色々な用途
昼過ぎ、森の中を出てきた狩猟班が帰還した。
肩には獲物を担ぎ、服にはまだ朝露の名残と山道の埃が残っている。
シマもその列の先頭に立ち、いつものように目を細めて前方の作業地を見渡していた。
午後からは試験的に木炭作りを始める予定だった。
だが、目に飛び込んできたのは予想外の光景だった。
焚火跡のような場所に数人が集まって何かを囲んでいる。
その中心には、黒く炭化した丸太や枝が、整然と積み上げられていた。
「おお、シマ、お帰りかのう」
ヤコブが手を振って迎えた。
隣にはキジュとメッシの姿。
いずれも、煤けた手で顔の汚れもそのままに満足げな顔をしている。
「…これは……?」
近寄ってそれを見つめたシマは、思わず目を細める。
一つ、手に取ってみた。
乾いて軽く、叩けばカンと響くような感触。まさしく——
「……木炭、だな」
「うむ。わしら三人で試しにやってみたのじゃ。穴を掘り、木を詰めて、空気を遮って火を入れる……そしたらな、朝から始めた作業が昼にはもう終わっておった」
そう語るヤコブの手は煤にまみれ、しかしどこか楽しげだった。
「試しに火をつけてみたんだが、確かに長時間燃えるな」
キジュが腕を組みながら言う。
「火力自体は薪よりやや落ちるが、炎が安定してる。炊事には丁度いいな」
メッシも続けた。
「いや……でも、こんな簡単に……」
シマは少し困惑気味に黒い塊を手にしたまま眉を寄せた。
もっと試行錯誤が必要だと思っていた。
湿度や空気量、火の入れ方——どれかで失敗してもおかしくない。
それがこうも、あっさりと。
「窯のほうでもやってみたぞい」
ヤコブが笑いながら指差す先には、昨日作ったばかりの泥レンガの小さな窯があり、その脇にも同様の炭が山と積まれている。
「……あれ? 木炭って……こんなに簡単にできるんだっけ……?」
ひとりごとのように、シマがぽつりと呟いた。
その声はかすかに、少しばかり腑に落ちない響きを含んでいた。
シマは口元を引き結んでその炭をじっと見つめる。
確かに、これは炭だ。目の前にあるものが結果なのだ。
だがどこか、予定よりあっさりと進んだことに、逆に疑念を覚える自分がいた。
だが——
「……ま、いいか。できりゃそれで」
そう呟いて、彼はその炭をそっと下ろした。
そして何より、家族たちの顔に浮かぶ自信と喜びの表情が、彼を納得させてくれたのだった。
昼食の時刻、丸太を囲むように据えられた簡素な食卓に、各班の団員たちが三々五々集まってきていた。炊事班の手によって用意された温かな煮込み料理が湯気を立て、空腹を満たす香りが辺りに広がっていく。
午前の作業を終えた木材切り出し班や建築班の面々も次々と腰を下ろし、談笑が始まる中で——
「おい、何だよ。あの木炭ってやつ、もうできたのか?」
ザックが大口を開けて言った。
背後から陽光を受けて、汗に濡れた額が光っている。
彼の問いに、炊事班の一人がすぐさま頷いた。
「ええ、すぐに火が点くし、火力も安定してる。調理中に炎が暴れないのは助かるぜ」
「へえ、そいつはいいな」
「……でも、手が汚れるのよね……」
サーシャが少し眉をひそめて呟いた。
炊事用の黒くなった指先を見せながら、ため息まじりに。
「それなら、炭用の手袋を縫うわ。」
すぐさまリズが応じる。
彼女はすでに頭の中でパターンを描き始めているようだった。
「あるいは木の枝で作った箸みたいなもんを使えばいいじゃねえか。それか……トング? そう、トングってやつ。あれをオスカーに頼んで作ってもらうとかさ」
そう何気なく言ったのは、他ならぬシマだった。
その場が一瞬、静まりかえる。
「……?」
ギャラガが首を傾げる。
「箸?」「トングって何だ?」「金属か? いや、武器か……?」
周囲の団員たちもざわつき始める。
(あー……またやったな……)
