二日酔い?!
朝靄がゆっくりと晴れ始めたチョウコ村。
穏やかな陽光が差し込む中、空気にはまだ酒の残り香が漂っていた。
バンガロー内ではスレイニ族軍の兵士たちがあちこちでうめいており、「うぅ…」「水を…」という呻き声があがる。
宴の余韻は、二日酔いという形で彼らの身体を容赦なく蝕んでいた。
一方、シャイン傭兵団の陣営は実に平穏だった。
ザックやフレッドを筆頭に、誰もが涼しい顔で朝の支度を進めている。
そんな中、ダグはバンガロー内でぐったりしているスタインウェイを見つけ、腹を抱えて大笑いする。
「オヤジ、年甲斐もなく飲みすぎたなあ! ワッハッハ!」
「むう……大声で話しかけるな……アタタ……」
スタインウェイは頭を押さえながらうめいた。
額には濡れ布、目元は虚ろ。周囲の物音すら凶器のように響いている。
そこへ手にした小瓶を渡す。
「ヤコブとノエルが一緒に作った二日酔いの薬だ。今日一日は大人しくしてな。」
渋い顔で薬を受け取るスタインウェイ。
鼻をつまみつつ流し込むと、じわじわと苦味が口いっぱいに広がった。
その頃、シマたちは旅先のダグザ連合国内で仕入れてきたお土産を配っていた。
滑らかな獣皮、甘味の強いナッツ菓子、香辛料の効いた乾果干し果実に甘味を加えた菓子や、ミルクを煮詰めた濃厚なキャラメル状の甘味。
色鮮やかな民族衣装、幾何学模様の敷織物——それらが並べられるやいなや、まるで目に見えぬ合図があったかのように、奥方たちが一斉に動いた。
「これは……!」「あら、この色、私に似合うわ!」
「ちょっと、それ私が先に見つけたのよ!」
奥方たちは獣のような俊敏さで飛びつき、衣装を手に取っては品定めを始める。
割って入る者、袖を引く者、声を張り上げる者もいて、そこにはまさしく——戦場が現出していた。
「お、おい……これは……」
「……戦より怖ぇかもしれねぇな」
「…退こう。いまは近づくべきじゃない」
シマたちは苦笑しながら、まるで猛獣の檻の前に立つかのように、じりじりと後ずさった。
オスカーがぽつりと呟いた。
「女の本気って……怖いね……」
朝の光が差し込むチョウコ村の広場にて、ジトーが荷車を引きながら声を張り上げた。
「そう言やあ、紅イモと一緒に鉄板、銅板も仕入れてきたぞ。シンセの街でな」
「おっ、そうだ!酒造るんだろ? 早く作ろうぜ!」
フレッドが期待に満ちた笑顔で乗っかる。
「鉄板と銅板? 何に使うんだ? 武器でも鍛えるのか?」
クリフが不思議そうに眉をひそめた。
「いや、鍛冶師がいねえだろ、今のとこ」
トーマスが現実的な指摘を挟む。
「……オスカーなら、作れるかい?」
ロイドが問いかける。
「ハハ、いくらなんでも無理だよ。そんなの専門外だよ」
オスカーは笑いながら手を振った。
「オスカーでも無理なのか」
ザックが本気とも冗談ともつかぬ表情で呟く。
「僕を何だと思ってるんだよ……」
少し呆れ顔のオスカーに、「いや、お前なら何でも作っちまいそうでな」とザックが肩をすくめる。
「教えればできそうだよな、オスカーなら」
トーマスが真顔で続け、皆がくすりと笑う。
そこへギャラガ、ユキヒョウたちが現れた。ギャラガは腕を組んで周囲を見回しながら言う。
「さっきバンガローを何棟か見て回ったが……今日はスレイニ族軍の連中、休ませた方が良さそうだな。目が死んでる」
ドナルドとキーファーが、「皆に『今日の作業は休みにする』って伝えたぞ」と言う。
ユキヒョウが補足しつつ肩をすくめた。
