チョウコ村 1日目
夕暮れの光がやわらかく村を包みはじめた頃、シマは食材の下ごしらえをしていた手を止め、川辺の方を指さして言った。
「サーシャたちも水浴びに行ってきたらどうだ。」
「後は僕たちがやるよ」
すぐ隣で火加減を見ていたオスカーが微笑んで言う。
サーシャは一瞬手を止め、小さく頷いた。
「そうね。お願いするわ」
それを聞いた他の女性陣──ミーナ、ノエル、エイラ、リズ、メグ、ケイトも次々と支度を始める。
彼女たちは着替えを詰めた包みと布を手に取り、念のために弓と短剣、軽量の剣もそれぞれ装備してから、夕陽に染まる小道を抜けて川辺へと向かっていった。
背中越しに揺れる布や髪が、どこか解放された空気を纏っている。
その様子を遠巻きに見ていたグーリスが、少しばかり遠慮がちに声をかけてきた。
「俺たちも何か手伝うか?」
「……ああ、そうだな」
シマは少し考えてから頷き、焚き火のほうに視線を移した。
「馬車に《骨煙草の煎じ液》が積んであるはずだ。ギャラガたちに渡してやってくれ。筋肉痛や関節痛に効く」
「ついでに《香煙玉》も渡した方がいいんじゃねえか?」
すぐそばで魚を手にしていたジトーが口を挟んだ。
「安眠にも効くし、痛みもやわらぐ。今のあいつらには必要だろ」
「頼む、両方だ。あいつら、今日はほんとによく動いた」
シマの声には労りが滲んでいた。
一方、料理場では慌ただしくも活気ある準備が進んでいた。
ザックが腕を振るって、まな板の上に山のように積まれた肉を次々と包丁で叩いてミンチにしていく。
大きな音を立てて刃がまな板を叩くたびに、筋肉の動きが浮かび上がる。
「へへ、今日一番の力仕事はこれかもしれねぇな……」
その横ではシマ、ジトー、トーマスの三人が、大きな鉢でそのミンチ肉を捏ねている。
指の間から肉がはみ出すほど、ぐっと押しつぶしながら、卵、刻んだ香草、炒めた玉ねぎなどを加えては、手早く均等に混ぜていく。
手がベタベタになるのも気にせず、無言でひたすら集中する姿はまるで職人のようだった。
「よし、次、これを丸めてくれ」
シマが言うと、ロイドとクリフがすかさず反応する。
「任せて!」
ミンチを適量手に取り、二人は黙々ときれいな円形のハンバーグに成形していく。
手のひらの中で軽く空気を抜き、表面をなめらかに整えたら、順に皿に並べていく。
焼き係はオスカーだ。
彼は鉄板代わりの厚い金属板を火の上に据え、しっかりと油をひいて熱したのち、成形された肉を丁寧に並べていく。
「じゅわぁっ……」
肉が焼ける音が広がり、すぐに香ばしい匂いが漂ってくる。
オスカーは真剣な顔つきで、火加減を見ながら裏返しのタイミングを見極めていた。
「おい、そこの鍋!もう少ししたら焦げるぞ」
シマが他の団員たちに声をかける。
料理に関わっていなかった手の空いていた者たちが、鍋をかき混ぜ、魚を網の上で返していく。
魚は事前に腹を処理され、川の水で洗われており、皮に塩をまぶして焼かれていた。
脂が火に落ちるたび、炎がパチパチと音を立てて立ち上り、魚の香ばしい香りがあたりを満たしていく。
百十二十人分の食事を一度に調理する作業は並大抵の労力ではないが、慣れた手つきとチームワークで、作業は滞ることなく流れていった。
その表情にはどこか充実感があった。
そして、地べたにへたりこんでいたギャラガたちには、誰も無理に手伝わせようとしなかった。
「ギャラガたちはそのまま休んでいろ」
シマの言葉は穏やかだが、強い意志が込められていた。
「今日の働きは十分すぎる。あとは俺たちに任せとけ」
ギャラガはうめくように頷き、ユキヒョウも苦笑しながら視線だけで感謝を示す。
そして夕暮れの村に、焼けた肉と香草の匂いがふわりと立ち込め、少しずつ夜の準備が整っていくのだった。
夜の帳がゆっくりと村を包み込むなか、仮設の食卓が賑わいを見せ始めた。
サーシャたち女性陣が水浴びを終えて戻ってくると、料理のいい香りが鼻をくすぐった。
「わあ…すごくいい匂い……」
川でさっぱりして火照った肌に、食欲を刺激する匂いが一気に押し寄せる。
ミーナが思わず口に出すと、リズとメグも「お腹空いた〜!」と笑いながら駆け寄ってきた。
すでにいくつかの団員は食事を始めていた。
そんな中、ハンバーグを口に入れた若い団員が突然目を見開き、声を張り上げる。
「ッ!……なんだこれ?!めっちゃうめえ!!」
歓声に皆が一斉にそちらを見る。
その団員は、驚きと喜びが入り混じった顔で手元の肉を見つめていた。
「こうやってな…」
ザックがすぐさま、こんがり焼けたハンバーグを丸いパンに挟み、がぶりと噛みついて見せる。
「パンに挟んでかぶりつくとこれがまた、うめえんだよ!!」
「おお、こりゃあいい!!」
「うわっ、肉汁があふれ出してる…!」
「こんな美味いもの食ったことねえぞ!」
「肉って…こんなに美味かったんだな……」
次々と歓声が上がる。
噛めばじゅわっと広がる肉の旨味。
中に練り込まれた香草の風味が鼻に抜け、焼き加減も完璧だ。
