壊滅
暗闇の中を疾走するシマは、深淵の森で培ってきた生きる術をフル活用していた。
高い身体能力はもちろんのこと、五感を極限まで研ぎ澄ませる。
漆黒の闇の中でも、シマの目は夜目がきき、周囲の状況をある程度見分けられる。
深淵の森での過酷な生活の賜物か、それともブラウンクラウンの影響なのかはわからないが、彼にとってはこの程度の暗闇など何の障害にもならなかった。
シマは野盗に悟られないよう大きく迂回しながら接近していく。
時折雲の切れ間から覗く月明かりが、目の前の光景をはっきりと映し出した。
――野盗だ。人数は……25人から30人。
何人かはうつ伏せになって、ライアンたちの動向を伺っている様子が見えた。
弓を持つ者が二人、盾持ちはいない。槍を持つ者は五人、残りは剣や棒といった貧弱な装備ばかり。
シマは一瞬で敵の装備や人数を把握すると、音もなくその場を離れ、ライアンたちのもとへ戻っていった。
「もう戻ってきたのか?」シマの素早さに、ライアンは驚きを隠せなかった。
シマは冷静に状況を報告する。
「敵は25人から30人。弓持ちが二人、槍が五人。盾持ちはいない。残りは剣や棒で装備は貧弱だ。」
「ただの腹を空かせた野盗か……?」ライアンが独りごちる。
「野盗にしては人数が多すぎませんか?」
ダルソンが疑問を口にした。
他の団員たちも「確かに」と頷く。
「この辺りにそんな大規模な野盗はいないはずだが……まぁ、大したことはねえだろう」
「馬鹿野郎、油断するな。この暗闇の中で矢を放たれたらどうする?」
ライアンは諌めるように言い、シマに問いかける。
「……シマ、お前ならどうする?」
「…俺を試すのか?あんたなら既にやることは分かってるだろ?」
「そういうな、お前の意見が聞きたいだけだ」
シマは少し考えた後、冷静に答えた。
「まずは目的をはっきりさせること。アレンや物資、馬を守ることが第一。野盗を殲滅するのは二の次だ。向こうは奇襲を仕掛けようとしているが、こっちが気づいた時点で奇襲ではなくなる。ならば、こっちから奇襲を仕掛けるべきだろう。混乱させることができるぜ。」
その言葉に、ライアンはニヤリと笑った。
「いいぜぇ、お前……奇襲にあたるのは?」
「俺たちがやる。もちろん、対価はもらうがな。」
「……フハハ、うまくいったら俺たちから1金貨を支払おう。アレンさんは?」
「……私からも1金貨を払おう」
「俺はお前の後についていくぜ。見届ける義務があるんでな」
ライアンが言い、決戦への準備が整った。
団員たちに「お前らは、ここで臨戦態勢のまま待機だ」と告げるライアン。
鋭い視線が夜の闇を切り裂き、団員たちは一様に緊張感を高めた。
シマはジトーたちに向かって、「すまねぇ、勝手に話を進めちまって……」と少し申し訳なさそうに声をかける。
「問題ないよ」
にこやかに応じたのはロイドだ。微笑んだその表情には信頼がにじんでいる。
「そうだぜ。俺は最初からやるつもりだったしな。」
トーマスが得意げに胸を張る。
「まあ、そういうことだ。気にするな」
ジトーがいつものように軽い調子で言うが、その目には戦意が宿っている。
「……そうか」
安堵したシマがふっと笑い、手を軽く上げる。
「ちと耳を貸せ」
仲間たちがシマに顔を近づける。
「……そこで………。」
「ククッ、お前、どこからそんな悪知恵を思いつくんだ?」
ジトーが感心したように呟く。
「フフッ、面白そうだね」
ロイドが口元を歪める。
「ん?そうかなぁ?これくらい、誰でも思いつくんじゃね?」
首を傾げるシマに、三人は苦笑する。
作戦は決まった。
トーマスとロイドは大きく迂回して右側から奇襲を仕掛ける。
先頭は盾を持つトーマス、その後ろにロイドが続く。
シマ、ジトー、ライアンは左側から仕掛ける。
ジトーが盾を構えて先頭を進み、その後ろにシマが剣を構えてつき、最後尾にライアンが加わる。
装備も確認した。
シマは剣、ジトーは盾と槍、トーマスも盾と槍、ロイドは剣。
「行くぞ」
ジトーの合図に、全員が静かに頷いた。
暗闇の中、草原を身を屈めて疾走するシマたち。
深淵の森で培った技術で、足音ひとつ立てずに地を踏む。
しかし、ペースが若干落ちた。ライアンがついてこられないのだ。
シマはちらりと後方に目をやる。
およそ30メートル後ろ、ライアンが四苦八苦しながら追ってきていた。
動きはぎこちなく、足音も完全に消えてはいない。
「くそっ……」
ライアンが舌打ちする声が、夜の空気に溶ける。
彼にとって、隠密行動は初めてに近いものだった。
