化け物集団?!
ヴァン市内――
普段は賑わう大広場に、いまは無数のテントが立ち並んでいた。
その様は、まるで移動要塞のようだった。
シャイン傭兵団十六名。
鉄の掟傭兵団四十一名。
そして、大嵐傭兵団の生き残り――マリアとオズワルド。
それぞれが手分けして、テントを張り、荷を整理し、傷病者を収容していく。
焚き火の明かりに照らされた顔は、皆一様に疲弊している。
それでも、ここには確かな安堵と、生存者たちの息遣いがあった。
そんな中――
焚き火の前で腕を組みながら、ライアンがシマに声をかけた。
「……ダグザ連合国は攻めてこねえか?」
その問いに、シマは火を見つめたまま答える。
「可能性は低いだろう……国境地帯からヴァンに来るまで、幾つかの街、村、集落を落としたらしいからな」
焚き火の爆ぜる音が、乾いた夜気に弾ける。
エイラが、静かに口を挟んだ。
「そこをきちんと治めないとね……奪っただけじゃ、意味がなくなるわ」
彼女の言葉に、ヤコブが深く頷く。
「ただ奪うだけではなく、きちんと治めてこそ価値がある――そういうことじゃな」
しばし静寂。
やがてライアンが、ふいに話題を変えた。
「……今回の戦、お前たちだけならもっと上手くやれたか?どうしても戦わなきゃいけない状況だったと仮定して」
シマは少し考え込む素振りを見せるが、答えない。
代わりに、クリフが口を開いた。
「地形にもよるだろ」
当然のように、簡潔な言葉だった。
「そうだなぁ……今回のような場合は?」
ライアンはさらに問いかける。
すると、トーマスが口を開いた。
「夜襲、奇襲だろ」
それにフレッドがにやりと笑って乗っかる。
「夜になれば、俺たちにかなう奴はいねえんじゃねえか?」
ケイトも、さらりと言葉を添えた。
「月が出てなければ、猶更いいわね」
ジトーは、低い声で呟いた。
「闇は俺たちの味方になるしな」
ロイドが静かに続く。
「補給線を遮断するのもいいね」
リズが、焚き火にくべた枝を見つめながら言った。
「食料を焼き払ったりね」
その一言には、微かに冷たい響きがあった。
そこへ、オスカーが背負っていた太い矢の束を軽く持ち上げ、笑う。
「今回は使わなかったけど……この太い矢で夜襲を仕掛けたら、大混乱するんじゃないかな?」
ザックが眉をひそめて言う。
「お前それ、えげつねえわ……」
そう言いつつも、まんざらでもない顔をしていた。
焚き火を囲む輪に、ふと一陣のざわめきが走った。
「闇が味方になるって……どういう意味だ?」
鉄の掟傭兵団団長、グーリスが眉をひそめながら尋ねた。
声は低かったが、耳を澄ませていた皆の注意を引くには十分だった。
フレッドは、焚き火の向こうから肩をすくめるようにして答える。
「ん? 俺たちは夜目が利くからな」
あっけらかんとしたその一言に、鉄の掟の連中がざわめく。
その中心で、ライアンがニヤリと笑いながら補足する。
「……こいつらは“深淵の森”で育ったんだとよ」
言った瞬間、空気が変わった。
「……は?」
グーリスが、信じられないという顔で聞き返した。
目を見開き、信じようとしない顔。
「いや、そんなバカな……噓だろ?! 本気で言ってんのか?」
その動揺を見て、サーシャが小さく笑って答えた。
「ええ、本当ですよ」
その一言が決定打だった。
アレンも、鉄の掟の傭兵たちも、一斉にざわめき立つ。
「一度入ったら出てこれねえ場所だろ、あそこ……」
「陽が差さねえくらい暗いって聞いたぞ」
「ヤバい獣がわんさかいるところだろ?」
口々に呟かれる言葉は、すべて恐れと驚きに満ちていた。
それは、深淵の森が彼らにとって伝説めいた場所である証だった。
ざわつく輪の中で、アレンが信じられないという顔で訊いた。
「ち、ちなみに聞くけど……何カ月くらい、そこにいたんだ?」
