豆乳?!
応接間の扉が開き、料理長ミテラン・タスーと、副料理長アコッジ・イオシスが姿を現した。
二人とも白い制服に身を包み、年季の入った調理人らしい風格を漂わせている。
「お呼びにより参上いたしました、ミテラン・タスーでございます。こちら、副料理長のアコッジ・イオシス」
「どうぞよろしくお願い致します。ハンバーグの件と伺っております」
「うむ、ご苦労。シマ、では始めてくれ」とブランゲル侯爵が促す。
シマが頷くと、数枚の紙を取り出してテーブルに並べた。
「まず紹介するのは『煮込みハンバーグ』だ。これは味と栄養、そして消化のしやすさを考慮した一品。肉の旨味を逃がさず、体を芯から温める力がある」
エリカが興味深そうに身を乗り出す。
「使うのは、牛と豚の合い挽き。これを細かく刻んだ玉ねぎと合わせ、パン粉と卵でつなぐ。香りづけにはナツメグや少量の黒胡椒を使うが、奥方の体調を考えて刺激は控えめにする」
「ふむ、エリジェへの配慮か」
ブランゲル侯爵が頷く。
「そうだ。そして表面に焼き目をつけて旨味を閉じ込めた後、特製のソースで煮込む。ソースにワイン、トマトの果肉、香味野菜のブイヨンをベースにして。」
「肉の芯まで柔らかくなるよう、じっくりと煮込むんですね」
副料理長アコッジが補足する。
「その通りだ。最低でも半刻、火から目を離さず煮込む。肉がふんわりとほぐれ、ソースと一体化するくらいが理想だな」
「付け合わせはどうする?」
ジェイソンが尋ねる。
「人参と蕪のグラッセ、それに香草バターで和えたいもを添えるといい。身体を冷やさず、胃の負担も軽い。ソースは奥方の体調に応じて変えることもできる。たとえば胃が重い日には、トマトではなく大根おろしと生姜を使っての煮込みにする。香草を抑えれば、より優しい味になる」
「なるほど…応用もきくと。さすがは傭兵団、戦場だけじゃないんだな」
エリクソンが感心したように言う。
「戦場で食うものにこそ、意味があるからな」
シマが軽く肩をすくめる。
「満腹になるだけじゃ意味がない。疲れた身体を癒し、次に向かう力になる――それが料理ってもんだ」
ミテランとアコッジが同時に深く頷いた。
「煮込みハンバーグ、これは…本当に奥様に最適な料理かもしれませんな」
料理長が静かに言うと、ブランゲル侯爵も満足げに頷く。
「よし、では次のレパートリーも聞かせてもらおうか」
侯爵が声をかけ、応接間には再び穏やかな熱気が戻っていった――。
「次は――チーズインハンバーグだ」
と言って、シマが新しい用紙をテーブルに置いた。
「ほう、チーズを中に仕込むのか?」
ブランゲル侯爵が眉を上げる。
「そうだ。中心にチーズを封じ込め、焼き上げた時に溶け出すようにする。噛んだ瞬間、熱々のチーズがとろけて口の中を満たす…その感覚を味わってもらう料理だ」
料理長ミテランが用紙を覗き込み、ふむ、と唸る。
「使うのは…硬質チーズか、いや、違うな。これは…」
「その日の気分と体調に応じて選べばいい。料理長の判断でもいいし、奥方ご自身の希望でもかまわない。包み込む肉はいつもより少し柔らかめに仕上げる。チーズが飛び出さないように、空気を抜いて丁寧に包むのがコツだ」
「火加減が難しそうですね」
アコッジ・イオシスが言う。
「その通り。外はしっかり火を入れるが、中のチーズはトロトロに保たなければ意味がない。強火で一気に表面を焼き固めた後、弱火でじっくり火を通す。鉄板や厚鍋の方が安定する」
「なるほど…外はカリッと、中はとろっと…」
ジェイソンが思わず唾を飲み込む。
「ソースはあえてシンプルにしてある。ミルクとバター、少量の胡椒にハーブを加えたクリームソース。奥方はミルクは嫌いだと伺ったが…そこはまあ、何とか頑張ってくれ。また、ワインと玉ねぎの甘味を引き出した焦がしソースでも合う。どちらもチーズとの相性は抜群だ。このハンバーグの強みは、喜びを仕込めるってところだ。切ったときに中から何が出てくるか…そんな“驚き”があってもいい。たとえばチーズに少しだけハーブを混ぜて風味を変える。そういう遊び心があってもいいと思ってる」
「まるで…料理の中に贈り物が入っているみたいだわ」
エリカが目を輝かせた。
「うむ…これも早くエリジェに食べさせてやりたいな」
ブランゲル侯爵が頷く。
「では、次のレパートリーに移るとしようか」
と言うシマに、応接間の視線がまた集まるが、ふとした沈黙の中――
「…奥方は、ミルクは“乳臭い”と言って飲まなかったんだよな?」
確かめるように問いかけたのはシマだった。
ブランゲル侯爵は静かに頷く。
「そうだ。…香りを嫌っていたな。味というより、匂いだ。あれがどうにも耐えられなかったらしい」
