異端?!
夜は深まり、空には星が静かに瞬いていた。
テント群の間を抜け、シマとライアンはシャイン傭兵団の家族たちのもとへと戻ってきた。
焚き火の灯が柔らかく揺れ、団員たちが一か所に集まり、彼らの帰りを待っていた。
サーシャが先に立ち上がり、シマに小さくうなずく。
「おかえり、お兄ちゃん、ライアンさん」
メグが囁くように声をかけた。
シマはうなずき、腰を下ろすことなく、仲間たちの視線が自分に集まるのを見届けてから、静かに口を開いた。
「……明日、ゼルヴァリアの連中はヴァンに向かう」
場に、ぴんと緊張が走る。
「だが、ヴァンは――おそらく既に落ちているか、囲まれてる」
シマの声は低く、しかしはっきりと響いていた。
「敵は待ち構えてる。ヴァンは囮だ。おびき寄せて、一気に潰す気だろう」
「罠……ってこと?」
ノエルが小さく声を漏らす。
「そうだ。情報は錯綜してる。だが、それこそが罠の証拠だ。混乱させて、気づかせないようにしてる」
「じゃあ……私たちはどうするの?」
ミーナが問うた。その声には恐れもあるが、覚悟もあった。
「俺たちは……最後尾に回る」
シマは一呼吸置いて続けた。
「様子を見ながら、徐々に距離を取る。もし前方で戦端が開かれたら、すぐに引く。」
「逃げるか?」
クリフが尋ねた。
だがその言葉に咎める意図はない。ただ、確認するように。
「そうだ。無理に突っ込めば全滅する。俺たちは俺たちの戦い方をする。灰の爪、氷の刃の連中と一緒に動く予定だ。彼らは……理解がある」
「だけど、それじゃ名を上げるどころか、嘲笑の的にならねえか?」
フレッドが言うと、サーシャが小さく肩をすくめた。「名より命よ、今は」
「そうだ」
ライアンが口を挟んだ。
「戦って名を上げるのは目的じゃない。シマの判断は正しい」
「目的を間違えるな」
シマが続けた。
「俺たちがやるべきなのは、アレンや鉄の掟傭兵団の安否を確かめて、連れて帰ることだ。勝ち負けじゃない。生存がすべてだ」
焚き火の音だけが、一瞬だけ響いた。
「ゼルヴァリアの連中は、敵が待ち構えていることを知らねえのか?」
クリフが眉をひそめて訊く。
「多分、知らねえだろうな」
シマが低く答える。
「教えてあげたらどう?」
リズが素朴に問いかけるが、それに返したのはライアンだった。
「無駄だ。例え罠だとわかっていても、連中は突っ込む。俺が断言する」
「馬鹿なのか?」
ザックが呆れたように吐き捨てる。
「なあ?罠があるなら、それを回避すりゃいいだけの話じゃねえか」
フレッドが肩をすくめて言う。が、それを打ち消すようにライアンが静かに答えた。
「お国柄ってやつだ。考え方が、根本から違うんだよ」
「……そいえば、前に言ってたな……オズワルド?だっけか」
ジトーが思い出すように言葉をつなげる。
「ゼルヴァリアでは、個人の武勇が全てだって。敵に背を向けるなんて、恥どころか、生きて帰っても軽蔑されるって」
「誇りのかたちが、違うってことだね」
ロイドがぽつりと呟いた。
「でもさ……そんな誇りで死んで、誰が喜ぶんだろうね」
ミーナの小さな問いに、誰も答えなかった。
ただ、シマの目が揺れずに焚き火を見つめていた。
その炎の奥には、明日、血に染まる戦場が見えていたのかもしれない。
静かにうなずく者、腕を組む者、遠くを見る者、それぞれの反応があった。
だが、誰一人として反論する者はいなかった。
そんな中、沈黙を破ったのはシマだった。
「……ダグザ連合国の連中は、どういった連中なんだ?」
問いは、隣に座るライアンに向けられた。
ライアンは腕を組んだまま、少し考えるように目を伏せ、それから低く答えた。
「あいつらはな、蛮族って呼ばれていて……粗野で、好戦的で……戦い方も——」
その瞬間、彼の言葉がふと止まった。
目を見開き、ハッとしたように息を呑む。
「戦い方が……」
ライアンがぽつりと呟いた。
「ゼルヴァリア軍閥国と……同じなんだ。いや、まったく同じじゃねえ。けど、似てる。昔のダグザじゃ、こんな戦い方、してなかったはずだ」
