反省
朝露がまだ草の先に光る頃、狩猟班はすでに動き出していた。
西ルートのシマ、サーシャ、ケイト、ミーナ、クリフの五人は、朝日を背に森を北へと駆け抜ける。
山道はぬかるみ、川辺には朝もやがたちこめていたが、誰も臆する様子はなかった。
サーシャが弓を引き、ミーナが気配を消して忍び寄る。
ケイトが茂みを探り、クリフが後方から広範囲を見張る。
シマは全体の動きを見ながら獲物の動線を読んでいた。
午前中のうちに、彼らは信じられない成果を挙げた。
まずは狼7頭――縄張りを巡って争っていた一団を的確に仕留める。
次いで、鹿3頭を一網打尽に。
岩陰から突然飛び出してきた猪は、シマとクリフが連携して動きを止めた。
罠にかかった兎2羽と、弓で落とした鳥10羽。
さらには――
「……出るぞ!」
クリフの叫びと同時に、茂みを割って飛び出してきたのは、威圧感に満ちた熊。
しかし恐れることもなく、サーシャ、ケイト、ミーナの放った矢が眉間、右目、喉を穿ち、貫通。
二の矢で心臓に二射が貫通、左目を貫通。
「……絶命…よし、これで午前中3往復目だな」
シマの言葉に、一同が頷く。彼らは汗に濡れながらも充実した表情を浮かべていた。
一方の東ルート、オスカー、メグ、ノエル、リズ、ロイドもまた北上し、山中へ分け入っていた。
こちらも2往復でも成果は大きく、狼5頭、鹿5頭、鳥7羽を確保。
その合間に、ノエルとリズが目ざとく山菜やきのこを発見。
ミツバ、フキ、セリ、そして立派なシイタケやヒラタケが籠を満たしていく。
メグとロイドは木の根元を探り、クルミやヘーゼルナッツ、香草にカボスまでも収穫して戻ってきた。
昼を回った頃、狩猟班が集落跡に戻ると、そこにはもう別の光景が広がっていた。
撤去された家屋の隣には、枝を払って整えられた木材が約200本、整然と積み重ねられていた。
乾燥させるために間隔を空けて置かれたそれらは、薪用と建材用に分けられている。
泥レンガの作業場では、成形されたレンガが一列に並び、ざっと数えて180個以上。
風通しのよい場所に、日差しを受けて乾いていっていた。
ジトー、トーマス、ザック、グーリス、そして作業に加わった70名近い団員たちは木材の運搬に汗を流し、腕や背中には土埃がこびりついている。
だが、皆の表情には疲労と同時に達成感が見て取れた。
ただ、ギャラガ、ユキヒョウ、そして40名ほどの団員たちはというと――
「……ッ、あだだ……腰が……」
「ちょっと動かしただけで、背中が軋む……」
「昨日のあれ、マジで地獄だったわ……」
「…ッ!いてて!」
「う、…動けねえ…!」
もはや動くたびに呻き声を上げ、座るのも苦痛という様子。
屈強な彼らが、筋肉痛でここまで弱っているのを見るのは珍しく、周囲の者たちも遠慮がちに笑いを漏らす。
「無理すんなよ……」
シマが言うと、ギャラガは仰向けのまま手を振った。
「……まさか筋肉痛で動けなくなるとは思わなかったぜ……」
そんなやりとりの中、昼食の時間がやってくる。
今日の献立は、朝から仕込んだ煮込み肉と野菜スープ、昨晩の残りの焼き魚、それに山菜のさっと炒め、焼いた肉を挟んだ即席パンもどきの薄焼き生地。
ミツバやフキの香りが立ち、肉の旨味が沁みたスープが、体を芯から温める。
一口食べて、ユキヒョウが口元を緩める。
「……くっ、美味しい……。身体に染みるな、ホントこれ……」
ザックが大きなパン生地に肉を挟んでかぶりつき、「やっぱこれだな!」と叫ぶ。
香草の香りが鼻を抜け、疲れが吹き飛ぶような味だ。
団員たちは疲労のなかにも笑顔を見せ、周りはいつしか和やかな雰囲気に包まれていた。
山の中にある小さな仮拠点――そこには、確かな命と絆が芽吹き始めていた。
