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光を求めて  作者: kotupon


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交渉の行方

 シマは、次の用紙を差し出しながら言った。

「こっちの用紙も渡しておく。いま話した陣形に関して、実際の運用で注意すべき点をまとめておいた」


 静かに紙を受け取ったアデルハイトは、一瞥してから丁寧に折り畳み、懐にしまった。


「それと──」

 シマは言葉を切り、視線をブランゲル侯爵、アデルハイト、そしてハラワパへと移す。


「今、あんたたちの領軍で主に使われている陣形は、偃月えんげつの陣、雁行がんこうの陣、そして鋒矢ほうしの陣だ。だが、今日見せた八陣──魚鱗の陣、鶴翼の陣、長蛇の陣、衡軛の陣、方円の陣──これが基本だ」


 その言葉に、アデルハイトは穏やかに頷いた。

「確かに、基本としては非常に理にかなっておりますな。とはいえ、基本はあくまで“出発点”。それがすべてではない」


 シマは笑った。

「まさにその通りだ。俺がブランゲルやアデルハイト、ハラワパに偉そうに言うのもおこがましいが……戦場では、何が起きるか分からねえ。不測の事態や突発的な混乱、乱戦だって珍しいことじゃねえ」


「……ふむ」

 その一言に続いて、ブランゲル侯爵が深く息を吐いた。


「お前の言葉、よくわかるぞ。戦場では刻一刻と状況が変わる。敵の動き、地形、天候、そして兵の士気までもが流れを左右する。陣形にこだわりすぎれば、むしろ好機を逃す危険すらある」

 侯爵の言葉には、数多の戦場を乗り越えてきた者にしか出せない重みがあった。


 そして、シマは少しだけ口元を緩め、声を落とすようにして言った。

「……それと、余計なおせっかいかもしれねぇが、ひとつ進言がある。ハラワパには、“遊撃部隊”を率いてもらった方がいい」


 その言葉に、部屋の空気が微かに変わった。

ブランゲル侯爵が眉をひそめる。

「……遊撃部隊? 聞かぬ名だな」


 アデルハイトも、エリクソン、ジェイソン、エリカ、そしてハラワパも、誰ひとりとして首肯しなかった。


 静けさの中、シマは一つ一つ言葉を置くように続けた。

「“遊撃部隊”ってのは、あらかじめ明確な目標を持たず、戦況の流れに応じて動く部隊だ。敵の急所を突いたり、味方の危機をカバーしたり、あるいは膠着状態を打ち破るための切り札にもなる。編成や装備も通常の部隊とは異なり、機動力と柔軟性が求められる」


「切り札……か」

 ジェイソンが低く呟き、隣のエリカは興味深そうに首を傾げた。

「なんだか楽しそうな役目ね」


「楽しくはないさ、責任は重い。だが、誰よりも戦局を変える力を持つ部隊でもある」


 再びシマは、まっすぐにハラワパを見た。

その目には、敵味方を問わず多くの命の火を見つめてきた者だけが持つ、どこか静かで強い光が宿っていた。

「……あんたになら、それができると思ってる…その為には優秀な補佐が必要だ」

シマの低く静かな声が、応接間の空気を切り裂くように響いた。

全員の視線が彼に注がれる中、シマは視線を逸らさず、さらに続けた。

「例えば――練兵場で見た、あの赤い髪の兵士をつけるとか、な」


その言葉に、ブランゲル侯爵の口がわずかに動く。

「ネリ」


その名に応じるように、後ろに控えていた側近のひとりが一歩、音もなく前に出た。

「ハッ! イエーガーという名です」


シマは目を細め、軽く頷く。


侯爵は目を細め、ネリを一瞥すると、何の躊躇も見せずに言った。

「そいつを、ハラワパの下に配置転換する」


その決断の速さに、シマは思わず小さく呟いた。

「……決断が速いな」


ブランゲル侯爵はその呟きを聞き逃さず、口元に笑みを浮かべながら言った。

「上手くいかなければ、別の手を考えればいいだろう。策というのは、そういうものだ」


それは、経験に裏打ちされた重みのある言葉だった。

失敗を恐れて動かないのではなく、失敗もまた一つの材料として使いこなす――

まさに歴戦の将の発想だった。


こうして、カシウム領軍にまたひとつ、新たな動きが生まれようとしていた。


「では、陣形に対しての報奨金は――60金貨でいいかな?」

ジェイソンが、軽い口調でそう切り出した。


椅子の背にもたれながら、どこか芝居がかった微笑を浮かべる。が、その向かいに座るエイラは微笑みすら浮かべず、すぐに口を開いた。

「内訳を仰っていただかなければ納得できませんわ、ジェイソン様」


その声音は落ち着いていながらも、有無を言わせぬ芯の強さを秘めている。

応接間の空気がわずかに張り詰めるのを、誰もが感じ取った。


「うーん、そう言われると説明しなきゃいけないね」

ジェイソンは肩をすくめ、手元の資料に目を落とす。


「たとえば、『長蛇の陣』なんて、どこの軍でも使っているだろう? それから『衡軛の陣』も、特別珍しいというわけじゃないと思うけど……どうなんだい?」


問いを向けられたアデルハイトは腕を組み、少し考えてから答えた。

「そうですな。戦場ではしばしば見られる陣形です。」


「だよね。『方円の陣』も珍しくはないよね?」


「兄上、天幕の周りではそのようにして見張りますな」

補足したのは、エリクソンだった。


ジェイソンは満足げに頷き、「そうだよね。ただ呼称がなかっただけだね。つまり、衡軛の陣と方円の陣、あわせて20金貨で――」と言いかけたところで、エイラがピシャリと遮った。


