疲労困憊
ミーナの一喝の後、団員たちは気を引き締めて作業に取りかかった。
ふざけ半分だった先ほどまでの雰囲気は消え、静かに道具の音と掛け声が響き始める。
突貫工事で作った浅瀬は、即席の処理場として十分機能していた。
杭で囲まれた浅瀬にシマが入り、血抜き用に狼の喉を切ると、赤黒い血が水中に広がり、ゆっくりと流れていく。
ロイドとクリフは皮剥ぎを手早く進め、トーマスとジトーは後ろで解体を進めた。
臓物を取り出すと、それを川辺に撒き、追い込み漁の準備に取りかかる。
ロイドが布を水面に広げると、腐臭に誘われて集まってきた魚たちが群れを成し始める。
布の両端を数人の団員が持ち、水音を立てずにそろそろと閉じていく。
やがて「今だ!」の掛け声とともに一気にすくい上げると、跳ねる魚が次々と布の上で暴れ出した。
「獲れたぞ!こっちもすごい数だ!」
「また来た、布もう一枚!」
次から次へと魚がかかり、大漁に歓声が上がる。
そこへ、サーシャたちやオスカーたちが合流した。
彼らの背には血に染まった獲物が。
狼がさらに4頭、鹿3頭に猪1頭。
「ギャラガたちはどうした?」
シマが問えば、サーシャは手にした布を置きながら答えた。
「村の中央で休んでるわ。疲労困憊って感じ」
「まあ、仕方ねえか……こっちは順調だ」
シマたちは再び川へ入り、獲物の解体と魚の内臓処理を続けた。
魚はその場で腹を割かれ、内臓を除いては流水で洗われる。
狼の肉は筋張っていてえぐみが強い。
「香草と一緒にミンチにしてハンバーグにしよう」と誰かが言い出すと
「それならいい香りになるし、今朝シンセで買った卵もあるしね」
女性陣が笑顔を見せる。
彼女たちは処理された魚と肉を抱え、炊事の準備のために村の中心部へと戻っていった。
荷を抱えた背中には、どこか充実感のような光が宿っている。
残ったシマたちは、皮のなめし作業に移った。
手本を見せながら、団員たちに一つひとつ教えていく。
川水で洗い、木の棒でたたき、さらに洗う。
この作業を何度も繰り返す。
「くっせえなあ……どうしても臭いが取れねえ」
「根気だ、根気。回数こなせば必ず変わる」
シマの声に、団員たちは歯を食いしばりながら手を動かした。
陽が傾き始めた川辺では、汗と革と血と泥が混ざり合い、しかしどこか心地よい達成感が満ちていた。
川辺に漂う革と血のにおいの中、なめし作業は静かに続いていた。
だが、何度も水に晒し、乾かしては木の棒でたたくという根気の要る作業に、団員たちの顔には次第に疲労と不満の色が濃くなっていく。
「なあ、団長……これ、いつまでやるんだ?」
誰かがぼやくように尋ねると、シマが水を掬いながら振り返り、淡々と答えた。
「最低でも三日はかかる。しっかり乾かして、また洗って叩く。その繰り返しだ」
「……三日!? マジかよ……」
「くっせえ上に三日もかかるのかよ……」
一気に周囲が沈んだ空気に包まれる。
誰もがうんざりしたような顔で、棒を握る手の力を緩めた。
その様子を見たシマが、ふと口角を上げて言った。
「でもな、出来上がったらその毛皮は全部、お前らにやるつもりだ。冬には重宝するぞ」
その一言が落ちるや否や、団員たちの目の色が変わった。
「マジで!?」
「よっしゃあ!! やる気出てきたぁぁ!」
「これは俺のだ!絶対俺のやつだからな!!」
「ふざけんな、俺が最初に目ぇつけてたやつだぞ!!」
「今叩いてんの、俺のだからな!手ぇ出すなよ!」
「おいおい、名前書いてねえだろ!?早いもん勝ちだって!」
一気に騒がしくなり、さっきまでの沈んだ雰囲気が嘘のように、今度は皮の奪い合いが始まった。