「まあ、休めない人たちもいるけどね。炊事班と動物の世話班は、なかなか大変だ」
少し離れた場所からデシンスとオズワルドが歩いてきた。
二人ともやや青ざめた顔で、何やら衝撃を受けた様子。
「……えらいもん見ちまったよ……」とオズワルド。
「奥方連中のアレなあ……ヤバいだろ……」とデシンスが続ける。
彼らの視線の先では、まだ朝だというのに色とりどりの民族衣装と敷織物を前に、奥方たちが熾烈な争奪戦を繰り広げていた。
まるで市の終わりに群がる買い出し人、いや、それ以上。
布を引っ張り合い、唇を尖らせ、時に笑い、時に睨み合うその光景は、静かな村の一角とは思えぬ熱気に包まれていた。
「俺は……もうあっちには近づかねぇ……」
デシンスがそっと呟いた。ユキヒョウは面白そうに笑うばかりだった。
「で、何を話してたんだ?」
ギャラガが腕を組み、やや怪訝そうに皆を見渡す。
「紅イモから酒を造る話と、鉄板、銅板を何に使うんだって話さ」
ジトーが気楽な調子で応えると、皆が「ああ」と頷く。
その横で、シマがぽつりと呟いた。
「……風呂を作れねえかなと思ってな」
「おいおい!」
ドナルドが吹き出す。
「まるで貴族様じゃねえか!」
皆がくすっと笑う中、シマは目を細め、どこか遠くを見つめるように言葉を続けた。
「風呂ってのはな、“命の洗濯”って言われるくらいで……心底気持ちがいいんだぜ」
その物言いに、ユキヒョウが興味深そうに目を細める。
「それも前世の記憶にあるものかい?」
シマは微かに頷いた。
「まあ、そうだな」
場の空気にふっと静けさが差し込む。
その静寂を破ったのは、クリフだった。
「……お前ら、昨夜とは違って、妙にスッキリした顔してるな」
すると、オズワルドが軽く肩を回しながら言う。
「俺の腕が動くようになったのも、前世の記憶のおかげでもあるんだろうなって、今朝ふと思ってな」
「シマがな、前世の記憶があろうがなかろうが……俺たちの団長であることは間違いねえんだ」
キーファーが、静かにだが力のこもった声で言う。
ギャラガも、口元をわずかに緩めて言葉を重ねた。
「お前らについていくって決めたしな。記憶があろうがなかろうが、変わらねえよ」
「そういうことさ」
ユキヒョウが目を細め、少し笑いながら呟いた。
決して軽くはない、だが受け止めた上での言葉。
シマはしばらく皆の顔を見回し、そしてぽつりと口にした。
「……そうか。ありがとな。ただし、このことは――秘密にしといてくれよ」
「わかってるって」
デシンスがあっさりと応じた。
「言ったところで普通は信じられねえだろうしな」
「ま、話したところで“頭のおかしい奴”って思われるのがオチだろ」
ドナルドが肩をすくめて言うと、皆の間にくすくすと笑いが起こった。
いつの間にか確かな結束が芽生えていた。
その中心に立つのは、記憶を超えて信頼された男――シマだった。
風が草を揺らす音が耳に心地よく、どこか温かい空気が広がっていた。
宴の名残がまだそこかしこに残るなか、シャイン傭兵団はすでに次の“楽しみ”に向けて動き出していた。
「じゃ、始めるか」
ザックが袖をまくり、張り切った声を上げる。
集められたのはザック、フレッド、ジトー、ドナルド、キーファー。
焚き火の脇には、紅イモ――鮮やかな紫色の皮をしたサツマイモが山積みにされている。
「いいか、まずはイモを蒸す。じっくりな」
そう言って、シマは鉄鍋をかけた火に水を張り、蒸し網をセットする。