焚き火の焰がゆらゆらと踊る昼下がり。食後の余韻もまだ残るなか、身体を横たえたまま呻いているギャラガやユキヒョウたちを見下ろし、シマが腕を組んで口を開いた。
「お前ら、《骨煙草の煎じ液》ちゃんと塗ったか?《香煙玉》も飲んだか?」
その声に、呻きながらギャラガが半身を起こし、苦笑混じりに答えた。
「ああ、ちゃんと塗ったし飲んだ……あれがなかったら今ごろどうなってたか想像もしたくねぇな」
サーシャが腕を組み、腰に手を当てて少し眉をひそめた。
「《骨煙草の煎じ液》も《香煙玉》もなかったらどうなってたのかしら? ……地獄だったと思うけど」
すると、地面に寝転がっていたユキヒョウが、まるで死人のような表情で顔だけこちらに向けた。
「……サーシャ嬢、恐ろしいことを言わないでくれ……それ、マジで悪夢だ……」
「ふむ……今よりも酷い有様であったことは間違いなかろうの。肉離れや腱の炎症が起きていたやもしれん」
ヤコブが静かに言い添える。
「お前らがこんなふうになるなんてなあ……」
グーリスが肩をすくめる。
「よかったぜ、俺たち家屋の撤去作業で……マジで」
その横で、「ほんとほんと……」「…向こうの班に入っていたと思うと…考えたくもねえ……」
撤去組の団員たちが頷いている。
だが、それを聞いていたザックが笑いながら肩を揺らし、「お前ら体力なさすぎだろ?」と遠慮なく言い放った。
「なっ……!」とギャラガが勢いよく起き上がりかけ、しかし腰の痛みに呻いてまた倒れる。
「……お前らが普通じゃねえんだよ!」
その言葉に、周囲がどっと笑う。
シマはその騒ぎを収めるように、ふっと息をついた。
「……まあ、まだ2、3日は様子を見た方がいいな。無理させるのは得策じゃねえ」
リズが優しく頷きながら、「その方がいいわね」と同意する。
メグも微笑みながら、「今、無理する必要ないもんね」と声を添えた。
シマは少し表情を曇らせて、静かに口を開いた。
「……すまねぇ、俺の采配ミスだ。俺たち基準で判断しちまった」
ロイドも「僕たち基準で判断してしまったのがねえ……想像力が足りなかった」と苦笑した。
ジトーも顔をしかめながら、「俺たちにも責任があるな。止めるべきだった」と重々しく言う。
ミーナは唇を結び、小さく俯いてから、「私たちがついていながら……反省すべきね」と言った。
そこへヤコブが、湯気の立つ茶をすすりながら目を細めて言葉を挟む。
「そうじゃのう……前にも言うたが、お主たちは自己評価が低すぎる。自分たちが《規格外》であるということを、もう少し自覚して動いたほうが良い。そうすれば、こうした事態も避けられるやもしれん」
彼はそこで一度言葉を切り、手元のカップを土に置いた。
「……とはいえ、過ぎたことは仕方あるまい。次に活かせばそれでよいのじゃ。今は体を休め、英気を養うことじゃな」
その言葉に、沈んでいた雰囲気が少し和らいだ。
団員たちはそれぞれに頷き合い、誰もが少しずつ口元を緩めていく。
焚き火の赤い光と、遠くから聞こえる鳥のさえずり。
その一瞬、戦闘と労働に追われていた者たちは、仲間と共にある安心を噛みしめていた。
食後の穏やかな空気に包まれた広場で、グーリスが呆れと感嘆を混ぜたような声を上げた。
「しっかし驚いたぜ……まさか熊を担いで山を降りてくるとは思わなかったぜ」
「うむ、あれにはワシもおどろいたわい。最初は丸太かと思ったわい」
ヤコブが目を細めて笑う。
「別に普通だろ?」
平然とした顔で答えるトーマス。
その瞬間、ギャラガが大きく身を起こし、全身の節々を軋ませながら叫んだ。
「だからそれが普通じゃねえんだよ!!」
その勢いに、周囲がどっと笑い出す。
「ギャラガはツッコミ役だな」
クリフが肩をすくめて言う。
「お前らのせいだろうが!! こんちきしょう!」
