絆
鍛錬場での一騎打ちを終えたシマたちは、静かにサロンへ戻ってきた。
扉が開き、彼らの姿が見えた瞬間、そこに残っていた仲間たちが顔を上げた。
「おっ、終わったのか。」
気軽な調子で声をかけたのはフレッド。
その隣で、ワイングラスを軽く揺らしながらケイトも頷く。
ザック、トーマス、ノエル、クリフも思い思いに酒を飲み、談笑していたが、シマたちが戻ると自然と視線が集まる。
「ハラワパは?」とザックが尋ねる。
「念のため医務室に運ばせた。無事だ」
ブランゲル侯爵が答えた。
シマたちは空いていた席に腰を下ろし、それぞれグラスを手に取る。
サロンの空気は、どこか緊張の糸が緩んだように穏やかだった。
その静けさを破ったのは、やはりブランゲル侯爵だった。
「……シマよ、あの技は一体何なのだ?」
さすがの侯爵も、鍛錬場で見た光景は尋常ではなかったのだろう。
素手のシマが、巨体のハラワパを何度も投げ飛ばした様子は、まさに「不可解」という言葉が似合うほどだった。
「相手の力を利用するんだよ。合気道……って言っていいのか、ちょっとわかんねぇけどな」
シマは水を一口飲みながら、首をかしげた。
彼にとっては当たり前の動きでも、それを見た者たちにとっては未知の術だった。
「アイキドー? ……聞いたことがない流派だな」
アデルハイトが眉をひそめる。
騎士である彼は様々な武術に通じているが、その名は初耳だったらしい。
「すごい不思議な光景だったわ」と言ったのはエリカだ。
赤く染まった頬と楽しげな表情で、まだ興奮冷めやらぬ様子。
「本当に、自分から進んで投げられているような感じだったね」
ジェイソンも笑いながら同意する。
「力のない者や女性にはうってつけだろうな」
シマが言うと、ジェイソンがすかさず尋ねた。
「私にも使えるのだろうか?」
「使えるんじゃね? 人体構造を理解してれば、よりいいだろうな」
「どういうことだ?」
エリクソンが首を傾げる。
「人間の身体には、どうしても曲げられない関節があるだろ? 肘とか膝とか。そいつを利用する。無理な方向に動かされると、誰でも力を抜くしかなくなるんだよ」
「ふむ……確かに肘や膝は一方には曲がっても、逆には難しいな」
ヤコブが納得したように頷いた。
「サーシャたちも使えるの?」
エリカが尋ねる。
「はい。……ただ、“合気道”という言葉は初めて聞きました」
サーシャが控えめに答えると、エイラとメグも話に加わる。
「え? じゃあアレ、合気道っていう流派なんだ?」
「名前は知らなかったけど、動きの意味は理解できる気がする」
二人は目を見合わせ、驚きと納得が入り混じった表情を浮かべる。
会話が弾む中、ふとエリカがシマをじっと見つめ、ぽつりと呟いた。
「……あなた、何者なの?」
その声にサロンの空気が少しだけ張り詰めた。
「深淵の森で生活してたんでしょう? それにしては知識が……普通じゃないわ」
誰もが思っていた疑問だった。
深い森の中で育ったという話と、洗練された技術、戦場における経験値、そしてこうした流派に対する理解。そのすべてが、矛盾している。
シマは、そんな視線をまっすぐ受け止め、肩をすくめて笑った。
「シャイン傭兵団団長、シマさ。それ以上でも以下でもない」
どこか軽く、だが確かに本心からの返答だった。
必要以上に語らず、誇示もせず。
ただ、今ここにいる自分がすべてだという――まるで、自らの過去にこだわることなく、生きてきた道を「結果」で示してきた者の言葉だった。
「……フフッ、あなたたち謎が多いわね。」
エリカは苦笑しながらも、それ以上は追及しなかった。
その言葉と態度には、シマという男への信頼と、少しばかりの好奇心が混ざっていた。
しかし、誰の心にも、シマという男への「謎」は、静かに、だが確かに残り続けていた。
彼の強さ、その背景、そして――何より、なぜその技術を身につけているのか。
まるで異国の技のような「合気道」を操るその姿に。
ただ一人、ヤコブだけが静かに考え込んでいた。
「……人の歴史には、記されぬ流派も存在する……か」
ぼそりと呟かれた言葉は、誰の耳にも届くことなく、溶けていった。
