朝食兼歓迎会
朝日がやわらかく城塞都市カシウムの壁を照らす中、「アパパ」宿の扉が開かれ、ザックとフレッドが満面の笑みを浮かべて帰ってきた。
「…やっと帰ってきたわね」
サーシャが呆れたように言う。
ザックは「何だ? わざわざ待っててくれたのか」とにやけ、フレッドは「おう、ご苦労さん」と軽く手を上げてみせた。
「…バカなこと言ってないで行くわよ」
ピシャリとケイトの鋭い一言が飛ぶ。
「どこへ?」とザック。
「飯食ったら寝るんだけど…」とフレッド。
「ウチに新しく入団する人を迎えに行くんだよ」
オスカーがあっさり言う。
「お兄ちゃんがスカウトしたんだって」
メグが付け加える。
「……え?」と、揃って声を漏らす二人。
予想もしていなかった言葉に、頭が追いついていない様子だった。
その後、シャイン傭兵団の面々は馬車の荷台から大袋20枚を持ってヤコブの所に行く。
スラムとも呼べるコミュニティを歩く一行には、住人たちの好奇の視線が突き刺さる。
屈強な男たち、美しい女性たち、整った隊列――ここではあまりにも異質だ。
やがて、ボロボロの小屋の前でひとり立つ男の姿が見えた。
ヤコブだ。背を少し丸め、白髪まじりの髪と無精髭、くすんだマントを羽織ったその姿は、まさに“学者然”としている。
「悪りぃ、遅くなった」
シマが先に口を開いた。
「たいして待っておらんよ」
ヤコブは微笑んだ。
が、その次の瞬間、彼の目が見開かれる。
「……な、なんじゃこの大男たちは?!」
ヤコブの目には、ジトー、トーマス、そしてザックの巨体が映っていた。
「ああ、紹介するぜ。俺の家族たちだ」
シマが堂々と言う。
ジトー、トーマス、クリフ、ロイド、オスカーが次々と笑顔で挨拶する。
続いてサーシャ、ケイト、ミーナ、ノエル、リズ、メグ、エイラもにこやかに自己紹介をする。
ヤコブは一瞬言葉を失い、そして目を丸くした。
「お、おなごが半分近くおったのか?! しかも…そろいも揃って綺麗な娘さんばかりじゃのう……」
と、感嘆の声を上げた。
ヤコブの姿を見てザックが眉をひそめた。
「こんなヒョロヒョロのじじいを仲間に加えるのか?」
フレッドも横で腕を組みながら言う。
「役に立つのか?」
だが、シマは穏やかな表情で彼らを振り返る。
「見た目だけで判断するな。…大きな声じゃ言えねえが、ヤコブはこの大陸の人間じゃねえ。遥か遠い国、エル・カンターレから来た学者だ。俺たちが知らねえことを知ってるし、これから進む道の案内人にもなれる。武芸はダメでも、知識で俺たちを支えてくれる存在だ。俺はそう確信してる」
ザックは少し眉をひそめながらも、「まあ、お前がそこまで言うんならな」と肩をすくめた。
フレッドも「お前が決めたんなら別にいいけどよ」と言い、ヤコブに軽く会釈する。
ヤコブはそれを見て、少しだけ表情を崩し、ほっとしたような笑みを浮かべた。
「……まさかワシの人生、こんな終盤でこんな大家族に囲まれるとはな。ちと眩しいのう」
「こっからは新しい始まりだぜ、ヤコブ」
シマが笑って言った。
その笑顔に、ヤコブはふっと頷く。
そして荷物運びが始まった。
次々とヤコブの家財を袋に詰め、あっという間に小屋を片付けていく。
それを見てヤコブは呟いた。
「……シャイン傭兵団か。ワシ、案外いいところに来たのかもしれんのう」
その言葉に、メグが笑顔で応える。
「そうよ、ここは最高の家族だもん!」
そしてシャイン傭兵団に、学者ヤコブが正式に加わったのだった。
アパパ宿に戻った一行は、さっそく食堂へと向かった。
宿の一階、木目が温かい酒場には朝の陽射しが差し込み、朝とは思えぬほど賑やかな空気が漂っていた。
シャイン傭兵団全員で長テーブルを囲み、朝食兼歓迎会の宴が始まった。
朝から贅沢な焼き肉の盛り合わせ、香辛料の効いたスープ、山盛りのパン、果物、そして小樽で持ち込まれた酒が次々と運び込まれてくる。
「ヤコブ、まずは健康な体を取り戻さねえとな」
シマがどっしりと座る。
