宴が始まる
四日間の旅路を終え、チョウコ村の山並みが見えてきた。
緩やかな下り坂の先には、見慣れた風景が広がっている。
「それじゃあ、僕は皆に知らせて来るよ!」
ロイドがそう言うやいなや、馬車から飛び降り、風のように駆けていく。
風に揺れる髪が後光のようにきらめき、後ろ姿に誰もがつい笑みを浮かべた。
「元気なもんだな、あいつ」とトーマスが苦笑する。
その様子を眺めながら、スタインウェイがふと呟いた。
「帝国領とも近いんだな、この辺り……」
「ルナイ川を渡れば帝国なんだろ?」
ダグが馬車の上から声をかける。
「で、誰が治めてるんだ?」
スタインウェイは鼻をほじりながら、面倒くさそうに言う。
「ワシにそんなこと聞くなよ、知るかそんなもん」
すると、近くにいたスレイニ族軍の兵士のひとりが気を利かせて口を開いた。
「帝国には、ゲオルグ・フリードリヒ・フォン・カルバドという皇帝が君臨していると聞いております。おそらく50代半ば。息子が3人に、娘が1人。いずれも軍務や政治に関わっているそうです」
「へえ……」とダグが感心したように頷く。
「で、そのルナイ川の向こう側の領土を治めてるのは、確か……アウグスト・フォン・ミハイロビッチ辺境伯だったかと。帝国でも名うての剛将だとか。辺境防衛を任されるのは、名誉と同時に責務が重いですからな」
スタインウェイは、兵士の話に対して特に関心を示すでもなく、鼻をほじる手を止めずに「ふ〜ん、そうなのか」と気の抜けた声を漏らした。
ダグが呆れたように横目で見やり、「オヤジ、興味ねえのかよ」とぼやく。
「まぁ、国の名前と顔が変わっても、結局やることは変わらんのだろ? 飯食って、酒飲んで、たまに喧嘩して……女と寝て、また酒飲んで。そんなもんだ」
「……あんたがそれで通ってきたのは認めるけどな……」
トーマスが頭を抱える。
馬車のわだちが丘を越え、かすかに煙の上がるチョウコ村の屋根が見えた。
ロイドの姿はもう見えず、おそらくは村の中心で皆に報せを伝えている頃だろう。
「帰ってきたな……」
シマが静かに呟いた。
その声に応えるように、荷車の中で一頭の牛が「モォ」と鳴いた。
やがて、ゆるやかに、確かに村へと進んでいく一行の影が、夕陽の中に長く伸びていった。
村の周囲には、ぐるりと掘られた防衛用の堀が姿を現す。
その土はまだ新しく、ところどころ湿っており、再建されたばかりの気配が濃厚だった。
堀の向こうに見えるのは、一本の木製の橋。
丸太を何本も束ねて作られた、小さくて頑丈そうな橋だ。
だが、馬車が渡れるのは一度にせいぜい一台。
村に入るには、そこを一台ずつ通過するしかない。
「……うわ、こりゃ渋滞だな」
ダグが顔をしかめる。
案の定、先頭の馬車が橋を渡り始めると、後続のスレイニ族軍の馬車15台と、シマたちの4台が行列を作り、停車しながら順番を待つことになった。
軍旗を掲げたスレイニ族の兵たちが整然と待機するその様は、まるで式典のような整然とした緊張感に包まれていた。
村の中を見渡しながら、スタインウェイが目を見開いて感嘆の声を上げる。
「ほう! 放棄された村、再建中だというから心配しとったが……新しく立派な家が幾つもあるじゃないか!」
確かに、彼の目の前にあるのは、木材と土壁を組み合わせた新築の家々。
どの家も耐久性のある造りとなっている。
軒先には干された野菜や魚、紡がれたばかりの毛織物が吊るされ、生活の息吹が感じられる。
その傍らで、スレイニ族の兵士の一人が目を細めて言う。
「……厩舎、牛舎……あそこに建ってるのは鶏舎かな……」
指差した先には、しっかりと区分けされた柵が敷地を囲い、干し草と水桶が並んでいる。
村としての生活基盤が、確かに構築されつつあるのが一目で分かる光景だった。
そして、遠くから響いてくる賑やかな声――。
「おかえり~~~!!」
女性陣たちが総出で迎えにやってきた。
リズ、サーシャ、ノエル、ミーナ、ケイト、メグ、エイラ、マリア、奥方、さらには子どもたちやシャイン傭兵団の面々、関係者までが駆け寄ってくる。
馬車の荷台から飛び降りるトーマス。それを迎え抱きしめるノエル。
互いの再会を喜び合う声が、村の中央広場に響き渡る。
村の中央に集まった人々を前に、シマが一歩進み出て言葉を発した。
「――みんな、聞いてくれ」
周囲のざわめきが、静かに落ち着いていく。
「俺たちは、スレイニ族と不可侵条約を結んだ。これからは互いに手を出さず、干渉しない。そればかりか、交易の自由も認められた。彼らの物資がここに入り、俺たちの産物が向こうに渡る。人も、文化も、行き来できるようになる」
少し言葉を区切り、シマは続けた。
「族長のハン・スレイニは、俺と同じ未来を思い描いていた。争いではなく、共に立つ未来だ。俺たちが目指すものと、彼らが目指すものは、重なっていたんだ」
シャイン傭兵団、村人たちの表情に、驚きと戸惑い、そして希望の入り混じった色が広がる。
「――これからは、手を結んで歩んでいくことになるだろう」
その言葉が落ち着いた響きで村の広場に染み渡ると、一拍の沈黙のあとに、拍手と歓声が湧き上がった。
