再び格闘技場へ
宴もいよいよ終盤。
卓の上には食べ残しと空いた酒瓶が転がり、シマたちは満腹と程よい酔いでまったりしていた。
そんな空気をかき乱すように、フレッドがふと何かを思い出したように手を差し出した。
「おっ、そうだシマ! 2金貨くれよ! いや、3でもいい、4金貨でも!」
その隣でザックも勢いづく。
「倍にして返すからよ、な? 損はさせねえって!」
その突拍子もない頼みに、テーブルの面々は一斉に眉をひそめる。
訝しげな視線が2人に集中する中、ヤコブが目を細めて口を開いた。
「……そんな大金、いったい何に使うんじゃ?」
すると、フレッドは得意げに親指を立てて答えた。
「決まってんだろ、娼館だよ、娼館!そうだ!なあ爺さんも行くか?俺らが案内してやるぜ!」
「ほ、本当にええのか……?」と戸惑いながらも、ヤコブは思わずシマたちの顔を見回す。
「おっ、爺さんもハッスルしちゃうか!」
ザックが声をあげると、辺りは一瞬沈黙。そして。
「……あんたたち、いい加減にしなさいッ!!」
サーシャが叱りつける。
「倍にして返すですって? そんな話、信じるわけないでしょ」
エイラが呆れ顔で続けた。
「ほんっと、馬鹿ね……」
ノエルがため息交じりに言えば、トーマスが皮肉っぽく口を開く。
「で、昨夜はうまくいったのか?」
その問いに、フレッドは胸を張って答える。
「おう! 全部、俺の交渉術の賜物よ!」
ドヤ顔を決める。
「……うそでしょ?!」とメグが絶句。
「何かの間違いじゃないかなぁ……」
オスカーが心配そうに呟き、「だよね?」とロイドも続く。
周囲の家族たちも一斉に「うんうん」と頷く中、シマがフレッドに問いかける。
「で、倍に返すって話は何だ?」
「実はな……おっと、それは秘密だぜ!」
慌てて口をつぐむフレッド。
「危うく話すところだった!」
「まったくだ、油断も隙もねぇよ!」と、2人で笑い合う。
そして、シマたちは顔を見合わせ、全員が一斉に同じリアクション。
(……は? 何を言ってんだコイツら……ただ、聞いただけだろ)
その空気を破ったのは、ヤコブのぽつりとした一言だった。
「倍に返す話は、まぁどうでもええとしての…ワシも、娼館に行きたいのう……」
「ちょっ…ヤコブさんまで何を言ってんのよ!」
ミーナが即座に突っ込む。
「…もう、何十年もおなごの肌に触れておらんのじゃ……後生じゃ、なっ?ええじゃろ、シマ……」
懇願するヤコブ。
「爺さん…かわいそうじゃねえか……」
ザックが涙ぐむ(ふりをしながら)。
「そうだぜ、シマ。ここは一つ、俺たちシャイン傭兵団の懐の広さを見せてやろうぜ」
フレッドも援護射撃。
「……ハァ~……ったく……」
深いため息をついたシマは、腰の布袋から2金貨を取り出した。
金貨を指先で軽く弾きながら、真顔で言う。
「ところでお前ら、明日は練兵場に行くって話、覚えてるか? もしかしたら侯爵と顔を合わせるかもしれねえ……来るのか?」
「行くぞ」
ザックは当然のように言い放つ。
「…無理して来なくてもいいのよ?」とリズ。
「いや、行く」とフレッド。
「…宿で寝ててもいいのよ」
サーシャが優しく言う。
「そうよ、疲れているでしょうし」
ケイトも同調する。
「一日や二日寝なくても問題ねぇぞ。そうだろ?」とフレッドが笑う。
「…そうか」
呟いたシマは、結局2金貨をフレッドの手に渡した。
「よっしゃああ!」
ガッツポーズを決めるザック。
「今のうちに寝て、体力回復しとこうぜ」
フレッドがザックを促す。
「爺さんも、寝といた方がいいぜ。夜は長えからな!」
肩を組んでヤコブを引っ張っていく。
「何やらよくわからんが、恩に着るぞ、シマ!」
笑顔のヤコブ。
その後ろ姿を、シマたちは苦笑しながら見送った。
フレッドとザックの「倍にして返す」発言が気になるジトーが、ぽつりと漏らす。
「しかし、倍にして返すって…何なんだ?」
「違法なことはしてないだろうけど…」
ロイドが慎重に言葉を選ぶ。
「そこまで馬鹿じゃないでしょ」
メグが少し呆れたように言うと、
「そうだよね…多分」
オスカーが苦笑い。
皆、顔を見合わせるが、真相は闇の中。
すると、エイラが軽やかに言った。
「…考えてもしょうがないわ。前向きにとらえましょう!」
「そうね」
皆がほっとしたようにうなずく。
その空気に乗じて、リズがにっこりと微笑む。
「だったら私はヤコブさんの服を作るわ。サイズぴったりのを!」
「マントも新しいのを買いましょう。今のはほら、だいぶボロボロだし」とノエルも提案。
「ついでに散髪もね。前髪が目にかかってるし、髭も整えてあげましょうよ」
ケイトが手で前髪を払う真似をする。
薄暗くなりはじめた夕刻、ザック、フレッド、そしてヤコブは2階の宿部屋から、静かに1階の酒場へと降りてきた。
ザックが大きなあくびをしながら背伸びをする。
「ふぁ~あ……あ~よく寝た。これで夜もばっちりだぜ」
「おう、体力満タンだな」
フレッドもにやりと笑う。
ヤコブは落ち着いた様子で、酒場に集まっていたシマたちのもとへ向かい、深く一礼する。
