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光を求めて  作者: kotupon
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議論

応接間の片隅では湯気を立てる茶が冷めかけていた。

だが誰もそれに口をつけようとせず、代わりに部屋の中心で交わされる会話に意識を集中していた。


話しているのは、シマとハン・スレイニ。

年も立場も違う二人が、まるで旧知の友のように、言葉を交わしていた。


「軍制改革ってのはな、まず“軍”ってもんを共通理解で作るところから始まる。単なる寄せ集めじゃなく、“戦う集団”としての意思統一が必要になる。」

シマが言えば、ハンはすかさず食い気味に質問を返す。


「じゃあ、“軍”と“戦士の集まり”って、何が違うと思いますか?」


その問いに、シマは「ほう」と一つ頷き、前傾姿勢になる。

「一番大きいのは“統制”だな。たとえ全員が強くても、命令を無視して勝手に動く奴ばかりじゃ意味がない。命令系統を整えて、規律を叩き込み、誰が指揮を執るかを全員が理解してなきゃならねえ。」


「……命令を守るのも戦いのうち、ってことですね。」


「そうだ。命令と判断と責任の所在。それが軍の柱になる。あとは装備の共通化、訓練の標準化、補給路の整備……話し出したらきりがねえが、全部が噛み合って初めて“軍”になる。」


ハンは興味深そうに何度も頷き、言葉をかみしめるように目を伏せた。

「なるほど……なるほど。では、戦術と戦略の違いは?」


「戦術は“どうやって勝つか”、戦略は“何を目的として勝つか”だ。戦術は目の前の戦場の話だが、戦略はもっと広い、国家とか外交まで含めた話だな。」


「じゃあ、物資の搬入路を断つのは戦術ですか?戦略ですか?」


「いい質問だな。戦場レベルでやるなら戦術、国全体の補給線を断つ意図があれば戦略。どこで切るかは、意図と規模による。」


そのやり取りはまるで鍛冶場の火花のように、熱く、鋭かった。


ハンは尋ねる。

「じゃあ、兵站を軽視すると、何が起こる?」


「餓える、動けない、戦えない。勝てる戦も勝てなくなる。逆に言えば、兵站を押さえれば、戦わずに勝てることもある。」


「“戦わずして勝つ”……それが理想ですね。」


「理想だが、難しい。だが、理想は捨てるな。」


この一連の応酬に、周囲は完全に置いてけぼりだった。

オズワルドはぽかんと口を開け、秘書官たちは眉をひそめながら必死にメモを取っているが、ペン先が止まりがちだ。 

ダグはヒソヒソ声で「……え、兵站ってなに?」とヒルに聞くも、「……食料とかだろ…?」と怪しい返事が返ってくる。


ただ一人、ヤコブだけは表情を変えずに聞き入り、時折「ふむ」と頷いては思案に耽っている。

さすがに年の功と知識がものを言う。


ロイドも腕を組んで黙って聞いていた。

理解の深い分野には内心うなずく場面も多かった。

特に「統率と責任の所在」という言葉には思い当たる節があるようだった。


ユキヒョウは目を細め、どこか楽しそうに話を聞いていた。

彼は言葉を挟まなかったが、内容の三割ほどは理解していた。

だが、それ以上に、「この二人は恐ろしく合うな」という観察に強い確信を持っていた。


ハンはなおも質問を重ねる。

「なぜ、軍法が必要なのですか?」


「自浄作用だな。悪意ある行動や命令違反を裁く枠組みがなければ、軍は腐る。“力を持った暴徒”と変わらなくなる。」


「では、兵士が理不尽な命令に従わされた場合は……?」


「命令違反は罪になる。でもその命令が間違っていたなら……その責任は上に行く。命令系統と軍法はセットだ。上下関係だけじゃなく、上もまた裁かれる。」


「……責任の所在を明確にする。それが軍の秩序につながるんですね。」


「そういうこった。」


部屋の空気はすでに議論の熱で満ちていた。

話は戦術から軍の教育制度、士気の維持法、前線と後方の連携の取り方、さらには民兵制度の活用可能性にまで及ぶ。


ハンは何度も「なぜ?」と尋ね、「考える」。


それに対してシマは、一つ一つ丁寧に答える。

「それでいい」「まだ明確な答えじゃないが」「一緒に考えるか」と言い、質問を問い返すことすらあった。

話の熱は、戦争や軍の話だけに留まらなかった。


少し間を置き、ハンはふと視線を遠くに投げるように言った。

「……僕はね、飢えない国を作りたいんです。」


その言葉に、部屋の空気がまた少し変わる。

先ほどまでの軍略の話とは違う、もっと根本的で、静かに心に沈むような響きだった。


「戦争が続くのは、争いが終わらないのは……多くの場合、飢えと貧しさが原因です。食べられなければ人は怒る。奪う。だから、僕は作物を育てさせました。土地を耕し、麦や芋を、豆を――育てられるものを。」


「作物を?」とシマが問い返す。


「うん。それだけじゃないよ。交易を活発にするようにも努めたし。他所と物をやり取りすれば、足りないものが補えるし、仕事も生まれます。だから、手工業を促しました。売れる物を作らせたんです。木工、皮革、織物、陶器……何でも。」