叩いていた皮を背中に隠す者、こっそり自分の分に目印をつけようとする者、果ては干してある皮を睨み合う者まで現れる始末。
そんな喧騒の中、苛立ちが爆発したのはジトーだった。
「テメェら!騒ぐんじゃねえ!!」
川辺に響く怒号に、団員たちが一斉に黙る。
ジトーは腰に手を当て、渋い顔で全員を睨みつけた。
「皆に行き届くようにちゃんと考える! 毛皮が足りねえなら、厚手の布地で代用する手もある!だから、落ち着け!」
それでも納得がいかないように、あちこちからまだ不満の視線が飛ぶ中、クリフが肩をすくめてぼそっと呟いた。
「……どっちが年上だかわかんねえな」
その一言に、場の空気が再び和らぐ。
「そういや、ジトーたちっていくつなんだ?」
誰かがふと口にした問いかけに、全員の視線が集まる。
「俺? そんなの、お前……」
ジトーが言いかけた時、ロイドが手を上げて静かに言った。
「僕が最年長で、16歳です」
「……は?」
「16?」
「げえっ!?」
「うっそだろ!?お前が最年長!?」
「ってことは何か、ジトー、トーマス、ザックって……」
「今よりまだデカくなる可能性があるってことかよ!?」
「……やっぱりコイツら化け物だ」
「いやマジであり得ねぇ……」
「つーか俺たち、年下に叱られてたんか……」
「でもまあ……」と、誰かがぽつりと漏らす。
「傘下に入って正解だったよな、俺ら」
「間違いねえ」
「どこ行っても勝てねえわ、こんな奴ら……」
そんなやりとりを横目に、シマは肩の力を抜きつつ川を見下ろして笑みを浮かべた。
「よし、休憩は終わりだ。続きやるぞ」
再び棒の音と水音が川辺に響き始めた。
夕陽が山の稜線に沈みかけ、空が茜色に染まり始める頃、シマたちはその日の作業を一区切りとした。
川沿いに設けた簡易の作業場には、なめし終えたばかりの獣の皮がずらりと干されている。
しっかりと水分を抜いた皮は柵にかけられ、風に揺れていた。
乾いた風が吹き抜けるたび、草の匂いと一緒に、まだわずかに残る獣脂のにおいが漂ってくる。
「よし、今日はここまでだな」
そう言ったシマの声に、団員たちはほっと息をついた。
川の流れは緩やかで、午後の日差しを受けてきらきらと水面が輝いている。
誰ともなく服を脱ぎ始め、汗と土にまみれた体を洗おうと川へ足を踏み入れていった。
「うわ、冷たっ!」
「けど……気持ちいい……!」
思わず笑い声が上がる。
火照った肌に冷水が心地よく、川辺はすぐに歓声に包まれた。
シマは膝まで川に入り、水をすくって髪と顔を洗う。
その隣でトーマスが勢いよく頭から水をかぶり、オスカーは石に腰かけて足をぱちゃぱちゃさせながら顔を布で拭っている。
そのときだった。
川の中心付近に、仰向けになってぷかぷかと浮かぶ影がひとつ――ザックだった。
「……おいおい、何やってんだあいつ……」
トーマスが呆れたような声を漏らす。
「うわっ、流されてんじゃねえか!」
クリフが目を丸くする。
ザックは両手を広げ、目を閉じて気持ちよさそうに川面に漂っていたが、確かに流れに押されて少しずつ下流へと運ばれていた。
「おーい!ザック!戻るぞー!」
川辺からシマが声を張ると、ザックはうっすらと目を開けた。
そして水をかくように腕を回し、ぐいぐいと川の流れに逆らって泳いでくる。
「へへっ、どうよ? 俺のくろーるは?」
水をはね飛ばしながらニヤリと笑うザック。
子供のようにはしゃぐ様子に、周囲からも苦笑混じりの声が飛ぶ。
「昔、シマが教えてくれたんだよなぁ」
オスカーが懐かしそうに呟いた。
「ああ、シマの特訓。溺れそうになってたザックに、棒で突いて泳がせてたやつだろ」
「お前もな!」
クリフとトーマスが笑い合う。
ジトーは川岸で布を肩にかけながら、濡れた髪をかき上げ、ふうと一息。
