何処にいるんだよ?!
イーサン・デル・ブランゲル侯爵は、まじまじとシマの顔を見つめていた。
眼差しに宿る鋭さ、動じぬ胆力、静かな佇まい。
何よりもその雰囲気――ただそこに立っているだけで、己の存在を否応なく周囲に刻み込む異様な存在感。
(……これが、あの「シマ」か)
彼の脳裏に浮かんでいたのは、マリウス・ホルダーから送られてきた書状の一節だった。
――『王家特別捜査官4人が一斉にかかっても掠り傷ひとつ負わせれば上出来』
当時、ブランゲル侯爵は半信半疑だった。
特別捜査官といえば、王都でも選び抜かれた精鋭中の精鋭。
その彼らが、4人がかりで掠り傷すら負わせられない?
誇張もいいところだ――そう思っていた。
だが、今。目の前に立つ青年、その「シマ」という男を見ていると、あの言葉が決して誇張ではなかったことが嫌というほどわかる。
(……それどころか、あの書状は過小評価だったかもしれん)
イーサン・デル・ブランゲル。王国が誇る国内最強の武人。
戦場で数えきれぬ武勲を上げ、名のある騎士、将軍と幾度も一騎打ちを演じ、暗殺者や刺客にも数多く襲われてきた。
いずれも退け、勝ち、名を挙げてきた。
恐れたことなど、一度もない。
だが、今――この一瞬だけは、違った。
目の前の男から放たれる空気、気配。
単に力がある、技があるというレベルではない。
根源的な、なにか――「在り方」そのものが異なるのだ。
「閣下、そろそろ訓練を行いたいと思います」
先ほどの偉そうな男が控えめに進言してきた。
「うむ、始めろ。……シャイン傭兵団は残れ」
侯爵のその一言に、一瞬、練兵場が静まり返る。
命令を受けた兵士たちは戸惑いながらも持ち場に散っていった。
そのままシマたちを見つめた侯爵が、ぽつりと呟くように言う。
「……名は?」
「シマです」
落ち着いた声で答えるシマ。
侯爵は少し間を置き、続けた。
「……デシャン・ド・ホルダー男爵の命を救ってくれたそうだな。礼を言う」
その言葉に、周囲の空気が再び揺らいだ。
侯爵の側近たちは顔を見合わせる。
あのイーサン・デル・ブランゲルが、傭兵風情に礼を――?
驚きが表情に露骨に現れ、思わず声を上げそうになった者もいたが、侯爵は意にも介さない。
「勿体なきお言葉です」
シマが一礼する。
「うむ、あいつとはな……数多の戦場を共にした、戦友でな。馬鹿正直で、堅物で……だが、信頼できる奴だ。」
侯爵の視線が、ふと遠くを見た。
「まさかあいつが、毒を盛られていたとはな……貴様らがいなければ、命を繋ぐことはできなかっただろう。……本当に礼を言うぞ、シマ」
「……我々は、ただ出来ることをしたまでです」
シマの声は静かで、ぶれなかった。
ブランゲル侯爵は改めてシマを見つめ直す。
その背後に控える仲間たち――誰一人として、浮ついた気配がない。
戦場の匂いを知っている連中の佇まい。
だが、それだけではない。互いの間に奇妙な「信頼の糸」が張り巡らされている。
――これが、シャイン傭兵団。
侯爵は確信した。この集団は「力」では測れぬ何かを持っている。
彼らを侮る者は、きっと地獄を見るだろう。
「……面白い」
そう呟き、イーサン・デル・ブランゲル侯爵は練兵場を睨みつけた。
そして、試すつもりであった――この"異物"の真価を。
「我が領軍は、国内はもとより近隣諸国にも精強として知られている。貴様の目からは、どう見える?」
ブランゲル侯爵は威厳ある口調で問うた。
練兵場に佇むその巨躯は、鋼の塊のように重く、周囲の空気をも緊張させる。
対するシマはわずかに頭を下げ、静かに口を開いた。
「……ざっと見た感じでよろしいですか?」
侯爵の眉がわずかに動く。
面白いものを見るような眼差しになり、口の端がわずかに上がった。
「ふむ、訓練中か訓練を終えた後に聞いた方が面白い意見が聞けそうだな……。椅子を持ってこい」
侯爵が側近に命ずると、五人の側近たちは即座に「ハッ!」と応え、俊敏に行動した。
無駄のない、軍人然とした動きに、練兵場にいた兵士たちも背筋を正す。
侯爵は椅子に腰を下ろすと、シャイン傭兵団に視線を巡らせる。
「……そこの三人、来い」
その声に、ジトー、トーマス、ザックの三人が名指しされた。
三人は視線を交わしながらも、特に緊張した様子も見せず、ゆったりとした足取りで侯爵の前に進み出る。
