頼りない知識?!
中堅隊がシャイン傭兵団に合流してから、早くも四日が経過していた。
この短期間のうちに、彼らの表情や所作には目に見えて変化が現れていた。
当初こそ、団長シマをはじめとする先発隊の圧倒的な行動力や段取りの速さに驚き、呆気に取られていた中堅隊の面々だったが、四日も共に働き、寝食を共にすれば、その驚きは感嘆へと変わり、次第に当たり前のものとして受け入れられるようになっていた。
作業体制はすっかり整い、それぞれの班に分かれて規律正しく任務にあたっていた。
木材切り出し班にはジトー、トーマス、ザック、グーリス、ギャラガ、そしてダグを筆頭に、団員六十名が加わっていた。
山の中腹に開かれた伐採地では、斧の音が絶え間なく響いており、伐採後の材を適切な長さに揃えて運び出す作業が続けられていた。
ジトーが指示を出し、トーマスがそれを力技で補完し、ザックが陽気に空気を和らげながら作業を促す。
ダグはまだ多少の慎重さを残していたが、作業手順をほぼ覚え、部下たちを動かすことにも自信を見せ始めていた。
建築班にはオスカー、ユキヒョウ、そして副隊長デシンスを中心に、九十名が従事していた。
彼らは切り出された木材を用いて、バンガローの建築に日夜尽力していた。
この四日間で新たに六棟が建ち、既存の二棟と合わせて八棟のバンガローが完成した。
規格化された木材と効率的な組立手順により、建築は日に日にスピードを増していた。
オスカーは物静かだが鋭い目で全体の進行を把握し細部の強度や仕上げを入念に確認。
ユキヒョウが補助に回り、よりスムーズに進行する。
デシンスも初日は驚きの連続だったが、今ではすっかり要領を掴み、作業指示を出せるまでになっていた。
一方、シマ、ロイド、クリフらは午前中こそ狩猟班として森へ分け入るが、午後には建築班に合流し、作業を手伝っていた。
狼や鹿を狩ってきたかと思えば、すぐさま工具を手にして梁を組み上げるその切り替えに、かつては驚きの声が上がっていたが、今ではそれもまた傭兵団の日常の一部となっていた。
解体・なめし作業班には十名が入り、ルナイ川のほとりに設けられた解体所で、狩猟された獣の処理と皮革の加工を行っていた。
マークやアーベといった団員は、手際良く骨と肉を分け、皮を剥ぎ、なめし材を使って処理を施す。
獣皮は貴重な資源であり、防寒具や革具の材料として活用されるため、作業は常に真剣そのものであった。
泥レンガと窯作りに従事しているのは十名。
ヤコブが監修にあたり、土の配合比、水の含ませ具合、型枠への詰め方など、細かい技術指導を重ねていた。
日を追うごとに成形の精度が上がり、乾燥されたレンガの表面は滑らかになってきた。
三基の窯が完成し、試験的に火入れも行われている。
小規模ながら、窯の火力と安定性に手応えを得ており、今後のパン焼きや素焼き道具の制作にも道が開けた。
炊事班には十五名が属し、この中には女性4名(元氷の刃傭兵団関係者)がいる。
増大する団員数に対応するため昼も夜も忙しく立ち働いていた。
狩猟班の――ノエル、ミーナ、リズ、ケイト、メグ、サーシャたちも午後にはすぐさま炊事班へと加わる。
それぞれの得意分野を活かし、共同で作業を進める。
全員が役割を分担し、連携の取れた動きを見せていた。
寸胴鍋が八つも火にかけられ、料理班の熱気は他の班にも伝わっていた。
また、防水加工班では布や革、生地、テントに蜜蝋を塗り込む作業が着実に進められていた。
四日目ともなれば中堅隊の団員たちも刷毛の扱いや適量を理解し、先発隊と遜色ない動きを見せていた。
ここまで来ると、もはや中堅隊の面々も目を見張るような驚きは口にしなくなっていた。