「馬鹿なこと言ってねえで、さっさと上がるぞ。腹減ったしな」
ザックが川岸に上がり、濡れた髪をかきあげる。
「まーでも、さっぱりしたなあ」
ロイドが微笑んで頷く。
「うん、本当に。身体も気持ちも、すっきりしたよ」
その言葉に、みんながうなずきながら川岸に腰を下ろし、布で体を拭いたり、涼しい風に髪を乾かしたりしていた。
夕焼けが川面を真っ赤に染め、まるで一日の労をねぎらうように、優しく静かに彼らを包み込んでいた。
村の中心部に戻ってくると、そこは一変していた。
かつて家屋が立ち並んでいた場所は、すっかり更地と化している。
グーリスたちが古びた家屋を手際よく取り壊し、焼却や片付けを終えたようで、地面には灰の匂いがわずかに漂い、踏み固められた土が夕陽を浴びて赤茶けていた。
中央の広場らしき場所に目をやれば、そこには布を敷いてぐったりと座り込むギャラガ、ユキヒョウ、そして38名の傭兵団員たちの姿があった。
全員、あまりの疲労に言葉もなく、誰も立ち上がろうとしない。
肩を丸めて座り込む者、寝転んで空を見つめる者、頭を垂れて微動だにしない者、それぞれが泥のように消耗しきっていた。
「おーい、どうした?」
ザックがやや呆れたような調子で声をかける。
「お前ら、なんか変なもんでも拾い食いしたのか?」
その言葉に、ギャラガがぴくりと眉を動かす。
「ちげえよ!そんなことするか!」
くぐもった声が返ってくる。
「……足がパンパンで動けねえんだよ……」
見ると、ギャラガは脚を投げ出し、脛をさすっている。
普段は自信満々な彼の姿からは想像もつかないほどの脱力ぶりだった。
その隣ではユキヒョウが座り、頭を垂れていた。
「……僕も……もう動きたくない……」
無気力な呟き。
夕陽に照らされたその顔は、まるで抜け殻のように疲れきっていた。
一方、女性陣たちは手際よく夕飯の準備を進めていた。
地面に安定よく据えられた寸胴鍋が5つ、いずれも薪がくべられ、湯気を立ててぐつぐつと音を立てている。
薪の焦げる匂いと、煮込まれた肉の香ばしさが風に乗って漂ってくる。
リズが玉ねぎを刻み、サーシャがジャガイモを剥き、ノエルが香草を刻んでいる。
エイラとミーナは捏ねたミンチ肉を丁寧に丸めて整形している最中で、火のそばではメグとケイトが鍋の中身をかき混ぜていた。
どの顔にも汗がにじんでいるが、疲れを見せることなく、黙々と作業を続けている。
そのとき、ヤコブがシマに近寄り、白髪を軽く揺らしながら声をかけた。
「シマ、井戸の水は使えるぞ。二時間ほど前に沸かして飲んでみたが、なんともなかったわい」
「……飲んだのかよ」
思わず呟いたのはクリフだった。
呆れと驚きがない交ぜの表情でヤコブを見つめる。
「うむ、皆にも『一度沸騰させてから飲むように』と伝えておる。わしが飲んでみせたことで、変な心配はせずに済むじゃろう?」
ヤコブはいつもの調子でにこりと笑い、まったく動じない。
その隣で、水の管理を担当していた団員が頷いた。
「俺たちも飲んだけど、今のところ異常はねえな」
シマは短く息を吐いて言った。
「そうか……徹底させた方がいいな。『一度沸騰させてから飲む』、これを全員に周知させよう」
「それがよかろう」
ヤコブが満足そうに頷き、またフラリと他の作業へと向かっていった。
陽がさらに傾き、地平線が金と紅のグラデーションを描き出す頃、村には活気と疲労がない交ぜの空気が漂っていた。料理の香りに腹を鳴らす者もちらほら。
だがその中でも、地面にへたり込んでぴくりとも動かないギャラガとユキヒョウ、そして彼らの仲間たちは、しばらく立ち上がることはなさそうだった。