「これで柔らかくなるまで蒸してから、潰す。あとで酵母と麹を加えて発酵させるんだ」
「なんか魔女の鍋みてぇだな」
ジトーが笑いながらイモを投げ入れる。
「なあ、失敗したらどうする?」
キーファーが少し不安そうに尋ねると、シマは笑って肩をすくめた。
「失敗してもいいさ。最初からうまくいくとは思っちゃいねえよ」
「いい酒ができたら、また盛大にやるか!」
ドナルドが笑い、皆の士気が一気に上がる。
シマは紅イモ焼酎の手順を一通り教え終えると、手についた土を払いながら立ち上がった。
「あとは試行錯誤しながら頑張ってくれよ」と笑い、肩を軽く叩いて回る。
ザックやジトーたちが「任せとけ!」と威勢よく応じるのを背に、シマは静かに村の北東へと歩き出す。視線の先には、まだ手つかずの風呂建設予定地。
ルナイ川の清流が流れる辺りでは、もう一つの大がかりな作業が始まっていた。
なめし作業場よりもさらに川上、静かで清潔な場所を選んで、シマたちは「風呂」を作るための整地に着手した。
「ここなら水もきれいだし、動物の気配も少ない」
シマがそう言うと、ギャラガがうなずいた。
「まずは整地だな。草木を刈って、地面を均す」
「あと道も作る。雨が降ってもぬかるまないように石を敷こう」
ロイドが提案すると、トーマスがすぐに鍬を手に動き出す。
クリフとギャラガが獣避けの柵作りに取りかかる。
丸太を一定の間隔で埋め、縄を巻きつけていく。
その頃、作業場の一角では、シマがオスカーに簡単な図を見せていた。
土の上に棒で描いた浴槽の輪郭、排水の溝、水をためる槽。
「……ってわけなんだが、正直なところ俺も構造までは詳しくねえ」
「つまり、浴槽と排水口、それに湯が漏れない構造……ってことでいいのかな?」
オスカーが目を細め、簡素な図を見つめる。
「木材と、鉄板、銅板は用意してある。あとは頼む」
「ふふ……やってみるよ。ただ、完璧にできるかどうかまでは期待しないでね?」
彼はそう言いながらもすでに頭の中には構造のイメージが描かれているのだろう。
補助にはオズワルドがつくことになった。
朝焼けがまだ地平を赤く染める頃、女性陣たちはすでにチョウコ村の調理場に立っていた。
手ぬぐいを頭に巻き、袖をまくり上げて、プリン作りに取りかかる。
材料の中心は村で飼育している鶏と牛。
だが、鶏たちは環境の変化に敏感で、産卵数は少ない。
それでも、100羽もいれば十分な数の卵は確保できた。
牛の乳搾りは一筋縄ではいかない。
慣れない作業に四苦八苦しながらも、女性たちは笑いながら取り組んでいた。
動物の世話係であるスーホ、リットウ、ノーザも加勢し、「プリンのために!」という不思議な合言葉を唱えながら、真剣な顔で搾乳に励む。
中には牛に蹴られかけて尻もちをつく者もいたが、そのたびに笑いがこぼれ、現場には活気が満ちていた。
一方、ヤコブとノエルは静かな一角で薬草と向き合っていた。
重い頭を抱える者のために、即効性のある二日酔い薬を調合している。
鍋から立ち上る草の匂いが、ほのかに鼻をつく。
すでに用意された小瓶がいくつも並び、次々と詰められていく。
対象はシャイン傭兵団、スレイニ族軍を含め150人以上。
作業はまさに分刻みの忙しさだ。
その合間を縫って、ダグがふらりと現れる。
薬が詰まった小瓶を籠にまとめて受け取ると、「助かる。まだまだ頼むぞ」と言い残してまた軽やかに去っていく。
ヤコブは肩をすくめ、ノエルは笑いながら「とんでもない忙しさだわ」と呟いた。