サーシャが顔を覆った。
リズとケイトも、すぐさま顔を見合わせてうなずき合う。
「お前、ちょっとこっち来い」とジトー。
「説明、必要だな」とトーマス。
両脇から腕を取られ、ずるずると引きずられていくシマ。昼食どころではない。
「い、いや、俺はただ便利な道具の提案をだな……!」
「はいはい、言い訳は後で聞く!」
ケイトがぴしゃりと一言。
少し離れたところで、サーシャたちが腕を組んで立っていた。
リズとメグも並んでいる。
「言ったわよね、言動には気をつけるようにって……!」
「シマのその“普通じゃない知識”がどれだけ周囲を混乱させるか……わかってる!?」
サーシャが詰め寄る。
「だって便利だろ!? あれもこれも、何でないんだよこの世界……!」
「それを言うのがダメなのよ! なぜなら——」
「理由はあとでいいか!? 俺、腹減ってるんだけど!」
「却下!」
昼食の陽気な空気は、いつのまにか静かな緊張感に包まれていた。
だが、その後ろでグーリスとギャラガがぼそっと呟く。
「なあ、結局トングってなんなんだ?」
「たぶん……変な武器だ」
「だよな」
昼の風が、また一つ、シャイン傭兵団の喧騒と笑いを運んでいた。
昼食も終盤、空になった木椀を手に団員たちが一息つく中で、シマは静かに席へ戻った。
頬にはまだ、ほんのりとサーシャたちに叱られた余韻が残っている。
「……フフッ、君は不思議だね。謎が多すぎる」
向かいの席で、器用にスプーンをくるくると回していたユキヒョウがそう言った。
細く笑うその目には、からかいと興味が入り混じっている。
「……いずれ話すさ」
シマは少し肩をすくめて答える。
「その時を楽しみにしているよ」
とユキヒョウは目を細めて、またスプーンを回した。
そんな穏やかなやり取りの中に、ぱっと明るい声が差し込む。
「ところで今日あたり、後発隊が着くんじゃなかった?」
メグが顔を上げて言った。
「戦えねえ者と、女や子供たちが中心だからな。歩みはどうしても遅えだろ」
クリフが腕を組んで言う。
「子供たちが……十八人で……」
ノエルが指を折って数えながら、そっと付け加えた。
「俺の嫁と、団員たちの嫁、合わせて十二人が後発隊にいるな」
ギャラガがどこか誇らしげに胸を張る。
「団員十名を残してある。その中にはドナルドとキーファーもいる」
とダグが言えば
「エイラ、フレッド、マリア、それにオズワルドもいるしね」
ミーナが微笑むように続けた。
「俺たち“鉄の掟傭兵団”の十名も護衛につけてある」
グーリスは静かに言いながらも、その言葉には信頼が滲んでいた。
「じゃあ迎え入れる準備をしないとね」
ロイドが言うと、リズが頷く。
「女性専用のバンガローも建てなきゃ。午後にもう一棟建てるとして……全部で十棟ね」
「個人宅はしばらく我慢してもらうしかねえな」
ギャラガに向かってシマが言う。
「全然問題ねえよ。何なら地べたで寝るのだって慣れてるさ」
ギャラガは豪快に笑った。
その時、ケイトがスプーンを置きながら、じっとシマを見つめて言った。
「……ねえシマ? 獲物を狩るの、そろそろやめたらどう?」
「だよな」
クリフがすかさず頷く。
「見つけるのに一苦労だものね」
ミーナもその意見に同調した。
「この辺りは……狩りつくしちゃったもんね」
メグが言えば、他の団員たちも次々に首を縦に振る。
「確かに、それはあるな」
シマ自身も素直に認めた。
連日、狩猟班は山へと分け入り、シマたちの鋭い勘と技術で確実に獲物を仕留めてきた。
鹿や猪、山鳥までもが次々と捌かれ、食卓を豊かに彩った。
しかしその勢いも次第に陰りを見せ、数日もすれば足跡は遠のき、茂みのざわめきさえ静かになった。
獲物は警戒し、あるいは群れごと姿を消し始めていた。
山は確かに狩り尽くされつつあった。
昼の陽射しの下、少しずつ暮らしが形を取り始めた村。