ギャラガは頭を抱えるようにして地面にのたうつ。
笑い声が広がり、笑い転げる者、口元を押さえてくすくす笑う者、そっと仲間の肩を叩く者、それぞれの表情に余裕と温かさがあった。
その余韻の中で、シマが立ち上がり、場の空気を締めるように告げた。
「今日の作業はここまでにしよう。俺たちはまだやることがあるがな」
「解体作業、なめし作業もしないとね」
サーシャが淡々と続ける。
「血抜きは終わってんだろ?」
ザックが肩を回しながら確認すれば、「熊の方はもう少し時間をかけた方がいいかもね」
オスカーが真剣な表情で答える。
「大した手間じゃねえな。ついでに水浴びもできるしな」
ジトーがすでに腰布を軽く持ち上げる。
「魚も獲りましょう」
ノエルが控えめに提案すれば、「昨日の分もまだ大分残ってるわ。開きにして干す?」
リズが日干しの準備に思案を巡らせる。
「いいなそれ!」とザックが目を輝かせて乗る。
「塩を塗り込んで……これがまた酒に合うんだよな!」
「そうそう! 果実酒にも合うのよ」
ケイトがにっこりと頷いた。
「それは楽しみじゃのう……」
ヤコブが静かにうなずき、手にした茶器を傾ける。
すると、グーリスが立ち上がり、ぽんと手を打って言った。
「じゃあ俺たちはそれを手伝うぜ。動けるのに黙って見てるわけにもいかねえだろう」
周囲の団員たちもそれに賛同し、あちこちから「俺もやる」「手伝うよ」「指示をくれ」と声が上がる。
シマはそんな皆を見回し、少し口元をゆるめた。
「そうだな……手伝ってもらうか。……その前に、体を洗わねえとな…明日の行動についても言っておくか」
その一言に、輪の中心にいる者たちがざわめきを収めて耳を傾ける。
「グーリス、買い出し頼めるか?」
火に木をくべていたグーリスが振り返ると、にやりと口元を歪めた。
「酒だな!」
「それもあるが……卵、香草、それと……医薬品も補充した方がいいな」
シマが真面目な顔で返すと、グーリスは「ちぇっ」と舌打ちして肩をすくめる。
「果実酒や果物もお願いね!」
ケイトが焚き火越しに笑顔で付け加える。
「卵、香草、医薬品の分を差し引いた金額を、お酒と果実酒に使ってください。後でちゃんと計算して用紙を渡します」
ミーナが冷静に言いながら、すでに帳簿に書き込みを始めていた。
グーリスは眉をしかめつつも「はいはい」と手を振って応じる。
「人数はどれくらい連れていく?」
グーリスが問えば、シマは火を見つめたまま答える。
「40人だな」
「そんなに連れて行っていいのか?」
少し驚いた様子で問い返すグーリス。
「俺たちは明日、家を建てる」
シマの口調は落ち着いていたが、その言葉にははっきりとした意志がこもっていた。
「ギャラガやユキヒョウたちを、きちんとした屋根の下に移す。最低でも一棟、三十人くらいが雑魚寝できる広さ……なら、二棟建てられるか?」
問われたオスカーは、軽く顎に手を当ててから即答する。
「人手もいるし、材料も揃ってる。問題なくできるよ」
「よし、じゃあ建築班に三十人を割り当てる」
シマはすぐに配分を続けた。
「皮のなめし作業に七人、泥レンガ作りに三人だ」
「建築組には棟梁役がいるのかい?」
ユキヒョウが口を出す。
「前にも言ったろう?オスカーが全体を見る。」
「オスカーに任せときゃ問題ねえよ」
「言われた通りに動けばいいだけさ」
「興味深いのう、ワシもしっかり記録させてもらうぞ」
団員たちはそれぞれの役割を胸に刻むように頷き、明日の動きに向けて整然と気持ちを切り替えていく。まだ焚き火の熱を受けながらも、次第に周囲には規律と静けさが戻っていた。
その日の夜、山と星空のもと、傭兵団は「戦いではなく暮らしのための戦略」に身を投じようとしていた。




