バンガロー
朝霧の立ち込める山の麓、ひんやりとした空気の中、グーリスたち買い出し組が荷車を引いて森道を進んでゆく。
それを見送ったシマたちは、すぐに作業態勢へと移行した。
「さて、始めようか」
シマの落ち着いた声に、周囲が静かに頷く。
今日はバンガローを二棟――それも、一棟あたり30人が雑魚寝できる規模の山小屋を、一日で建て上げるという大仕事だ。
普段なら二週間かける規模の仕事だが、シャイン傭兵団はそれをやってのける手練の集団だった。
まずは土地の測量と整地。
すでにある程度平らになっていた地面をさらに踏み固め、基礎の位置を縄でマーキング。
「ここから、奥行き12メートル、幅は6メートルでとるよ」
オスカーが簡潔に指示を出すと、団員たちは黙々と動き始める。
「まずは基礎。地面から30センチは上げるよ、湿気と虫の侵入を防ぐために」
オスカーが図面のように頭の中で組み立てた完成図を言葉にする。
地面から30センチ上げるため、基礎には丸太杭を使用。
ジトー、ザック、トーマスが、伐採済みの硬木丸太を担いでくる。
その後ろで、ノエルとミーナが杭の位置を一つひとつ測り直して確認。
「角度良し! あとは打ち込むだけ!」
「了解、離れてな!」
ゴンッ、ゴンッ――大槌の音が響く。
基礎柱が打ち終わると、その上に**横木(大引き)を渡していく。
接合部は斧とノミで削って合わせ、しっかり縄と木釘で固定。
大引きの上には根太**を均等に配置。この段階で、すでに床面の大きさが現れてくる。
杭は深さ60cmまで打ち込み、頭を揃えるよう調整。
その間、サーシャとケイトは別動隊として支柱の皮剥ぎと端処理を手際よくこなしていた。
「この斜めの切り口が雨の流れをよくするのよ」
サーシャが若い団員に教え、ナイフで丸太を仕上げていく。
床板は事前に寸法を合わせて削っておいたものを敷き詰める。
パチン、と木が嵌まり、トントンと木槌の音が連続して鳴り響く。
床が完成する頃には、土の上での作業から解放された者たちが、木の上に立った感触に小さく歓声を上げた。
「おい、沈まねぇぞ!」
「当たり前だ、俺たちが作ってんだからな!」
緊張していた団員たちの顔にも、徐々に余裕が戻ってくる。
基礎と床が完成。次は柱を立てていく。
ここでバンガロー全体の高さと屋根の傾斜が決まる。
続いて**柱(通し柱・管柱)**の設置。これが屋根の骨格となる。
各角と要所に太めの柱を立て、横に梁を渡して、木槌で叩きこむ。
ガタン、ゴン、と木材が組まれていく音があたりにこだまする。
「ここは軒を深くしよう。雨をしのぎやすくなる」
オスカーが壁の高さと庇の延長を決め、シマとクリフが手際よく対応していく。
支柱を固定するのはザック、トーマス、ジトーだが、屋根の梁を組む作業ではサーシャ、ケイト、ノエルらが屋根に登り、ロープで資材を引き上げ、角度を調整しながら作業。
骨組みの上に斜めの垂木を渡し、屋根を構成していく。
ミーナが水と灰の混合比を管理し、練り土を塗って継ぎ目を塞いでいく作業は女性陣の手際が光る。
「この継ぎ目が甘いと、風が入ってくるからね」
メグが新人に指導する姿が印象的だ。
屋根部分では、垂木を渡した上に木板を貼り重ね、さらに上から防水処理を行う。
「これ、いくわよー、布!」
サーシャとケイトが蜜蝋を塗った防水布を屋根へと引き上げる。
リズとノエルが上でそれを受け取り、均等に張っていく。
布は重ねて張り、端を縄で固定。
雨をしっかり弾く仕上がりだ。
最後に、通気と光を確保するために小さな窓枠と木の扉を取り付ける。
窓には格子を入れ、内側に布をかければ簡易的な遮光にもなる。
一棟目が完成した頃には、既に団員たちは手順を身体で覚え、二棟目はさらに早いテンポで進行した。
朝から始まったバンガロー建設の作業が、夕方前にはすでに二棟とも形になっていた。
焼けつくような日差しも、重たい木材も、繊細な作業も、全てをものともせず、着実に、効率よく、そして迷いなく。
シャイン傭兵団の面々――特にシマたち中心メンバーの動きは、まるで訓練された職人集団そのものだった。
完成した山小屋を前に、ギャラガは口を半ば開けたまま、目を丸くしていた。
「……なんなんだよ、この連中は……?」
気づけば、朝の更地が、いまや見事な木造の住居になっている。
地上30センチの基礎、厚板を丁寧に張った床、隙間なく積まれた壁、蜜蠟布を張った防水屋根。
どれも手作りとは思えぬ精度だ。
その横で、ユキヒョウは静かに頷きながら見つめていた。
「……シマの言ったとおりだね。オスカーの無駄のない指示……見て、誰一人、手の空いている者がいない」
彼の視線の先では、丸太の削り屑を掃く者、道具を運ぶ者、補助に徹する者、継ぎ目を削る者、ロープをまとめ直す者。