「つまり、突撃重視、個人武勇主義の……あのやり方か」
「ああ、そうだ!」
ライアンは膝を打つようにして、感情をあらわにする。
「俺が知ってるダグザの連中は、もっと部族ごとに違いはあったが、今みたいな戦術を使ってやるような連中じゃなかった。明らかに、何かが変わってる」
「……向こうにも、“異端”が現れたのかもな」
シマが静かに言った。火を見つめるその声には、重みがあった。
「異端……?」
シャイン傭兵団の面々が、一斉に首を傾げる。
「さっき話しただろ、灰の爪傭兵団と氷の刃傭兵団のことだ」
シマは周囲を見渡しながら続ける。
「氷の刃の団長——ユキヒョウっていう男だ。ゼルヴァリア出身のはずだが、あいつはただの武闘派じゃない。個の強さだけじゃなく、集団戦術にも長けているという。従来のゼルヴァリア流とは一線を画してる」
「灰の爪の団長ギャラガもな」
ライアンが引き継ぐように語る。
「あいつは元々ゼルヴァリアらしい、突撃型の戦い方をしてた。だが、最近になって考え方が変わった。“死にすぎる”“入れ替わりが激しすぎる”ってな。今は、なるべく生き残る戦い方を模索してる」
「変化の兆し……」
エイラが腕を組みながら考え込む。
「異端ってのは、周囲から浮いて、反発されもするが……うまくいけば、全体を変える力になる」
シマはそう言いながら、火を見つめ続けた。
「ダグザの中にも、そんな異端が現れて、そのやり方が広まりつつあるのかもしれない」
「それだけ、状況が極まってるってことだろうな。戦い方の変化は、生き残るための進化でもある。」
ライアンがうなずく
誰もが胸の内に言葉を抱えたまま沈黙していたそのとき、クリフがゆっくりと口を開いた。
「……言いづらいんだがよ」
いつになく慎重な声音だった。
「ライアンを前にして言うのもなんだが……アレンってやつと、鉄の掟傭兵団の生存って……限りなく低くねえか?」
重い言葉が焚き火の上に落ちた。
一瞬、誰もが言葉を失いかけたが、すぐに静かに、しかし力強くシマが口を開いた。
「……いや」
その声は落ち着いていたが、明確な意志が宿っていた。
「ダミアンが情報を精査して、状況を見極めた上で“安全だ”と判断したからこそ送り出したんだ。あいつは軽率な判断をしねぇ」
「そうだ」
ライアンも深く頷いた。
「念のため、俺たちからも四十名の護衛をつけた。それに、グーリス——鉄の掟傭兵団の団長自らが同行してる。あの男の指揮力は確かだ」
その言葉に、多少は安堵の色が広がる。
サーシャが、眉をひそめたままぽつりと呟いた。
「……じゃあ、この十日ほどの間に、状況が変わったんじゃないかしら?」
その可能性に、皆の視線が再び焚き火へと集まる。
「籠城してる可能性もあるわね」
エイラが腕を組みながら言う。
「防御力次第ね……ヴァンの城壁がどれくらい堅いかによるわ」
ノエルが静かに言葉を継ぐ。
ライアンは、しばし考えてから首を横に振った。
「ヴァンは、そう簡単に落ちる都市じゃねぇ。高台に位置してて、周囲は林。街道は一本だけ。防備もしっかりしてる。敵が強引に攻めたとしても、時間がかかるはずだ」
そのとき、シマが小さく呟く。
「……元々、前線ってのはヴァンから三十キロ先、国境線に近いあたりだったんだよな?」
「……ああ」
ライアンは頷いた。
その言葉を受けて、ヤコブが言った。
「それを考慮すると、先ほどサーシャ嬢が言った推測が最も妥当じゃろうな。前線が一気に押し上げられた……つまりは、十日以内に大規模な突破があったということじゃな」
「……電撃戦、か」
シマが低く、呟くように言った。
電撃戦?!シャイン傭兵団の家族たち、ライアンも聞いたことがない。
シマ、説明しなさいとサーシャの目が物語っていた。
「電撃戦——少数精鋭の部隊が高速で敵陣を突破し、前線を無視して一気に後方を叩く。情報と機動力、奇襲性を重視した戦術だ」
皆が息を呑んで耳を傾ける中、シマは続けた。