すると、シマは顎に手を当てて一拍置き、ぽつりと問うた。
「……豆乳は、ないのか?」
その言葉に、料理長ミテラン・タス―が驚いたように目を見開く。
「豆乳……でございますか? 」
隣の副料理長アコッジも顔を見合わせ、首を横に振る。
シマは眉間を押さえて、低く呻いた。
「……迂闊だった。なぜ、今まで考えつかなかったのか……」
そのまま小声で何かを反芻するように呟くと、すぐさま近くの机へと歩み寄る。
「すまん、ペンと紙を貸してくれ」
椅子にも座らず、立ったままで一気に書き出した。
ペン先が走る音だけが、しばし静寂を支配する。
彼の筆跡は迷いなく、そして速い。
「……こうすれば、奥方にも食べてもらえるはずだ。栄養もある、香りも穏やかだ。何より、身体が欲しているもんをちゃんと届けてやれる」
最後の一文を書き終え、手を止めたシマは紙を掲げてミテランに手渡す。
「この通りに作ってみてくれ。」
料理長ミテランは、その提案に深々と頭を下げた。
「承りました、シマ殿。誠にありがとうございます。奥様のために、最良の一皿をお届けいたします。」
「よし!次は――きのこクリームハンバーグだ」
シマの言葉に、室内の空気が僅かに張り詰めた。
料理長ミテラン・タスーと副料理長アコッジ・イオシスは、一瞬の間を置いてから姿勢を正す。
その顔には、まるで戦場に立つ兵士のような真剣さが宿っている。
「これは、奥方のための特別な一皿だ」
シマは言いながら、懐から厚手の用紙の束を取り出した。
そこには、――あらゆる要素が丁寧に書き込まれていた。
「牛と鶏の合挽きをベースにする。割合は六対四。牛肉のコクと、鶏肉のあっさりした食感を組み合わせることで、重すぎず、それでいて食べごたえのある一品に仕上がるはずだ」
ミテランが無言で頷き、アコッジが素早く走り書きを始める。
「それと、つなぎには普通のパン粉じゃなく――すりつぶした大豆。もしくはおからでもいい。奥方のように病状の方にはうってつけだ。それに大豆特有のまろやかさが肉の味を引き立てる。そして果実。これは賛否あるかもしれないが……すりおろしたリンゴか梨を少量、肉だねに加えてくれ。ほんのりした甘味と酸味が全体を軽く仕上げるし、果物に含まれる酵素が肉を柔らかくする効果もある」
そしてシマは、ハンバーグを包むソース――最大のポイントに話を移した。
「きのこを主役にする。エリンギ、シメジ、舞茸、椎茸……香りと食感の違うものを複数使うことで、単調にならず、奥行きのある味になる。刻むのではなく、縦に裂くように。見た目にも良いし、食感も残る」
「了解です」
ミテランが静かに答えた。
「そして――これが肝心――クリームソースには豆乳を使う。奥方は牛乳を“乳臭い”と感じて飲まない。ならば、それを避けつつ栄養価は維持しなければならない。豆乳ならば、あの独特の風味も抑えやすく、ハーブやきのこの香りと合わされば、むしろ“品のある香り”として際立つ」
アコッジが「ソースのベースに白ワインを少し……」と提案しかけると、シマが頷いた。
「いい判断だ。白ワインで鍋をひと煽りしてアルコールを飛ばし、そこにきのこと豆乳を加える。滑らかさを出すには少量の小麦粉か片栗粉でとろみをつければいい。バターを入れるなら、ごく少量にしてくれ。風味程度で構わない」
ミテランが深く頷く。
「そして付け合わせだ。緑黄色野菜を主にする。人参、ブロッコリー、ほうれん草、カボチャ、パプリカなど、色と栄養の両立を図ってくれ。彩りも大事だが、なにより奥方の身体を支える栄養源になる。特にほうれん草とパプリカは摂らせるように。豆乳と組み合わせれば吸収率も上がる」
「調理法はいかがすればよろしいでしょうか?」
アコッジが訊ねる。
「基本は蒸しか軽いソテー。味付けは極力薄めにして、ハンバーグの味を引き立てる方向で」
シマは用紙の最後を指差す。
「飽きが来ないよう、日替わりでソースの香りづけを変えてくれ。きのこクリームソースといっても、香り一つで印象はまるで変わる」
「承知しました」とミテランが言い、アコッジも頷く。
「あと、香草のチョイスは季節によって調整を。身体を冷やさぬよう、温める効果のあるものを選んでくれ」
用紙を閉じながら、シマはひと息つき、ふたりの料理人にまっすぐな眼差しを向ける。
「この料理は、奥方の食卓に“喜び”を取り戻すものだ。それと同時に、ブランゲル侯爵家の心遣いの象徴にもなる。頼むぞ、ミテラン、アコッジ」
ふたりは胸に手を当て、深く一礼した。
「はい。必ずや、奥様にふさわしい一皿をご用意いたします」
そのやり取りを見守っていたジェイソンが口角を上げ、エイラは満足そうに小さく頷く。




