依頼2
商談室の重厚な扉が静かに閉じられ、わずかな沈黙ののち、ダミアンが懐かしげに目を細めた。
「……春先に会って以来だな。」
「そうだな、およそ四、五ヶ月ぶりか…」
シマは淡々と返す。
「まさかここで再会するとは思ってもいなかったが……縁というやつかね」
ダミアンの口調に笑みが滲む。
対するライアンは、まだわずかに困惑した面持ちで二人を見つめていた。
しかし、さすがは歴戦の傭兵副長。
すぐに表情を整え、眉間の皺を押しのけるようにして落ち着いた声を出した。
「……見違えたな。最初、一瞬誰だか分からなかったぜ。けどよ……」
視線をジトーに移し、驚き半分に口角を上げる。
「お前、当時もバカみてえにデカかったが……さらにデカくなってやがるな!」
「まあな!」
ジトーがどこか誇らしげに応じると、ライアンは思わず吹き出した。
しかしすぐに空気が引き締まる。シマが真剣な表情で問いかける。
「積もる話もあるが……今はそんな状況じゃねえだろう?」
その言葉に、ライアンの目が細くなる。
「……なんだ? 手伝ってくれるのか?」
「金次第だな」
その瞬間、ダルソンが一歩前に出て、簡潔に報告する。
「副長、ダミアン会頭。シマたちは『シャイン傭兵団』。シマが団長を務めています。今回は傭兵団として、ここまで共に来ました。人数は……16名」
「……16人か」
ダミアンが繰り返すように呟く。
「少ねえか?」とシマが鋭く返す。
「だが俺たちは……ただの傭兵団じゃねえぞ」
その言葉に、ライアンの口元が緩む。
「ハハハ! 確かに……お前らは昔から普通じゃなかったしな。いや、頼もしい限りだぜ」
視線を向けたまま、静かに口を開くダミアン。
「お前が結成した傭兵団か……エイト商会として、正式に依頼を出す」
それに呼応するように、ライアンも頷いた。
「鉄の掟傭兵団としても出すぜ。お前らなら、任せられる」
すると、シマがひとつ確認を入れる。
「……依頼内容を聞いた後で、断ることは出来るか?」
「勿論だ」
ダミアンは即座に答えた。
「これから説明する。無理強いはしねえ」
商談室の空気がまた一段、落ち着いた。
過去と現在の信頼が、確かに交差した瞬間だった。
ダグザ連合国がゼルヴァリア軍閥国に対し、小規模な侵攻を開始してから、すでに半年が経過していた。戦火は拡大こそしなかったものの、国境地帯ではにわかに緊張が高まり、軍閥国の補給線にも徐々に陰が差し始めていた。
そうした中、ゼルヴァリア側から「エイト商会」へと打診が届く。
内容は、前線から30キロほど内陸に位置する都市への補給支援――穀物、食材、医薬品など、生活と戦線の両面を支える物資の輸送だった。
「危険はない。我々が責任を持って通行許可を出す」
ゼルヴァリア側の交渉人は繰り返した。
しかし、ダミアンはその言葉を鵜呑みにはしなかった。
彼の商会、エイト商会は今やギザ自治区でも屈指の勢力を誇る大商会。
扱う物資の量も、護衛の規模も、下手をすれば一国の軍事行動に匹敵する。
彼は独自の情報網を駆使し、国境地帯の情勢、通行経路の安全性、各派閥の動向などを徹底的に洗い出させた。
数日後、裏取りを終えたダミアンは慎重に判断を下した。
「……受けよう。ただし、護衛は万全にな」
この任務において、エイト商会の代表としてヴァンへ向かったのは、商人アレン。
温和な人柄ながらも交渉力に優れ、現場での判断も冷静かつ的確と評される男だ。
その彼に同行する護衛は、鉄の掟傭兵団の精鋭40名。
その中には、団長グーリスの姿もあった。
“鉄の男”の異名を持つグーリスは、短気で直ぐに熱くなる男だが部下思いの性格でも知られ、重装鎧をものともせず戦場を突き進むその姿は、古今無双とも称される存在だ。
鉄の掟傭兵団は総勢100名ほどの中規模精鋭部隊。
平時は国内外問わず様々な護衛・警備任務に従事しており、現在も多数の依頼を抱えていた。
結果として、現在本部に残っているのはわずか10名に過ぎない。
しかし、今日――ダルソン率いる部隊が、任務を終え、無事に本拠地ランザンへ帰還した。
彼ら20名が帰ってきたことで、ようやく目途がたつ。
輸送隊は、アレンを先頭に、物資を満載した大型の頑丈な馬車十数台と、それを護衛する傭兵団の隊列で構成されていた。
馬車の横には騎乗の護衛、前後には歩兵陣が付き、緩やかな進軍ながらも隙はなかった。
その威容は商隊というより、まるで軍の後方補給部隊のようだった。
だが――その一行が、帰国予定からすでに 10日以上 を過ぎても、報せが届かない。
ダミアンとライアンはただ手をこまねいていたわけではなかった。
この10日の間、独自の情報網を使って各地に密偵を走らせ、情勢の調査に全力を注いでいた。
だが、耳に入る情報はまちまちで、混乱を極めていた。
「戦闘が激化している」 「ダグザ連合国が本格的な侵攻を始めたらしい」 「ゼルヴァリアは劣勢だ」 「いや、ゼルヴァリアが逆転し、反撃に出た」 「前線で膠着状態だ」「ヴァンは孤立状態にある」 「連合国が包囲を始めたという話もある」
ある情報提供者は「前線が南に崩れた」と言い、また別の者は「ゼルヴァリアが連合国軍を押し返している」と語る。
さらには、輸送隊の一団が見かけられたという目撃談まであったが、それすら信憑性は薄かった。
