作業分担
前方の山道、その先からわずかに聞こえていた車輪の音と、重い足取り。
ジトー、トーマス、ザックの三人は、じっと視線を向けていた。
まるで岩のように動かず、風の気配さえ逃さぬ眼差し。
次の瞬間──その目がすっと和らぐ。
「……あれは、ダグだな。先頭の御者」とザックが呟いた。
トーマスも頷く。「ああ。並走して歩いてるやつ、見覚えある顔だ」
「……表情を見る限り、異変はなさそうだな」とジトー。
警戒は解かないまでも、声には確信が滲んでいた。
「中堅隊が来たのか?」ギャラガが訊ねる。
「どこだ? お前、見えるか?」
グーリスが隣のユキヒョウに問う。
ユキヒョウは片目を細め、前方を見つめながら首を横に振った。
「…残念ながら見えないね。」
──すると、風を割くような声が山道の上方から降ってきた。
「おーい! 仕留めた獲物を置いてきたから、俺たちは一旦戻るぜ!」
声の主はシマだった。堂々たる声が響く。
「案内よろしくな」と続けたのは、もう間近まで降りてきたクリフだ。
「案内が終わったら、昼食にしましょう」
優雅に言い添えるのはサーシャ。背筋を伸ばし、涼しげな笑み。
「僕たちもいったん戻るよ!」
明るい声をかけるロイド。
「おう、分かったぜ」
トーマスが返事をし、頷く。
「んじゃあ、俺は中堅隊が来たってこと、連中にも伝えてくるわ」
ザックが言いながら、肩を軽く回す。
その巨躯がゆっくりと方向転換しながら、既に次の行動に移っていた。
そんなやり取りの中、グーリスがぽつりと呟いた。
「……あんな遠くからよく分かったな。深淵の森で培った本能ってやつか?」
「どんだけ危険な場所なんだよ……?」
ギャラガが思わず返す。
「……それだけ気配を探ってないと、生き残れない……ってことじゃない?」
ユキヒョウの声は静かだが、どこか実感のこもった響きがあった。
「ん? ああ、そうかもなぁ」とトーマス。
「あいつら、狼や熊もそこそこ知恵が回るからな」
「風上から襲ってくるし、連携もいいし、凶暴だし……でかいしな」
ジトーが付け加える。
会話が一段落したかと思われたそのとき、ふと、トーマスが眉をひそめた。
「………アレ? おかしくねぇか?」
ジトーも、すぐに頷いた。
「ああ。俺も、言ってて途中で気がついた……なんか、違和感があった。……個体が違うのか……?」
二人の表情には困惑の色が浮かぶ。
何かが噛み合わない。
仕留めた獣の挙動か、足跡か、あるいは気配の残り方か──それはまだ曖昧だった。
「……考えてもしゃーねぇ。今は中堅隊を迎え入れねぇとな」
トーマスがそう言って頭を振ると、ジトーも一つ深く息を吐き、前を見据えた。
静かに、だが着実に、中堅隊の列が村の入口へと近づいていた。
山道の向こうから土煙をあげて現れた中堅隊──
先頭の馬車の御者席には、風にさらされながらも凛と背を伸ばすダグの姿があった。
その背後には、ずらりと続く馬車の列。
全部で8台、荷台にはぎっしりと物資が積まれていた。
重そうにきしむ車軸、土を踏みしめて歩く馬たちの息遣い、そして馬車の上で手を振る団員たちの顔には、数日の旅路を終えた安堵と、再会の喜びが滲んでいる。
並走しているのは、もう一人の中堅隊の指揮官──デシンス。
馬は10頭。馬車の荷台には、木箱や麻袋、皮袋にくるまれた大樽が積まれている。
中身は道具や資材、干し肉や穀物、根菜などの食糧、塩や香辛料、薬草や包帯といった医薬品──
そしてワインや果実酒の瓶がきらりと光を反射していた。
それを見つけた女性陣から、小さな歓声が上がる。
「まあ……果実酒もあるのね」
「ワインの銘柄、何が届いたのかしら」
「やっと香りのある酒が飲める!」
その中で、ノエルがくるくると指先を回しながらにんまり笑う。
「飲み放題の権利、いつ使おうかしら?」
──合流によって、シャイン傭兵団は総勢約190名にまで膨れ上がった。
馬車は18台、馬は25頭。
合流を確認したシマは、一人ひとりの顔を見渡しながら、簡潔に、しかし心のこもった労いの言葉をかけた。
「よく来てくれた。長旅、お疲れ様。……だが、午後からは手を貸してもらうぞ。やるべきことは山ほどある」
「了解!」
「任せてください、団長!」
返事は力強く、どこか晴れやかだった。