「名は?」
「ジトーです」
「トーマスです」
「ザックだ」
ザックだけが、他の二人と異なり明確な礼も言葉遣いの整えも見せなかった。
シマたちの顔にうっすらとしかめ面が浮かぶ。
ミーナが小声で「やれやれ……」と呟き、リズは肩をすくめ、サーシャは目を伏せて溜め息をついた。
一瞬、ブランゲル侯爵の表情に驚きの色が浮かぶ。
まさか、自分に対し敬語も使わない者がいるとは――。
しかしすぐにその顔はほころび、愉快そうに笑った。
「……ふっ。敬語は苦手か?」
「敬語なんて知らねぇ」
堂々たるザックの返答に、しばしの沈黙の後、侯爵は声を上げて笑い出した。
「フハハハ!ザックといったな。許そう。そのままでいいぞ」
「おう、わかったぜ」
周囲にいる傭兵団の面々も微笑を浮かべる。
まさか侯爵がこんな軽口を受け入れるとは、誰も予想していなかった。
「ワハハハハ!……ふぅ~」
ひとしきり笑い、息をつきながら、ブランゲル侯爵は自分と三人の男たちを見比べる。
その視線は鋭く、戦場で数多の敵を穿ってきた剣のようだ。
「……俺よりでかいな。貴様ら、動きは俊敏か?」
「おう、俺たちは速ぇぞ」
臆することもなく答えるザック。
その自信は、過去の実戦に裏打ちされたものだと誰もが知っている。
「……ほう?その身体でか? それは興味深いな」
ブランゲル侯爵の瞳が更に輝きを増す。
戦士としての本能が、面白い獲物を前にして高揚しているのだ。
次に侯爵の視線が止まったのは、団の中でひときわ異彩を放つ老人――ヤコブであった。
「……一人だけ高齢な者がいるな」
ヤコブは一歩前に出ると、背筋を伸ばし、丁寧に一礼した。
「侯爵様、お初にお目にかかります。ヤコブと申します。シャイン傭兵団の一員にして、元は学び舎にて研究と指導に携わっておりました」
その口調は淀みなく、貫禄と落ち着きに満ちている。
学者然としたその佇まいは、侯爵にとっても興味深い存在であったらしく、目を細めてヤコブを見つめた。
「学者か……。戦場には不向きにも見えるが、何を専門に?」
問うブランゲル侯爵。
ヤコブは落ち着いた声で答える。
「生態学に生物学、それと鉱物学を。動植物の生態などに通じております……あとは、医師の心得を少々。」
その言葉に侯爵はわずかに眉を上げ、思わぬ方面からの実力者に一興を覚えた様子だった。
次にブランゲル侯爵はサーシャやエイラたち女性陣を見る。
女が約半分を占めているのか…珍しいなと呟く。
「どうやら……面白い者たちが集まっているようだな、シャイン傭兵団」
侯爵は椅子の肘掛けに肘を置き、背を少し反らせながら、練兵場の空を見上げた。
眼差しの奥には、単なる好奇心を越えた探究心と期待が混じっている。
そして、その期待が、やがてどのような形で応えられるのか――練兵場に流れる風だけが、知っていた。
練兵場に張られた午前の陽光のもと、ブランゲル侯爵は椅子に腰を下ろし、腕を組んで訓練風景をじっと見つめていた。
周囲には、直立不動で控える側近たち、そして一歩後ろにはシャイン傭兵団の面々。
侯爵の視線は厳しく、時折、訓練中の兵士たちの動きを細かに観察している。
模擬戦が始まる。
その中で、ふと侯爵の視線がシマに向けられた。
「…どう見える?」
唐突な問いにも動じず、シマは静かに頷いて視線を前に戻す。
「兵士たちの連携は――左側の隊、中団の赤い髪の兵士。予備動作がいいです」
「……どういうことだ?」
眉をひそめて侯爵が尋ねる。
シマは指をわずかに動かし、遠くの一角を示す。
「あの者は、指揮官の意を先読みして動いています。状況を見て、次にどのような命令が下るか、それを想定しながら体を動かしています。だから、他の兵士より一手、半手早い。余裕を持った立ち回りです」
侯爵は目を細めて唸った。
「……なるほどな。つまり、戦況の流れを感じ取る力があるということか。余裕を持って動く者は、戦局に余裕をもたらす。だが――」
そこまで言って、侯爵は立ち上がると側近に視線を送った。
「突発的な命令にどう反応するか、見てみたいな……。おい、あの赤い髪の兵士の名は?」
「ハッ!……閣下、申し訳ありません! どこにいるのでしょうか?」
側近の問いに、侯爵の表情が一瞬凍る。
(……俺も見えねえんだよ、どこにいるんだよ?)
