朗報!
静まり返った商談室の中、シマが静かに隣のエイラへと視線を送った。
エイラは微笑を浮かべて小さく頷く。
合図を受け取ったシマは、改めてダミアンに向き直った。
「もちろんいいぜ。その前に、俺がダミアンに会いに来た理由だが――情報が欲しい」
そう言うと、エイラが懐から布袋を取り出し、机の上にそっと置いた。
中から取り出した2枚の金貨が、軽やかな音を立てて卓上に転がる。
その瞬間、ダミアンの手がサッと伸び、金貨をまるで手品のように掴み取る。
「……答えられることならな」
ダミアンは金貨を指の間で弄びながら、にやりと笑った。
シマは小さく息をつき、問いを投げる。
「水資源が豊富で、木材集めもたやすく、商売も活発で……広い土地が開いている場所。そんなところはねえか?」
途端に、商談室の空気が止まった。
エイラ、ジトー、グーリス、ライアン、アレン、ディープ……その場にいた全員が目を丸くしてシマを見つめる。
「……そんな都合のいい場所があるわけねえだろ」
呆れたようにライアンがぼやき、重い空気を払うように肩をすくめる。
シマも小さく苦笑して、「だよなあ……」と、肩を落とした。
しかしその時――
「あるぜ」
低く、しかし確信に満ちた声でダミアンが言った。
一同は再び驚きに目を見開き、ダミアンに集中する。
商人の眼光が、不敵に光っていた。
ダミアンは椅子にもたれ、指で机を軽く叩きながら語り始めた。
「場所は――ハドラマウト自治区、チョウコ村だ」
「チョウコ村……?」
エイラが小さく首を傾げる。
「今はもう放棄された村だ。山間の盆地にあって、周囲をぐるりと山に囲まれてる。外界との繋がりは細い街道一本――まあ道はまだ残ってるはずだ。多少整備すりゃ、馬車でも通れる」
ダミアンはそう言いながら、頭の中に地図を思い浮かべている様子だった。
「商売をするには少々不向きかもしれねぇ。けど、10キロほど南に『シンセ』って街がある。あそこなら物資のやり取りもできるし、交易の足がかりにもなるだろう」
シマたちは真剣な面持ちで耳を傾ける。
ダミアンは背中を椅子に預け、ゆったりと語りだした。
「チョウコ村はな――ハドラマウト自治区の中でも北寄りに位置してる。山間の盆地だが、北側はなだらかな丘陵が続いていて、その先には国境がある。ダグザ連合国との境界線だ」
シマたちが静かに耳を傾ける。
「チョウコ村を北に進めば、ダグザ連合国に入ることになる。そこを少しだけ進むと、ルナイ川っていうでかい川に突き当たる」
「ルナイ川……」
エイラが小さく繰り返した。
「そうだ。ダグザ連合国とカルバド帝国を隔てる自然の国境みたいなもんだな。幅は広いが、渡れる場所もちゃんとある。橋がいくつか掛かってるし、渡し船も使える」
ダミアンは一呼吸置き、真剣な表情になる。
「ルナイ川を越えたら、そこはカルバド帝国領――
つまり、チョウコ村からわずか数十キロ圏内に、三つの国がひしめき合ってるってことだ」
ジトーが腕を組みながらうなる。
「交易には便利そうだが……戦火が上がれば一発で巻き込まれるな」
「ああ、間違いねぇ」
ダミアンは軽く頷いた。
「だが、その分、開けたらデカい。水も豊富だし、木材も取り放題、土地も空いてる。シンセの街をうまく使えば、物流拠点にもできるだろう」
商人らしい計算をはじきながら、ダミアンは付け加えた。
「今は誰も手を出してねぇ。放棄されたまんまだからな。だがいずれ、誰かが目をつける。早い者勝ちだぜ」
室内に重い沈黙が落ちる。
可能性と危険、その両方が、まるで目に見えるように空気を震わせていた。
シマたちの目が、次第に鋭く、研ぎ澄まされていく。
シマは静かに口を開いた。
「……放棄された理由は?」
その問いに、ダミアンは少し肩をすくめ、机の上に肘をつきながら答えた。
「一言で言うと、小麦だな」
ダミアンは指で小さな円を描くように机をなぞる。
「小麦の作付け、つまり畑を広げるのができなかったんだよ。チョウコ村は山に囲まれた盆地にあってな、開けた土地はあるにはあるが、それ以上に木が多すぎる。木を切り倒し、根を掘り返して土地を均すには――そりゃあ、途方もねぇ労力がいる」
今度はアレンが口を挟んだ。
彼は椅子に軽くもたれながら、落ち着いた調子で言った。
「土地そのものも、広げようがなかったんだ。周囲は山だろう? 平らな土地が限られてる。拡張するにも限界があった」
さらにディープが、くぐもった声で付け加える。
「それに加えて……天候がコロコロ変わる」
シマたちはそろって顔を上げた。