シマはふっと目を細めて頷いた。そしてゆっくりと口を開く。

「……いい取り組みだ。だが、まだ不十分だ。」


ハンが目を向けると、シマは手を組みながら淡々と、しかし熱を込めて続けた。

「作物を育てるときは、一種類に偏らせるな。偏ると、一度の気候不順で全滅する。病気や害虫でもやられる。一つが駄目でも他で補えるよう、多様に育てるんだ。」


「多様性……なるほど。」


「交易を活発にしたいなら、“どこにでもある物”じゃなく、“ここだけにしかない物”を売れ。珍しい物、質の高い物、それがあって初めて“欲しい”と思わせられる。そういう物を前面に出す。」


ハンは目を見開いた。

「“ここだけにしかない”……!」


「それからな、“作らせる”だけじゃ駄目だ。自分たちが作った物の価値を知らなければ、ただの“労働”で終わる。自分の作った物が、どれほどの価値があるのか。それを知ることが、“誇り”になる。次へつながるんだ。」


「……価値を知ることが、誇りになる……」

ハンの声は、少し震えていた。それは感情の震えだった。


「そのためにも――読み書き、計算。これができなければ、交易相手に足元を見られる。騙されても気づけないし、損しても文句が言えない。学は“守る力”になる。金を数えられるようにしてやれ、帳面をつけられるようにしてやれ。」


「学は……守る力……」

ハンは呟くように繰り返した。


周囲の者たちはまたしても言葉を失っていた。

誰もが心に思っていた。この二人、どれだけの未来を見ているんだろうと。


秘書官は思わずペンを落とし、拾うのも忘れて呆然と聞き入っていた。

ダグとヒルはお互い顔を見合わせ、無言で頷く――彼らにも、その言葉の重みが届いていた。


ヤコブは目を閉じ、小さく「うむ……うむ」と頷いていた。

これは「知識の力が社会を変える」ことを信じてきた学者の共感であった。


ロイドは腕を組みながらシマの背中を見つめていた。

シマが口にする“教育の力”が、自身が見てきた混乱の世界とはあまりにも対照的で、だからこそ信じたくなるものだった。


ユキヒョウは唇の端をわずかに吊り上げていた。

目の前にいる二人は、理想を語るだけの夢想家ではない。

言葉に、血と汗と責任の重みが宿っている――それが分かるからこそ、心を打たれていた。


ハンは、膝の上に置いた手を静かに握りしめていた。

その眼差しには焦りも不安もない。

ただ、真っすぐに未来を見据える静かな決意が宿っていた。


「……全部、全部正しい。でも、全部やるのは、大変ですね。」


彼の声には本音が混ざっていた。理想はある。目標もある。

けれど、それを形にするには膨大な努力と、時に犠牲すら必要だ。

そう痛感しているからこその言葉だった。


それに対して、シマはいつもと変わらぬ低いが温かみのある声で言葉を返す。

「だが、いるんだろう。お前の周りには――同じ意思を持ち、同じ方向を向いて、力を貸してくれる仲間が。」


ハンの目が少し驚きに揺れる。


シマは続けた。

「スタインウェイさんが言ってたぜ。ここ2、3年で町は変わったってな。」

少し微笑みながら、シマはテーブルに肘をついて言葉を置いた。

それは称賛でも、慰めでもない。認めるという、まっすぐな肯定の言葉だった。


ハンは、はっとしたように目を瞬かせ、そしてぽつりと笑った。

「……うん、そうだね。僕には……頼りになる仲間たちがいっぱいいるんだ。」

その言葉には誇らしさと感謝が滲んでいた。


温かな空気が応接間を包み、誰もが言葉を挟まず、その静かな感動の余韻を感じていた―――そのとき。


「グゥゥゥ~~~~~……」

やたら大きく、腹の底から響くような音が部屋に鳴り響いた。


一瞬、誰もが驚いてきょとんとした。


「……ああ、俺だ。」

テーブルの一角に座っていたトーマスが手を挙げ、肩をすくめて、照れくさそうに笑う。

「腹の虫がさ、何か食わせろって……言ってるぜ。」


その一言に、まずダグが吹き出し、ヒルが肩を震わせて笑い、ロイドは静かに口元を覆った。

ヤコブは目を細め、ユキヒョウは「君たちはほんと、もう……」と苦笑交じりに呆れ、スタインウェイですら鼻を鳴らして、「ガハハ!」と豪快に笑った。


ハンも思わず笑ってしまう。

「……ふふ、じゃあ、何か温かいものを用意してもらいましょう。あれこれ話すのは、腹を満たしてからにした方が良さそうだ。」


「おっ、話の分かるお人だ」

冗談めかしてトーマスが言い、場は一気に和やかな笑い声に包まれた。


戦争、飢え、改革――重たい話が続いたあとのこの一瞬。

まるで腹の虫が、これ以上は堅苦しくなるなと空気を読んだかのようだった。

まさに、“同じ方向を向いた仲間たち”がいることを、皮肉にも一番分かりやすく示してくれたのは、トーマスの腹の虫だった。

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