交渉
シマはある違和感を覚えていた。
情報屋が取引を持ち掛けてきた時、その目の動き、表情、わずかな仕草……違うな、とシマは直感的に感じた。
情報屋が俺たちのような訳の分からない奴に対して、いきなり取引を持ち掛けるなんてあり得ない。こいつは誰かに頼まれた。……としたら、あの男か?
「取引か……いいだろう。ダミアンに伝えてくれ」
その言葉に、情報屋の瞳孔がわずかに開いた。シマは見逃さなかった。
(ビンゴ!)
「俺たちはジャンクという宿にいる」
そう言い残し、シマとジトーは去った。
情報屋はひとり呟いた。
「……何なんだ、あのガキどもは……」
この街では一番の情報屋だと自負していた。
尾行や気配の消し方には自信があったし、気づかれたことは一度もない。
しかし、今日それが破られた。自尊心をズタボロにされた。
「依頼主に半分、金を返さなきゃな……そうしなければ、残った自尊心が跡形もなく崩れ去ってしまう」
一方、シマたちは宿へ戻り、仲間たちと合流した。
「……一端、宿に戻るか」
その頃、情報屋は依頼主であるダミアンに会っていた。
「尾行も、依頼主もお前さんだってこともバレていた」
ダミアンは微かに笑った。
「これ以上の金は受け取れない。あのガキどもはジャンクという宿にいる」
そう伝え、情報屋は去り際に言い残した。
「気を付けろ。あのガキども、ただ者じゃねえ」
ダミアンは不敵に笑った。
「面白くなってきた」
シマたちは宿の一室に戻ると、ジトーが低い声で呟いた。
「……あの情報屋、結構な腕前だったぞ。」
「だな」とロイドも頷く。
「あいつ、驚いてたな」
同調するトーマス。
シマは腕を組みながら言った。
「…ダミアンがどう出るか……」
夜も更け、宿の階下から酒場の喧騒が響いてくる。
シマたちはそれぞれの思考を巡らせながら、じっと時を待った。
そして、案の定、その日の夜、ダミアンは訪ねてきた。
「よう、小僧。さっきは楽しませてもらったぜ」
悪びれもせず、豪快に笑うダミアンは、シマたちを誘った。
「飯でも食いに行こうぜ」
シマが眉をひそめて言う。
「あんたの驕りか?」
「そうだ」とダミアン。
その瞬間、シマたちはニヤリと笑みをこぼした。
育ち盛りの彼らにとって、食事の奢りは最高の好機。
大の大人よりも体格のいいジトーやトーマスは、「後悔させてやる」と意気込んでいた。
酒場の一角に陣取ると、次々と料理を注文し、片っ端から平らげていくシマたち。
食うわ食うわ、頼んだそばから片っ端から平らげていくシマたち。
肉の煮込み、焼き魚、黒パン、チーズ、スープ……あらゆる料理が次々と消えていく。
ダミアンは額に冷や汗を浮かべながら、呻いた。
「もう少し遠慮してもらえると助かるんだがなあ……」
「商人が一度約束したら、守らなきゃな」
シマにそう言われ、ダミアンはグウの音も出ない。
ようやく満腹になったシマたちは、満足げな顔で席に寄りかかった。
ダミアンはため息をつきながら言った。
「お前ら、遠慮って言葉を知らねえのか……」
それでも、どこか楽しげな様子だった。
「お前たちの名前を教えてくれ」
シマたちは順番に名乗った。
ダミアンは満足げに頷き、シマを見据えた。
「シマ、お前はあの悪魔の実が何なのかを知ってるんだろ」
シマは微笑しながら言った。
「知ってるよ」
「……だが、タダで教えるわけにはいかない。この意味が分かるよな、ダミアン?」
シマの言葉に、ダミアンはしばらく沈黙した後、苦笑した。
「お前、年いくつだ?」
「十一か十二くらいかな」
「……とんでもねえガキだな」
ダミアンは大きく息を吐いた。
「何をすればいい?」
シマはニヤリと笑う。
「簡単さ。俺たちにとって都合のいい取引をしてもらうだけだ」
しかし、まだ互いに相手のことを何も知らない。シマは改めてダミアンを見据えた。
「……だが、お互いまだどこの馬の骨とも知らない。ダミアン、あんたは何者だ?」
ダミアンは少し考えるような素振りを見せた後、口を開いた。
「その前に聞くが、シマ。あの悪魔の実は金になるのか?」
「それはやり方次第だな。信じる信じないはあんたの自由だ」
シマの即答に、ダミアンは小さく笑った。
「……ノルダラン連邦共和国で小さな商会をやっている。と言っても、俺を含めて八人ほどの行商人が寄り集まっただけのものだ。それぞれの情報を共有して、助け合っているだけさ」