狩猟班(解体・なめし):
シマ、ロイド、クリフ、オスカーが獲物の解体にあたる。
手際よく肉を切り分け、皮を剥ぎ、脂と内臓を分類していく。
皮はそのままなめし処理に回す。
炊事班(料理担当):
女性陣を中心に、料理に興味がある者を募ると、手を挙げたのは10名。
・先発隊から8名
・中堅隊からは2名
木材伐採班:
中堅隊からは37名とダグ自身が参加。
資材・防水加工班(布・革・蜜蝋):
・中堅隊から31名+デシンス
・先発隊から10名
資材・防水加工班では、中堅隊31名に対し、先発隊の10名が指導役として動く。
彼らはわずか一日の経験ながらも、蜜蝋の溶かし方や布・革への塗り込み方、乾燥具合の見極めを実践で学んでおり、その手順を丁寧に伝える。
泥レンガ班:
新たに先発隊から3名が加わる。
すでに黙々と作業していた既存のメンバーと合流し、泥を練る、型に詰める、天日干しするという作業を分担して進める。
──これらの配置は昼食時、手短に通達された。
腹を満たす間も、皆は次の作業に意識を向けており、その動きには統率と自律が感じられた。
シャイン傭兵団──
その一団は、まさに一つの有機的な組織として動き始めていた。
ルナイ川の川辺。
水音と皮を裂く刃の音が交じり合い、湿った土の匂いと血の香りが空気に溶け込んでいる。
簡易な解体台には熊の巨体が横たわり、シマが最後の手際で内臓を外し、血を拭っていく。
ロイドは手慣れた様子で鹿の肢をばらし、クリフは鳥を裂き、オスカーは猪の皮を剥いでいた。
手元には道具と水、乾いた布。
彼らを補助する団員のマークと他5名も無言で動き、息の合った流れを崩さない。
シマが熊の解体を終え、肉を分けると、周囲の団員たちが一斉に目を輝かせる。
注がれる視線には、言葉にせずとも「熊の皮をなめすのは俺がやりたい」という熱意が宿っていた。
肩をすくめて「ジャンケンで決めろ」と言うシマに、場の空気が緩む。
勝ったのはアーベという若い団員だった。
拳を握りしめて「よっしゃああ!」と叫び、仲間たちに笑われながら跳ねるように皮に近づく。
「熊の皮はお前のものだ。ちゃんとなめせよ」とシマが声をかけると、アーベは満面の笑みで「勿論だぜ!ありがとうな団長!」と応えた。
その横では、マークがすでに自分用の熊の皮を丁寧に伸ばし、皺を逃がすように掌で滑らせていた。
匂い、感触、手の圧──彼の集中は、一枚の皮を最高の状態に仕上げることに注がれている。
アーベはそんな様子を横目に、すぐさま自分も手を動かし始めた。
仲間たちの歓声と羨望が、秋の川辺に明るく響いていた。
「よっし、じゃんじゃん切り倒していくぜ!」
ザックの声が山に響き渡る。
彼の目はすでに斜面の奥を見据え、手に握る斧が陽光を反射していた。
ジトー、トーマスも無言で頷き、肩に斧を担ぎながら山の中へと足を進めようとする。
彼らの後ろでは、合流したばかりのダグ率いる中堅隊の団員たちが、力を漲らせた表情で続こうとする。
しかし、ジトーが振り返り「ダグたちはここで待っていてくれ」と短く告げた。
「えっ?」と一瞬、声が漏れる。
だがトーマスがすかさず続ける。
「このまま山に入ると、ブーツに水が浸み込んで泥だらけになるぞ」
「見ろよ、俺のブーツを!」
ギャラガが誇らしげに足を突き出す。
深緑の革に泥の跡は少なく、滑らかに光っていた。
「…あんまり汚れてねえな」とダグが唸る。
「まーな!防水加工ってやつをしてるからな!」
ギャラガは胸を張りながらニカッと笑った。
「防水…?なんだって…?」
ダグの顔が困惑と興味の中間で固まる。
中堅隊の団員たちもざわついた。
「作業が終わった後に説明するよ」
ユキヒョウが緩やかな笑みとともに割って入り、手をひらひらと振る。
その隣で、グーリスがバンガローの横を顎で指した。
「あそこに木材を積んでくれ。とにかく運ぶのが今の仕事だ」
「…あ、ああ、わかった…」
どこか釈然としない様子ながらも、ダグたちは頷き、準備を整え始めた。
周囲には木の香り、湿った土の匂い。
昼食を食べ終えたばかりの頃。
サーシャたちは既に夕餉の支度へと動き出していた。
村に集まる団員たちは190名を超える。
数が多ければ早めの準備が肝要だ。
サーシャが食材を確認しながら言った。