内心でぼやくが、顔には出さない。
「シマ、教えてやれ」
侯爵は平然と命じた。
「はい」
シマは一歩前に出て側近たちに教えた。
練兵場には、模擬戦特有の緊張と熱気が漂っていた。
泥と汗、そして掛け声が交錯する中、イーサン・デル・ブランゲル侯爵は鋭い眼光で全体を見渡し、時折椅子の背にもたれたり、前屈みになったりと、集中力を一切途切れさせない姿勢を見せていた。
シマの隣には、いつものように沈着冷静なシャイン傭兵団の面々が立つ。
侯爵が口を開く。
「他に、目につく者はいるか?」
シマは頷き、今度は視線を右手の部隊に向けた。
「はい。右手側の隊の右端――ここから見て、一番奥にいる小柄なブラウンの髪の兵士です」
侯爵はわずかに眉をひそめた。
「……そいつがどうした?(……だから見えねえんだよ!どこにいるんだ、そんな奴!)」
侯爵の胸中には思わず叫びたくなるようなもどかしさが渦巻いたが、顔には出さず、シマの説明に耳を傾ける。
「あの兵士は、指揮官向きだと思います。表立って号令をかけるわけではありません……ですが、隊の実質的な動きは彼に導かれています。配置、動線、間合い、彼がうまく調整しています。今の動き、見てください。味方の動線を自然に絞って、敵の隙間へと向かわせました。判断力、読みの力があります」
その瞬間、侯爵の目がわずかに見開かれた。
確かに、今の隊の動きは美しいほどに滑らかだった。
誰も指示を出しているようには見えないのに、まるで一つの意志で動いているかのような統率ぶり。
しかも、その中心にいるのが、小柄な一兵士――。
「……ふむ」
言葉を飲んだのは侯爵の側近たちも同じだった。
彼らは視線を交わし合い、次第に驚きの色を濃くしていく。
その横で、シャイン傭兵団のメンバーたちは、静かに、しっかりと頷いていた。
口にこそ出さないが、その判断に共感している様子を見せていた。
ただ一人、ヤコブだけが首を傾げていた。
(ど、どこにいるのだ……ワシには見えん!)
一方で、侯爵の内心は激しく揺れていた。
(……こいつら全員、本当に見えてるのかよ!?)
もはや驚嘆を通り越して、戦慄に近い感情が浮かび上がる。
目の前にいるのは、単なる傭兵団などではない。
見るべきものを見抜く眼を持っている。
しかも、それが一人ではない――全員だ。
「うむ、確かに……あの隊はいい動きだな」
侯爵はそう呟いたが、胸の内では必死に思い出そうとしていた。
(……どこの隊だった?……くそ、誰が指揮してる!?)
その瞬間、再びシマに視線を向け、侯爵は言った。
「シマ、教えてやれ」
「はい」
シマは一歩前へ出ると、またも寸分の狂いなく、隊の中にいる小柄な兵士と所属隊を告げた。
その正確無比な観察力に、側近たちはただ驚嘆の息を呑むのみだった。
侯爵は深く頷き、目を細めた。
(……ヤバイな。やはりこの傭兵団、ただ者ではない)
内心でそう確信しながらも、侯爵の表情はあくまで落ち着いていた。
そして、彼の目は次なる動きを探るように、再び練兵場へと向けられていくのだった――。




