着々と!
ロイドとオスカーは昼食を終えるとすぐに身支度を整え、アパパ宿を後にした。
手にはしっかりと一通の書類。
厚手の羊皮紙に記された「シャイン傭兵団に対する信頼と支援を確約する」という一文と、誇らしげに押されたブランゲル侯爵家の家紋が陽光を受けて微かに光っていた。
「さあて、まずは街の大きな劇場からあたってみるか」
「うん。演目と演者を差し替えるってのは難しいかもしれないけど、これがあれば交渉できるはずだよ」
オスカーは少し緊張した面持ちで答えた。
カシウムの街は、思った以上に文化が栄えていた。
大小様々な劇場、音楽堂、演芸場が城下町の至るところに点在し、それぞれが違った雰囲気と色を持っていた。
「グレイス・ルネ劇場」。
古風な石造りの大きな会場に、色とりどりのポスターが貼られており、今は地元の劇団が公演中のようだった。
応対に出てきたのはやや細身の管理責任者で、名前をラントと名乗った。
「公演の枠を一つ、貸していただきたいんです。できれば三日以内、夕刻以降の時間帯が望ましいです」ロイドが丁寧に話すと、ラントは怪訝そうに眉をひそめた。
「はあ……いきなり来て、しかも三日以内?どちらの劇団さんですか?」
「劇団ではなく、傭兵団です。シャイン傭兵団と申します。今回の主役は歌と踊りの才能に秀でた者です」
オスカーが一歩前に出て応える。ラントの顔がさらに曇った。
「傭兵団が……舞台公演?ちょっと信じ難いな…」
ロイドはすぐに書類を懐から取り出した。
「これをご覧ください」
ラントは一瞬訝しげな視線を投げるも、紙面に記された豪奢な家紋と文字を見て、その態度を一変させた。
「これは……ブランゲル侯爵家の……!」
「はい。こちらは正式な公正証書です。侯爵家より私たちシャイン傭兵団に対する信頼と支援を保証するもの。会場を借りるにあたって何か問題があれば、これがその後ろ盾になります」
しばしの沈黙の後、ラントは小さく咳払いをした。
「……なるほど、確かにこの一文と家紋は本物のようですね。内容も確認させていただきました。ふむ、そうですね……公演の枠は詰まっていますが、三日後の午後、ちょうど地元の楽団が練習日のために公演を休む予定がありました。二時間程度でよければ、その時間を貸し出せるかもしれません」
「本当ですか?!」
ロイドとオスカーは同時に声を上げた。
「もちろん、正式な手続きが必要にはなりますが……この書類があれば、特別対応ということで上には通せると思います。リハーサルも一時間ほどなら前日に時間を取れるかと」
「ありがとうございます!」
頭を下げる二人。
ラントはその姿を見て笑いながら言った。
「礼には及びません。むしろこちらも興味がありますよ、傭兵団の舞台というものに。なんだか面白そうじゃありませんか?」
「期待していてください。きっと驚かれますよ」
オスカーは自信を持って答えた。
ラントに別れを告げた二人は、その足で役所へと向かい、使用申請書類の準備と劇場の使用確認に動いた。
必要な手数料はブランゲル侯爵家の保証があれば後払いでも問題ないとのことだった。
「よし、上出来だ」とロイドが笑い、「あとはみんなに報告して、リズに知らせなきゃな」と言う。
「みんなも喜ぶだろうね」
オスカーが頷く。
こうして、シャイン傭兵団の名を冠した特別公演は、静かに動き始めたのだった。
アパパ宿の厨房に入ったシマたちは、それぞれが役割を手にして慣れないながらも意気込んでいた。
シマは中心に立ち、全体の進行と温度管理を担う。
「手順通りにやれば失敗はしない。大事なのは火加減と順序だ」
皆に声をかけ、鍋にミルクを注ぎ始める。
その傍らでエイラが卵を割り、白身と黄身の比率に気を配りながらボウルで丁寧にかき混ぜていた。
「この作業、案外楽しいわね」
笑いながら、きめ細かな泡立てを意識する。
クリフはシナモンと果実をカットする役に就き、真剣な表情で包丁を動かしていた。
「細かく切るのって、なんか細工職人になった気分だな」とぼそり。
隣ではケイトが砂糖と蜂蜜を計量しながら、「これ、どのくらい甘くする? あまり甘すぎない方が大人向けよね」とエイラに意見を仰ぎ、二人で甘さのバランスを調整していた。
ジトーとトーマスは大きなタライに水を張り、鍋の代わりになる即席湯煎セットを用意していた。
トーマスが「水が動いてると熱が逃げにくいらしいぜ。ヤコブが言ってた」と答えた。
そのヤコブはというと、レシピの進行と温度管理を見守る役に徹していた。
額に指を当てながら、「理論上、この加熱時間と温度なら凝固は問題ないはずじゃ」
時折シマに助言を与えていた。
ミルクと卵、砂糖を合わせた液体が絶妙なとろみを見せ始めたころ、シマが「よし、カップに流し込むぞ」と声を上げる。
エイラが慎重に流し込み、ケイトが最後にひとつずつ果実を乗せていく。
クリフが風味付けにシナモンを軽く振る。
ヤコブが時間を見ながら「これから十五分くらいかのう、じっくり温めればいいはずじゃ」
誰もが息を潜めるように見守る中、湯の中で静かに揺れるカップたち。
それはまるで、緊張と期待を映し出すようだった。
仕立て部屋では、針と糸の音が絶えず響いていた。
リズ、サーシャ、ミーナ、ノエル、メグの五人は、それぞれがスーツやドレスの制作に集中しながらも、口の方はさらに忙しい。
