商標権?!
エイラは静かに微笑みながら、再び口を開いた。
「付加価値を付けますわ」
お茶を一口飲んだダミアンが、眉をひそめた。
「どういうことだ?」
エイラは淀みなく答える。
「贈る相手――つまり、貴族や有力者の身長、体格、腕の長さ、筋力に合わせて、その人だけの“専用”かつ“特別”な弓をお作りしますわ」
その場にいた誰もが、一瞬沈黙した。
次の瞬間、ダミアンが吹き出す。
「……ハハハッ! こりゃあいい!」
手を叩いて笑いながら、彼は言葉を続ける。
「なるほどな……よくわかってるじゃねえか。貴族ってのはな、自己顕示欲の塊みてえな連中ばっかりだ。そこへ……」
ディープがにやりと笑い、話を引き継いだ。
「『あなたに合わせた特別の弓を作らせました』なんて言われた日にはよ……舞い上がっちまうってもんさ」
アレンも感心したように頷く。
「面白いアイデアだね……だけど、本当にそんな芸当ができるのかい?」
エイラはにこやかに、そして自信たっぷりに答えた。
「問題ありませんわ。ただ、より良い仕上がりのために、できるだけ詳細な情報――身長、腕の長さ、握力、利き腕など――を教えていただければ助かります」
その堂々とした物言いに、商会側の男たちは顔を見合わせた。
「……疑うわけじゃねえが……そうだな」
ダミアンが腕を組み、じっとシマたちを見据える。
「試しに、俺専用の弓を作ってもらおうか」
「弓を扱ったことはあるのか?」
ジトーが尋ねる。
ダミアンは気まずそうに鼻を鳴らした。
「いや、ねえな」
周囲から小さな笑い声が漏れる。
しかしエイラは真面目な顔で尋ねる。
「それでは、観賞用という前提でお作りしてよろしいですね?」
「ああ、頼む」
エイラは満足げに頷き、話をまとめた。
「ご納得いただければ――装飾費用を差し引いた売上金額の50%を、こちらにいただけるということでよろしいですか?」
ライアン、アレン、ディープが顔を見合わせ、短く頷き合った。
「その条件を飲もう」
ダミアンが力強く宣言する。
「ただし……」
彼は指を立てた。
「それまでは、この話は一旦保留だな」
「もちろんですわ」
エイラが優雅に一礼する。
「製作にかかる時間はどれくらいだい?」
アレンが聞いた。
それに答えたのはシマだった。
「一日あれば余裕だな。後で会わせるよ――オスカーって名前だ」
静かに、だがどこか誇らしげに。
商会の男たちは、再び顔を見合わせた。
そこには、もはや疑念よりも期待の色が濃く浮かんでいた。
一息ついた空気の中。
ふと思い出したように、シマが口を開いた。
「そういえばよ」
手元の茶杯を傾けながら、ゆっくりと視線をダミアンに向ける。
「さっき、露店でフライドポテトとポテトチップスを売ってるのを見かけたが――あれ、お前が教えたのか?」
ダミアンは、ふんと鼻を鳴らした。
「そうだ。ジャガイモは俺たちエイト商会が卸してる」
「……農家と専属契約して、作らせてるのか?」
シマの問いに、ダミアンは小さく目を見開き、ニヤリと笑った。
「……わかるか。まあ、そういうことだ」
腕を組み、堂々と答える。
「隠しても仕方ねえから言うが――フライドポテトとポテトチップスの作り方、シマ、こいつに教えてもらったんだよ」
その言葉に、アレンとディープ、グーリス、ライアンの四人が一斉に驚きの声をあげた。
「な、なんだって?!」
「マジかよ…?」
「シマ、お前が!?」
グーリスが身を乗り出す。
「ポテトチップスは俺の好物でなぁ……」
目を細めて、しみじみと呟く。
「アレがまた、エールによく合うんだよなぁ……!」
