紅イモ?!
シャイン傭兵団の面々は、先ほど決定した団旗の話題で一通り盛り上がりを終えると、徐々に場は緩やかな空気に包まれていった。
そんな中、いかにも「今だ!」と言わんばかりの顔でザックが立ち上がった。
「団旗も決まったしなぁ……いやぁ、めでてぇなぁ~!」
手を叩きながらニヤニヤと周囲を見渡す。
「――というわけでよ、なんつったか……そうそう、“給金”!くれよ」
唐突なその要求に、思わず皆の視線が彼に集中する。
「貰ってどうすんだ?ここじゃ使えねえだろ」
クリフが、呆れたように眉をひそめる。
「シンセの街だったか? あそこに行くんだよ」
ザックはあっけらかんと答える。
「そうそう!だから二日ほど、休みをくれよ、な?」
フレッドも便乗するように笑みを浮かべて加勢する。
「……娼館か」
トーマスがぽつりと呟くと、「それしかねえだろ!!」
ザックとフレッドが、声をぴったり揃えて叫んだ。
焚き火の火が「パチッ」とはぜる。
微妙な沈黙が走った後、シマはやれやれといった表情で片手を挙げる。
「しょうがねえなぁ……」
その一言に、背後から怒号が飛ぶ。
「ちょっと、シマ?!」
リズが目を剥いて立ち上がる。
「お兄ちゃん二人には甘くない?!」
メグも頬を膨らませて抗議する。
シマは顔をしかめつつも、どこか申し訳なさそうに言う。
「うーん、でもなあ……給金を払うって約束だからな」
「そうだぜ、約束は守らねえとな」
とザックがしたり顔で頷き、「さすが俺たちの団長だぜ。話が分かる!」
フレッドがにやけながら親指を立てる。
すると、やや困ったように頭を掻いたオスカーが、何気なく口を挟んだ。
「……ついでに買い付けに行ってもらえば?」
全員が一斉にザックとフレッドを見る。
その視線は、「それは……どうだろう?」という、露骨な懸念に満ちていた。
「この二人に?!」
とサーシャが呆れ声をあげ、「……無理でしょ!」と即座に否定。
「娼館代に消えるわ」
エイラが冷静に言い放ち、「使い切るまで、何日も帰ってこないかも……」
ケイトが苦笑混じりに呟く。
「十分にあり得るわ」
ノエルが静かに頷いた。
ザックとフレッドは「ひどくねえ?」と顔を見合わせながらも、どこか否定できない様子で苦笑する。
「なぁ……信用ねぇな、俺たち……」
「いや、まぁ……返す言葉がねぇ……」
そんなふうに、あくまで陽気に、馬鹿馬鹿しく盛り上がる一幕。
ザックとフレッドの「娼館行き」に始まった話題は、やがて団全体の行動計画に移り変わっていた。
「団員たちも、連れていってもいいかもね」
ロイドが穏やかな笑みを浮かべて言う。
「息抜きも必要だな」
ジトーが短くうなずく。
「酒も、もう残り少ねえんじゃねえか?」
クリフが口を挟む。
すると、シマが組んでいた腕をほどき、少し前に出る。
「……食料、資材、医薬品、はどうなってる?」
一気に場の空気が引き締まる。
「小麦粉はまだまだ余裕あるわ」
エイラが帳面を取り出しながら言う。
「資材は……布と革ね。いくらあっても困らないわ。医薬品類は薬草を補充しておきたいところ」
「うむ、そうじゃのう」
とヤコブが頷く。
「研究にも調合にも使うからのう、薬草類は多いに越したことはない。乾燥品、抽出用、あとは希少な高地産のものも見ておきたいのう」
「糸に蜜蝋、それから果実酒、日持ちのする果物が欲しいわ」
ミーナが指を折りながら整理している。
「保存瓶と乾燥箱もあるけど、やっぱり現地調達の方が新鮮よ」
そのやり取りを聞きながら、シマは焚き火の向こうに座るギャラガやユキヒョウたちを見やった。
「お前らは何か要望はねえのか?」
問われたユキヒョウは、少し間を置いて首を振る。
「僕は特にないかな。物に執着が薄くてね」
「私も……ないわね」
マリアも薄く笑いながら同意する。
「俺も特にねえなぁ」
ドナルドがあくび混じりに言い、その隣でキーファーとデシンスも無言で頷く。
「俺は……そうだなぁ」
ギャラガが焚き火の揺らめく光を見つめながら言葉を探す。
「アンジュが果実酒をけっこう飲むからな。強いて言えば、果実酒を多めに、ってとこか」
「お前も果実酒、好きだろうが」
クリフがすかさず突っ込みを入れる。
「まあ、そうだな」