それどころか、彼ら自身が次第に変化し、鍛えられていっていることを感じていた。
"あの人たちにとってはアレが普通だから"
という言葉が自然と出るようになり、苦笑しながらも一人ひとりが己の力で任務を果たすことを意識し始めていた。
かつて呆然と眺めていたバンガローの建築も、今や彼ら自身の手で進められている。
山から担ぎ降ろした丸太が壁となり、屋根となり、そして家となる。
彼らの顔つきには、汗と土埃にまみれた自信が宿っていた。
こうして、移住計画の礎が、確かな人の力と意志によって、静かに、しかし着実に築かれていった。
夕食の喧騒が少し落ち着いたころ、シマがふと問いかけるように言った。
「なあ、みんな――木炭、白炭、黒炭、おが炭、泥炭、石炭って知ってるか?」
団員たちは一瞬顔を見合わせた後、口々に「聞いたことないな」「何だそれ?」とざわつき始めた。
ギャラガが「なんか全部、燃やすもん?だってのは分かるが……」と呟き、ミーナが「木炭と石炭って、何が違うの?」と首をかしげる。
そんな中、ヤコブが椀を置いて静かに口を開いた。
「ふむ……木炭、白炭、黒炭、おが炭、泥炭……ううむ、聞いたことがあるような、ないような……。昔のことじゃが、わしがまだ旅の途中、東方の地で、黒くてよく燃える石を見たことがあるのう」
その言葉に、団員たちは一斉に反応した。
「東方の地……って、帝国のことか?」
ギャラガが問いかけるが、ヤコブはゆっくりと首を振った。
「いや、さらに東じゃよ。遥かなる海の向こう……この大陸の地平の果て、さらに彼方。そこに、いくつもの人の暮らす大地がある」
「え……?」と、誰もが口を閉じた。
ぽかんとした表情が広がる。
この世界に生きる人々にとって、「人が住まう地」といえば、この大陸しかなかった。
彼らの常識では、大海は果てであり、越えられぬ壁であった。
ヤコブは、焚き火の炎に照らされる穏やかな顔で語り出す。
「わしはのう……生まれはこの大陸ではない。遥か西方の海の向こう、“エル・カンターレ”という国で生を受けたのじゃ。学びの家に育ち、若き日には帆船に乗って世界を巡った。熱砂の大地、氷の海、……多くの地を見てきた」
団員たちは目を見開いたまま、ただ静かにヤコブの語りに耳を傾けていた。
「ある日、嵐に巻き込まれ、乗っていた船が難破してのう。目覚めたら、ここだった。この大陸はわしにとって、地図にも記されていない“新世界”だったわけじゃ。気づけばもう何十年も経っておるがな……」
静まり返る食卓の中、誰もが信じられないという顔をしていた。
「……そんな話、初めて聞いた」と呟くデシンス。
「つまり、この世界は……この大陸だけじゃないってことか……?」とグーリス。
ヤコブはうなずいた。
「そうじゃよ。この世界は、もっと、もっと広い。わしが見たもの、記したもの、そのすべてを伝えるには……まだ時間がかかるのう」
その言葉を聞き、ユキヒョウは静かに微笑みながら火に薪をくべた。
「世界の広さを知ってる男が、傭兵団にいるとはね。……贅沢な話だ」
「そうだ。俺たちが見てきた世界は、まだほんの一部かもしれない。……でも、それを知っている家族がいる。それは大きな強みだと思うぜ」
その夜、シャイン傭兵団の面々の胸には、初めて“この世界の果て”を越えた先を想像する風が吹いていた。
焚き火の周りに広がる静寂を、ジトーのくぐもった声が破った。
「で、その……木炭? 白炭? 黒炭? ……何が違うんだ、それ?」
皆の視線が自然とシマに集まる。だがシマは、少しだけ気まずそうに頭を掻いた。
「うーん……俺も……正直、全部詳しく知ってるわけじゃないんだけどな……」
そう前置きしてから、彼は焚き火にくべられた炭のひとつをつまみ上げた。
