ノーレム街
ノーレム街に到着したシマたちは、街の外れで一息ついた。
森を抜け、街道を進み、ようやく辿り着いたこの場所。
旅の疲れはあるものの、ここが新たな生活の拠点となるかもしれないという期待もあった。
街の入り口は簡素な作りで、木製の柵と四人の警備兵が立っているのみ。
城壁のような頑丈な防御設備はなく、代わりに見晴らしの良い場所に設置されており、不審者がこっそり忍び込むことは難しいように思えた。
入場にあたり、シマたちは事前に準備していた旅人の服装に着替えた。
奴隷商から奪った服は、ずっと取っておいたものだ。
これにより、見た目だけでも旅人らしく装うことができる。
「身分証はあるか?」
門番の一人が尋ねる。
「いや、ない。入場料を払う」
シマがすぐに答えた。
「ならば、一人につき銀貨一枚だ」
多少高めの金額だが、仕方がない。
身分証がない者が街に入るには、こうして金で解決するのが一般的だった。
シマたちはそれぞれ銀貨を渡し、無事に街の中へと入ることができた。
ノーレム街は、エイラの話ではそこそこの規模の街で、活気もあるという。
実際、街の中に入ると多くの人々が行き交い、活発に商売が行われていた。
露店が並び、様々な商品が売られている。
活気のある商人たちの声が飛び交い、通りを歩くだけで様々な匂いが鼻をくすぐる。
「まずは宿を決めよう」
シマの提案に皆が頷いた。
この世界では、宿屋の形態はある程度決まっている。
1階が酒場で、2階が宿泊施設になっているのが一般的だ。
手頃な価格の宿を探し、シマたちは大部屋を予約することにした。
「一晩、素泊まりで二銅貨だ」
宿の主人がそう告げる。
「悪くないね」
ロイドが頷く。
大部屋には12~13人が泊まれるらしく、相部屋になることは避けられないが、それでも野宿よりは遥かにマシだ。
さっそく街を散策することにした。
まず訪れたのは市場だった。
新鮮な野菜や果物、乾燥肉、香辛料などが並び、どれも目を引くものばかりだった。
シマたちはジャムやブラウンクラウンの相場を確認しながら、どこで売るのが一番良いかを考える。
「ジャムは銀貨2枚以上、ブラウンクラウンは銀貨1枚以下では売るなってエイラが言ってたな」
エイラの言葉を思い出しながら、市場の様子を観察する。
商人たちは皆、活発に取引をしており、交渉の声が絶えない。
シマたちは慎重に売り先を選ぶ必要があった。
次に訪れたのは武器屋だった。
店内には様々な剣や槍、弓矢などが並び、鍛冶職人らしき男が店の奥で作業をしていた。
シマたちは自分たちの持つ武器と見比べながら、どのような武器が手に入るのかを確認する。
「安いものでも銀貨数枚はするな」
ジトーが値札を見て呟く。
「当たり前だろう。まともな武器は高いんだ」
トーマスが肩をすくめる。
武器屋を後にし、道具屋や古着屋も覗いてみた。
道具屋では鍬やシャベル、針金や調味料などが売られており、どれも今後の生活に必要なものばかりだった。
街を歩き回るうちに、小腹が空いてきた。
ちょうど目の前に屋台があり、串焼きを売っていた。
一本二鉄貨という安さだったため、シマたちは一本ずつ買って食べることにした。
「うん……少しえぐみがあるな」
シマが口に入れると、少し独特な味がした。
どうやら下処理が甘く、素材本来のえぐみが残っているようだった。
しかし、塩が強めに振られており、それで誤魔化しているのだろう。
「まあ、食べられないわけじゃない」
トーマスが言い、他の皆も黙々と食べる。
スラムにいた頃を考えれば、こうして熱々の肉を食べられるだけでも幸せなことだった。
食事を終えると、シマたちはさらに街を歩き、情報を集めることにした。
ノーレム街は決して大きな都市ではないが、それでもそれなりの規模を誇り、多くの商人や旅人が行き交っている。
シマにとっては、スラム以外の街で過ごすのは初めての経験であり、新鮮な光景ばかりだった。
しかし、前世の記憶の中にある東京の街や人混みと比べると、地方都市の賑わい程度にしか感じなかった。
「明日はジャムを売るか」
シマが皆に言うと、ロイドやジトーも頷く。
「少しでも良い値段で売れるようにしないとな」
夜が更け、シマたちは宿へと戻る。
宿の酒場は賑やかで、酔っ払いの笑い声や音楽が響いていた。
シマたちはそれを横目に、大部屋へと入る。
こうして、彼らのノーレム街での初日は静かに終わった。
明日からの取引に向け、シマは慎重に計画を練るのだった。
翌朝、シマたちは市場へと向かった。
昨晩のうちに必要なものをリストアップし、予算を確認しておいた。
持ち金は金貨30枚、銀貨10枚、銅貨8枚。市場では槍や斧が8銀貨から2金貨、剣が5銀貨から2金貨、弓が4銀貨から1金貨、矢一束(10本入り、矢羽根付き)が2銀貨、ナイフが1~2銀貨といった具合だった。
また、鋸、鍬、スコップ、包丁などの道具類や塩一甕(300g)、小麦一甕(500g)が1~2銀貨、胡椒一甕(100g)が5銀貨、砂糖(100g)が3銀貨、裁縫道具が1銀貨、糸類が5銅貨から1銀貨、布や服、袋類が5銅貨から5銀貨といった相場だった。
市場を歩きながら、シマたちは慎重に品定めをしていた。
ふと、シマがある露天商の前で足を止めた。
露店の隅に置かれたザルの中に、見覚えのある形のイモがあった。(…あれはジャガイモか?)
