ノルダラン連邦共和国
城塞都市カシウムを後にしたシャイン傭兵団の馬車は、陽光に照らされた緩やかな丘を越え、やがて国境線を越える。
遠くに見えていた柵と監視塔、そして無骨な石造りの門が徐々に大きくなっていく。
ここから先は、ノルダラン連邦共和国。ズライ自治区に入る。
共和国とは言っても、各自治区はそれぞれに統治権を持ち、自治的な色が濃いと聞く。
ズライの他には、ギザ、ハドラマウト、ダーリウ、そしてヘイレン――全五つの自治区が連邦としてまとまっている。
「共和国、って響きだけで少し自由な気がしてくるわね」
ミーナがそんなことを呟いた。
国境を越えると、すぐに街が見えてきた。
中規模ながら、しっかりとした石壁に囲まれた都市。
その名は「タイズ」と言うらしい。
ヤコブがぼそりと口にする。
「この街は古くから交易の要衝として栄えたらしい。アンヘル王国との国境から近く、商人たちが集まるんじゃ。共和国の“顔”とでも言うべき場所じゃな」
城門の前には五人の兵士が立っていた。
装備は整っているが、どこか緊張感が薄い。
傭兵団の馬車が近づくと、兵士の一人が気だるそうに手を挙げる。
「身分証、あるかー?」
サーシャが腰から証明書の束を取り出して差し出すと、兵士はそれをざっと確認するだけで通行を許した。
馬車も外観をちらりと見ただけで、特に中身を調べるでもない。
「意外と、ゆるいわね」
ノエルがぽつりと呟いた。
「共和国ってもっと厳しいイメージだったけど」
エイラも怪訝そうな顔をして続ける。
ヤコブが肩をすくめる。
「気質もあるじゃろうな。ズライ自治区は交易に依存しておる分、他国との行き来に神経質にはならんのじゃ。身分証がない者には五銅貨を徴収してるが、それも形式的なもんじゃろ」
「アンヘル王国とは、ずいぶん違うな…」
シマが独りごちる。
たしかに、カシウムでは城門の通過ひとつにしても、書類確認から荷物検査まで、念には念を入れていた。
あれが“王国”のやり方だとすれば、ここはまるで別の国――いや、まるで別の世界のようだ。
「カルバド帝国、それにエスヴェリア神聖王国はかなり厳しいらしいわよ」
エイラが補足する。
「国境通過には一人ずつ許可証が必要で、事前申請制。手数料も高額だって」
「やっぱり、宗教国家は面倒だな」
クリフが苦笑する。
そんな会話を交わしながら、傭兵団の馬車はタイズの城門を抜けた。
中に入ると、石畳の広場が広がっており、あちこちに露店が並んでいた。
香辛料、布地、宝石、果物、乾いた空気に乗って様々な匂いが入り混じる。
「へえ……活気があるね」
ロイドが感心したようにあたりを見渡す。
町人たちはあまりこちらを気にすることもなく、慣れた様子で馬車を避けて通っていく。
異国の風景の中に、ほんの少しだけ旅人としての自覚が芽生える。
「国が違えば空気も違う……ってか?」
ザックが皮肉交じりに言う。
「だが、それが旅の醍醐味だろうよ」
フレッドがニヤリと返す。
タイズの街は、ノルダラン連邦共和国の玄関口。
その第一印象は――「自由」だった。
緊張も、硬さもなく、流れる風のように柔らかい。
そこに息づく人々の表情もまた、どこか穏やかで、開かれているように見えた。
タイズの街を歩き回ってみて、シャイン傭兵団の面々は不思議な感覚を覚えた。
交易の要所と聞いていたが、売られている品は、城塞都市カシウムとそれほど変わり映えしない。
絢爛な布や珍しい香辛料、医薬品類、変わった獣革の加工品など、確かに物は豊富だが――カシウムでも目にしたものがほとんどだった。
「距離が近いせいもあるのかもね。あっちで見たことあるのばかり」
ノエルが袋を覗きながら肩をすくめた。
「カシウムが立派すぎるのよ。あそこは要塞都市だったし。」
エイラが納得するように言う。
「中規模の都市で張り合うには、ちと分が悪いか」とクリフが笑った。
宿は「ワトソン宿」と呼ばれる場所に決めた。
街の南端に位置し、石造りの立派な三階建て。
宿の裏手には馬車が四台分は楽に止められる広場があり、厩舎も併設されていた。
料金は少々張るが、馬の世話込み、しかも料理の評判も上々だという。
いつものように、宿の一階は酒場兼食堂となっていた。
長い木のカウンターに、頑丈な椅子とテーブル、天井から吊るされた燻し銀のランプが、暖かな光を揺らしている。
木の香りと香草の匂いが混ざり合い、夜の喧騒が始まろうとしていた。
シマたちは奥まった席に陣取り、それぞれが好きな料理と酒を頼み始める。
肉の香草焼き、茸と卵のパイ、魚の香草煮込み、スープとパン。
陽の沈んだ街に、安らぎと満腹がやってくる。
オスカーとメグは果実を搾ったジュースを仲良く飲み、シマも同じものを頼んで静かに席についた。
