バラす?!
夕刻のアパパ宿。
一階の酒場は、今日も地元の客や旅人たちで賑わい、喧騒と笑い声が溢れていた。
その一角、暖かいランプの光の下、ひときわ目立つ大所帯――シャイン傭兵団が大きなテーブルを囲んで食事をとっていた。
豪快な肉料理、焼きたてのパン、香草のきいた煮込み、木製のジョッキには泡立つビールや果実酒。
家族たちの笑い声が絶えず、誰もが肩の力を抜いてリラックスしているのがわかる。
「……何とか問題を起こさずに済んだな」
ジョッキを傾けながら、トーマスがぽつりと呟いた。
「ブランゲル侯爵が話の分かる人でよかったわ。」
ホッとした表情で言うミーナ。
「乗りきった……と言っていいのかしら?」
ノエルが小首をかしげ、遠くを見つめるようにして言う。
「終わらんじゃろ」
そう断言するのはヤコブだ。
赤ワインの入ったグラスを指先でくるくると回しながら、神妙な顔つき。
「そうね、味方に引き込むようにするでしょうね。間違いなく」
エイラがさらりと言うと、リズもその意見に頷いた。
「最低でも、何らかの形で繋がりを持っておきたいはずよ。」
「……地位、権力、金か女じゃな」
ヤコブが呟くように言うと――
「女?! いいじゃねえか!」
「最高だな!」
ザックとフレッドが同時に声をあげた。乾杯のようにジョッキを合わせて、ぐいっと酒をあおる。
「……すぐに引っかかるわね」
ケイトが呆れたように眉を寄せる。
「間違いなくね」
メグがくすくす笑う。
「地位や権力ってのも、魅力的には見えるが……」
ジトーが片肘をテーブルにつきながら低く言った。
「……そうなると、結局は“下につく”って話になるだろ?」
「それじゃ俺たちらしくねぇよな」
クリフが口元をゆるめながら続ける。
「やりたいように――」
「自由に生きる!」
サーシャが言葉を被せて、笑顔で両手を広げた。
「シマもはっきり言ったしね。ブランゲル侯爵の下にはつかないって」
ロイドが穏やかに言うと、みんなが自然と頷いた。
「……となるとやっぱり、お金か女性をあてがってくるってことだね」
冷静にオスカーが分析する。
「貰えるもんは貰っときゃいいじゃねえか」
ザックが笑いながら言った。
「あって困るもんでもねえだろ」
フレッドも続ける。
「そんな簡単に割り切れるものでもないでしょう」
サーシャが真面目な顔をして言う。
「“只より高い物はない”ともいうしね」
エイラが皮肉めいた笑みを浮かべる。
「女が足枷になる場合もあるじゃろう」
ヤコブの言葉に、一瞬、静寂が落ちた。
「……足枷になるか?」
フレッドが真顔で聞き返す。
「ならねえだろ」
ザックが即答。
皆の視線が一斉にふたりに集まる。
「ど、どういうこと?」
ノエルが不思議そうに首をかしげる。
フレッドは肩をすくめ、あっけらかんと笑った。
「俺はよ、いろんな女とヤリてぇしな」
「俺もモテてぇけど、一人の女に縛られるのはごめんだな」
ザックも同意するように笑いながら言った。
「……あんたたちってば最低ね」
サーシャが呆れながらも、どこか苦笑い混じりにそう言うと、テーブル全体が一気に爆笑に包まれた。
「おまえらが一番自由に生きてんじゃねえか…?」
ジトーがしみじみと漏らす。
「…それでいいのかもね。それが私たちらしいんだから」
リズがワインを飲み干しながら優しく微笑む。
その言葉に、全員の笑顔がふと落ち着きを見せ、誰からともなくジョッキが上がった。
「また笑えるように――」
「――乾杯!」
グラスが鳴り、夜のアパパ宿にまた一つ、大きな笑い声が響いた。
酒場の賑わいが一段落し、料理の皿が減ってきた頃、トーマスがふと苦笑しながら尋ねた。
「で、お前ら……今夜も娼館通いか?」
「ああ、当然よ!」
「今日もハッスルしちゃうぜ!」
ザックとフレッドが即答し、声高らかにジョッキを掲げた。
「……お金は出さないわよ。昨日は特別だからね。いいわね?」
ぴしゃりと言い放ったのはエイラ。ビシッとシマを指さしながら。
「そうそう。シマはなんだかんだで甘いんだから」
サーシャが頷きつつ呆れ顔を見せる。
「ほんと、ねえ」
ミーナも肩をすくめながら同調した。
そんな視線を浴びながらも、フレッドはどこ吹く風。
懐から布の巾着袋を取り出し、テーブルに「チャリン」と音を立てて10枚の金貨を取り出した。
「シマ、とっとけ」
上から目線の口調で金貨を差し出すフレッド。