すると、露天商の男がシマの視線に気づき、苦笑しながら言った。
「気になるのか? すまんが、これは売り物じゃないんだ。これは悪魔の実だよ」
悪魔の実? シマは訝しんだ。
「シモンイモだと思って仕入れたら、どうやら違ったらしくてな。これを食った者はみんな死んじまうって話だ。俺もまだまだだな、こんなもんを仕入れてしまうなんて」
男は頭をかきながら笑った。
(ああ、なるほど。この世界の人たちは芽を食べてしまったんだな)
ジャガイモには発芽部分に毒がある。
適切に処理すれば食べられるのに、この世界ではそれを知らずに毒で死んでしまったのだろう。
シマは平静を装いながら交渉を持ちかける。
「邪魔なら引き取るぞ。ただじゃ悪いから、銅貨1枚でどうだ?」
「売った!」
露天商の男は飛びつくように了承し、握手を交わす。
商人の間では、交渉成立の際に握手を交わすのが慣例らしい。
「俺はダミアンっていうんだ。ここにはあと7日くらいいる予定だ」
「俺たちは2、3日したら街を出る。その時に引き取るよ」
こうしてシマはジャガイモを確保した。
ジトーがあんなものを買ってどうするんだという。
ロイド、トーマスも悪魔の実のことは知っていた。
これをどう利用するか、シマには考えがあった。
市場をひととおり回った後、シマたちは商会へと向かった。
商会とは、大規模な取引を扱う商人たちの組織であり、街の経済の中心でもある。
「こんな飛び込みで話を聞いてもらえるのか?」
ジトーが訝しげに言う。
「やるだけやってみるさ」
シマたちは意を決して商会の扉を叩いた。
だが、最初の商会では門前払いを食らう。
紹介者もなく、アポイントもない彼らがいきなり交渉を持ちかけても、取り合ってもらえなかった。
「次の商会だ」
2軒目も同じく断られる。更に3軒目でも断られ、追い出される羽目になった。
「全滅か……」
ロイドがため息をつく。意気消沈したまま街を歩いていると、ジトーがささやくように言った。
「尾行されてるな」
「ああ。」
「1件目の商会を出たあたりからだな。」
シマ、ジトー、ロイド、トーマスは気づいていた。
「……面倒なことになったな」
果たして彼らの後をつけているのは誰なのか。
シマたちは慎重に次の行動を考えることにした。
シマはさりげなく仲間たちに視線を送り、合図を送った。
ジトーがわずかに頷き、ロイド、トーマスが共に別の通りへと向かった。
尾行者がどう動くかを確認するためだった。
「まずいな。奴はこっちに集中してる」
ジトーが低く呟いた。
シマはわざと歩調を緩め、屋台で果物を見ているふりをしながら尾行者の動きを探る。
男は一定の距離を保ちつつ、シマたちを監視しているようだった。
「商会を回っていたのが目立ったか……」
シマは腕を組み、考え込んだ。
このままではいずれ話を聞かれるか、あるいは妨害される可能性がある。
下手に動けば、余計な敵を作ることにもなりかねない。
「とりあえず、宿に戻るか?」
「いや、それはまずい。宿が特定されたら逃げ場を失う」
シマは思案した後、わざと裏路地へと入り込んだ。
男がついてくるのを確認しつつ、細い通りを何度か曲がる。
そして、突然立ち止まり、背後の男に向かって振り返った。
「なあ、いい加減にしてくれないか?」
男は一瞬驚いた表情を浮かべたが、すぐにニヤリと笑った。
「…ほう?、気づいてたか。…こんなガキにバレるとはな…」
「お前は何者だ?」
男はゆっくりと近づいてきた。
シマたちは警戒を強め、いつでも動けるように構えた。
「俺はただの情報屋さ。面白そうだから、お前らのことを調べていただけだ」
「情報屋?」
「そういうこった。お前ら、ちょっとは商売の素質があるみたいだな。よければ取引しないか?」
シマは慎重に男の顔を観察した。
果たしてこの取引は彼らにとって吉と出るのか、それとも新たな危険を招くのか。