だが自然の恵みには限りがある。
これからは別の手段も考えねばならない——
そんな共通認識が、火の落ちた炊事場の周囲に、穏やかに広がっていった。
焚火のそばで昼食をとっていた団員たちの前で、シマがぽつりとつぶやいた。
「畑、作るか……ジャガイモでも埋めるか……。種芋、持ってきてるよな?」
その言葉に、ミーナが振り向き、頷く。
「ええ、あるわよ。少しだけど、芽もいい感じに伸びてるわ」
「でも今から植えて育つの? 時期的にどうなの?」
サーシャが心配そうに尋ねる。
「大丈夫じゃね?」
ザックが肩をすくめる。
「土さえよけりゃ、芽は出るし、気温もまだ下がってねえしな」
その時、シマがふと立ち上がり、目を見開いた。
「……あっ! そうだ! 木炭!」
「え? なにが?」
サーシャがきょとんとする。
「木炭を……使えるじゃねえか。確か……『消し炭』として再利用できたはずだ……。乾燥してりゃ着火が良くなるし、確か……消臭にも使える。除湿剤にもなって……水の浄化作用まである……!」
立て板に水のように言葉があふれるシマ。
団員たちはぽかんとして聞いている。
「それに……土壌改良にも使えたはずだ。たしか……炭を混ぜることで水はけがよくなる……いや、微生物の住処にもなる……だったか……?」
「え? 木炭ってそんなに凄いものなの?」
メグが目を丸くする。
「ふむふむ……ほう、これは面白い。ひとつずつ確かめていけばよかろう」
隣で腕を組んでいたヤコブがどこか楽しげに頷いた。
「炭を使って畑を作るとはのう。これは実に好奇心をくすぐるのう……!」
話を聞いていた団員たちの目もだんだんと輝き始める。
食卓の横では、すでに空になった焚火の灰の中から、誰かが消し炭を取り出して眺めていた。
試験導入は、午後の陽射しが傾きはじめた頃から静かに始まった。
木炭の可能性を検証すべく、シマとヤコブを中心にいくつかの実験が段取りよく進められていった。
まず最初に手をつけたのは「消臭効果」の検証だった。
狩猟班や建築班の団員たちが着ていた汗まみれのシャツを数枚選び、炭を詰めた麻袋とともに木箱に収納する。
対象はジトー、トーマス、ザック、ギャラガという猛者たちの一張羅だ。
「明日の昼に確認してみようかのう」
ヤコブが言い、木箱はひとまずバンガロー横の木陰に置かれた。
次は「除湿剤」としてのテスト。
バンガローのうち4棟を選び、内部の四隅と収納棚の中に、小皿に盛った木炭を設置。
換気をしたうえで、湿度の変化を感じやすい団員たちを配置した。
続いて「浄化作用」の検証。
水がめの一つに炭を数本入れ、一日放置して味や臭いに変化が出るかを調べることにした。
そして最後は畑。
すでに簡単な開墾が終わっていた一画に、ロイド、クリフ、シマらが力を合わせて土をならし、そこに芽が出始めた種芋を植え込んだ。
畑は縦に二分され、一方には木炭を混ぜ込み、他方は普通の土壌のままとし、三か月の経過を比較する計画だ。
「このままうまくいけば、来年には他の作物にも応用できそうだな」
クリフが言えば、シマも「連作障害の抑制にも使えるかもしれん」と真顔でうなずいた。
そんなふうに炭の可能性にわくわくしながら実験を進めていたこの日。
夕刻になる頃、皆が自然と街道を見やる。
「……来ないね、後発隊」
ぽつりとメグがつぶやいた。
「やはり子どもが多いからな。無理もねぇ」
クリフが腕を組んで応じた。
「焦らず待とう。夜は冷える、今夜も焚火を絶やさないようにしよう」
シマが皆に声をかける。
あたりが次第に茜色に染まり、バンガローの灯りが一つ、また一つと灯される。
試験導入された炭たちは、それぞれの場所で静かに役目を果たし始めていた。
今日は結局、後発隊は姿を見せなかったが、その静かな一日が、この地に新たな可能性を刻んだのだった。