「紹介しよう――スレイニ族軍70人と、その責任者を務めてくれたスタインウェイさんだ!彼らが牛や鶏の運搬、そして道中の護衛をしてくれたおかげで、俺たちは何事もなくここへ戻って来れた。……感謝するように!」
そして、シマは拳を掲げて言い放つ。
「宴の準備を始めろ!!」
「おおお~~~っ!!」
あちこちから歓声が上がった。
夕暮れ時ということもあり、すでに食事の準備をしていた女性陣たち――ミーナ、ノエル、サーシャ、ケイト、リズ、メグ、エイラたちは歓声を聞いて動き出す。
奥方も手ずから鍋をかき回しながら、「あらあら」と言いながらも慌ただしく動き始めた。
炊事班の若者たちも火を強め、煮込み鍋に野菜と肉を追加していく。
薪がくべられ、香ばしい匂いが辺りに漂い始める。
シマはスレイニ族兵たちを広場へと案内しながら、にやりと笑った。
「少し待ってくれ。すぐに飯と酒を出す!……誰か、酒を持ってきてくれ!」
「了解!!」と元気よく応じたのは――
マーク、アーベ、ズリッグ、キジュ、メッシが走る。
一方、到着した荷の後始末も進んでいく。
ジトー、クリフ、ロイド、オスカーは牛と鶏の管理を手際よくこなす。
牛たちは引かれて新設された牛舎へ、鶏たちはひよひよと鳴きながら鶏舎に入れられていく。
干し草や水の準備も済ませ、動物たちもすぐに落ち着きを取り戻していた。
トーマス、ザック、フレッド、デシンスは馬車から荷物を降ろし、食料や交易品、獣皮、道具などを倉庫へと運び込む。
掛け声とともに、荷車の軋む音と木箱が積まれる音が響く。
その片隅で、ダグがギャラガに近づき、静かに言った。
「……なあ、覚えてるか? いつか昔、話したことがあるだろ? 俺の育ての親のこと」
ギャラガは隣に立つ壮年の男を見やり、太く低い声で応える。
「……ああ、あんたが“オヤジ”か」
「そうだ。……こっちがギャラガ、元・灰の爪傭兵団の団長だ」
スタインウェイはふっと鼻で笑い、片手をあげて言った。
「ゼルヴァリアでも屈指の傭兵団の“元団長”ってやつか。……面白ぇ。こりゃ、酒が進みそうだな」
ギャラガもニッと笑う。
「あんたらを歓迎するぜ」――その背後では、着々と宴の準備が進んでいく。
陽が完全に落ちると、焚き火の赤々とした炎が村の広場をやわらかく照らし出し、盛大な宴が幕を開けた。
手早く並べられた簡素なテーブルには、肉と魚を中心とした料理がずらりと並ぶ。
炭火で焼かれた豪快な骨付き肉、香草を詰めた魚の包み焼き、干し肉の燻製はそのままでも美味だが、炙ることで脂の香りが立ち昇り、兵士たちの食欲をかき立てた。
塩とスパイスで漬け込まれた魚の燻製は長旅で疲れた身体にちょうどよく、スレイニ族の兵たちからも満足そうな声が漏れる。
飲み物も豊富だった。
香ばしいエール、果実酒、馬乳酒と並び、子供や酒を飲めない者には果実ジュースが振る舞われる。
甘い果実の詰まった焼き菓子や蜂蜜菓子は子供たちの手に配られ、満面の笑顔が広がった。
彼らの笑い声が、夜空の星の下に軽やかに響いていく。
その広場の一角、ひときわ賑やかな場所では――シマの周囲にシャインの団員たちが自然と集まってた。
焚き火の灯りに照らされ、湯気の立つ酒杯を手にしながらジトーが呟く。
「シンセの街から帰ってきたらお前たちがいなくてびっくりしたぜ……」
シマが苦笑を浮かべると、今度はエイラが身を乗り出しながら言った。
「でも、牛10頭に鶏100羽を手に入れてくれたのね! すごいじゃない」
隣のサーシャが手を合わせて目を輝かせる。
「これでプリンが食べられるわ!!」
「プリンのために急遽行って来いって言われたんだろ?」
呆れ気味にザックがぼやく。
「容赦ねえな、うちの女性陣たち……」
杯を傾けながらフレッドが苦笑を漏らした。
その流れで、ぽつりとクリフが言う。
「……まあ、なんだ。お疲れ」
いつものぶっきらぼうな口調に、周囲の空気が少し和らいだ。
「僕も、牛舎と鶏舎を早く作れってせかされたよ……」
弱々しくつぶやくのはオスカー。
肩をすくめながらジュースをすすっていた。
その言葉にすかさずメグが横から顔を出す。
艶やかに笑って、目を細めて問う。
「あら? なにか不満でもあるの?」
「そ、そんな! 不満だなんて……!」
あたふたするオスカー。
顔が真っ赤になり、グラスを落としそうになるのをリズがすかさずフォローして渡し直す。
そこへケイト、ミーナ、ノエル、が次々とやってきて、一際華やかな輪が出来上がった。
ケイトは手にしたグラスでシマに乾杯しながら、「あなたたちが無事でよかったわ」と静かに微笑み。
ミーナはスレイニ族の兵装に興味を示して、遠目に観察しながらも話題は村の今後の設備整備に及び。
ノエルは目を細めながら、動物たちの健康状態について語り。
リズは隣でお菓子を摘みながら、「この馬乳酒、クセになりそうね」と満足げに呟く。
少女たちの笑い声と、男たちの軽口、酒の注がれる音、遠くでは子供たちの走り回る足音。
焚き火の炎が揺らめき、夜風が涼しく頬をなでていく。
その場にいるすべての者が、「帰ってきた」という実感と、「これから始まる未来」への期待を胸に抱きながら――
宴の夜は、深く、温かく、進んでいった。