そんな団員たちをよそに、シマは丸太を一人で軽々と担ぎ、杭を立て、槌で正確に打ち込み、支柱を一本また一本と立てていく。
それを受けて、オスカーがすかさず指示を出し、次の行動に無駄なく繋げていく。
「シマたちもさることながら…いや、やはりオスカーじゃな……」とヤコブが呟く。
「指示だし、つなぎ目の加工、組み立てる順序、工程が素晴らしい……これは記録しておかねば……!」
慌てて懐から筆記具を取り出すヤコブ。
彼の目には、ただの家作りではなく、一種の軍事行動に等しい緻密な計画と統率が見えていた。
木材はすでに切り出され、必要な長さに加工され、継ぎ手は互いにぴたりと噛み合う。
あれよあれよという間に支柱が立ち、梁が組まれ、屋根が張られ、壁が積まれ……建物の形が一気に出来上がっていく様は、正に“圧巻”の一言だった。
一糸乱れぬ連携。団員たちは誰一人、手を余らせることなく、必要とされる場面で即座に動いた。
「……身体能力、戦闘力、戦術だけじゃなく、家まであっという間に建てちまうとは……!」
ギャラガの呆れにも似た感嘆の声に、ユキヒョウが静かに答える。
「それだけじゃないよ。昨日食べたハンバーグ? 魚の開き? あれも自前で調理してた。獲物の解体、なめし作業、山菜や茸の採取……全部彼らだけでやってのけていた」
彼は遠くを見るような眼差しで、作業を終えて水を飲むサーシャやノエルを見つめる。
「……僕たちの方こそ、彼らを過小評価していたようだね」
「……だな」ギャラガが頷く。
「これなら、どこに行っても生きていけるわけだ」
その後ろで、団員の一人がぽつりと呟いた。
「人に言っても信じてくれねえだろうな……。たった1日であんなでかい山小屋を2棟も建てちまったなんて……」
山の中に忽然と現れた木造の居住空間と、それを成し遂げたシャイン傭兵団の姿は、見る者の常識を軽々と超えていた。
夕方前、柔らかな陽射しが傾き始めた頃——
シマは空を見上げ、細く息を吐いた。
「……明日は雨か……?」
何気ないその呟きに、隣にいたクリフが同じように顔を上げ、頷く。
「……だな」
風の匂いが違う。草の香りの中に、土の湿り気が混ざり始めていた。
空にはまだ雲ひとつないが、重く沈むような空気、わずかに肌に纏わりつく湿気、耳鳴りのように変化する気圧の圧迫感。
シマの目が鋭くなる。
「オスカー、急いで厩舎を作るぞ!」
遠くで資材をまとめていたオスカーが顔を上げる。
その眼もまた、空の変化を捉えていた。
「……うん、分かった。空気が違う。明日は降るね」
近くにいたザックも、木を運びながら言った。
「湿気と風の匂い……これは確実に来るな。明日は雨だ!」
「シマ、どの辺に建てる?」とオスカーが問う。
シマは、すでに組み上がった二棟のバンガローを振り返り、数歩後ずさって、視線を地面へ這わせた。
周囲の地形と風向きを確かめ、頷く。
「この辺は居住地区にする。馬の臭いと音があるから、少し離した方がいいな……」
オスカーもすでに同じことを考えていたようで、指をすっと東の方角に向けた。
「あのあたりにしよう。ルナイ川が近いし、風下にもなる。地面も柔らかすぎない」
シマは頷いた。
「よし、そこに決めよう」
「了解!」
必要最低限のやりとりで、二人は即座に動き出す。
骨組みの構想をすぐに描く。オスカーが、現場に走って図面を描き出し、そこに木杭を打ち始めると、まるで自然に導かれるように、ザックたちが後を追うように作業に加わっていく。
「サーシャたちは夕飯の準備を頼む。お前たち(手伝っていた30名の団員)は今日はもう休んでいろ」
そう言って、シマは丸太を担ぎ直しながら笑う。
「これ以上、動けなくなる前にな」
サーシャ、ケイト、ミーナ、ノエルたちは頷き、すぐに火を起こし始める。
湯を沸かし、干し肉を戻し、野草を刻み、茸を洗う……その手際もまた、日々の経験が物語る熟練の技だった。
その時――買い出しを終えて戻ってきたグーリスたちの一行が、木立の向こうから馬車を引いて現れた。
「ただいま戻……っ!?」
一瞬で、彼の表情が固まった。
「……な、なんじゃこりゃああッ!!」
思わず腰を引き、手綱を放しかけたグーリスの叫びに、後ろの団員たちも次々と馬車から顔を出して目を見開いた。
彼らの視線の先には、わずか1日で建てられた二棟の見事なバンガローが並び、さらにその向こうでは新たな建設が始まっていた。
しかも、その場で動き回っていたのは、あの規格外の傭兵たち――戦場の獣たちであるはずの彼らだった。
「おい……あれ、まさか……厩舎を建てようとしてんのか……?」
「昨日、ここはまだ空き地だったはず……」
「うそだろ……本気で、こんな短時間で……」
誰かが呟いた。