ギャラガは照れくさそうに笑いながら、肩をすくめる。
「家庭持ちの人たちも、シンセの街に連れていってもいいかも」
オスカーが提案する。
「うん、たまにはいいかも」
メグがうなずいた。
「こっちから売りに出せるものは……何かあったかしら?」
サーシャが口を開いた。
「今のところ、オスカーの作った弓くらいか?」
ジトーが少し考えてから答える。
「10張あるよ」
オスカーが淡々と言う。その顔には誇らしさも気負いもない。
だが、仕上がりには自信があるという表情だった。
その発言に何人かが「おおっ」と声を上げた。
「――木炭はどうじゃ?」
ヤコブが片肘を膝に乗せながら、ふと思い出したように口を開く。
「保存も利くし、冬場の燃料にはもってこいじゃろ?」
「……この冬に、どれくらい使うか分からないわ」
エイラがやや難しい顔をして言う。
「人数が人数だものね……」
横からマリアが静かに補足する。彼女の言葉に、周囲も無言でうなずく。
「……あのリバーシってやつは、どうなんだ?」
焚き火越しにオズワルドが問いかける。
「結構ウケがいいって聞いたが」
「直ぐに真似されるから、大量に作って一気に売りに出す計画よ」
ミーナがすぐに答える。
「となると、オスカーの弓くらいか」
トーマスが腕を組んで言うと、数人が頷いた。
「それでも一張で二金貨にはなるわ」
エイラが補足する。
「売り先さえ選べば、それ以上も狙えるかもしれない」
「確かに、アレはいいものだ」
デシンスが珍しく感情を込めて言った。
「張力と射程、それに弦の安定感が違う。兵士用としても狩猟用としても申し分ない」
しばし沈黙が流れたあと、シマが言う。
「――んじゃ、シンセの街に行きたいやつは明日、希望を募る。出立は明後日、休みは三日間だ」
その言葉に周囲から「おお!」と小さな歓声が上がる。
会話はそのまま具体的な段取りへと移っていく。
「給金は、明日支払われること」
「使わない者の分は、シャイン商会が管理」
「明日の作業は午前中だけ」
「買い付け、売りに行く者はミーナ。」
ミーナは「はいはい、責任重大ね」と苦笑しつつも、すでに脳内で買い付けリストと予算割りを組み立て始めていた。
「シャインから行くのは……ジトー、クリフ、ケイト、それからザックとフレッドでいいな?」
シマが確認すると、皆がそれぞれの表情で頷く。
ジトーは用紙を取り出して行程を書きつける。
クリフは「任せろ」と片手を上げ、隣のケイトは「ちゃんと予定守ってよ」とフレッドに釘を刺していた。
ザックとフレッドは顔を見合わせ、「やったぜ」「久々の街だ!」と手を取り合って小躍りしている。
焚き火は静かに燃え続け、話し合いの最後の余熱のように、団員たちの笑い声が風に乗って流れていった。
シマがふと思い出したように声を上げた。
「……ああ、そうだ。シンセの街に行ったら、サツマイモと、鉄板、それから銅板を買ってきてほしい」
唐突なその指示に、クリフが眉をひそめて首をかしげる。
「……サツマイモ?鉄板?銅板?……いや、鉄板と銅板はまあ分かるけどよ……なんだその“サツマイモ”ってのは」
「芋の一種であることは、俺でもわかるな」
ギャラガが腕を組みながら口を挟む。
「でもどんな感じなんだ?それ」
「甘くて赤い芋だな」
と、シマが言う。指で空中に長細い形を描きながら説明するその姿に、周囲の目が集まった。
「……紅イモのことかな?」
ユキヒョウがぽつりと呟く。
「そうだな」
オズワルドが頷いた。
「アレ、甘くて美味しいもんね」
マリアが懐かしそうに目を細める。
「蒸してよし、焼いてもよし。小腹が空いたときにちょうどいいのよ」
「どこにあるんだ?」
シマがたずねると、マリアは笑って答える。
「ゼルヴァリアじゃ、普通に食べられてるわ。シンセの街でも、たぶん市場に並んでると思う」
「その紅イモがどうしたんだ」
傍らで聞いていたキーファーが反応し、その言葉に続けてシマが口を開く。
「――何だ、それなら……焼酎もあるのか?」
その瞬間、サーシャたちの間に走る微妙な沈黙。
そして次の瞬間、全員がぴくりと眉を上げ、(またか……!)という表情を浮かべた。
(出た!またもやシマの“前世の記憶”にあるものが……!)