ライアンがにやにやとしながら頷いた。
ディープも負けじと続く。
「フライドポテトもめっちゃ美味いよな。あれ、露店で買って酒場に持ち込んでエールと一緒にやるのが最高なんだぜ」
それぞれが口々に語り出し、場が一気に和んだ。
その様子を見て、アレンが肩をすくめながら言った。
「だけどさ……こうなるってわかってて、よくダミアンに教えたね?」
シマはどこか達観したように、淡々と返す。
「売り上げにしたって、微々たるもんだろう。それに――いずれ誰かが気づく。広まるさ」
苦笑を浮かべながらも、どこか冷静に現実を見据えた言葉だった。
ダミアンがうんうんと頷きながら言った。
「そういうこった。まあ、広まるまでの間は俺たちがガッポリ稼がせてもらうけどな!」
「……抜け目ねえな」
グーリスが肩を震わせて笑い、ライアンも深く頷いた。
商人たちと傭兵たち、それぞれが思い思いにこの小さな成功を祝福し、部屋には柔らかい笑い声と、次なる商機への淡い興奮が満ちていた。
一通りポテト談義で場が和んだあと、シマが立ち上がり、腰に手を当てながら言った。
「ほいじゃあ、次行くか。――蜜蝋を売ってくれ」
唐突な要求に、ダミアンは眉を上げる。
「蜜蝋、だと? ……ああ、あるぜ。前にお前が欲しがってたからな」
ダミアンが軽く肩を竦めながら応じる。
興味を惹かれた様子で、アレンが首を傾げた。
「蠟燭として使う以外に、何か用途があるのかい?」
シマは無言で肩をすくめ、無邪気に笑ってみせた。
「秘密だ」
その答えに、ダミアンが呆れたように言った。
「……それじゃあ売れねえな」
だが、シマは飄々と答えを返す。
「別に構わねえよ。あるのは分かってんだ。情報を集めりゃ、いずれ分かる話さ」
ダミアンは大袈裟に胸を押さえ、冗談めかして言った。
「そんな冷てえこと言うなよ。俺とお前の仲だろう?」
そこに、すかさずディープが口を挟んだ。
「協力関係を築くんじゃなかったのか?」
アレンも静かに補足する。
「話の内容によっては、条件を飲むよ」
しばし考えた末に、シマは「ちょっと作戦会議だ」と短く告げ、ジトー、エイラを伴って部屋の隅へと移動した。
周囲の空気がわずかに張り詰める。
密やかな声で、シマが切り出す。
「……なあ。俺たちが使ってるテント、マント、ブーツ、蠟が塗ってあるだろ?」
ジトーが頷く。
「おかげで雨の日も、ぬかるんだ道でも、全然浸みてこねえ」
エイラも同意する。
「そうよ。かなり助かってるわ」
シマは二人の目を順番に見て、低く続けた。
「だが、問題がある。ゴワゴワしてるだろ」
ジトーが腕を組んで「たしかにな」と唸る。
「……蜜蝋を使えば、それが解消できるのね?」
エイラが鋭く察した。
シマはにやりと笑い、深く頷いた。
「マジか……」
ジトーが目を丸くする。
「その通りだ。――で、どうする?」
短い問いかけ。
しばしの沈黙の後、エイラが真っ直ぐシマを見据え、わずかに口角を上げた。
「……私に任せてもらっても?」
シマは、にっと笑った。
「シャイン商会の会頭はお前だ。任せる」
「だな。俺もそれでいいぜ」
ジトーもすぐに賛同した。
小さな三角形の中で、決意が交わされる。
三人は互いに軽く頷き合うと、再び談合の場へと戻っていった。
シマたちが戻ると同時に、エイラがすっと一歩前に出た。
その立ち居振る舞いは、先ほどまでの和やかな空気を一変させる鋭さを帯びていた。
「――まずは、お話をさせていただく前に」
エイラは淡々と、しかし強い意志を込めて告げた。
「誓約書に同意していただきます。そして、商標権として売り上げの5%をいただきます」
