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光を求めて  作者: kotupon


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215/457

目に見えない苦労?!

翌日の午前、バンガローの一角。

窓は閉じられ、わずかな隙間からそよぐ風すら遮断されている。


即席の寝台にティアがうつ伏せで静かに横たわる。

顔の下には清潔な布が敷かれ、左足首からかかとの上にかけてが露出している。

ノエルの手によって、傷口周辺には鎮痛湿布が丁寧に貼られていた。

だが、これだけでは足りない。

切開と縫合を必要とする手術だ――静脈に麻酔を流し込むには設備が足りないため、吸入麻酔に頼るしかなかった。


ヤコブは調合した麻酔薬の小瓶を慎重に器具へ移す。

木筒を加工した即席の吸入器に薬液を垂らし、内部を温めて気化させる。


管の先端はティアの口元へと伸びていた。

「ゆっくり深く吸ってね…そう、それでいいわ」

ノエルが柔らかく声をかける。


ティアの呼吸は次第にゆっくりと深くなっていった。

体格も肺活量もオズワルドとは異なる。

ヤコブは慎重に様子を観察しながら、吸入量を微調整する。


「……いけるぞい。もう感覚はないはずじゃ」

ヤコブが頷いたのを確認し、シマが動いた。


既に研ぎ澄ませたナイフ、鉗子、ペアン、針、糸、それらはすべて熱湯で煮沸消毒され、白布の上に並べられている。

ヤコブが布をめくると、ティアのかかとの上部にうっすらと古傷が走っていた。

断裂してくぼんだアキレス腱の痕。

シマは無言で頷き、静かにナイフを手に取った。


薄く切開。血管を避け、筋膜を開きながら、深部に達する。

ノエルが布で滲む血を拭い、鉗子で切り口を広げていく。

やがて断裂した腱の両端が露わになった。


「やはり……かなり離れておるな。癒着もしておるのではないか?」

ヤコブが声を落とす。


「…やるしかねえ…!ティアの覚悟に応えるんだ」とシマは言う。


離れた両端を優しく剥離し、余計な瘢痕を取り除いていく。

細心の注意を払いながら腱を引き寄せ、専用の絹糸で端と端を縫いつけていく。

手の動きに一切の迷いはない。

ノエルが呼吸を整え、次の器具を差し出す。

縫合は重ね、固定し、強化する。幾重にも。


時間は過ぎていたが…皆の意識はただひとつ、ティアの足に集中していた。


やがて――

「……縫合、完了だ。あとは経過を見る」

シマが低く告げた。


空気が、少しだけ、緩んだ。


バンガローの空気はまだ手術の余韻を残していた。

窓の外では柔らかな陽光が木々の葉を照らし、小鳥の囀りが静寂に混じる。


シマは深く息を吐いてから寝台の傍にいたデシンスを呼んだ。

「やれるだけのことはやった。あとは、彼女の力を信じよう」


その声に、デシンスは無言で頷き、ティアの傍に膝をついた。

彼女の左足には包帯がきっちりと巻かれており、呼吸は穏やかだった。


「意識が戻るまで待ちましょう」

ノエルが静かに告げると、湯を沸かし、持参していた薬草でお茶を煎れはじめた。

微かに香る安らぎの香気が空気に滲む。


「ようあの状態で動き回っていたものじゃ」

ヤコブが目を細め、驚嘆の声を漏らす。


「ああ。普通は立つことすら困難だったはずだ」

シマも静かに同意した。

「力も入らねえし、踏ん張ることもできなかったはずだ」


「痛くはなかったのかしら……?」

ノエルが首を傾げながら問いかける。


「うーん、確か……神経は通ってねえはずだ」

シマが唇を引き結びながら答えたその時――ティアが小さく身じろぎした。


「ティア!」

デシンスの声が一気に張り詰めた空気を揺らす。

ティアの睫毛が微かに震え、かすかに目が開かれた。


「……おかえり」

ノエルの囁くような言葉と共に、場の空気が大きく緩む。