手を動かしながらも、おしゃべりの熱は冷めることがない。
「奥方のドレスも仕立てたかったわねぇ」とふとメグが呟くと、サーシャが頷いた。
「姿を見ていないから、さすがに仕立てようがないものね。雰囲気すら分からないし」
「でもさ、美人であることは間違いないわよね」
ミーナが鋏を器用に動かしながら口を挟む。
「エリカ様を見れば一目瞭然よね。あの端正な顔立ち、貴族らしい気品。娘がああなら…ねえ?」
ノエルが笑う。
「ほんと、早く体調が良くなってくれるといいわ。そうしたらきっと私たちの服も見てもらえるし」
リズも針を止めずに優しく言った。
話題はやがて舞台公演の話へと自然に移っていく。
「で、どんな感じの会場なんだろうね」とサーシャ。
「大きな劇場とか借りられるのかしら。観客、集まるかなあ。私たちまだまだ無名だし」
ミーナが少し不安そうに言う。
「でも、リズの歌や踊りを一度でも見たらね、もう虜よ。観客だって感動するわ」
ノエルが誇らしげに語る。
「そうそう、一躍有名人よ!」
メグが声を弾ませた。
「でも、それはそれで大変そうよね。人の目が一気に集まるってことだし」
リズが少し照れくさそうに笑うと、サーシャがいたずらっぽく言った。
「ロイドがやきもち焼きそう~。“僕のリズに近寄るな”とか、真顔で言いそうじゃない?」
「ふふっ、目に浮かぶわね。それで周りが『ええー…』ってなるやつ」
ノエルが吹き出す。
「でもロイド、結構気が利くからなあ。袖の飾りのチェックとか手伝ってくれそう」
ミーナがつぶやき、皆が「あー、それわかる」と頷いた。
そんな会話の中でも、五人の手は止まることなく生地を縫い、飾りを選び、色合いを見比べながら、どんどんとドレスやスーツの形が整えられていく。
そのどれもが、侯爵家の格式に相応しく、そしてどこかシャイン傭兵団らしい自由な感性が息づいていた。
プリン作りを終えたシマたちは、タライに張った冷水の中にマグカップを並べ、そっと布をかけて一息ついた。
蒸らしを兼ねたこの即席冷却法がうまくいけば、明日には絶品の冷製プリンができあがるはずだった。
「よし、あとは風通しのいいとこで一晩寝かすだけだな」
シマが腕を伸ばしながら言う。
「うまく固まってくれればいいけど」
ケイトが心配そうに覗き込む。
エイラは「絶対うまくいくわ。」と満足げに微笑んだ。
「さて…手も空いたし、次は何を手伝えばいい?」
トーマスがぽんと手を打ち、皆を見回す。
シマたちは仕立て部屋へと顔を出した。
「何か手伝えることあるか?」
トーマスが声をかけるが、リズはちょっと困った顔をして彼を見た。
「うーん、特には…ね。裁縫仕事って、けっこう繊細なのよ? 不器用な男たちには難しいかもね」
あえて言葉を選んで、でもどこかからかうように言うミーナ。
その空気に他の女性陣もくすくす笑った。
だが、そこでシマが言った。
「仕立てたのが誰の手によるものか、分かるようにしといた方がいいんじゃねえか? 名前とか、あるいは刺繍を入れるとかさ」
その提案に、皆が一瞬目を見交わす。
「それ、いいわね!」
メグが嬉しそうに言った。
「でも誰の名前を入れるの? 私たち全員で作ってるし」
ノエルが疑問を投げかける。
「じゃあ“シャイン傭兵団”の名前にする?」とミーナ。
「うーん、それもいいけど…でも、やっぱりリズの名前を入れるのが自然じゃない?」
エイラが提案する。
「いいわ、リズの名前、入れてちょうだい」
サーシャが笑って言うと、当のリズは「えっ、私の名前…?」と少し照れた表情を浮かべる。
「内ポケットのところに刺繍を入れましょう。見えないところで、でも、着る人にだけわかるように」
ノエルが上品にまとめた。
そんなやりとりの中で、扉が開く音がして、ロイドとオスカーが顔を出した。
「ただいま!」
オスカーが少し息を切らせながら言う。
「どうだった?」
皆の視線が集まる中、ロイドが懐から一枚の紙を取り出した。
「“グレイス・ルネ劇場”。古風な石造りの大きな会場だ。三日後の午後、二時間だけ貸してもらえることになったよ」
「やったー!」
メグが跳ねるように喜び、女性陣たちも拍手と歓声で迎えた。
「でも、一人で二時間は大変ね」
リズが少し不安げに言うと、シマがすかさず口を開いた。
「お前らも出ればいいじゃねえか。歌や踊りだけじゃなくて、剣舞とか見せればさ」
「おお、それはいい考えじゃのう。剣の舞いなら、華やかさも迫力もある」
ヤコブがうんうん頷きながら言った。
「無理無理無理!」
サーシャが大きく首を振る。
「人前で歌ったり踊ったりなんて、恥ずかしすぎるってば」
「でも剣舞だったら…」
ミーナが少し興味を持ち始める。
「君たちの身体能力なら、凄いものが見せられるんじゃないかな」
ロイドも乗ってくる。
「しかも、見目麗しい女子たちが揃っておるんじゃ。舞台映えすること間違いなしじゃ」
ヤコブが嬉しそうに言う。
「まあ、あくまでも主役はリズだけどな」とシマが締めると、「当然さ!」とロイドが即座に応える。
そうして、舞台に向けての準備が着々と進み始める中、シャイン傭兵団の面々は、それぞれの役割を胸に秘め、胸を躍らせていた。
彼女らの舞台もまた、確かな一歩を踏み出そうとしていたのだった。