「卵があるわね」
「今朝、シンセの街で買って来たばかりだぞ」
近くにいた団員が胸を張る。
「早めに使い切らないとね」
ノエルが腕をまくると、サーシャが「ハンバーグにしましょう」と提案した。
「いいわね!」「賛成!」
ケイトとメグが声を重ねる。
焚火の明かりに髪がふわりと照らされた。
ミーナが周囲の団員たちに手際よく指示を出す。
「ミンチ肉にしてちょうだい」
スープを作る過程で布袋に骨付きの獣肉を入れる。それを寸胴鍋へ。
鍋は焚火の上にずらりと8つ並ぶ。骨から旨味を取るためだ。
その横で、数人の団員が肉を粗刻みにしては包丁や木槌でひたすら叩き、潰し、練っている。
「これ、結構きついな……」
額に汗をにじませながら一人がこぼす。
「料理は体力を使うのよ」
サーシャが笑みを浮かべつつも真剣な声で返す。
「まだまだこんなものじゃないわよ?」
ノエルが笑いながら背中を軽く叩く。
「ミンチにしたら――捏ねて、捏ねて、捏ねまくるのよ!」
ケイトの声が上がると、団員たちはどっと笑いながら作業に集中する。
やがて、その場は美味な夕餉の匂いと笑い声に包まれはじめるのだった。
泥レンガ作りの作業が着々と進められていた。
作業に当たるのは、先発隊から志願した3名と、新たに選ばれた3名の計6名の団員たち。
皆、袖をまくり、真剣な面持ちで手を動かしている。
彼らの中心に立つのは、学者姿のヤコブだった。
「混ぜすぎても脆くなる。乾燥時に縮むからの。水分と繊維のバランスを見るのじゃ」
ヤコブは持参した用紙を片手に、手にした木棒で泥の状態を何度も撹拌して確かめていた。
その目は鋭く、しかし口調は穏やかで、どこか楽しそうでもある。
「藁の量はこのくらいじゃ。水を加えすぎないように…そう、その感触じゃな」
団員のひとりが「これでいいか?」と差し出した塊に頷き、「うむ、型に詰めていこう」と声をかける。木製の枠に丁寧に泥を詰めていくと、空気を抜くように叩き、端を押し固める。
日当たりと風通しのよい場所にずらりと並ぶ泥レンガの列が、じわじわと増えていく。
「おお、見てみろよ、最初より形がきれいになってきた」
「本当だ、乾いたやつは硬さも増してるな」
互いに成果を見比べながら、団員たちの顔に達成感がにじむ。
ヤコブは「よくやっておる」と頷きつつ、「明日には組んで試しに火を入れてみようかのう」とつぶやいた。
学びと実践が交錯するその場は、静かに熱を帯びていた。
広く開けた敷地で防水加工班の42名が忙しなく手を動かしていた。
布、革、生地、テントが風に舞わないよう石で端を押さえられ、ずらりと地面に広げられている。
その中で、先発隊の10名が中心となって作業の手本を見せていた。
「蜜蠟は湯で溶かして、このくらいの粘度にして…こうやって刷毛で繊維に沿って塗るんです」
とひとりが丁寧に見せながら話す。
手元の木桶には黄色く光る蜜蠟が湯気を立て、刷毛がそれをすくっては布に塗り込まれていく。
特に継ぎ目や縫い目の部分には念入りに重ねて塗り、「ここ、縫い目は特に念入りに。雨が入るのは大抵ここです」とアドバイスが飛ぶ。
その傍らで、デシンス副隊長は蜜蠟の塗られた布に触れ、目を見開いた。
「…沁み込まない、濡れない…これは、いいね」と素直に感心する。
「作業が終わったら、自分たちのブーツやマントも仕上げちまいましょう」
先発隊の若い団員が意気込む。
「あーっ、ダメだぞ! テント布にそんなに塗り込んじまったら重くなってしょうがねぇ!」
先発隊の一人が慌てて注意する。
「底部は三回塗りだけど、側面は二回でいいんだ。覚えておけよ」
作業の合間、ふとデシンスが指差して言う。
「ところで…あの山小屋は? なんだか真新しく見えるけど…?」
「一昨日、団長たちが一日で建てちまったんですよ」
「……? そんな……馬鹿な……」
目を丸くするデシンスに、隣の団員が笑いながら「ハハ、それが普通の反応っすよ」と肩をすくめる。
「団長たちのやることにいちいち驚いてたら身が持ちませんよ? あの人たち、仕留めた熊を一人で担いで山から下りてくるんだから」
「はっ……?」
唖然とする中堅隊の面々。
その横で、手慣れた様子で蜜蠟を塗り込む先発隊の背中が、どこか頼もしくも映った。