シマもヤコブも表情を和らげ、静かに安堵の息を吐いた。


ティアの側につききりになるデシンスを残し、シマたちはひとまず席を外す。

その奥の机で、使用済みの器具を片付けながら手術の振り返りを始めた。


「やはり麻酔薬の量は、前回のオズワルド殿の時とは違うの」

ヤコブが記録用紙を片手に呟いた。


「もし前回と同じ量を吸わせてたら……意識が戻らねえ可能性もあった」

シマの顔がわずかに曇る。


「麻酔薬の吸入は慎重さが求められる、ということね」

ノエルが静かに補足する。


「それとな……器具が足りねえ」

シマがやや苛立った様子で続けた。

「今回は癒着してた箇所を剥がすのに随分手間取った。鍛冶師でもいりゃ、もう少しマシな器具が用意できたんだがな……」


「それでも、概ね上手くいったように思うがのう」

ヤコブが控えめに言うと、ノエルも微笑む。

「なければないなりに、私たちで工夫するしかないわ」


「そうじゃのう……」

ヤコブは頷き、「さて、そろそろ昼食の時間じゃな。腹が減っては記録も書けぬ。あとで一気に纏めるとしようかのう」


三人は一度、ティアとデシンスに視線を向け、静かにバンガローを後にした。

外の空気は、どこか晴れやかに感じられた。



村の中央広場に、シマたちが戻ってきたころには昼の陽が高く昇り、作業場に散っていた人々も一人、また一人と手を止めて集まってきた。

誰からともなく自然と輪ができていく。手に汗と土をつけたまま、木槌を持ったまま、鍋にかき混ぜ棒を差したまま。

家族たち、仲間たちが、不安と祈りの眼差しでシマの言葉を待っていた。


「意識は戻った。術後の経過も落ち着いている。歩けるようになるかはまだ分からないが、まずは一歩前進だ」

シマの静かな言葉に、張り詰めていた空気がふっと緩む。


どこからともなく小さな拍手が起こり、それに笑みが重なる。

あちらこちらで肩を撫で下ろすような声が上がり、ぎこちないながらも和やかな空気が広がっていく。


そんな空気の中、炊事班が準備していた昼食が配られ、みな自然と切り株や丸太に腰を下ろした。

即席のテーブルに湯気の立つシチューと焼きたてのパンが並び、子どもたちの笑い声が戻ってくる。


「今日中に新たにバンガロー三棟、完成予定だよ」

オスカーがパンを頬張りながら言った。

「ジトー、トーマス、ロイド、クリフが午後から手伝ってくれれば、仕上がる見込みだね」


「頼む。バンガローの建築が終わったら、次は個人宅に取り掛かってくれ」

シマの指示に、男たちが一斉に頷く。


「了解!」

元気よく声を上げたオスカーが、辺りを見渡して尋ねた。

「ギャラガさん、家庭持ちのみなさん、なにか要望はありますか?」


「別に、屋根があればいいだろ」

「寝られればどこでもいいよな」

「雨にさえ濡れなきゃいいって、な?」

口々に気楽な声を上げる男たち。

オスカーが「はは、まあ、そんなもんすですか」と苦笑したその時だった。


「駄目よッ!!」

怒声まじりに割り込んできたのは、奥様方。 


「オスカー君、部屋は三つは欲しいわ。子ども部屋と、夫婦の寝室と、それからもう一つね」

「家の中に調理場、ちゃんと確保してちょうだい。外じゃ冬に凍えちゃうわ」

「どうせ建てるならこんな形の家が素敵よ」

「部屋の間取りはこうしてくれないかしら、壁はここで仕切って……」


次々と詰め寄られるオスカー。

「え、あ、はい……ええと、順番にどうぞ、順番に!」


集まった奥様方の熱気と要望の嵐に、ロイドとクリフがそっと後ずさる。

ギャラガが「建築班、頑張れ」と肩を叩き、ジトーが小声で「ご愁傷様」と笑うなか、オスカーの奮闘の昼が始まった。



村の広場の一角では、今まさに奥様方に囲まれて押し問答を繰り広げるオスカーがいた。

「三部屋!調理場!日当たり!」と次々飛び出す要望に、彼は「は、はいっ、えーと、メモします…!」と顔面蒼白で図面に走り書きをしていたが、それを横目に、シマは落ち着いた声で仲間たちに向き直った。