ノエルとエイラが顔を見合わせて苦笑する。
ケイトはため息をつきながらも、どこか楽しげな様子だった。
「ふむ……同じ仲間なんだし、構わんじゃろう」
ヤコブが朗らかに笑う。
「して、そのショウチュウとは何かの?また妙な語じゃの」
「酒だよ……甘くて強いやつ…?芋から作る……あるんだろう?」」
シマが夢見るような目で言う。
遠い記憶――彼の中では確かに“記憶”として残っているらしい。
「なんだか……また妙な事が始まりそうな予感がするわね」
ノエルがぽつりと呟く。
沈黙を破ったのは、ギャラガの呆れたような低い声だった。
「……イモから酒を造る? ……何を言ってんだお前?」
声には戸惑いと困惑、そして微かに笑いを堪える気配さえ混じっていた。
「聞いたこともねえな……」
オズワルドが腕を組み、シマをまじまじと見つめる。
だが、その隣でユキヒョウが静かに言う。
「いや、シマが言うんだ。作れるんだろう。シマの“変な話”は大体、根拠がある」
その言葉に、ギャラガが「はあ……」とため息をついた。
「……そうだった、こいつらは規格外だったな……」
「確かに」
ユキヒョウ、デシンス、マリア、オズワルド、ドナルド、キーファーが揃って頷く。
視線は自然とシマに集まり、焚き火の向こうで彼はどこか気まずそうに肩をすくめていた。
「……しかし」
重みのある声で口を開いたのはデシンスだった。
「酒を作れるようになったら、とんでもねえことになるぞ」
場が一瞬、静まり返る。
その警鐘に似た言葉の意味を、続けたのはマリアだった。
「ワインにしても、エールにしても、果実酒にしても……酒の製造法はどこも厳重に秘匿されてるわ。貴族の財源でもあるし、酒座の保護も厚いのよ」
「え? そうなの?」
サーシャが驚いたように声を上げる。
「マジかよ……知らなかったぜ」
ザックがつぶやき、フレッドも目を丸くしている。
「…私も知らなかったわ……」
エイラが首をかしげ、少しだけ顔を強張らせている。
そのとき、ドナルドがじっとシマの顔を見つめながら、静かに問いかけた。
「……お前、もしかして――作り方、知ってるのか?」
皆の視線が一斉にシマに集まった。
焚き火の光が彼の顔に影を落とし、口元だけがうっすらと動く。
「……なんとなく、な」
ぽつりと、彼が答えた。
その瞬間、ギャラガたちの一団にどよめきが走った。
「おいおいおい、マジかよ……!」
「“なんとなく”でも知ってるのかよ……!」
「こいつ、本当に何者なんだ……」
声が交錯し、驚きと興奮と少しの警戒が入り混じったざわめきが、まるで夜風のように焚き火の周囲を駆け巡った。
ヤコブだけが、どこか愉快そう頷いていた。
「……やはり、面白いのう、シマは」