「この戦法の怖いところは、防衛線を張る暇すら与えず、敵の指揮系統や補給路を潰す点にある。戦う前に混乱させ、崩壊させる。正面からぶつかるより、ずっと効率がいい……だが、これを成立させるには、徹底した情報操作と作戦統制が必要だ」
ライアンが目を細めて呟いた。
「……そんな高度な戦術を、ダグザが?」
「だから異端が現れたって話になる」
シマの声に重みが増す。
その言葉には、ただの作戦名以上の意味が込められていた。
敵が周到に準備し、偽情報を流し、正面からではなく隙を突いてヴァンに迫った可能性。
まさに“ヴァンが囮”であるという見立てに、さらなる説得力が加わっていく。
「だが、アレンたちが無事である可能性が残ってる限り、俺たちは行く。助けに行く。だが突っ込む必要はねえ。観察し、引き際を見極める。俺たちは死ぬために戦うんじゃねぇ」
その言葉に、誰も異を唱えなかった。
むしろ、全員の胸に「戦いの本質」が静かに染み渡っていくようだった。
命を捨てるために剣を取ったわけじゃない——そう、誰もがそれを分かっていた。
だが次の瞬間、シマはニヤリと笑った。
その笑みに込められた意図を察して、周囲の空気がわずかに引き締まる。
「それに――電撃戦には弱点もある」
「補給線が伸びることじゃな」
ヤコブが静かに言った。
「正解だ」
シマが頷く。
「あともう一つ。急ごしらえの罠はあっても、大掛かりな仕掛けはねえ。」
「……根拠は?」
ライアンの声に迷いはなかったが、その目には興味が灯っていた。
それに答えたのはロイドだった。
「機動力、奇襲性を重視した戦術ってことでいいのかな?」
「その通り」
シマはロイドに親指を立てて見せた。
「おそらく敵の規模は3000から5000……奇襲には十分だが、広域制圧には足りない数だ。ヴァンの占領と迎撃の両方をこなすには兵を分けるしかない。なら、穴も生まれる」
「じゃあ、なんとかなるんじゃねえか」
ザックがこともなげに言った。
「ヴァンの方にも兵を割かないといけないしね」
ケイトが頷きながら言う。
「大きく迂回して両脇から奇襲するのも手ね」
ミーナの指が、地面上に沿って動く。
「林の中を進んでいけば、私たちなら見つかることはないでしょう」
メグが静かに言った。
だが、その自信には裏打ちされた経験がにじんでいた。
そして、トーマスが肩をすくめて笑う。
「深淵の森で育った俺らからしてみりゃ、どうってことねぇわな」
その瞬間だった。
「……?! お、お前ら、い、今なんて言った?!」
ライアンが目を見開いて身を乗り出した。
「深淵の森……?」
声がかすれるほど驚いていた。
焚き火の灯が、その驚愕を照らす。
シマは苦笑して肩をすくめる。
「ああ、言ってなかったか。うちの家族たちは“深淵の森”で育ったんだよ。……ヤコブは別な。」
「いや……いや、待て。深淵の森って、お前ら……マジで? “あの”深淵の森?」
ライアンは言葉を失ったまま、シャイン傭兵団の面々を順に見渡した。
笑っている者もいれば、無言でうなずく者もいる。
まるでそれが特別でもなんでもないように。
ライアンはついに天を仰いで、呆れたように息を吐いた。
「……ああ、マジでとんでもねえ連中と一緒にいるんだな、俺」
その場に静かな笑いが広がり、張り詰めた空気に一瞬の緩和が訪れた——嵐の前の、束の間の安らぎだった。
焚き火の火がパチパチと音を立て、夜の帳がすっかり下りた頃。沈黙のあと、シマが口を開いた。
「……前言撤回だ」
その言葉に、一瞬その場の空気が止まったように感じた。
「お?」
フレッドがにやりと笑い、腰を浮かせかける。
「やるか?」
「そうこなきゃな!」
ザックが拳を鳴らしながら笑い、火の明かりの中で瞳を輝かせる。
「……ああ」
シマは微かに笑った。
だがその笑みの奥には、鋭利な冷静さが潜んでいた。
「だが“正々堂々”なんて言葉は、俺たちにはねえ。」
「“生き残る”ために戦う。勝つために、あらゆる手を使う!」
ジトーが叫ぶように応えた。
「なら、作戦だ」
シマが腰を下ろし、焚き火の周囲に手招きするように声を掛ける。
「知恵を貸せ。」