真偽の定かでない情報が飛び交い、どれが本当でどれが誤報なのかすら分からない。
それだけ、戦線の状況が目まぐるしく変動しているということだった。
「グーリスがいて帰ってこない…ありえねえ…」
ライアンは重々しく口にした。
ダルソンもまた険しい顔で「何か起きてる…」と呟く。
そしてダミアンは、静かに言った。
「シマ、お前たちの力を借りたい。――この混沌の中、俺たちには“確実な目”が必要なんだ」
ヴァンに向かった輸送隊に、何があったのか。
答えは、戦火の渦の中にあった。
薄暗い商談室に緊張が走る中、沈黙を破ったのはシマだった。
「報酬は? 物資は提供してくれるのか? ……情報を持ち帰ればいいのか?」
静かに、だが一切の遠慮を見せずに問いかける。
その声に、ダミアンが頷いた。
「……100金貨だ。物資は提供する。目的はアレンを無事に連れ帰ってくること。見たこと、知り得たことを報告してくれれば、それでいい」
隣にいたライアンも口を開いた。
「俺たちからも100金貨出す。グーリスはじめ、うちの団員たちを連れ帰ってくること。それが条件だ。必要なら人も出す」
その言葉に一瞬沈黙が落ちた。
だが、すぐにシマが静かに問いかける。
「……悪くねえ条件だがな。……既に死んでいた場合は?」
問う声にダミアンはわずかに目を細め、即座に応じた。
「……10金貨だ。」
「俺たちは一人につき2金貨と5銀貨。40人だ、ちょうどいいだろう。20人連れて帰ってくりゃあ、50金貨だな」とライアンが続ける。
シマは小さく頷いた後、口を開く。
「……分かった。ライアン、あんたのところから一人出してくれればいい」
「足手まといか?」
と返すライアンに、シマは無言で頷く。
「……だろうな。俺が行く」
その一言で、場の空気が変わった。
驚きの視線が彼に向けられる中、ライアンはどこか挑戦的な笑みを浮かべて言い放つ。
「副長の俺が動いた方が話が早え。人に任せるより、自分の目で確かめた方が早いだろ?」
ダミアンはその様子を見て、深く頷いた。
「……頼んだぞ、ライアン。無茶はするな」
ライアンは頷くと、すぐさまダルソンの方を見やった。
「おい、ダルソン」
「はい」
「お前らは休んでろ。だが、何時でも動けるように準備はしとけ」
「了解です」
ダルソンの返事は端的で力強く、戦い慣れた傭兵のそれだった。
こうして、ギザ自治区に集まったシマたちシャイン傭兵団と、ライアン率いる鉄の掟傭兵団、そしてエイト商会の合同による、ヴァンの街への偵察・救出任務が正式に決定した。
目指すは、戦火に包まれつつある最前線から約30㎞離れた――ヴァン。
その中にアレンとグーリスたちが今も生きているのか、それとも――
答えを得るため、シャイン傭兵団は戦場へと足を踏み出すこととなる。
エイト商会の厚意により、今夜はこの商会に宿泊することとなった。
シマとジトーはディープに案内されて、建物奥の待合室へと向かう。
その足取りにライアンも無言でついてくる。
ダミアンは自室に戻り、早速契約書の作成や明朝出発に向けた物資の手配に取り掛かっていた。
ダルソンは鉄の掟傭兵団本部へと帰還する。
ディープが扉を開けると、待合室ではすでにシャイン傭兵団の面々がくつろいでいた。
ソファに腰かけてお茶を飲む者、持ち込んだ果物をむく者、書物に目を落とす者。
それぞれが思い思いに時間を過ごしており、家族同然の雰囲気がそこには漂っていた。
「悪りい、勝手に話を進めちまった」
シマが少しばつが悪そうに口を開く。
「明朝には、ゼルヴァリア軍閥国に向かうことになった」と続けるジトー。
サーシャが肩をすくめて笑った。
「やっぱりね」
「何となくそんな気はしてたけどね」
ケイトも微笑んだ。
そこへライアンが部屋に足を踏み入れ、ふと目を見張った。
「おお、ロイド? トーマスか!?」
「お久しぶりです、ライアンさん」
ロイドが立ち上がり、軽く頭を下げる。
「久しぶりだな」
トーマスも笑顔で応じた。
「……とんでもねえ大男になりやがったな、ハハハ!」
ライアンは愉快そうに腹を揺らして笑った。
面影を残しながらも、たくましく成長した二人の姿に感慨深げである。
ロイドが周囲の仲間たちに向かって言う。
「この方が、鉄の掟傭兵団副長のライアンさんだよ」
「おう。今回、俺がゼルヴァリア方面への道案内を務めることになった」
ライアンは手を挙げて応じる。
軽口を交えつつも、その声音には確かな経験と責任感が滲んでいた。
しばらく談笑が続いた後、ふと真顔になったライアンがシマに尋ねた。
「なあ、シマ。お前やロイド、ジトー、トーマスの実力は知ってる。けど……他の連中はどうなんだ?」
シマは少し視線を巡らせ、家族たちの顔を一人ずつ見たのち、短く答えた。
「……いい勝負だな。状況によっては負ける」
その言葉に、ライアンの眉がぴくりと動いた。
「……おいおい、マジかよ?」
シマは無言で頷く。
沈黙の一瞬を破るように、ライアンが大きく息を吐きながら言った。
「……こりゃあまた、俺が足手まといになる可能性があるってことかよ」
そのぼやきに、周囲からクスクスと笑い声が起こる。
だが、ライアンの表情には冗談半分、だが半分は本気の警戒が滲んでいた。
シャイン傭兵団――この奇妙な家族集団の底知れなさを、ライアンは肌で感じ始めていた。