「ヤコブさん、たくさん食べて飲んでね!」
サーシャが笑顔を向ける。
「……うむ、では遠慮なくいただくとしよう!」
ヤコブは目の前の料理に、まずはひとつ深呼吸をしてから手を伸ばす。
が、その直後、彼の目は思わず見開かれた。
――周囲の者たちの、まるで獣のような勢いで食べる姿に圧倒されたのである。
ザックが丸ごとの鶏肉にかぶりつき、トーマスが肉とパンを重ねて豪快に食らい、ジトーは一人で鍋をかき回していた。
女性陣は一見お淑やかに見えるものの、手はほとんど止まらない。
ミーナはパンを素早く裂きながら口に運び、リズとノエルは果物とチーズを小皿で分け合いながらテンポよく食事を進めている。
メグに至ってはスープを三度おかわりしていた。
「お、お前さんら、もの凄い食欲じゃのう……」
「俺たちは身体が資本だからな」
ジトーが短く言い、
「育ち盛りでもあるしな」
トーマスが口を拭きながら笑う。
「ん? 年はいくつなんじゃ?」
ヤコブがふと尋ねると、
「僕が最年長で16です」
ロイドが静かに答える。
「後は14、15が大半だな」とクリフ。
「リズは13歳だっけ?」とミーナ。
「それくらいじゃないかしら。最年少はメグよね?」
リズが微笑む。
「そうね~、12歳になったのかなぁ」
メグが少し首をかしげた。
その瞬間、ヤコブは目を剥く。
「……? いやいや、その体格、身長で?! あり得んじゃろう!」
驚くのも無理はない。
メグの肩幅と背丈はとても12歳の少女のものとは思えず、ノエルやサーシャ、エイラも高等教育を終えた娘のような落ち着きを持っている。
「とはいってもなあ……」
フレッドが苦笑する。
だが、ヤコブの視線はすぐさま別の三人に釘付けになる。
――ジトー、トーマス、ザック。
三人は二メートルを超える巨躯を持ち、腕などはまるで大木のよう。
「こ、これ以上大きくなる可能性があるのか……」
ヤコブの心中には、驚嘆とともに、じわじわとある種の畏怖すら湧いていた。
(故郷・エル・カンターレでも、これほどの大男は滅多にお目にかかれん。ましてや、三人も一堂に会しておるなど……)
そして思う。
(こ、こやつら……一体、何者じゃ……?)
その問いへの答えを、ヤコブはまだ知らない。
朝食兼歓迎の宴はますます賑やかさを増していた。
皿の上の料理はあっという間に平らげられ、空いた皿が下げられると同時に新しい皿が運ばれてくる。
酒の瓶も何本目か分からなくなるほど開けられ、シャイン傭兵団らしい豪快さが朝から全開だった。
ヤコブもその中にしっかり溶け込んでいた。
「食える時に食って、飲める時に飲んでおくのが――俺たちの流儀みてぇなもんだ」
シマが笑う。
「傭兵団なんてそんなもんだろう」
隣でトーマスが肉をがぶりと咥える。
「そうだぜ、爺さん! 小難しいことは後で考えりゃいい!」
ザックがニヤリと笑い、ヤコブの杯にどばっと酒を注ぐ。
「とにかく飲め! 飲め!」
「……そうじゃのう!!!」と、ヤコブも声を張って応え、杯を一気に傾けた。
笑い声が響き渡る。たわいもない話でも、誰かが口にすれば大笑い。冗談やちょっとした失敗談も、彼らの間では笑い飛ばす種にしかならない。「今、この時を楽しむ」。シャイン傭兵団の宴の空気は、ただの祝宴ではなく、家族の温もりに満ちていた。
やがて話題は自然と、ヤコブ自身へと向かっていく。
「ねえヤコブさんは、何を専門に研究してたの?」と
サーシャが穏やかに尋ねた。
ヤコブは一瞬考えるように酒杯を傾けたあと、静かに口を開いた。
「ワシの専門は、生態学に生物学、それと鉱物学じゃ。動植物の生態から、鉱石や土壌の性質、土地の成り立ちにまで関心を持ってな。……あとは、医師の資格も持っておるぞ。研究のために辺境にも足を運んだ。そこで病人やけが人を診たりもした」
その言葉に、周囲の空気がふっと変わる。驚きと敬意が一瞬でテーブルを包み込んだ。
「医者もできるのかよ…!マジで?」
トーマスが呟けば、「それ、めちゃくちゃありがたいんじゃない?」とケイトが瞳を輝かせる。