ロイドが焚き火の棒を弄びながら、さらりと答えた。
「六年くらいですね」
沈黙。
「…………」
一拍遅れて、鉄の掟の傭兵たちの間に爆発的な動揺が広がった。
「……!?」
「あり得ん……」
「あり得ねえッ!!」
グーリスが頭を抱える。
アレンも信じられないとばかりに目を丸くする。
クリフが困った顔で言った。
「……そう言われても…なあ?」
隣でオスカーも、笑って言葉を継ぐ。
「うん。実際、そのくらいの期間、生活してたし」
焚き火の向こうで、再び鉄の掟傭兵団に静かなざわめきが広がった。
「ところでよ」と、ライアンがふと思い出したように口を開いた。
「太い矢を使ったらなんで“えげつねえ”んだ?」
焚き火の輪の向こうで、ザックがにやりと笑った。
「これ使えば、五、六人まとめて殺せんだろ?」
平然と言い放つ。
ジトーが腕を組みながら、さらに重く付け加えた。
「下手したら、五、六人じゃ済まねえだろ」
「うん、距離にもよるけど……行けるんじゃない?」
ケイトが軽く首を傾げながら言った。
そのあまりにも淡々としたやり取りに、ライアンの眉がピクリと動く。
彼は一拍置いてから、興味ありげに口を開いた。
「……ちょっと矢を見せてくれねえか?」
「うん、いいよ」
オスカーが傍らに置いていた矢束から一本を取り、ライアンに手渡す。
ライアンはそれを受け取ると、重みを確かめるようにゆっくりと手の中で転がした。
太い。並の弓矢とは比べものにならない質量感。
鏃の部分を見ると、そこには鋭い金属製の穂先はない。
ただ先端が硬く絞られている。
「……鏃がねえんだな」
「貫通力に特化したやつだから」とオスカー。
鉄の掟団長、グーリスも興味をそそられたらしく、手を伸ばして言った。
「俺にも見せてくれ」
ライアンから受け取ったグーリスが、その矢をまじまじと眺める。
「だが……これだけ太い矢じゃ、飛ばねえだろう」
そう言ってグーリスが訝しげに眉を寄せた。
メグが、きょとんとした顔で言った。
「そんなことないよね?」
何気ないその一言に、ライアンがはっとする。
「弓か?! 弓に秘密があるんだな!?」
声を上ずらせながら、矢をオスカーに押し戻す。
オスカーは、どこか困ったように笑って言った。
「秘密ってほどのもんじゃないけど……?」
そう言いながら、彼は自分の背に立てかけていた長弓を手に取った。
見た目はさほど変わらない。
ただ、弓の芯材が異様に分厚く、弦もまた、獣の腱を編み込んだような異様な太さと張りの強さを誇っている。
「……試してみる?」とオスカー。
ライアンは即座に手を伸ばした。
重たい弓を両手で抱え、矢を番える。
そして、引いた。
――引けない。
「……っ!」
わずかに弦が動いただけだった。
力を込める。さらに込める。
肩の筋肉が怒張し、首筋に血管が浮き出る。
「……っっぐ……!」
顔を真っ赤にし、腕をプルプルと震わせながら、ライアンは必死に弦を引こうとした。
だが、まるで鋼の鎖を引きちぎろうとするかのような抵抗に、どうしても抗えない。
ついに、弓を下ろした。
「ハァ……ハァ……ハァ……!」
ライアンは肩で大きく息をしていた。
汗が額から滲み、火の光で光っている。
その様子を、グーリスを始め、鉄の掟傭兵たちは呆然と見守った。
「……な、なんだよこれ……」
ライアンが搾り出すように呟いた。
「ちょっと、私にもやらせて!」
焚き火の輪から勢いよく立ち上がったマリアが、
ライアンが肩で息をしている横からひょいと手を伸ばし、オスカーの弓を受け取った。
――次の瞬間、
「お、重ッ!!」
思わず叫びながら、体をよろめかせる。
弓を両手で必死に抱え込み、何とか体勢を整えると、ぐっと顔を引き締めた。
「いい?見てなさいよ!」
気合を入れて矢を番え、弦を引く。
「……ググ……ぐぅぅ……ふんっ……ぬう~~~……ッ!」