「午後からは、いくつかの作業を入れ替える。全部じゃない、少しずつだ」


「え? なんでだよ。せっかく慣れてきたとこだぜ?」

キーファーが不満げに眉をしかめた。


「効率は確かに落ちるな」

シマは認めた上で、続ける。

「だが、作業の本質は数をこなすことじゃない。他の作業に目を向けることも必要だ。――何気なくこなしている作業であっても、そこには目に見えない苦労がある。それを知ってほしい」


静かに耳を傾けていたユキヒョウが、腕を組んだまま呟いた。

「他の作業の苦労を知るためかい」


「そうだ」とシマはうなずき、「力仕事だけが“仕事”じゃねえってことだな」と、ダグがぽつりと言った言葉にも「その通りだ」と答える。


シマは全員を見渡し、ひと呼吸置いた。

「……前にも言ったが、疲れたら休め。独自の判断で休憩しろ。逆に、休んでいる仲間を無理に働かせるな。それが仲間を信じるということだ――シャイン傭兵団、団長として命じる」

言葉の重みに、場が一瞬静まる。


そして、うなずく者、敬礼をする者、互いに目配せして頷く者が現れ、空気が引き締まっていく。


「キーファー隊は、なめし作業へ。俺が手本を見せる。キーファー、準備はいいか?」


「ああ、いつでもやれる」


「サーシャ」シマが声をかける。

「今、なめし作業に従事している者たちを率いて、堀を掘る作業に加わってくれ」


「了解、怪我をしないよう気をつけさせるわ」

サーシャは軽く笑いながら敬礼した。


「次に、フレッド隊とドナルド隊を入れ替える。」


「了解だ!」と、フレッドが力強く答え、ドナルドも無言で拳を胸に当てる。


「そして、氷の刃隊と泥レンガ作り班も交代だ。道具の扱いは誰かが教えてやれ、無理はするな」

指示が次々と飛び、団員たちが散っていく。

混乱はなく、流れるように動きが切り替わっていく様は、まさに“軍”であり、家族であり、信頼で結ばれた集団だった。


「っと、そうだ。デシンスとティアにご飯を持って行ってあげないと」

ユキヒョウが立ち上がりながら言った。


昼食の賑わいの中、その一言にシマが振り返る。

「二人にはそのまま休んでいろと伝えてくれ」


「了解だよ」

軽く笑って手を振ると、ユキヒョウは炊き出し場へと足を向ける。



なめし作業場では、川のせせらぎと皮を叩く音がリズムのように響いていた。

入れ替えで新たに参加したキーファー隊の中には、マークの姿もあった。

「キーファー隊長、熊の毛皮の話、聞きました? バンガローに置いてあるんです。今度、手が空いたらリズに名前の刺繍を頼むつもりでさ」


「へえ、そうか。マントにでもすんのか?」

キーファーが聞くと、マークは顔をほころばせた。

「いやぁ、悩んでるんですよ。マントもいいし、敷き物にも、寝具にもなる。でもちょっと重たいかなーって。まあ、それはそれで贅沢な悩みってやつです」


にこやかに話すマークだったが、すぐに作業へと戻る。

手に持った皮を絞りながら、シマの指示を仰いだ。


「よし、絞ったら、そのまま柵にかけとけ」

シマはマークの手元を確認しながら、別の束の皮を手に取って鼻を近づける。

「……で、こっちの皮は、まだ匂うな。水に漬けて叩け。もっと脂を落とさねえと使いものにならねえ」


「了解!」

マークが頷き、桶に皮を漬けながら叫んだ。

「キーファー隊長! とにかく根気よく叩いてください! 獣脂が抜けきるまで!」


「お、おう……根気か……!」

慣れない手付きながらも、キーファーは叩き棒を握り直し、桶の中の皮に力を込めて振り下ろす。

水が跳ね、腕に飛び散るが、それにも構わず叩き続けた。


こうして、彼らの手によってまた一歩、村の暮らしが形を成していく。

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