パンの香ばしさと、ふんわりとした食感がまた絶妙だった。
「おい!こっちも食ってみろ!」
焼き魚の皿が次々に回される。
程よく焼けた皮の香ばしさと、あっさりとした白身の旨味が広がり、食べる手が止まらない。
「これ、塩加減が絶妙だな……」
「骨も簡単に外れるし、ふわふわ……」
隣では、煮込まれたスープが湯気を立てていた。
野菜と肉、香草をふんだんに使った滋味深い味わいで、疲れ切っていた胃をやさしく包み込むようだった。
ギャラガやユキヒョウたちも、最初はぐったりと身動きもせずに座っていたが、一口、また一口と口に運ぶたびに表情がゆるんでいった。
「……うん、うまい!」
「はは……こりゃ、体に染みるな……」
苦笑しながらも、二人とも自然と笑顔が浮かび、周囲の団員たちと同じように、疲労の中にある一時の安らぎを味わっていた。
そんな様子を見ながら、ザックが手にパンを持ったままシマに言った。
「シマ、酒はねえのか?」
「俺は飲まねえから知らね」
シマはあっさりと言って、手元の鍋をかき混ぜる。
「今日、明日の分しか残ってねえな」
ジトーが顔をしかめて答える。
「果実酒もそのくらいしか残ってないわ」
ケイトが手を腰に当て、肩をすくめる。
「金はあるんだろ?」
クリフが不意に口を挟む。
「ああ。あと50金貨あるぞ」
シマは少し考えてから答えると、ザックがすかさず笑顔で言った。
「全部、酒代にしようぜ!」
団員たちのあちこちから「おーっ!」と賛同の声が上がる。
「小麦粉はまだ大量にあるし、肉も余ってるし……」
ミーナが淡々と補足する。
「魚は獲れるし、山にも木の実や茸、香草を見かけたわ」
ノエルが頷く。
「今日はちょっとそれどころじゃなかったから、取ってこなかったけど」
リズも微笑んで続けた。
シマは眉を寄せて、皆の顔を順に見渡す。
「……お前らもいつの間にか、吞兵衛になってねえか?」
「だってねぇ……美味しいんだもん」
サーシャが小首を傾げて、少し茶目っ気のある笑顔で言った。
たちまちその場が笑いに包まれた。
焚き火の明かりに照らされ、食事と笑顔が絶えない村の夜。
どこかに疲れの残る顔の隙間に、確かな温もりと連帯感が広がっていくのだった。
焚き火の光がゆらめき、夕飯を終えて一息ついたばかりの空気に
「食料が不足することは……今のところ、なさそうだね」
そう言ったのはロイド。
「……パンを焼く窯が欲しいな」
とシマが呟くように言うと、傍らにいたヤコブがすぐに反応した。
「ふむ、泥レンガであれば作れるじゃろ。耐熱性や耐久性はさほどではないが、パンを焼くくらいならば、何とかなるかもしれんぞ」
目を細めながらそう言うと、ヤコブは地面に小枝でささっと簡単な窯の形を描く。
「長方形の型を作ってな、そこに泥を流し込み、型から外して――あとは天日干しじゃ。しっかりと乾かさんと、火を入れたとたんに割れてしまう」
「雨ざらしにするのは良くないだろうから……雨除けの屋根をつけたほうがよさそうだね」
オスカーが口を挟む。真面目な表情で腕を組んだ彼に、ヤコブがうむうむとうなずいた。
「そのとおりじゃ、よう気がついたな。泥レンガが濡れたままでは焼成もできんし、下手をすれば崩れる」
一同がうなずき、空気が引き締まったその時、シマが立ち上がり、声を張る。
「じゃあ、明日の行動を指示する」
それだけで場の空気が変わる。
団員たちは姿勢を正し、耳を澄ます。
「山狩り狩猟班、西ルートはサーシャ、ケイト、ミーナ、クリフ、それと俺だ」
「了解」と小さく声が返る。
「東ルートはオスカー、メグ、ノエル、リズ、ロイド。」
「任せて」とノエルが軽く手を挙げる。
「木材の切り出し班は……ジトー、トーマス、ザック。それとグーリスたち、家屋を撤去して整地した30名。それからルナイ川までの道を切り拓いた者たち34名」
大所帯だが、それぞれが静かにうなずき、覚悟を決めている様子。
「やることは単純だ。ジトーたちが木を切り倒し、それを他の者が枝を払って、家屋の跡地横に運び込む。ただし――」
シマはそこで一度言葉を切り、全員を見回す。
「何でもかんでも切り倒せばいいってもんじゃねえ。“間伐”だ。太陽の光が地面に届くようにするのが目的だ。山をハゲ山にしちまえば、雨が降ったときに土が流れて崩れちまう。いいか?」
「そのとおりじゃ! 流石シマ、よう知っておるのう!」
ヤコブが重々しくうなずいた。
「なめし作業は6名、ちゃんと続けてくれ。途中でサボるなよ。あと3名は泥レンガ作りだ。監修はヤコブ、指導してやってくれ」
「うむ、任されたぞい」
「ギャラガ、ユキヒョウたちは休みだ。どうせ明日は筋肉痛で動けねえだろうからな」
その言葉に苦笑が漏れ、ギャラガが遠くから寝転がったまま「……ありがてえ」と呻いた。
一日の終わりを告げるかのように、焚き火の中で枝がパチンと弾ける。
空は茜から群青へ。
明日の仕事に向けて、団員たちは再び気を引き締めていった。