「このたびは、まことにありがたく……見事な服と、新しいマントまで」
「それ、リズが縫ってくれたんだぞ」
シマが笑いながら言う。
「ほほう、リズ嬢が……これはこれは。なんと器用な。美しく、しかも動きやすい。まさに機能美じゃ。大切に使わせてもらうぞ」
ささやかな会話のあと、三人は早めの夕食を済ませると、そそくさと出掛けていく。
その背中を見送りながら、シマはザックとフレッドに向かって厳命する。
「フレッド、ザック……ヤコブの身の安全は、必ず守れ」
その言葉に、ザックとフレッド振り返って親指を立て、ニカッと笑った。
三人が向かったのは、東の門の裏手に広がる倉庫街。
薄暗い通りに入り、人通りもまばらな一角へと進んでいく。
ヤコブは首をかしげながら後ろをついていった。
「ん? おぬしら、娼館に行くと言っておらんかったか?」
「行くさ、もちろん」
フレッドが笑う。
「ただ、その前に“資金”をちょっと増やしてから、ってことよ」
「……資金を増やす? どういうことじゃ?」
「まあ見てろって、爺さん」
ザックが言いながら、赤い提灯がぶら下がる建物の裏手に入っていく。
そこにあったのは、廃れた古い醸造所――しかしその地下には、ひそかに運営されている地下格闘技場が広がっていた。
階段を降りると、地面が揺れるほどの歓声と、肉と肉がぶつかる激しい音。
蒸気と汗の臭いが混じった空気の中に、何十人もの観客が集まっていた。
「なんじゃここは……まさか、ここで……?」
「そう、賭け試合さ。俺たちが勝てば金になる。倍にな、いやそれ以上に…ククッ…」
フレッドが笑う。
「おぬしら、まさか出場する気か?!」
ザックはあっさりと答える。
「ああ」
ヤコブの眉がぴくりと跳ね上がる中、ザックはまるで常連客のような足取りで、地下格闘場の奥に設けられた豪奢なテーブル席へと進んでいった。
豪華な赤絨毯、金縁のランプ、テーブルには高級そうな果物と酒が並べられている。
その空間だけが場違いなほど洒落ており、逆に場の異質さを際立たせていた。
「よう、チョビ髭。俺の相手は用意してるんだろうな」
そう言って、ザックはテーブルの反対側にいた中年の男に声をかける。
男は脂ぎった顔に短い口髭をたくわえ、どこかで見たような安物のスーツを着ていた。
「ちょ、ちょっと…あ、あんたらに…相談があるんだが…」
戸惑い気味に声を上げるチョビ髭に、ザックは椅子を引いてどっかと腰を下ろし、無遠慮に肘をつく。
「おう、言ってみろよ」
どこまでも上から目線である。
フレッドはというと、すでに横のソファに座り込み、テーブルの上にあった酒瓶を手に取って勝手に飲み始めていた。
「爺さんも遠慮するなって、ほら」と言って、ヤコブにグラスを渡し、酒を注いでやる。
(……周りにいる人間は、間違いなく堅気の人間じゃないじゃろうに……なぜこの二人は平然としておるのじゃ……)
周囲に集まる観客の中には、傷跡の目立つ者、異様な風体の者が多数いた。
場末の連中が金と暴力に歓喜しながら集まる空間。
それなのに、ザックとフレッドはまるで酒場の常連のような顔でくつろいでいる。
「ワシ、生きて帰れるかのう……」
ヤコブがぼやく。
チョビ髭が困った顔をしながら話を続ける。
「そ、その…実は、相手は四人でして……えっと……いい…ですか?」
「いいぞ、構わねえ。で、金はいくらくれるんだ?」とザックが言う。
「……ご、5金貨で……その、もし武器ありでも良ければ10金貨を……も、もちろん、あんたは無手って条件で……」
その言葉に、フレッドが酒を置いて静かに言う。
「待て」
「は、はい!な、なんでしょうか……」
チョビ髭が恐る恐る問い返す。
「倍率は?」
「……じゅ、10倍でどうでしょうか……?」
恐怖を抑えながら提示するチョビ髭に、ザックとフレッドは顔を見合わせ、満面の笑みを浮かべた。
「よし! それでいいぞ!」
ふたり同時に声を上げ、肩を叩き合う。
完全にニヤつく顔が止まらない。
見るからに獲物を前にした獣のような顔をしていた。
「む、無茶じゃ……」
つぶやくヤコブに、フレッドが肩をぽんと叩きながら言う。
「爺さんは何も心配することはねえ。…ククッ。」
それからフレッドは賭け屋の方へと向かい、懐から取り出した2金貨を差し出す。
男はそれを確認すると、青い布の札に「2K」と染められた賭札を手渡した。
(……フヒヒ、これで20金貨が手に入る……どのお姉さんを指名しようかな……この際、二人いっぺんに指名するか……!)
フレッドはそんな妄想を頭の中でふくらませながら、うっとりと目を細めていた。
一方ヤコブは、目の前の光景にただただ呆然とする。
――なぜこの二人は、こんなにも慣れておるのじゃ? そしてなぜ、こんな無茶な条件に平然としていられるのか……。
だが、言葉を飲み込むしかなかった。
もはや引き返せぬ雰囲気と、彼らの確固たる自信。
そしてヤコブ自身にも、ほんのわずかではあるが、“この異世界の荒くれ者たちの生き様”に、魅せられつつある自分がいるのを、否定できなかった。




