。
「他の者も、手が空けば炊事を手伝うように」とシマが通達。
■ 奥方連中(12名)
裁縫、掃除、洗濯など生活を支える重要任務。
統括:リズ、副:アンジュ。安定の布陣。
■ 子供たち(18名)
最年長はジーグ(ギャラガの息子)
見守り隊として非戦闘員4名を選出。
見守り隊長:ドウガク。真面目で几帳面。
■ 動物の世話係(家畜・乗馬・餌、放牧など)
スーホ隊/リットウ隊/ノーザ隊:各10名
家畜の健康と整備が冬越しを左右する。
■ 雑用・水回り班
マーク隊/アーベ隊/ズリッグ隊:各10名
内容:なめし、湯沸かし、水汲み、風呂掃除など。
■ 工芸・素材加工班
窯・泥レンガ・木炭・蜜蝋塗りなど。
班長:カノウ/コウアン/メイテン(各班に補佐3名)
■ 建築・モノ作り班
隊長:オスカー。隊員10名。
建築・物資強化、家の補修、工具の整備、雪対策の設計まで幅広く担当。
■ 知識・記録班
ヤコブのもとに、助手:キジュ、メッシがつく。
リンス(仮)や発酵酒、保存食の技術などを記録・発展。
■ シャイン商会
エイラ・ミーナの指揮下に10名。
金、布・道具・素材の管理、帳簿、売買・交換計画、外部との交渉も担当。
戦闘部隊(ピラミッド型組織)
■ シャイン隊(本隊・指揮中枢)
メンバー:シマ、ジトー、クリフ、ロイド、サーシャ、ザック、フレッド、トーマス、オスカー、エイラ、ミーナ、ケイト、ノエル、リズ、メグ、ヤコブ(非戦闘員)。
作戦時の中枢指揮、殲滅力は圧倒的。いわば将軍団。
■ 上級部隊
灰の爪隊(隊長:ギャラガ/10名)
氷の刃隊(隊長:ユキヒョウ/10名)
鍛え上げられた精鋭揃い。前線突破や要人警護を担う。
■ 中堅部隊
ダグ隊/デシンス隊/ドナルド隊/キーファー隊/オズワルド隊/マリア隊
各隊に隊長を含めて10名。
村の警備、巡回、斥候任務を行う。いざとなれば突撃にも対応。
各隊は普段の作業を担いながら、戦闘時には即座に配置へ転換可能な体制となっており、
その陣形はまるでピラミッド構造を成していた。
全体の流れを見渡すと、確かに読み書きできない者も多い。
しかしその代わり、彼らの勘、直感、実行力、そして団結力は凄まじいものだった。
「……ま、これだけの人数がいりゃあ、なんとかなるさ」とシマが呟くと、それに呼応するように、バンガローの中に一斉の「おおーっ!」という喝采が響いた。
バンガローの中央には、灯された大きな焚き火と、それを囲むようにして座る各隊長たちの姿があった。
戦における指揮命令系統の最終確認――それは、冬を前にした最も重要な話し合いだった。
シマは一歩前に出て、静かに、しかしはっきりと口を開いた。
「いいか。戦闘や危急の場合は、灰の爪隊だろうが、氷の刃隊だろうが、誰であっても、シャイン隊の人間が指示を出したら従ってもらう。」
その言葉は凛として、しかし厳しさと信頼をにじませていた。
「承知だ」
真っ先に口を開いたのはギャラガだった。
「もとよりそのつもりだったさ。戦場において、誰の指揮下にあるかを明確にするのは当然だ。シャイン隊の腕は、俺自身が認めている」
「強いヤツに従うのは当然だな」
オズワルドが腕を組み、歯を見せて笑う。
「敵に背を向けず、味方にも威厳を持って命を下せるやつ――そういう奴には、俺は従う」
「シャイン傭兵団に入るってことは、そういうことだろ?」
ダグは肩を竦めながら言う。
「俺らだって命を預ける以上、つまらねえ意地は張らねえさ」
「僕たちも、全面的に君たちに従うよ」
ユキヒョウは静かに頷き、「命を投げ出すような場面でも、判断を誤らぬ者に、従うのが当然だからね」
「異論なし」
キーファーの言葉は短く、しかし重かった。
彼のまなざしには迷いがなかった。
「ああ、俺もお前たちには従う」
デシンスが言い、ふっと目を伏せる。
「……正直に言えば、お前らには勝てねえ。だからこそ、指示には従う」
「私も」
マリアが微笑む。
「どうあがいても、あんたたちには敵わないもの。だったら素直に従う方が利口ってもんよ」
シマは一瞬だけ満足げに目を細め、だがすぐに表情を引き締めて、次の話題へと移る。
「そして――冬の間は、お前らにも鍛錬と勉強をしてもらう。団員たち、特に子供たちは、戦いよりもまず学びだ。勉強だけでいい。」
その場にやや沈黙が流れた。
読み書きが苦手な者たちは、どこか居心地悪そうに視線をそらす者もいた。
だが、その沈黙を破ったのは、陽気な声の主――フレッドだった。
「爺さんもいるし、俺たちもいるからな。教えるのは慣れてるぜ」
「なあ……俺らも、シマとエイラに無理やり教え込まれたもんなあ」
ザックが頭を掻きながら笑う。
「最初はいやだったけどよ。やってみりゃ意外と楽しかった」
「知ってて損はねえ。それに、言葉や数字が使えると、傭兵以外でも生きる道はあるぜ」
トーマスの言葉には、現実を見てきた者ならではの重みがあった。
「うむ、そうじゃの」
最後にヤコブが穏やかに頷いた。
「知恵は剣に勝ることもある。ましてやこのような大所帯、知識なくして立ちは立たぬ。皆の成長が、全体の力となるのじゃ」
静かに、そして力強く頷く各隊長たち。
その表情に浮かぶのは、恥じらいでも劣等感でもなく、新たな挑戦への覚悟と意志だった。
知識と力の両輪――