その場に微妙な空気が流れ、一瞬、家族たちの動きが止まる。
「……お前ら、その金、どうした?」
シマが低い声で問いかける。
口調は静かだが、その奥にある鋭さに誰もが察した。
「おう、実はよ……おっと、やべえやべえ!」
フレッドが慌てたように手を振る。
「その手には引っかからねえぞ!」
「…さすがシマだぜ。口がうめえ」
ザックが横から感心したように言う。
「いやいや、お前ら何を言ってんだ?」
クリフが首をひねる。
「地下格闘技での賭け試合じゃよ」
ヤコブがさらりとバラす。
「おい、じいさん!!」
ザックが目をむいた。
「それは言うなって言ったじゃねえか!……あれ? 言ってねえか?」
フレッドがぽかんとした顔で首を傾げる。
「別にやましいことはしとらんじゃろう。己の力で稼いだ金じゃ」
ヤコブがワインを一口飲みながら続けた。
「……多少、後ろ暗いところはあるかもしれんがの」
「それもそうだな」
ザックが納得顔で頷く。
「そういうわけだ。ありがたくとっとけ」
フレッドが再度、金貨を差し出す。
シマはため息をひとつついた。
「……誰かから無理やり奪ってきたのかと思ったよ」
ロイドがぽつりと言う。
「僕は……強盗でもしてきたのかと」
オスカーが真顔で口を挟む。
「この二人じゃ、やりかねないわよね」
メグが眉をひそめる。
「うんうん」
周囲の仲間たちも口々に同意し、頷いた。
「……俺たちって……」
ザックが呆然とした顔で周囲を見る。
「気のせいだろ」
フレッドがケロッとした顔で言い放ち、仲間たちはどっと笑いに包まれた。
「ま、稼ぎ方はともかく……自分たちで稼いだ金で行くなら、好きにしなよ」
サーシャが呆れたように言いつつ、少し笑ってグラスを傾ける。
「でもね、トラブル起こしたらその場でシャイン傭兵団から追放だから。覚悟しといて?」
リズがニコニコと笑顔のまま、なぜかナイフを磨きながら告げた。
「ひぃっ、冗談じゃねえぞ……」
ザックとフレッドが同時に引きつった笑いを浮かべた。
「でもよ、あの場所は最高だよなぁ!」
「あんな雑魚、相手にして金がもらえるんだからよ!」
またもや誇らしげに自慢話が始まり、周囲はふたたび賑やかな空気に包まれていく。
「……まあ、無事で帰ってきてくれるなら、それでいいさ」
シマが苦笑いを浮かべながら呟いたその言葉に、仲間たちは一瞬、笑顔を交わす。
夜はまだ深まらず。
笑いとざわめきに包まれていたアパパ宿の一階。
いつものように賑やかで自由な空気が漂っていたその場で、ふと空気が変わった。
「……この後、このおいぼれに、少し時間をくれんじゃろうか」
ふだんは飄々としているヤコブが、珍しく真剣な面持ちで口を開いた。
「……え?」
ザックが飲みかけた酒を思わず止め、目を丸くする。
「な、なんだよ、じいさん……」
「さすがに今夜は、娼館には……行けそうもねぇな」
フレッドも眉をひそめ、椅子に深く座り直した。
「重要な話なんですね」
ロイドが静かに言う。
「ああ……おぬしらに関することじゃ」
ヤコブの声は低く、けれどはっきりと響いた。
その空気に、傭兵団の面々が次第に表情を引き締めていく。
ふざけるのをやめ、食器の音も自然と消えていった。
シマが立ち上がり、軽くうなずく。
「……じゃあ、上で聞こう。ここじゃ落ち着かない」
こうして一同は二階へと移動した。
アパパ宿の二階奥にある、シャイン傭兵団が滞在中に使っている共用の談話スペース。
粗末な木造のテーブルと椅子が並ぶだけの簡素な空間だが、傭兵団の家族たちにとっては、誰にも邪魔されない大切な場だった。
床を軋ませながら全員が席に着き、ざわめきのない静けさのなか、ヤコブが立ったまま一同を見渡す。
蝋燭の炎がゆらめき、古びた天井に影を作っている。
「さっきまでの喧騒が嘘みてぇだな」
クリフがぽつりと呟いた。
「それだけ、空気が変わったってことよ」
ノエルが低く応える。
「ヤコブさん、何があったの?」
エイラが口火を切る。
ヤコブは一呼吸おいて口を開いた。
「……今日、ブランゲル侯爵の前で見せた、力。その一端じゃが……」
その声に、全員の表情が引き締まった。
誰もが口を閉ざし、続きを待った。
ヤコブの目は、どこか遠くを見ているようで、それでいて確かに、目の前の“家族たち”を捉えていた。
風が、窓の隙間をすり抜けて鳴った。
シャイン傭兵団の夜が、静かに、しかし確実に新たな局面を迎えようとしていた。