「……シマ殿、先ほど言っていた、我が領軍の三つの陣形以外に、どのようなものがあるのだろうか?」
サロンの空気が和らいだ頃、静かに問いかけたのはアデルハイトだった。
戦の実務を預かる領軍団長として、鍛錬場での出来事、そして先ほどのシマの言葉がずっと胸に引っかかっていたのだろう。
「……その前に聞くが、対価は?有意義な意見だったか?」
シマはグラスを置き、肩肘をついて少し悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「ワハハハハッ!! 貴重な意見であった! ……やらねばならんことが山ほど増えたがな!」
ブランゲル侯爵が豪快に笑いながら応じると、話題はすぐに変わった。
「……ふむ。ではヤコブの身分証明書、正式に発行しよう」
「侯爵様、ありがとうございます! そして……シマも」
ヤコブは深々と頭を下げた。
「何、約束だからな」
侯爵は静かに答える。
それに対してシマは、ふっと笑って言った。
「俺たちは家族だからな。礼なんていらねえよ」
言葉に過不足はない。ただ、それだけで充分だった。
そのまま話題は陣形の話へと戻る。
「して、他の陣形について教えてくれるのであれば……報奨金を出そう」
侯爵が申し出ると、シマは一瞬だけ考え込み、やがて言葉を紡いだ。
「そうだな。俺が知ってる基本的な陣形は……八つある」
「八つも?!」
驚くアデルハイトとジェイソン、エリクソン、エリカ。
「別に驚くことじゃねえよ。既に他の国じゃ知られてるか、使ってるかもしれないしな。あるいはブランゲルたちも知らず知らずに使ってるかもな……考えれば、誰でも思いつくんじゃねえかな」
そう言ってシマは肩をすくめた。
だが――。
「……シマ、ダメよ」
「そうじゃ」
すかさずジトーとトーマスが立ち上がり、シマの両腕を掴む。
まるで「はい出た、またやらかした」というような手慣れた動作だった。
「侯爵様、少し失礼させていただきます」
エイラが丁寧に一礼し、そのままシャイン傭兵団の仲間たちとともに、部屋の隅へと行った。
そして始まる、“家族会議”――という名の説教タイム。
「ったく、あんたが普通だと思ってても、こっちの世界じゃ知られてないことだっていっぱいあるのよ?」とサーシャ。
「お前、迂闊すぎるだろ……」
クリフはため息混じりに。
「君の知識は普通じゃないんだから、もう少し慎重に」
ロイドも冷静にたしなめる。
「シマってさ、たまにヌケてるときあるのよね~」
ノエルは口元に手を当て、くすくすと笑う。
「お兄ちゃん、もう少し考えて発言して?」
メグが心配そうに眉をひそめる。
「シマ、もう少し自覚しようよ。」
オスカーも真剣に語る。
「お前、馬鹿だな」ザックはにやにやと笑いながら肩を叩く。
その顔はまるで「言ってやったぜ」と言わんばかりだった。
そしてこの流れを見逃すはずがない、フレッドがここぞとばかりに口を挟む。
「だからお前はダメなんだよ! 俺がついてなきゃ何にもできねぇ……ハァ~……」
大げさにため息をつくも、顔は笑っている。
隅で囲まれるシマは、いつの間にか小さくなり、全員の声にうなだれていた。
「……いや、でもよぉ」
「言い訳禁止」
「はあ……」
サロンの中心では、侯爵やアデルハイトたちがその様子を苦笑まじりに眺めていた。
「まるで、本当の家族のようだね」
ジェイソンがしみじみと呟くと、エリカも頷く。
「いいわね。ああいう絆、ちょっと羨ましいかも」
「にしても……八つの陣形、か。気になるな」
エリクソンが呟くと、アデルハイトも真剣な眼差しで言葉を継ぐ。
「いずれ、正式に教えを乞うことになるだろう。戦場に出る者として、学べるものはすべて学ぶべきだ」
サロンの片隅では、シマがようやく説教を終えたようで、ぼそりと呟いた。
「わかったよ、今度から気をつける……」
「絶対よ」とサーシャ。
「今度やったら説教だけじゃ済まないからね」
ノエルが怖い笑顔で続ける。
シマはそっと背筋を伸ばし、苦笑いで場に戻っていく。
そんなやりとり一つ一つが、この傭兵団という“家族”の形を象っていた。
互いに補い、笑い合い、時に厳しく叱り合う――それは、血の繋がりを超えた強い絆。