顔を真っ赤にしながら、ありったけの力を込める。
だが弦は、ほんのわずかにしか動かない。
全身を震わせ、踏ん張りながら、とうとう――
「ハァ……ハァ……」
肩を落とし、大きく息を吐いた。
「……ダメだわ、全然引けない……」
額に滲んだ汗を手の甲で拭いながら、悔しそうに唇を噛むマリア。
「サーシャ、引いてみて!」
突然振られて、サーシャはきょとんとした顔をしたが、すぐに微笑んだ。
「ええ、いいわよ」
すっと立ち上がり、弓を受け取る。
皆が固唾を呑んで見守る中――
サーシャは、何の苦もなく、まるで普通の弓を扱うような自然な動きで、きゅっ、と弦を引いた。
**ギィィィ……**としなった弓。
矢羽根がきれいな軌道を描き、ぐぐっと引き絞られる。
「――ほら、こう?」
サーシャは、軽やかに問いかけた。
「……!!」
その場にいた誰もが、目を見開いた。
焚き火の爆ぜる音が、妙に耳に痛かった。
「お、おい……マジかよ……」
「サラッと……?いや、嘘だろ……?」
「何者だよ……!」
鉄の掟傭兵団の男たちがざわざわと騒ぎ出す。
そして、次の瞬間には我先にと声を上げた。
「俺にも引かせてくれ!」
「俺も!」
「俺が先だ!」
弓を持つサーシャに、群がるように詰め寄る鉄の掟傭兵たち。
彼女は小さく笑って弓を手渡した。
最初に弓を掴んだ屈強な男が、意気込んで弦を引こうとする――
だが、「……っぐ……ぐぅぅぅ……!」
顔を真っ赤にし、歯を食いしばり、腕を震わせても、弦は微動だにしない。
次の男も。
「うおおおおおッ!」
叫び声を上げながら引こうとするが、結果は同じ。
次々と挑む鉄の掟傭兵団の兵士たち。
だが――誰一人、弦を引くことはできなかった。
やがて、最後の一人が無様に肩を落として弓を手放すと、場には妙な静寂が訪れた。
「……うそ、だろ……」
「俺たち……傭兵だよな……?」
「これ、化け物専用装備じゃねえのかよ……」
「やべえな……」
「なんなんだよ、あいつら……」
そんな声が、夜風に乗って微かに流れていった。
ひそひそとした声が、あちこちから漏れる。
焚き火の向こうで、シャイン傭兵団たちは肩をすくめ合いながら苦笑していた。
火の粉がぱちぱちと弾ける音だけが、騒ぎを冷ますように夜気に溶けていった。
まるで、闇の中から這い上がってきた、異形の連中を見るように。
弓を引けなかった衝撃が、場をじわりと支配していた。
そんな中、ライアンがふっとため息をつきながら、シマに向き直る。
「つまり――お前たちだけなら、もっと上手くやれたってことか?」
静かな声だった。
だがその一言が、場にいた全員の胸をどくんと打った。
シマは、焚き火に炙られた顔に薄い影を落としながら、無造作に肩をすくめる。
「まあ、そういうことだな」
あっさりとした、何の重みも感じさせない言葉。
だがそれは逆に、彼らにとっては"当然"のことなのだということを雄弁に物語っていた。
沈黙。
誰も、何も言えなかった。
鉄の掟傭兵団の面々。
ライアン。
マリア。
療養中の大嵐傭兵団の生き残りたち。
全員が、同時に思った。
――(化け物集団かよ……!!)
心の中で叫ぶように。
笑う者は誰一人いなかった。
それほどに、先ほどの光景と、シマたちの言葉が現実離れしていた。
(こいつら、"普通の傭兵"じゃねえ……)
(あの深淵の森で生き延びて、夜を駆け、鉄より強い弓を使いこなして……)
ゴクリ、と誰かが小さく唾を飲む音が聞こえた。
焚き火の炎に照らされるシャイン傭兵団の顔は、どこか涼しげで、余裕すら感じさせる。
対して鉄の掟傭兵団たちは、打ちのめされたように沈み、誰も次の言葉を継げなかった。
やがて、冷たい夜風が広場を吹き抜けた。
焚き火の火の粉が小さく舞い上がる。
その火の粉の向こうで、シマが小さく笑った気がした。