「晴れてたかと思えば急に雨、風、冷え込み……一日のうちで季節が三つぐらい回った気分になるような場所だ。農作物には最悪の条件だな」
ダミアンは小さくため息を吐き、話を締めくくった。
「それだけじゃねえ。狼、熊、猪、鹿……獣害もひどかったらしい。畑は荒らされ、家畜も襲われた。住民たちは対策もしたが、次第に被害は増えるばかり。最初はみんなで頑張ってたが、徐々に離れる奴が出始めて、気づけば誰もいなくなった……ってわけさ」
室内に、再び沈黙が落ちた。
外から吹き込む微かな風音だけが、空気を震わせる。
苦労を乗り越えられずに見捨てられた村――だが、そこに資源と地の利が眠っているのは確かだった。
シマたちは、言葉こそ発しなかったが、胸の奥底で同じ感情を抱いていた。
――ほくそ笑む。
深淵の森で鍛えられた身には、木を切り倒し土地を均すことなど朝飯前。
急な天候の変化も、獣害も、馴れ親しんだものだ。
獣害対策?相手にならねえ、片っ端から食料に変えてやんよ。
顔ににやけた笑みが出そうになるのを、シマは必死に堪えた。
ジトーもエイラも、どこか顔を引き締めながらも、瞳の奥に獰猛な光を宿している。
商談室の一角。
グーリスとライアンは静かに黙って耳を傾けていたが――こいつらなら、本当にやりかねない。
廃村の復興? 獣害の克服? おそらく、シマたちにとっては大した障害ではないのだろう。
深淵の森育ち――シマたちならいとも簡単にやるんじゃねえか…?。
そんな中、静かにエイラが手を挙げる。
やや身を乗り出すようにして、淡々と、しかし芯のある声で問いかけた。
「――誰に許可を得ればいいのですか?」
その問いに、ダミアンは少しだけ目を細め、考える素振りを見せた後、言った。
「……挑戦するか」
低く唸るような声だった。
「ハドラマウト自治区――そこを治めてるのは区長、ワイルジ・モコノって男だ。齢五十を過ぎた老練な奴でな、まあ一筋縄じゃいかねぇが、話はできる。ただし、それだけじゃない」
ダミアンは指を一本立てる。
「ワイルジと、加えて自治区内の議員5人。こいつらの承認も必要だ。厳密には……6人のうち4人の承認を得られれば、正式に認められる仕組みだ」
「……4人か」
シマが小さく呟いた。
「そうだ。全員の賛同は無理にしても、過半数を押さえりゃいい。けどな――」
ダミアンはわざとらしく間を置き、言葉を続けた。
「議員どもも一筋縄じゃいかねぇ。癖が強ぇのもいりゃ、賄賂が好きなやつもいる。中には、面白がって試練を課してくる奴もな」
ジトーが腕を組みながら「面倒くせぇな」と言う。
「面倒だが、土地を手に入れるってのはそういうもんだ」
ダミアンは言い切った。
シマは目を細め、微かに笑った。
やるべきことは明確だった。
交渉、説得、あるいは力で示す――手段を選ぶつもりはなかった。
その場の空気が、ぴんと張り詰める。
だがその緊張感の裏では、誰もが確信していた。
――この連中なら、やってのける。
「……聞きてえことは、それだけか?」
ダミアンは腕を組み、じろりとシマを見据えた。
その顔には、まだ何か探るような色も見えたが、シマは揺らぐことなく、淡々と答える。
「今のところは、それだけだな」
シマの簡潔な返答に、ダミアンはふうっと煙草でも吐くように息を漏らし、机に指をトントンと叩く。
しばらく無言のまま考えてから、ふっと口角を上げた。
「……2金貨は貰いすぎだな」
そう言うと、懐から粗末な羊皮紙と鉄筆を取り出し、机の上に広げる。
「紹介状を書いてやる」
ダミアンの手際は早かった。
慣れた筆運びで、エイト商会の正式な紋章と、彼自身の名前を記し、数行の推薦文を書き上げる。
乾かす間も惜しむように、手早く砂を振って余分なインクを吸わせ、羊皮紙をエイラに手渡した。
エイラはそれを恭しく受け取り、すぐに慎重に巻いて布に包んだ。
「エイト商会の紹介状があれば、無下にされることはないよ」
にこやかに言うのはアレンだった。
だが、その言葉の裏には確かな実感が滲んでいた。
「なんたって、今やギザ自治区のナンバーツーの権力があるからな」
ディープが茶化すように付け加える。
その言葉に、シマは興味深そうに片眉を上げた。
少し笑いを含んだ声で言う。
「へえ……上手くやったな」
素直な感心だった。
この数年で、ただの商人からここまで地位を築き上げたダミアンの手腕は、侮れない。
「まあな」
ダミアンは照れ隠しもせず、豪快に笑った。
その笑い声が商談室の空気を少し和らげる。