場に、微かなざわめきが広がった。
「納得いただけないのであれば、この話はなかったことと致しますわ」
エイラの声は落ち着いていたが、譲歩の余地を感じさせない。
最初に反応したのは、やはりディープだった。
眉をしかめ、不満そうに言う。
「内容も聞かずに納得も何もねえだろう」
ダミアンも苦笑いを浮かべて肩をすくめた。
「誓約書? 商標権? ……それって何なんだ?」
エイラは微笑を浮かべたまま、懇切丁寧に答える。
「誓約書とは、話した内容を外部に漏らさないことを約束していただく文書ですわ。……簡単に言えば秘密保持契約です」
そう言ってから一拍置き、続ける。
「そして商標権とは、売れた物に対して――私たち、つまりシャイン商会に一定の報酬を支払う義務が発生する権利です」
アレンが腕を組み、じっとエイラを見つめた。
「誓約書はわかるけど……商標権ってやつは、売れば売れただけ君たちに払わなきゃいけないってことかい?」
エイラはにこやかに頷く。
「その通りですわ」
一瞬、空気が凍りついた。
ディープが苦笑しながら突っ込む。
「……売れるかもわからないのに、最初から支払い義務ありって、さすがに強気だな?」
テーブルに肘をつき、ダミアンがエイラを鋭い目で見た。
「……確信があるんだな?」
その問いに、エイラは微塵もためらわず応じた。
「勿論ですわ」
堂々たるその態度。
押し返すどころか、場の流れを完全に掌握していた。
アレンとディープ、グーリス、ライアンが視線を交わし合い、誰からともなく小さく息を吐く。
――エイラ――が、ただの交渉役などではないことを、彼らは改めて思い知らされていた。
ダミアンが腕を組み直し、低くうなった。
「……誓約書については同意しよう。だが、商標権ってやつに関しては一考の余地があるんじゃねえか……?」
エイラはじっとダミアンを見つめ、黙って次の言葉を待った。
「永遠に支払い続けるってわけにもいかねえだろう」
そう言われて、エイラはふっと視線を落とす。
そして、ほんの僅かに考え込んだ。
(……いずれ気付く……必ず類似品は出てくる。だから……)
顔を上げると、再び凛とした声で言い放った。
「そうですわね。――それでは、10年の商標権を主張しますわ」
場に、また一瞬の静寂が流れた。
だがダミアンは口の端を吊り上げ、皮肉めいた笑みを浮かべる。
「……5年だ」
バシッと言い切ったあと、ダミアンはじっとエイラを見据えた。
「それでいいんなら、商標権5%を支払おう」
エイラは一瞬だけ眉を寄せたが、すぐに小さく微笑み、頷いた。
「――承知致しましたわ」
その瞬間、ディープがぽつりと呟いた。
「……何を売るのか知らねえが、そのうち似たようなもんが出回るんじゃねえのか?」
その言葉に、ディープも勢いよく頷きかけたが、途中でハッとした。
「あ、いや、なんでもねえ。今の言葉は忘れてくれ」
慌てて取り繕うディープ。
ダミアンもアレンも、その先にある真実に気付き始めていた。
(――そうだ。こいつらはそんなに甘くねえ!)
ダミアンの心の中に、冷や汗が滲んだ。
(市場に出れば――シャイン商会の物が圧倒的に流通する。気づいた時にはすでに席巻されているだろう……その後、どれだけ真似た商品を出しても……所詮は"二番煎じ"だ)
アレンも、口を引き結んで頷く。
横目でディープを見ると、彼もまた同じ顔をしていた。
彼らはようやく理解したのだ。
シャイン商会――この小さな組織は、見かけによらず、周到で狡猾、そして恐ろしく「商売」を理解しているということを。