サーシャが果実酒を口に含みながら、ふと問いかけた。
「これからの予定は?」
シマがジュースのグラスを揺らしながら静かに答える。
「ダミアンに会いに行こうと思ってる。あいつなら、この周辺の国の情報にも詳しいはずだからな」
その言葉に、トーマスがうなずく。
「確かに、あいつなら何かしら知ってるだろうな」
「エイラだって詳しいでしょ?」
ケイトが首をかしげて言った。
「うーん……王国内のことならある程度は。でも国外の内部事情までは、さすがに把握してないわ」
エイラは申し訳なさそうに肩をすくめた。
「じゃあ、爺さんはどうなんだ?」ザックがヤコブに振る。
ヤコブは、くぐもった声で答えた。
「ワシは商売のことはわからんし、そっち方面の情報は、わしの領分じゃないわい」
そのとき、ジトーがふと思い出したように言う。
「ところで、ダミアンがどこにいるのか分かってんのか? まさか、この広い共和国を闇雲に探すってんじゃ……」
「いや、目星はあるよ」とロイドが答える。
「前に“鉄の掟”傭兵団と専属契約を結んだって言ってたからね。彼らの動きを追えば、どこかで繋がるはずだよ」
「“鉄の掟”か。ノルダランじゃ名の知れた傭兵団らしいしな」ジトーが言った。
「専属契約を結ぶくらいなら、そう遠くにはいないはずよね」
食事をしながらミーナが言った。
「ふむ、情報の入り口は見つかっておるな」
ヤコブが目を細める。
酒と料理の香りの中で、夜は深まり始めていた。
賑やかな「ワトソン宿」の酒場の中、シャイン傭兵団の一団が輪になって談笑していた。
その一角だけ少し浮いて見えるのは、人数が多い上に、皆がどこか堂々としているからだろう。
そのとき、フレッドがグラスを傾けながら目を細め、ふと低く呟いた。
「……なんだあいつ。さっきからずっと聞き耳を立ててるぞ」
視線の先には、カウンターの隅で静かに飲み物を口に運ぶ男がいた。
リズが軽く眉を上げて言った。
「そうね。でも、敵意は感じないわ」
「……あっ」隣のメグが小さく声を上げる。
「いま、聞こえたのかな? 動揺してるわ。」
「耳はいいみたいだね」
オスカーが苦笑した。
「おぬしらは、よう、わかるのう……」
ヤコブが感心したように目をしばたたかせる。
そのときだった。
ザックが腰を上げ、肩を鳴らしながらゆったりと歩き出す。
その堂々たる歩幅、軋む床板の音。
彼が向かうのはもちろん、さきほどの聞き耳男だった。
ピタリと男の前で足を止めたザックが、低く、しかしよく通る声で言った。
「よう。盗み聞きは、よくねぇぜ」
男がびくっと肩を震わせ、ゆっくりと顔を上げた。
その目が見開かれ、口が開く。
――2メートルを超える、岩のような男。
目の前に現れた存在に、男は完全に言葉を失っていた。
そりゃびっくりするわな、と傍で見ていたシマたちも思う。
何しろ、ザックはただ立っているだけで壁のような威圧感がある。
「……あ、いや……違うんだ、俺はその……」
しどろもどろになりながら手を振る男に、ザックがさらに一歩前に出て、にやりと笑った。
「何が違うんだ、言ってみろ――馬面」
その瞬間だった。
「ぷっ……」
「ふふっ……!」
抑えきれず漏れ出るリズやエイラ、ノエルたちの笑い声。
メグは口元を押さえて肩を震わせている。
エイラは「ザック、またそんな……」と呟きながらも、目尻に涙を浮かべて笑いを堪えていた。
当然、シマもサーシャもトーマスも、「初対面の人にそれはないだろ」と思いながらも顔が引きつる。ケイトがそっぽを向きながら肩を揺らし、クリフがグラスで顔を隠す。みな限界寸前だった。
だが――一人だけ違った。
フレッドが腹を抱えて、カウンターに頭をぶつけんばかりに笑い始めた。
「あははははっ! ザック、お前、上手いこと言うじゃねえか! 馬面って! あっはっは!」
その勢いに釣られ、周囲の傭兵団員たちも次々と吹き出す。
まるで堤防が決壊したように、笑いの渦が酒場の一角を包み込んだ。
「だろ?」
ザックがドヤ顔で振り返る。
その誇らしげな顔に、さらに笑いが巻き起こる。
当の男はというと、完全に呆然としていた。
何がどうなっているのか、まったく理解できていない様子で、ぽかんと口を開けたまま、ザックの巨体を見上げていた。
そんな中、シマが立ち上がり、ようやく笑いの収束を図る。
「ザック、ほどほどにしとけよ。客が逃げちまう」
「あいよ」
返事だけは素直なザックが、肩をすくめて席に戻る。
騒ぎがひと段落したそのあと、リズがにっこりと男に笑いかけた。
「ねえ、何をそんなに気にしてたの? 話してくれるなら、聞いてあげるわよ」
今度は逃がさない――そんな空気が、自然と傭兵団の周囲に流れていた。