「とりあえず、この普通のは木炭……たぶん。一度火を通した木だ。燃やすと煙が少なくて、火持ちがいい。だから料理とかに使われるんだと思う。たぶん」
言いながら、自分でも自信がないのか、シマの視線は炭からそっと外れる。
「それで、白炭ってのは……名前の通り、白っぽい炭で、なんか……カンカン音がするくらい硬いんだったかな? たしか高温で焼いて……いや、冷やしてだっけか……? まあ、火力が強いやつだ。たぶん」
少し苦笑しながら肩をすくめると、クリフが「らしくねえな」と笑い、周囲からもくすくすと笑いが漏れる。
「黒炭は、白炭と違って……ええと……もうちょっと柔らかくて、火はつきやすいけど、すぐ燃え尽きる……らしい。たぶん、こっちのほうが簡単に作れる……んじゃないか?」
そう言って、シマはみんなの表情をうかがうように視線をめぐらせた。
「他にも……おが炭とか、泥炭とかあるらしいけど……正直言ってよくわからねえ」
「で、最後に石炭。これは……まあヤコブの言う“黒くて燃える石”だな。」
シマの説明は不完全だったが、それが逆に焚き火のまわりに和やかな空気をもたらしていた。
知っていることを偉ぶらず、知らないことは知らないと言える姿に、誰もが信頼と親しみを感じていた。「薪だとよ……消費量もばかにならねえだろう?」
その言葉に、隣で串を返していたグーリスが頷く。
「だな。朝晩の炊事、作業の湯沸かし、乾燥にも使ってるし……いまんとこ山から切り出してるが、毎日このペースじゃ、すぐ山が禿げちまうぞ」
ギャラガが口の端で笑った。
「だから炭?なんだろ? ……たぶん」
「はは、シマの“たぶん”が移ったか?」
トーマスが笑うと、ギャラガも肩をすくめた。
「薪は“使って終わり”。だが炭は“育てて使う”ってことだ」
「それで……その炭?ってやつの作り方は、知ってるのか?」
団員たちが一斉にシマへ視線を向ける。
少しだけ目を泳がせた。
「……木炭なら……まあ、なんとかな」
「なんとか?」
ジトーが眉を片方だけ吊り上げた。
「いや、その……だいぶ前に、見たことがあるんだよ。森の中で、こう、でかい穴掘って……」
「穴?」
「そう。で、そこに枝とか丸太を詰めてな……で、上から土かぶせて、火をつける。で、空気をあんまり入れないようにして……こう……じわじわと焼くと……黒くて、硬くて、燃えやすいのができる」
「……ふーん」
ギャラガが腕を組んだまま、興味深そうにうなった。
「つまり……火で燃やすんじゃなくて、火で“蒸す”って感じかな?」
「そうそう、そんな感じだ」
シマは苦笑しながら頷いた。
「完全に燃やすんじゃなくて、半分だけ燃やすというか……」
「ほぉ……」
ヤコブが目を細めて聞いている。
「まあ……火を見張って、空気を入れすぎないようにして、ゆっくりやれば……できると思う」
シマが言うと、団員たちは一斉にうなずきながらも、どこか頼りない説明に不安げな顔を浮かべた。
「おいおい、大丈夫かよそれ……?」
ザックが笑いながら言うと、
「いや、言っとくがな! ちゃんとしたの、前に見たんだよ! 炭みたいなやつを鍋で火にかけたら、すげぇ長く燃えてたんだ!」とシマが慌てて弁明した。
「なるほどな……じゃあ、やってみるしかねえな」
ジトーがぼそりと言った。
「明日、試しに一つやってみるか。材料は山ほどあるし。な?」
クリフが言うと、皆の間ににわかに炭焼きへの興味が湧きはじめた。
失敗してもいい、やってみる価値はある。そう誰もが思っていた。
その夜、彼らはただ火に当たるだけではなく、「火の使い方」について一歩踏み込んで考えるようになっていた。
文明の香りを帯びた知識が、焚き火の周囲に静かに根を下ろし始めていた。