「ジェイソン様、おことばですが、呼称をつけるという意味をご理解されているようには見えませんわ」

彼女の鋭い声に、ジェイソンが言葉を詰まらせる。

「名を与えるということは、意味を与えるということ。漠然と使っていたものに名を与えることで、共通認識が生まれ、戦術として洗練されるのです。それが、どれほどの価値をもたらすか……現場を知る者ならお分かり頂けると思いますわ。」


その毅然とした物言いに、応接間の空気が変わる。

ブランゲル侯爵も思わず笑みを浮かべ、ジェイソンの肩を軽く叩いた。

「ふむ、どうやら今回はエイラの勝ちだな」


ジェイソンは苦笑しながら手を上げた。

「降参。じゃあもう少し積んでもいいかもしれない。さて、再計算してみようか」


静かだった交渉の場に、微かな笑い声が混じった。

緊張の中にも、互いの力量を認め合う空気が確かに芽生え始めていた。


カシウム城内、再び応接間に静けさが戻る。

陣形に関する報奨金は最終的に75金貨で合意に達した。

思ったよりも高額な評価に、シマは軽く顎を撫でて目を細める。

評価されたことは悪くない。


「さて、次はハンバーグのレパートリーに対してだな」

と、シマが言う。

場の空気が一瞬緩む。

シマが懐から数枚の紙を取り出し、机の上に丁寧に並べる。


「奥方の身体にいいものを、いくつかまとめてきた。」

その一言で、空気が一変する。


エリカが目を丸くし、エイラがにっこりと頷く。

ジェイソンも目を細めて笑った。


「料理長たちを同席させた方がいいな」


「それもそうだね」

ジェイソンが頷くと、後ろに控えていた側近たちが軽く一礼して退室し、料理長たちを呼びに向かった。


それを見届けたアデルハイトが、やや身を乗り出して言う。

「閣下、我々はこれにて退席させていただいてもよろしいでしょうか」


「うむ。軍宿舎に戻ったら、部隊長たちを集めて、今日の内容を共有しろ」


「ハッ!心得ました」


アデルハイトは深々と頭を下げ、副団長のハラワパとともに退室していく。

その際、ハラワパがシマの前に足を止めた。


「シマ……と言ったな。感謝する」

その言葉は、これまでの彼とはまるで別人のようだった。

表情も、どこか晴れやかで、何かの呪縛から解かれたかのようだった。


彼らが出ていったのを確認して、ジェイソンが手を叩いた。

「少し休憩を取ろうか。メイドを呼んで、飲み物でも。」


すぐにメイドたちが飲み物と軽食を運び込み、応接間には穏やかな香りと安堵が広がる。


そんな中、ブランゲル侯爵がふと笑いながら言った。

「しかし、こうして思うと、あのマリウスの小僧には感謝せねばならんな」


「お父様? それはどういう意味ですか?」

エリカが首を傾げる。


「実はな。あ奴から送られてきた書状に、シャイン傭兵団のことが詳しく記されておったのだ。あれがなければ、こうしてお前たちと出会うこともなかった」


「それがきっかけ、というわけですね」

ジェイソンが感慨深げに頷く。


「たまには、あいつも役に立つじゃないか」

エリクソンが肩をすくめて言う。


「兄さま、それはあまりにもひどい言い草ですわ」

エリカがすかさず返す。


応接間に柔らかな笑いが広がる。

シマもどこか懐かしい気持ちでその様子を眺めていた。


「次にマリウスに会ったら、驚くんじゃねえか」

シマの呟きに、エイラが微笑む。

「次期領主としての自覚、覚悟、ちゃんと持ち合わせているものね」


「へぇ〜、あのマリウスが? 信じられないわ」

エリカが笑う。


「お前の方が酷いこと言ってねえか」

エリクソンが笑いながら突っ込むと、また一層大きな笑いが広がる。

それは戦場の緊張感とは違った、穏やかで、人と人との絆を感じる時間だった。


「ところで奥方の体調は?」

ふとした合間にシマが問いかける。


応接間の空気は、ひとしきり笑いに包まれた直後で、柔らかな余韻が残っていた。


シマのその問いに、ブランゲル侯爵は満面の笑みで答えた。

「うむ、今朝は食欲旺盛であったぞ!」

その声には本心からの喜びがにじんでいる。


続けて、エリカが目を輝かせて話す。

「今朝もね、ハンバーグを二皿、ペロリと食べたのよ!」


その言葉に、シマは眉を上げ、にやりと笑った。

「それはいいことを聞いたな。それならレパートリーの分、高く買い取ってもらえるんだろう?」


まるで待っていたかのように切り出された言葉に、場の空気が少し引き締まる。


ジェイソンが、少し肩をすくめながらも笑みを保ったまま応じた。

「シマ、そのことに関しては心から感謝しているよ。……でも、それとこれとは別だ。交渉で手を抜くつもりはないよ」


シマは「やれやれ」といったようにため息をつき、隣にいるエイラに視線を送る。


「だとさ」と短く言うと、エイラは肩をすくめてにっこり微笑んだ。

「望むところですわ、ジェイソン様。こちらも全力で交渉に臨ませていただきます」


「ふふ、それは楽しみだ」

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