「鉱物も?武器や建築にも役立ちそうね」
ミーナが興味深げに身を乗り出し、リズも「動物のことにも詳しいなら、野営中に役立ちそう!」と楽しげに笑う。
「ふふ、賑やかじゃのう……」
ヤコブはどこか嬉しそうに口元を緩めた。
「エル・カンターレって、どういう国なの?」
エイラが興味津々に身を乗り出す。
「経済とか、物の流れとかは?」
「ふむ、エル・カンターレは海と砂漠に囲まれた交易国家じゃ。商人が国を動かし、通貨は金銀の他に貴金属や香辛料も通貨として流通する。市民たちは自由を重んじ、政治もまた、王と議会の二本柱で成り立っておる」
「何が流行ってたのかしら?」
ケイトが少しだけ目を輝かせて聞く。
「流行りか……ワシがいた頃ならば、香り袋じゃったな。香辛料を小袋に詰めて身に着けるんじゃ。貴族も庶民も、香りで自分を飾るのが粋とされとった」
「風土は? 貨幣価値は? 法律は?」
ミーナが矢継ぎ早に聞く。
「気候は乾燥しており、雨は貴重。貨幣はこちらの銀貨1枚でパン30個分ほどじゃったかの。法は比較的緩やかじゃが、嘘と盗みにだけは厳しかったな。市場で詐欺を働けば、その場で追放じゃ」
「服装や衣装、歌や踊りは?」
リズが手を打つように訊ねる。
「男女ともに色彩豊かな衣を纏う。金糸を織り込んだ布が好まれ、祭りでは太鼓に合わせて踊るのじゃ。歌は旋律が独特で、こっちの歌とはまったく違うぞ」
「どうやって国を治めてるの?」
ノエルがさらに深く尋ねる。
「王と評議会が政治を司るが、商人たちの声も無視できん。力のある商会が国を動かす……金が権力と等しい国、といった方が正確かもしれんの」
「他にどんな国を見てきたの?」
メグがキラキラした目で尋ねる。
「ふふ、北方には氷の城を持つ国があったな。南には、鳥と話す民族が住む密林の王国。西には……地面そのものが赤く燃えておる火山の国もあるぞ」
「武器は何が主流なんだ?」
ジトーが腕を組んで身を乗り出す。
「剣よりも、槍や投石器が多かったな。都市間の戦争は少ない代わりに、傭兵の質が重視される。だから弓の名手や、毒使いが重宝されとった」
「食い物は何があるんだ?」
トーマスがフォークを片手に訊く。
「羊肉が主じゃが、ラクダの乳で作るチーズや、香辛料を利かせた豆の料理がうまいぞ。甘味も多く、蜂蜜とナッツを重ねた菓子が定番じゃ」
「教育はどうなってるんですか?」
ロイドが真面目な表情で尋ねる。
「身分に関わらず、子供には最低限の読み書きと計算を教える。書記官になる者は更なる学問を学び、外国語にも通じておる。寺院で学ぶ者も多いな」
「文化や発展具合は、こっちと変わらねぇのか?」とクリフ。
「いや、一部は遥かに進んでおるが、別の面では未発達じゃ。例えば水道と衛生は非常に整っておるが、工作技術はあまり発達しておらん。価値観も全く異なるな」
「肌の色は俺たちと一緒か? 違うやつもいるのか?」とフレッド。
「多種多様じゃな。茶褐色の肌、金色の目、青みがかった黒髪を持つ者もおった。民族の坩堝とでも言うべき国じゃよ」
「建築物はどうなってるんですか?」
オスカーが訊く。
「砂岩と石灰岩で築かれた高い塔や、丸屋根の市場。中には地下に広がる迷宮都市もあった。建築と装飾は一つの芸術とされ、民家ですら壁に彫刻が施されておった」
「……爺さん、俺がモテモテになるにはどうすればいい?」
ザックが唐突に聞くと、場がドッと沸いた。
「ふははははっ!!!」
ヤコブが初めて腹の底から笑い声を上げる。
「まずはその口をもう少し慎み、礼節を学ぶことじゃな!」
「……えっ、無理だろ」とぼそっと言ったザックの背中を、メグがポンポンと慰めるように叩いていた。
宴は終わる気配もなく、太陽はもう高く昇っていた。
ヤコブの口から語られる“外の世界”に、シャイン傭兵団の面々は目を輝かせる。
未知への憧れと、それを教えてくれる仲間を得た喜びが、この日、確かに一つの「始まり」となっていた。