何度も戦場を経験し、正面からの戦いには自信があるが、身をかがめ、音を殺して移動するこの状況は別次元の難易度だった。
シマはジトーに並び、手でハンドサインを送る。
ジトーが理解の印に頷き、そのままのペースを維持する。
ライアンは息を切らし、必死に地面を睨む。
乾いた草を踏む音が、耳に刺さるほど鮮明に響く。
背中には冷たい汗が滲んでいた。
「まさか、この俺がお荷物になるとはな……」
自嘲気味に呟き、再び体を低くして前進する。
シマたちはライアンの動きを気にしつつ、慎重に敵陣へと近づいていった。
やがて、敵の話し声が夜風に乗って聞こえてきた。
「……もう少しだ……合図があれば、一気に仕掛けるぞ」
「商人は生かしておけって……面倒なこった」
「黙れ、報酬が減るぞ」
シマの目が細まった。
(狙いはアレンと馬車……)
視線をジトーに送る。ジトーは無言で頷いた。
全員が武器を構えた。闇の中で、反撃の刃が光を待っていた。
夜闇を突き破るように、シマとジトーが無言で弾丸のように飛び出した。
その動きはまるで野生の獣が獲物を襲うかのように俊敏で、無駄な動作が一切ない。
シマの手に握られた剣が月明かりを反射して一瞬だけ光り、そのまま目の前の敵を切り裂いた。
「ギャッ!」
悲鳴が上がる。
隣ではジトーが巨大な盾で敵を吹き飛ばし、槍で追撃を加えている。
「グボォ!」
敵兵が地面に叩きつけられ、胸元から血が溢れ出す。
その絶叫が周囲の野盗たちに恐怖を植え付けた。
まさかこの暗闇の中で奇襲されるとは思っていなかったのだろう。
その時、反対側からもトーマスとロイドが飛び出してきた。
トーマスが盾で敵の注意を引きつけ、ロイドが素早い動きで剣を振るう。
「ガッ!」
「ヒィッ!」
ロイドの剣が敵の脇腹を斬り裂き、血飛沫が舞う。
トーマスが槍を突き出し、敵を貫く。
野盗たちは完全に浮足立つ、あたりには恐慌が広がっていった。
「奇襲がバレた!」
「 失敗だ!」
「逃げろ!」
「 殺されるぞ!」
シマ、ジトー、トーマス、ロイドが煽るようにが叫ぶ。
闇の中に響き渡るその声は、敵にさらなる恐怖を与える。
野盗たちは我先にと逃げ出し、武器を投げ捨て、仲間を盾にしてでも命を守ろうと必死だった。
野盗どもは完全に混乱の渦に巻き込まれていた。
「撤退だ!」
群れの中から低く響く声が上がった。
頭目らしき男が必死に逃げようと背を向ける。
しかし、その声を聞き逃さなかったライアンは「奴が頭目か!?」
ライアンはそうつぶやくと、地面を蹴ってその男に向かって一直線に走り出した。
剣を振り上げ、狙いを定める。
「お、おのれ……!」
男が必死に剣を構えたが遅かった。
ライアンの剣が一閃されると、鋼が肉を裂き、骨を断つ音が響く。
「ザシュッ!」
男の首が胴体から離れ、無情に地面へ転がった。
残された体が数秒の間、その場に立っていたが、やがて力なく崩れ落ちた。
ライアンはその首を掴み上げ、敵陣に向かって高々と掲げた。
「見ろ! お前たちの頭目は死んだぞ! 」
シマたちはこの混乱をさらに煽るように、口々に叫び声を上げた。
「逃げろ! 逃げろ! 全員皆殺しにされるぞ!」
その声に野盗たちは完全に戦意を喪失し、蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。
あたりには、切り倒された野盗たちと戦いの余韻だけが残る。
シマたちは呼吸を整えながら、周囲を確認する。
地面に倒れている野盗の中で、まだ息がある者が四人いた。
どうする?と目でジトーが問いかける。
シマは無言で頷き、剣を構えた。
他の三人も同じく無言で頷くと、それぞれ武器を手にして四人の野盗に近づいていった。
「や、やめ……」
シマは何も言わず、剣を振り下ろした。
野盗が最後の息を漏らし、沈黙する。
ジトー、トーマス、ロイドもそれに倣い、ためらうことなくそれぞれの標的を葬り去った。
血の匂いが立ち込める夜闇に、再び静寂が訪れる。
どんな理由で野盗に堕ちたのかは知らないが、街道の安全、商人のため。
何よりも野盗どもに囚われて奴隷として売られる者たちが少しでも減るようにと。
「いい判断だ。」
ライアンが静かに言った。
ここはそういう世界であり、そうしなければ生き延びられないのだ。
ライアンは頭目の首をじっと見つめ、口の端を歪めて笑った。
「こいつには懸賞金がかかってるかもしれねえな。……しかし、お前ら、ククッ、とんでもねえガキどもだな……ハハハ!」
彼の笑い声が、静まり返った戦場に響き渡った。
シマたちは、その声を聞きながら剣の血を拭い、再び暗闇の中に溶け込んでいった。