「互助会みたいなものか?」とシマが言う。
ダミアンは驚いたように目を見開き、「お前、難しい言葉を知っているな」と感心したように言った。「まあ、そのようなものだ」
彼は一息つくと、少し苦笑しながら続けた。
「俺は自分で言うのもなんだが、商人としての才覚はあると自負している。俺の仲間も、それぞれに才覚と野心を持っている。だが、如何せんチャンスがない。力がない。権力がない。チャンスが巡ってきたとしても、大きな商会に根こそぎ奪われるか、潰されるかのどちらかだ」
ロイドが興味深そうに尋ねた。
「自由の国だと聞いたけど……?」
「名ばかりさ」
ダミアンは肩をすくめて笑う。
「大きな商会ってのは、自前の傭兵団を持っている。俺たちのような小さな商会が正面からぶつかるのは、無謀以外の何物でもない。だからといって、ずっと小さいままでいるつもりはないがな」
彼の言葉には悔しさが滲んでいた。
しかし、シマはその言い訳じみた愚痴を切り捨てるように言った。
「愚痴はいい。それでダミアン、あんたは何がしたい……何を目指す?」
低い声、鋭い目つき。まるで心の奥底まで見透かすような眼差しだった。
「……噓は吐くなよ」
ダミアンは無意識に喉を鳴らした。
シマの気迫に一瞬気圧されたが、腹に力を入れて正直に答えた。
「大陸一の商会を構える。それが俺の夢だ」
静かに、しかし確固たる意志を込めてダミアンは言い放った。
シマは満足げに微笑み、言葉を返した。
「俺たちは自由を求める」
その言葉に、ダミアンは目を細め、興味深そうにシマを見つめた。
「なるほどな……」
夜の空気は静かに冷たさを増し、交わされた言葉の重みがその場に残った。
しばらく沈黙が流れた後、ダミアンはテーブルの上に肘をつきながら続ける。
「自由を求める、か……それならば、どうやって手に入れるつもりだ?」
シマは椅子に深く腰掛けながら、静かに言った。
「選択肢はいくつかあるが、どれも危険だ。俺たちが求める自由は、簡単に手に入るものじゃない」
ジトーが腕を組んで頷く。
「だが、手に入れる価値はある」
ロイドも口を開いた。
「今の僕たちはまだちっぽけな存在かもしれないが、ただ流されて生きるつもりはない」
ダミアンはじっとシマたちを見つめ、ふと口角を上げた。
「……面白い。だったら、一つ提案しよう」
シマが視線を向ける。
「提案?」
「俺たちは互いに協力する。お前たちは自由を求め、俺は商会を大きくしたい。利害は一致しているはずだ」
シマはしばらく考えた後、小さく笑った。
「交渉の余地はあるな」
そうして、二つの異なる目標を持つ者たちの間に、一つの奇妙な協定が生まれた。
夜の空気は静かに冷たさを増し、交わされた言葉の重みがその場に残った。
シマは周囲を見回し、ふと提案した。
「場所を変えよう」
宿屋の親父に尋ねると、二人が泊まれる部屋が二部屋空いているとのことだった。
「今からそっちに変更できるか?」
「四銅貨だ。一部屋あたりな。二部屋で八銅貨になるが、どうする?」
シマは迷うことなく支払い、鍵を受け取った。
「なくすなよ」
親父はそう念を押した。
シマたち五人は個室に移った。
やや窮屈ではあったが、内緒話をするにはちょうどいい空間だった。
シマは袋からジャムの入った土器を取り出し、小指に付けて舐めて見せた。
ダミアンにも同じようにすすめる。
「……何だ、この甘さは?」
行商をしているダミアンですら知らない味だった。
(そういえばエイラも知らなかったようだしな……)
悟られぬようにシマはホッと胸をなでおろした。
「甘いだろう。これをあんたにだけ卸す。いくらで買い取る?」
ダミアンは思案する。
「……定期的に入荷できるのか?」
シマは別の土器を差し出した。
「こっちは少し酸味が強い」
小指につけて舐めるダミアン。
「……これはこれでいいな。大人向けの味だ……で、どうなんだ?」
「今出したものは冬の時期にしか作れない。数も十個ずつがいいところだな。夏の時期にはまた違ったものなら卸せる。風味は多少違うが甘さは保証するぜ」
商機を感じたダミアンの表情が真剣なものに変わる。
「……なるほど、面白いな。お前たち、本当にただのガキじゃないな」
シマは満足そうに微笑む。話し合いは続く。




